第24話 これまでと、これからと~3~
領域、もしくは異界化と呼ばれる魔法がある。現実世界の一定領域を、自身が定めた”理”によって支配する魔術。その領域内であれば、術者は絶対的な力を得ることが出来る。――だが、その魔法は”人には扱えなかった”。
当然とも言える。現実世界の一部を支配する――それはすなわち、“世界(神)”を自身で支配すると言うことなのだから。神を支配するなど、“人に出来るわけがなかった”。
故に、領域魔法は「理論上は可能、だがそれは机上の空論である」といわれ、人間の魔術の担い手はいない――だが、世界と同格である”神”、もしくはそれに連なるものであれば、領域魔法を可能に出来るだろう――そう言われ続けてきた。
実際に、一部の神器が領域魔法を展開したという事例がいくつもある。ダークネスや古壺がそれだ。
世界を書き換え、世界からの援護を受けることによる強化、もしくは対象の阻害、弱体化――現象は多岐に及ぶが、その効果は絶大であった。あったのだが、それは人には扱えないものと“されていた”。
――だが、今ログサの目の前にいるこの男は、されていたはずの領域魔法を行使し、辺り一体を水面の世界へと作り替えたのである。――いや、上書きした、というのが正しいのか。
「……こいつはすげぇ便利そうだな。やり方を教えてくれねぇか?」
「無理な相談だ。元より、これも俺一人で行えるものではない」
脱力状態のルフィンに聞いてみたものの、相手は軽く首を振るのみ。――だが、ルフィンの言葉から、何となく察せられた。
(あの本か……)
異界が造られる寸前、あの本が眩い光を放っていたことを思い出し、ログサは長剣を片手で持ち上げる。あの本が神器だと言うことは、先程ルフィンが語っていた。つまり、奴は今”神を支配下に置いている”状態である――いや、あの本を支配しているかどうかは別として、少なくとも神格の力をある程度は扱えることだろう。
領域魔法を行使することは可能な状態ではある――だが。
(……そう長くは持たないはずだ)
片手で構えた、剣腹のない独特な剣の切っ先を奴に向け、ログサは冷静にそう分析する。領域魔法にどれだけの魔力を必要とするのかは分からないが、大量に必要なのは間違いないはずだ。――そして、その維持にも。
――この魔法も持って数分――そう断じたログサは、ぐっと重心を落とし、不思議と堅い水面を蹴った。
「とっととテメェをぶちのめす!!」
「――――」
水面を蹴り、その反動で突撃するログサに対し、ルフィンは脱力したまま迎え撃つ。証を見れば分かるとおり、ルフィンは徒手空拳――だが、同時に精霊使いでもある。
足下は水面、そして両足には足甲――”証が水に触れている”――ログサが間合いに入り込んだその瞬間。
「――水よ」
「っ!」
その呟きと共に、ログサの足下から水柱が上がる。――いや、水柱とは生ぬるい。水で形成された円錐状の杭。
氷ではなく水の杭。だが、水圧で固めに固めたそれは、もはや岩盤すら貫く凶器と化していた。足下からせり上がる杭は、ログサの胸を貫こうとし――しかし寸前、“風”が吹く。
「断ち切れ!」
「………」
今度は逆に、ログサが叫び、水杭が真っ二つに吹き飛んだ。水しぶきを上げる杭の残骸を通り抜け、振るう剣が風を纏ってルフィンへと伸びる。
彼が振るう剣からは、キィィィンと小さな、それでいて良く響く音がなっている。刀身に触れる空気を風属性の魔法で振るわせて”振動”を起こしているのだ。その振動を持って、剣の切断力を極限まで跳ね上げていた。
触れれば確実に相手を斬り裂くその剣を、ルフィンは左の手甲で受け止め、右の拳をログサの腹部に叩き込む。――左の手甲からは甲高い音が鳴り響いているが、手甲は切断されていない。当然だ、剣が起こす振動を、手甲に宿る知識が無力化しているため剣の切断力は発揮されない。
「――っ」
一方、腹部に叩き込んだ右腕は、ログサの体に触れる前に“斬り裂かれ、大きく逸らされた”。手甲に覆われているために無傷ですんだが、それでも手甲にはいくつもの残痕が走る。――かつての戦いと同じだ。めんどくさそうに顔をしかめるルフィンは嫌そうに呟いた。
「相変わらずの“鎧”だな。いや、あのとき以上か」
「言ったはずだぜぇ? 修行してきたってよぉ!!」
ギャリギャリギャリと剣と手甲がぶつかり合っているとは思えない音を響かせながら、ログサは強引に剣を振り切った。――風を纏った剣で斬れないのだから、無理に鍔迫り合いに持ち込む必要はない。それにルフィンは今、右腕を空振りさせて大きな隙が出来ている。これを逃す術はない。
