第22話 刃を向ける先~6~
フェル・ア・ガイ――精霊となりし者、精霊人、とも呼ばれる禁忌を犯した者達のことだ。自分と同類の存在が、まさかこうして対峙することになるとは。鉄杭によって壁に貼り付けにされたトレイドは、無理矢理拘束から逃れようともがく。
だが、掌だけならともかく、肩や膝にまで杭を打ち込まれているのだ。力を込めることが出来ず、杭から逃れることが出来ない。
(くそ……せめて奴の注意が一瞬でも逸れてくれれば……)
もがきながらも、トレイドの視線は自身を貼り付けにした少年風の男に向けられていた。彼はこちらをじっと見続けている。――それもそうだろう、彼にとって一番警戒するべき存在は、この場で唯一”未来視”によって行動が読めないトレイドに他ならない。
「無駄だよトレイド」
少年は彼を見据えながら、貼り付けにしたさい彼の手から離れた、地面に突き刺さったトレイドの証を引き抜き、軽く手で印を結んでからその辺に放り投げた。
――よく見ると、証全体が見えない何かで覆われている。床に触れてないのがその証拠だ。気づかれていたか――彼は少年を睨み付ける。
地面に突き刺さったままだったなら、そのまま土属性の魔法を遠隔で発動させ、鉄杭から解放されるのも容易かったのだが、そうもいかなくなった。証が床に触れていない――というよりも何かで覆われている以上、知識を用いた魔術は使えない。
「君はそこで見ていてもらおうか。……さて、№7」
「っ!」
少年はトレイドにそう言って、何かを呟きかけたレナを制するように声をかけた。「ちょっと本気を出した」と言ってからは真剣な表情を浮かべていた彼だが、今はもう微笑みを浮かべている。
「ダメじゃないか、魔法を使おうとして。彼を助けようとしたんだろうけど無駄だよ」
「……あなたは……」
――見抜かれている。背中側で展開していた”茶色い法陣”をそのままに、レナは少年と真っ向から対峙する。少年は杖型の証を手に取ったまま、すたすたと近づいてきて、対するレナはジリジリと下がっていく。
少年が三歩歩くごとに、レナが一歩ずつ下がっていくといった具合であるため、両者の距離は縮まっていく。
「まて! 何故レナを狙う!? その番号は何なんだよ!?」
叫びながら問いかけると、少年はぴたりと動きを止めたそして、レナに向けていた笑顔が完全に消え去り、冷徹さを感じる面持ちで彼に視線を向けてきた。
「フェル・ア・チルドレン――って言ったら、分かるかな」
フェル・ア・チルドレン――つい先程、ゼルファから聞いた言葉だ。知るわけがないだろう、とトレイドは首を振り、そんな彼の反応に、少年は視線をレナに戻しながら口を開き始める。
「………っ!!」
レナの顔色が、どんどんと悪くなっていく。聞きたくないとばかりに耳をふさぎ、目を閉ざし、首を振る――まるで、少年が何を言おうとしているのかが分かってしまったかのように。
そして、そんなレナの反応を楽しむかのように、少年は浮かべていた笑みを深くさせていく。
「フェル・ア・チルドレン……禁忌に触れずに”フェル・ア・ガイを人工的に作りだす”実験……そのサンプルとして生まれた七人の子供達のことだ」
「―――――っ」
――呼吸が止まる。心臓の音が高まっていく。――脳裏に、あの光景がフラッシュバックする。どれだけ忘れたいと願っても、結局忘れることの出来なかった光景が――
「方法は少し原始的……”実体化した精霊”の血肉を、母親の胎内に宿ったばかりの子……いや、むしろ卵といった方が良いね。それに直接打ち込んだんだ。当然、大半の受精卵は打ち込まれたと同時に耐えきれなくて死を迎えたし、時には母胎の方も死んだことがあったよ」
「……もう良い、黙れ」
――少年を止めるために、時間稼ぎのために問いかけたことだが――トレイドはもう、聞きたくなかった。これは、聞いてはいけない話なのだと、わずか数秒のうちに理解してしまったのだ。レナはすでに蹲り、聞きたくないとばかりに瞳をきつく閉ざしている。
