第23話 納める刃、振り上げる拳~1~
『――だからお前は、ここで……!!』
『負けるわけにはいかない……! この世界は……この世界を、殺すまでは!!』
『――ここで終われ!!』
悲痛な二つの叫びが響き渡り、光に包まれ世界が消滅する。光が収まると、二人の男は互いに洞窟の中にいて、互いの獲物によって貫かれていた所だった。
飾り紐の着いた剣は、羽の意匠が施された杖を持つ男の心臓を貫き。
羽の意匠が施された杖は、飾り紐の着いた剣を持つ男の体を穿った。
光り輝く文様を背に、心臓を貫かれた男と、体の大半が消し飛んだ男は、互いが互いを支えるかのように同時に倒れ込んだ。折り重なった二人は、互いに口元に笑みを浮かべた。
『――ゴフッ』
『――――ハ、ハハ……こういう結末か……』
心臓を貫かれた男は吐血し、大穴が空いた男は弱々しい声音で呟いた。相打ち――二人の戦いの結末は、互いが互いを殺すそれである。その結末は、望んだ物とは違ったが――それでも、“道を踏み外した弟”を止めることが出来たと、剣の持ち主たる兄は思う。
――役目は果たした。薄れゆく意識の中、男が目にしたその光景は、きっと幻覚なのだろう。かつての仲間が、友人が、そして父と弟が、自分を待ってくれている光景――こちらに向かって手を差し出してくれる友人に向けて、手を伸ばす。
伸ばした手は、何も掴めなかったけれども。それでもきっと、彼は友人の手を握りしめることが出来たのだろう。満足げな笑みを浮かべて、剣の男は息を引き取った。
『……ゴフッ……ブッ………』
兄の体が倒れ、それを一瞥することなく杖の男も膝を突く。心臓を貫かれながらもまだ意識を保っている彼だが、もう数秒の命もない。
『……は……ははは…………』
呟くと同時、震える手で印を結ぶ。すると、胸から流れる血が止まる――否、血は未だに流れている。だが、その流れは、極端に遅くなったのだ。
――時間軸を狂わせる秘術――完全に時間を止められなかったのは、死に体なのが原因であろう。だが数秒後には尽きる命を、数分に引き延ばすことは出来ただろう。しかしそれは、すぐに終わる苦しみを、長引かせることと同義であった。
『………まだ……私は……』
手を伸ばし、男は目の前で輝く文様に触れようとする。指先が、それに触れた。――願いは叶う――この世界を殺して、―――――そこで、男の思考は途絶え、そこまでだった。文様――世界の中心とも言える“理”に触れた瞬間、流れてきた力に、弱っていた彼の体は耐えきれなかった。
『………――――』
狂わせていた時間が、瞬く間に元に戻る。世界の中心、核とも言える理を顕現させた術者が消えたことにより、現れていた文様は消え去ってしまう。しかし、一瞬とは言え理に触れたことにより、その理にはある一つのことが刻まれた。
――理に刻まれたそれは、”宿命”となった。それが一つの始まりであり、この先幾たびも繰り返される出来事となったのだった。
~~~~~
――だ――って――――るだ――ろ!