振り切った剣を即座に翻し、返しの一閃を放つ。だがその一刀は、上体を反らしたルフィンがあっさりとかわしてしまう。だがこれは読み通り、相手がかわすと同時にログサは前に突っ込み左肩から突進する。
「っ――」
至近距離から突っ込んできたログサに反応しきれず、ショルダータックルをもろに喰らったルフィンは吹き飛ばされる。――全身に細かい切り傷を負って。奴が来ていた衣服の欠片が宙を舞う中、ログサはへっと鼻を鳴らし表情をしかめて左腕を押さえた。
「てめぇ……」
「ただでは吹き飛ばされんぞ」
吹き飛ばされたルフィンだが、衝突した瞬間自ら後方に飛ぶことで衝撃の大半を逃がし、それどころか奴の”鎧”から露出した左腕に拳打を打ち込んでいたのだった。もっとも、飛ばされながら打ち込んだためいつもよりも遙かに威力の弱いものだったが。
両足から水面に着水し、水しぶきを上げるルフィンはじっとログサを注意深く観察する。――やはり面倒なのは、全身に纏った”鎧”。以前も、あの鎧と風を纏う剣に苦しめられた。
鎧と言っても、それは目に見えるものではない。現にルフィンの姿は何一つ変わっていない。変わったとすれば一つ――証に宿る知識を用いて展開した、全身に纏う風。この風が、鎧の正体。
先程のように拳打を打ち込めば、纏った風によって”流され”空振りし、さらに細かい鎌鼬によって拳を傷つける。
触れることの出来ない風の鎧を纏い、触れたもの全てを斬り裂く風の剣を扱う“風刃”――フェルアントランク第一位、ログサ・マイスワール。精霊使いは五属性の魔術を扱えるが、この男は“風属性”のみを鍛錬で鍛え上げた到達者。
本来精霊使いであれば、彼のような一点特化よりも複数の属性を同時に扱えるようにすることが望ましい。これは単一の属性で引き起こせる現象も、複数属性を使用することでより少ない魔力で、時にはそれ以上の現象を引き起こせたりするためである。
だがログサはそのセオリーを無視し、一点特化させた結果、本来の精霊使いではたどり着けない極地にたどり着いたのだ。
それがその”鎧”と”剣”、そして”加護”。――ログサは王の血筋ではない。故に、自然の加護は得られない。だが、”風”に関してのみ、その加護を受けていた。自然ではなく、風の加護――それが、彼が一つの属性に特化させた末にたどり着いた到達点である。
精霊王という古代の英雄頼みではない、鍛錬の果てに至った”人の到達点”。それが、この男だ。おそらく、真っ正面からの戦いであれば――
「”風神”から転じた”風刃”の二つ名は健在か」
「その二つ名は頼れる後輩に押しつけてきた。今の俺はただのログサだぜぇ」
剣を両手で構え、証から発生させた風を全身に纏う。今や、風を――正確にはその流れを――はっきりと見えるほどに高められていた。彼を中心に、足下の水が激しく揺れる。
「………」
ルフィンは表情をしかめる。一点特化させたが故に、その弱点は分かりやすい。風は本来空気の流れである。そのため空気がない水中や、空気を遮る岩盤などを用いて風を阻害すれば良い。
――だが、おそらくそれは通じない。なぜなら、十七年前にも同じ事を閃き――返り討ちに遭ったからだ。
一点特化させたが故に、その爆発力は他の追従を許さない。相性の善し悪しも、時に関係ないとばかりに吹き飛ばす――ログサには、それだけの力を持っていた。
おまけに長年にわたる戦いによって培われた洞察力――桐生アキラと同様、”理詰め”による先見の明。筋肉の僅かな動きから、相手の動きを先読みすることが出来るログサは、間違いなく”最強”の一角にいることだろう。
だが――それでも負けはしない。十七年前の時点でも、実力で言えばログサの方が上だった。それでも、あのとき自分は勝てたのだ。だから今回は――いや、今回も――
「お前は強い。それは、お前と戦った俺がよく知っている。……だが、お前を倒させてもらう。俺はまだ、ここで歩みを止めるわけにはいかない」
「……お前、その本がなんなのか知っているのかよ……? それがどんだけ危険なものか、分かっているのかよ!?」
脱力状態――構えを取らないことを”基本の構え”としているルフィンが、ここに来て初めて構えた。右拳を握りしめて脇を締める彼に、ログサは剣を片手で持ち直して問いかけた。厳しい表情で金髪の男を眺めていると、奴はあぁと頷いた。
「知っている。でなければ、こんな本、人目の着かない場所に置いている」
「なら何の目的でその本を……!」
「――俺自身の望みのために。そのためなら、”世界がどうなろうが構わない”」
「――………」
――耳を疑った。今、こいつは何と言った……? 驚愕に目を見開くログサを前に、ルフィンはふっと踏み込んだ。
「……っ!!」