不意に、誰かが叫ぶ声がする。何だろう――だが目の前が真っ暗で何も分からない。
「あぁ――う、わかっ―――かった! 目を覚ま――呼ぶ! それまでお前――――寝てろ!!」
この声は――トレイド、だろうか。途切れ途切れに耳に入ってくる言葉を必死に繋ぎ合わせようとするが、それは敵わない。僅かながら覚醒した意識は、再び闇の中に吸い込まれてしまった。
「――たく……心配なのはわかるが、もう少し自分たちの事を……」
「仕方ないだろう。聞けばあの襲撃で、タクトは皆を助けるのに一役買ったのだ。その姿を、大勢の生徒が見ている。皆が心配するのも仕方のないことなのだろう」
ぴしゃり、と医務室の扉を閉めながらため息を吐くトレイドの呟きに答えるかのように、青い髪の女教師――シュリアは、ベッドの上で眠るタクトに視線を向けたまま答えた。一瞬、タクトの瞼がぴくりと動いたが、今は静かな寝息を立てている。
医務室は大勢のけが人であふれかえっている。いや、正しくはあふれかえっていた、か。大抵が切り傷や打撲、もしくは火傷と言った、比較的軽傷(それでも、中には重傷者もいるが)が多く、すでに負傷者の手当はあらかた終わっていた。
こういうときに便利なのが治癒術だ。大抵の怪我をすぐに癒やしてくれるため、彼のようにベッドの上で安静にしなければならないけが人は少なかった。
無論、体力のない生徒達には治癒術をかけるのは良くないため、包帯などで応急処置を施した後、体を休めてもらっている者もいる。そういった者達は一休みした後、もう一度医務室に来て治癒術を施すことになっていた。
故に今、使用されているベッドの数は意外と少なかった。今使用しているのは、タクトのように、意識を失っている者が多い。もしくはアイギットのような、魔術がなければ腹部を数針も縫うような怪我を負った者か。その彼は今治癒術をかけ終わり、静かな寝息を立てている。
「――あいつが憑依したところを誰も見ていないのは、不幸中の幸いか……」
意識を失っている者が多いため、平時ならば口に出来ない事も平然と口にすることが出来る。トレイドの言葉に、シュリアは口を閉ざしたまま。しかしトレイドは、彼女の心情を察することが出来ず、平然と口を開いてしまう。
「ま、これでタクトも憑依習得者か。ありがたいことだな」
「……それはどういう意味だ?」
「どういうって……そのまんまだぜ? あいつが憑依を会得してありがたい。このまま、力を付けてって――」
突然立ち上がったシュリアに、トレイドは胸ぐらを掴まれた。勢いよく立ち上がった結果か、彼女が座っていた椅子ががたんと倒れるも、二人は気にしない。
「――巫山戯るな」
――いや、気にする余裕がなかった。トレイドは驚きに、シュリアは怒りに。怒気を含んだ声音に、目を見開いたトレイドは頬が引きつった。大きな声を出したわけではないが、その威圧感はかなりのものであった。
「憑依は、彼らには不要な物だろう……っ。それを何故、教えるような真似を……っ!!」
「――それは………」
おそらくジムから憑依を習得させていると言うことを聞いたのだろう。確かに生徒には、子供達には憑依はいらない物だ。だが、タクトには必要な物なのだ。精霊王の血を引く者である彼には――
「――タクトには、本部から打診が来ていた。学園を卒業後は、本部で引き取りたいと……マスターリットとして迎え入れると」
「マスターリット……あいつらか……」
胸ぐらを掴まれているトレイドは、驚きが過ぎ去ると平然とした口調に戻った。マスターリット――かつてトレイドと戦った、本部が保有する凄腕の精霊使い――ここを出れば、あの連中の仲間入りをすると言うことか。
そしてマスターリットは、神器の回収や、それに携わる事件の解決、そしてフェルアントに害する者を処罰することを主な任務としていた。マスターリットに入れば、殺伐とした――死と隣り合わせの戦いの日々を送ることになる。
しかもその打診は、憑依を習得する前から来ていたのだ。もし、タクトが憑依を習得したと言うことが広まってしまえば――本部は強引にでも、彼をマスターリットとして迎え入れるだろう。
――彼の従兄であるセイヤと同じように――当時のことを思い出し、拳を握りしめるシュリアだが、そんな彼女の腕を掴み、トレイドは息を吐き出す。
「――あいつの人生だ、決めるのは俺やお前でもなく、ましてやフェルアント本部でもない。あいつ自身が決めるんだ」
「………だが……」
「もしアイツの意思をねじ曲げるようなことをするんなら、俺がいくらでも相手をしてやる。あんたでも……もちろん、本部だろうとも」
――僅かに滲む怒気に、今度はシュリアが目を見開いた。トレイドの黒い瞳はベッドの上で体を休めているタクトに向けられていた。