次の瞬間、奴はログサの間合いの内側にいた。構えた右腕が霞む――奴の腕が、腹部にめり込んだ。
今のは彼と共に戦った、桐生アキラが収めた魔術剣技、霊印流――その歩法たる”瞬歩”。それを持って間合いの内側に出現したかのように現れ、拳打を打ち込んだのだ。打ち込まれたログサは体をくの字に曲げて後ろに吹き飛んでいく。
いくら相手の動きを先読み出来るとは言え、気を逸らした瞬間に動かれては、読めるはずの動きも読めない。その隙を突いたルフィンの一撃は――ログサを倒すまでには至らなかった。
「……っ!!?」
吹き飛ばされながらも、倒れることを拒否するかのように、足から着水した。口から吐血しながらも体勢を立て直したログサは呻くよりも先に剣を振るう。風を纏い、刀身の周辺の空気を振動させたそれは、直後に襲いかかってきたルフィンの追撃を弾いた。
追撃として襲いかかってきたのは細い糸状のもの――鋼線である。ログサはそれを視認せずに感覚だけで察知し、切り払ったのだ。風の加護を得ているが故に、気配察知能力だけで言えば自然の加護を受けている者達と同等である。
故に、飛んでくる鋼線を切り払うのは容易い。――そして、これが追撃と、”次への布石”であることは彼にも察せられた。腹部に打ち込まれた痛みを無視して、用意をする。
「……っ!」
――次の瞬間、彼が切り払った鋼線が突如砂へと霧散した。視界を封じるためのものだ。確かにログサも、相手の動きを先読みできる。だがそれは、相手の筋肉の動きや構えなどを見て“予測”する先読みであって、自然の加護を受けた者達のように“感覚”で先読みできているわけではない。
つまり、視界を封じられれば――相手の動きが見えなければ、先読みすることは出来ない。そして視界を封じれば――この砂嵐の向こうから、相手が突っ込んで来る気配を感じ取る。だからこそ、即座に用意したものを使う。
「――ち」
「……へ」
突如、砂嵐が吹き飛ばされた。ログサを囲むように巻かれたはずのそれは、奴が起こした風によって吹き飛ばされる。全身に纏った風の鎧――それを用いたのだ。だが、砂を吹き飛ばしただけではない。
風の力を”推力”とし、ログサは高速で移動したのだ。砂が吹き飛ばされたのはその影響であり、砂を吹き飛ばすためだけに使用したのではない。
そして、風を用いて高速移動した彼は、襲いかかってきたルフィンの背後を取る。無論、彼相手に背後を取っただけで優位に立てるとは思わない。――だが、彼振り向き拳打を打ち込むのに多少の隙が出来る。
――その隙を突く――ログサの剣が振動音を響かせながら振るわれ――対するルフィンは拳打ではなく、蹴り足で剣を迎撃する。
足甲と剣がぶつかり合い、その接触点からギイィィィィンと金属音とは明らかに違う音が響き渡る。振動音と振動音のぶつかり合いであった。ルフィンの足甲もまた、振動を放っていたのだ。
「――へ、やるじゃねぇか。だがな……」
「――っ! ………」
僅かに驚きを浮かべ、しかし即座に口元をつり上げたログサに対し、何かに気づいたかのように渋い表情へと変えたルフィン。対極の表情を浮かべた二人の視線は、互いの証へと向けられていた。
「風の使い手相手に、風で勝負を挑むのは馬鹿だぜ」
振動音を響かせる中、ルフィンの足甲が徐々に削られていく。彼の振動が負けているのだ。風属性の練度で言えば圧倒的にログサの方が勝っているゆえに、互いに風属性の魔術で競い合ってもログサが有利になるのは当然と言える。それにルフィンも、そもそも魔術自体の扱いが得意というわけではない。
「……ふんっ」
「っ!? おいおいまじか」
渋い表情を浮かべたままのルフィンは、このままでは振りだと悟り足裏で剣を受け止めたまま、体を捻りつつ飛び上がる。そして、”剣を受け止めた接点を中心に”空中でぐるりと回転し、剣の柄目掛けて回し蹴りを叩き込む。
突然自身の腕目掛けて振るわれた蹴りだが、それは鎧によって流された。蹴りを回避したログサは剣を引き戻し、縦横無尽に振るう。
右から、左から――縦横無尽に、闇雲に振るっているように見せかけて、その実、回避する方向を巧みに制限した避けづらい剣筋だった。おまけにあの剣は、振動により下手に防ぐのが危険なものへと成り代わっている。
相手の動きを先読みできるとはいえ、“避けられなければ”意味はない。おまけに先読みは、読めるのは動きのみでその意図までは読めない。数合かわしたところで、そのことにルフィンは気づく。
徐々に追い詰められ、後退を余儀なくされるルフィン。表情に浮かべた渋い表情は相変わらず――だが。剣を振るいつつ、ログサはだんだんと訝しむようになってきた。
(……っ?)