「憑依を習得するって決めたのもあいつだ。その危うさを理解した上で、それでも習得するって決めたのは奴だ。だったら友人として、人生の先輩として、その希望に添ってやりたいって思うのは、当然のことだろう?」
一瞬わき上がった怒気は、すぐに消えさった。真剣な眼差しをタクトに向けながら、彼は伝えるようにして口を開く。
「だから今は、体を休めろ。……お前のことだ」
そして次に、タクトが眠るベッドの隣――少し落ち着きはしたが、未だに苦しそうに表情を歪め、汗をびっしりと流しているレナに向けた。
「――彼女を助けるために、動くんだろ?」
――その声音は、どこか羨ましさが滲んでいるような気がした。
~~~~~
「――学園が襲撃された!?」
「あぁ。どうやら生徒達だけで襲撃者を退けたらしい。全く大した物というか……」
学園が襲撃に遭ってから数時間後。その情報は、ようやく本部にも届いていた。本部長であるミカリエからそのことを聞かされたアンネルは驚きの声を上げ、対するミカリエは眼鏡を押し上げると何とも言いがたい表情を浮かべている。
「やはり、襲撃者はエンプリッターで?」
「そうだ。向こうで捕まえた者達の装備が、これまで君達が回収してきてくれた武器と同じ物だ。おまけに供述もしてくれた」
「供述……? 話したって事ですか?」
首を傾げるアンネルに、ミカリエはあぁと頷いた。エンプリッター――外魔者として認定されている彼らは、司法の場でなくとも処罰を行うことが認められている。つまり殺しても構わない、ということなのだが――わざわざ生かして捕らえたのだろうか。
「どうやら学園にいるトレイドが、全員生かして捕まえたらしい。まぁ、話は聞けるから良いと言えば良いのだが……」
ミカリエは頭が痛い、とばかりに渋面を浮かべてため息をついた。学園が襲撃された、という知らせを受けてトレイドと連絡を取ったのだが、その彼からこんな事を頼まれたのだ。
――できる限り、こいつらから事情を聞いてやってくれ。話を聞いてみると、どうも口車に乗せられた”元一般人”も含まれてると思う――
その一方を受けた時に、彼は頭痛を感じたのである。それはトレイドの頼みに、ではない。エンプリッターのやり方に、であった。
「どうやら連中、度を超しているらしいな」
「……元一般人……つまり、連中が独自に見つけ出し、育ててきた、こちら側でいう”未登録の精霊使い”ですか……」
トレイドの頼みを彼にも教えてやると、それだけで悟ったのだろう、アンネルも渋面を浮かべて唸った。エンプリッター=外魔者、としていたが、どうやら認識を改める事が必要なようだ。
向こうが見つけ出した精霊使い――エンプリッターの“新参”達には、罪はない。外魔者も、その場での死刑執行が認可されているが、それだけにいくつにも及ぶ審査を通らなければ外魔者として認定されないのだ。
「さて……。これは奴らからの宣戦布告と受け取っても構わない……かね?」
「……どうでしょうね。まだ連中からは何も言ってきてはいないので……」
それよりも、とアンネルは咳払いを一つして、
「俺個人として気になるのは、何故学園が襲われたのか、という理由なんですが……」
ぴくり、とミカリエの肩が震えた。その震えを見逃さなかったアンネルは、じっと彼を見据えて、ミカリエはふぅっとため息をつく。ごまかせない――それに彼は、ある程度事情にも通じている。話しても構わないだろう――そう確信するアンネルは、重い口を開いた。
「……どうやら連中、フェル・ア・チルドレンをさらうために学園を襲ったようだ。トレイドの報告と、捕縛されたエンプリッターの一員も認めている」
「……なんですって?」
フェル・ア・チルドレン――その言葉が意味する重さを理解して、アンネルは驚きを隠せなかった。
「学園に在籍している二名のフェル・ア・チルドレン……彼らが目的だ。その理由は隊員達にも明かされていないらしいが……”子供達”が持つ可能性と連中の大望を鑑みれば……」
「…………」
それだけでアンネルも察したのだろう。これらのことはミカリエの考えに過ぎないが、それでも的外れではないだろうという自信はある。黙りこくったアンネルは、やがてミカリエを見据えて、
「……俺たちの方からも、学園の警護に入りましょうか? トレイドは……腕は優秀なのは分かっていますし、今回のことも彼のおかげで被害を押さえられたということは分かっているんですが……」
「気持ちは分かる。彼は少し抜けているからな……」
――その少しが、入らぬ不安を煽るのだ。現に、襲撃されたというのに本部に連絡もせず――その時は通信妨害の結界を張られていたようなので仕方ないが――、連絡できる状況になってもしなかったのだ。結局本部が事の詳細を把握したのは、学園の教師からの通報を受けてである。