――何故奴は、”こちらに合わせている”?――
戦闘の最中であり、訝しむそれが何なのかはわからない。ただ、長年戦ってきた故に身についた勘が告げていたのだ。そろそろ”引き時”だと。
(……くっ)
勘に従うか、それともこのまま攻め入るか。一瞬の迷いの内に、退くことを選んだのだが――その一瞬が遅かった。
「――まずは厄介なその鎧――」
「っ!?」
今まで黙っていたルフィンが突如呟き、同時に体がぐらりと傾く。突然のことに驚くログサは、足に走った痛みと共にあるものを視界に収めた。――足下の水が、太腿を貫いていた。
(嘘だろ、鎧を貫い――)
「引き剥がしてやる」
痛みに剣撃が怯んだ隙を突かれ、がしっと剣を握る右手首を掴まれた。すると、右手を掴むその手甲が赤く煌めいたかと思うと、掴んだまま爆発を起こした。
「ぐあぁぁぁっ!!?」
爆発の中心点にあった右手から剣が――つまり証を取りこぼしてしまう。幸い爆発に巻きこまれた右手は原形を留めていたが、裂傷と火傷が凄まじく、右手を使うことはおそらく敵わなくなった。
おまけに証を取りこぼす――それは、彼の体から鎧が消えるのと同じことだった。
「――さらばだ、ログサ・マイスワール」
右手を焼かれ、太腿と貫かれて身動きも出来ず、身を守る鎧をなくした彼は、握りしめた奴の右手に雷が集まっていくのを見守って。
――天の風――
「――っ!?」
「――まだ別れの挨拶には早いぜぇ!!」
――突如、辺りに響く声がした――気がした。それに一瞬気を取られ、雷を纏った拳打の狙いが僅かに逸れ、ログサは体を捻って紙一重でかわす。
かわした次の瞬間、遠くへ吹き飛ばされた彼の剣がどこからともなく飛来する。回転しながら飛んできたそれは、ルフィンを真っ直ぐに狙ってくる。
「っ!!?」
ルフィンはログサから離れ、飛んできた剣を弾きながら後退する。一方、弾かれた剣はくるくる回転しながらログサの左手に収まった。彼が剣をその手に握ると、失われていた鎧を再びその身に纏った。
「……貴様、今の”呪文”は……!!」
「言ったろ、修行してきたってよ……!」
――右手はもう使えなくなった。ログサはルフィンから視線を逸らさずに言い、左手で剣を構えた。相手は、こちらのことを信じられない、といわんばかりの表情で眺めている。――ようやく奴のすまし顔を崩せた、と悦に浸りながら、
「風だけじゃてめぇには届かねぇ。だから、刃を増やした」
構えた剣を、無造作に振り切る。その軌跡に沿って風の刃が飛び出し、ルフィンを斬り裂こうと一直線に向かっていく。風の刃はたった一つ、それも遠隔ではなった技だ。ルフィンの証でも十分魔力へ変換、つまり無力化できる。下げていた手を無造作に持ち上げ――
――天の風――
「っ!」
再び、あの呪文を耳にする。次の瞬間、放たれた風の刃が一瞬で四つへ分裂した。――いや、違う。四つに”増えた”。証から離れ、もう制御が出来ないはずの刃が、それも大きさ、威力、速度、どれも全く同じものを――
「貴様……っ!」
放たれた後に四つに増えたそれは、軌道を変え、向きを変えてルフィンに襲いかかる。彼の剣筋と同様、一見雑に見えてその実、異様にかわしにくい刃だ。しかも初動が遅れ、かわすことは敵わない。傷を負うことを覚悟で耐え忍び、体の節々にぱっくりと深い傷を負うが、致命傷を外す。
――もっとも、致命傷をもらっても、ルフィンにはあまり効果がないのだが。現に、ログサからもらった傷は、徐々に”修復”していく。その様子を見ても、彼は驚く様子を見せずただ悲しそうに首を振るだけ。
「……堕ちたものだな。不死の体を得てもなお、己の欲を叶えようとする……てめぇの欲は何だ?」
「……」