おかげでこちらからトレイドに連絡を入れなくてはならなくなってしまったのだ。
「だが、その必要は今はない。今後のエンプリッターの動向次第だが、襲撃を受けたことを受け、今学園側でどう対処するか協議が行われている。……しばしの間休園ということになるかもしれん」
現に連絡を取った際、教師達が悶々と協議をかわしているのが聞こえてきた。その折に聞こえてきたのが休園というワードだった。それを取り上げ、ミカリエは口を開く。
「それで、信頼の出来る支部に彼らのことを頼みたいと思っている。幸いというべきか、一人はその支部の関係者みたいなものだから、頼みやすい」
「……その支部とは……?」
――何となく、だが。アンネルは、その支部がどこなのか分かったような気がした。若干苦笑を浮かべながら問いかけると、ミカリエもそのことを察したのか、彼も苦笑を浮かべる。
「地球支部だ。あそこにはアキラがいる」
「……やっぱりですか」
最近何かと関わりがある――好むと好まざるに関わらず、耳にする機会が増えた支部の名に苦笑を浮かべ、しかし同時にわき上がる懸念も口にした。
「ですが、あそこは精霊のことも、魔法の文化もありませんよ。そんなところに、子供達を……エンプリッターが襲うような理由を持ち込むのは……」
それがアンネルの懸念であった。精霊の文化も、魔法の知識もないあの世界では、何故か”神”が数多く存在しているのだ。その原因と、神々の調査を行っているため、手練れの精霊使いが多い。
とはいえ神といっても、お伽噺や思想などが神格化した、人々が生み出した神――所謂”創造神”の方が多く、その力も弱い物が覆い。そのため、”神器”の存在を知らない精霊使いでも対処できるのだ。
――と、いうのが現支部長である桐生アキラの説明である。……あの支部の精霊使いの大半は、”神器”について知っているだろうな、とアンネルは胸の内で溢すのであった。伊達に英雄と呼ばれてはいない面の皮の厚さである。
そもそも、他の世界と違い魔法の存在そのものが知られていないため、他の支部よりも魔法関係に関する制約は厳しいのだ。そんな環境下で任務を成功させているのだから、手練れが多く集まるのは当然とも言えた。
だからエンプリッターが地球を襲うということはしないだろうが、今回の襲撃もある。警戒した方が良いのでは、と思いもしたが、ミカリエは首を振る。
「確かにな。だがエンプリッターが地球を襲うつもりなら、すでに襲っているだろうよ」
「……え?」
ミカリエは頷きつつもアンネルの懸念を否定する。その言葉に彼はきょとんとし、
「考えても見ろ。奴らにとって、アキラは自分たちを追い出した仇敵だ。理由などなくとも、アキラがいるという時点で、すぐに地球を襲うさ」
「確かに……。でも今まで、そういった話は聞いたことが……」
考え込むアンネルだが、すぐにいや、十年ぐらい前に一件あったような……とうる覚えだった事件を思い出そうとするが、すぐにミカリエの言葉に引き戻される。
「あぁ。やつらに取ってアキラは仇敵だが、同時に天敵でもある。痛い思いをしたのをよく覚えているのさ。それに、マスターリット以外でエンプリッターを討ち取った、という話を時々聞くだろう?」
「えぇ。時々……というか、ちょっと前まではかなりの頻度で聞いてましたが……」
「あれの大半は、地球支部の精霊使いだ」
「……………」
思わず頬が引きつってしまう。これでは、マスターリットとしての立場がないではないか。神器の回収、エンプリッターの始末、どちらも行われているのだから。ともあれ、ある程度はわかった。
エンプリッターは地球を今すぐにでも襲いたいことだろう。だが、その地球支部所属の精霊使いに大打撃を受け続けてきたのだ。警戒心を露わにし、すぐにあそこを襲うようなマネはしないはずだ。
「そういった意味では、あそこは安全地帯かも知れませんね……」
「あぁ。……少なくとも、今は」
肩をすくめて、呆れたようにため息をつくアンネルとは対照的に、今まで大丈夫だろうという口調で口を開いていた本部長のミカリエは意味深な発言をした。その視線は、執務机の上に広がる報告書に注がれていた。
「………今は、まだ……」
険しさを増すその瞳は、これからフェルアントに襲いかかる荒波を予知しているように見えた。
その報告書――二枚に重なったそれには、それぞれ別のことが書かれていた。
『英雄ルフィン、各地で目撃証言多発』
『”元マスターリットリーダー” 目撃証言』
(……嵐の前の静けさ、か……)
報告書に書かれた文字を見下ろして、ミカリエは胸中呟くのだった。