「世界がどうなろうがどうでも良い。それよりも、てめぇの欲の方がよっぽど大事だってのかよ!」
叫びながら剣を振るい、もう一度風の刃を放つ。放たれたそれは、まっすぐにルフィンへと向かい、俯いたままの彼はそれを無造作に振り払った。――いくら証で覆われた腕で払ったとはいえ、風を完全に無力化することは出来ず、振り払ったその腕にいくつもの傷を負った。
その傷も即座に再生するが、ルフィンにはほとんど意味がなかった。うつむいていた彼が顔をあげると、無表情のままこくんと頷いた。
「その通りだ」
「……てめぇ……!」
怒りにぎっと柄を握る手に力を籠めるログサ。今にも駆け出し、ルフィンに襲い掛かりそうな彼だったが、ドンッと拳を打ち付けた相手に体の動きが止まった。――雲一つない晴天に、降ってわいたかのような黒が広がっていく。
「――お前は強い。まさか“心象術”まで用いてくるとは夢にも思わなかった」
――心象術を知っている……?――
「お前がどんな修行をしてきたのか興味深いが……しかし心象を知るのであれば、ここで断たせてもらう。……けりを付けようか」
そういってルフィンはだらりと下げていた腕を持ち上げていく。その動作、その雰囲気から、奴が何かをやらかすと察したログサは、左手で握る剣に力を込める。
「――我と契約を結びし……っ」
彼が紡いだ言葉を聞き、一瞬寒気が走ったが、それを上回る悪寒をひしひしと感じ取った。精霊憑依の呪文を唱えだしたのだが、それを遮るかのようにピシッと亀裂音が木霊したのだ。まるで、何かが壊れかけているのを知らせるかのように。
「……なんだ……?」
「……………」
辺りを見渡してその音源を探すログサだが、見つかるはずはない。なぜなら、今の破裂音は”世界”から響いていたのだから。持ち上げていた腕を、いつの間にか胸の辺りにやっていたルフィンは、平坦な口調でぽつりと告げる。
「……時間切れのようだ」
「時間切れだぁ?」
「あぁ。……正直、使いたくはないのだが……そうも言っていられんな」
胸をぎゅっと掴みながら、ルフィンは一歩踏み込んだ。それを見て、瞬歩を使ってくると察したログサは剣を目の前で立てながら待ち構える。――いくら早かろうが、動きを先読みできればそのスピードは生かし切れない。
しかし、目の前にいたはずのルフィンが、突如として姿を消し。
――“ログサの後ろに現れた”のは、予想だにしなかったことだろう。
(――風が消えた……!)
何よりも、風の加護を持つ彼が――少なくとも相手の気配を常に察知できるはずの彼が、一瞬ルフィンの気配を見失ったのだ。目の前にいたはずの彼の気配が消失し、そしていきなり出現したかのように感じていた。
(――――っ!!)
何をやったのか。いや、それは今はどうでも良い。奴は今、自分の背後におり、必殺の一撃を撃とうとしている。拳に纏った風――それも可視化できるほどに集められた、荒れ狂う竜巻にも匹敵するかのようなものだ。
風の鎧で防げるか――無理だろう、直感が告げる。風使いでもあるが故に分かるのだ。アレは、“災害レベル”に匹敵する風量だと。こちらの鎧など、あの風に巻きこまれ跡形もなくなってしまう。
避けられない――そう悟ったログサは振り向きながら左の剣を振るう。刃からなるはずの振動音は、拳に纏った竜巻が引き起こす暴風によってかき消されているが、それでも切れ味までなくなったわけではない。奴に届けば――。
――問題は、“どちらが早いか”である。最も、背後を取ったルフィンの方が一歩早く拳を繰り出していたのだが。
「っ!!」
「―――――」
気合いを発してはなった一刀と、無表情のまま繰り出した拳――一瞬、奴の無表情が歪み、拳がぶれ――拳が鎧を破るのと、剣が体に届いたのは、ほぼ同時だった。