人工的にフェル・ア・ガイを生み出す――その目的自身がおかしいとトレイドは感じていたが、きっと他者にとってはそうではないのだろう、と今ならわかる。
フェル・ア・ガイは、魔力がある限り永久的に生き続けられる。本来人間に必要な食事、睡眠、呼吸――そういった”生理現象”を全て魔力でまかなうことが出来る。すなわち、”不老不死”に等しい。
精霊となりし者――それは比喩でも何でもなく、文字通り“精霊となった人間”なのだ。だがそれはどうでも良いとばかりに、“不老不死”の点にのみ着目する愚者がいる。――その愚者の執念が生み出したのが、この計画なのか。
少年の声がトレイドの耳に届く。――周りに生徒達がいないため、この話を聞かれずにすんでいるのは幸いと言うべきか。
「それでもいくつか、ちゃんと育つ物もあったんだよ。でも、生まれてみたら”人の姿をしていなかった”んだ。それでも”サンプル”として価値があったから、生まれてきた順番に番号を付けていったんだ」
「黙れッ!!」
トレイドは吠えた、胸くそ悪くなる話をこれ以上聞いていられるかとばかりに。肩を、関節の節々を杭で打たれながらも、無理に拘束から逃れようと力を込める。――体中に激痛が走るが、それら全てを無視して――その果てに、何とか右手だけが杭から逃れることが出来た。
「……凄まじい怒りだね。君には関係ない話だというのに、何をそんなに怒るんだい?」
「――………っ!」
右手のみ、拘束から逃れたトレイドを醒めた瞳で見据えて、少年は問いかける。その問いかけに、トレイドは一瞬口ごもり、しかし関係ないとばかりにその右手を壁に打ち付けた。そこを起点に法陣を展開させつつ、呪文を叫んで鉄杭を破壊しようとする。だが、それより早く少年の杖が床に打ち付けられ――
「ぐっ!?」
打ち付けた右腕が、”壁から生えた”杭によって貫かれ、再び拘束されてしまう。再度動きを封じたトレイドを醒めた瞳で見やり、少年はもう一度レナへと視線を送る。
(レナ、逃げなさい! 早く!!)
怯えたように震え、少年から逃げるようにジリジリと後ずさるレナを、相棒たる精霊キャベラが捲し立てるが、今の彼女にはその声は届いていなかった。やがてぺたんと尻餅をついて倒れ込み――そんな彼女を、金色の瞳が見据えた。
「そして彼女はその七番目……七人目にして唯一、”人の姿をして生まれてきた子供”……」
「―――……な……に……?」
――今なんて言った……? 少年が放った一言に、トレイドは目を見開いて驚愕する。そんな彼に、少年は苦笑を浮かべながらレナに詰め寄った。
「といっても、あくまで人の姿をしていただけで、フェル・ア・ガイにはなれなかった失敗作には違いない。……でも、君はそれだけじゃない」
少年は尻餅をつき、座り込んだレナの前で片手で印を結びつつ、もう片方の手でひらりと手を振った。すると、彼女は一瞬目を見開き――次の瞬間、どさりと崩れ落ちる。
「お前、何をっ!!」
「眠ってもらっただけさ、これからやるんだよ。さて……」
少年はパンと手を合わせ、両手の人差し指と中指だけを立てる。そのままクイッと手を動かして今までとは違う形の印を結び――倒れ込んだレナを囲むように、光を放つ円陣が浮かび上がる。
コベラ式でも、トレイドの故郷で使われていた魔術の法陣でもない――全く別の法陣――つまり魔法を、少年は使おうとしていた。
「―――――――……………そこ」
法陣から放たれる光はレナの体を包み込み、少年は黙り込む。やがて、少年は倒れたレナの胸の部分を片手で指さし――
「――――」
無言のまま、そして無音のままに、突きつけた指をクイッと持ち上げる。――次の瞬間、びくっとレナの体が震えて、彼女は目を覚ます。
「あっ……あぁぁ………っ……ああぁぁぁぁっ……っ!!」
胸の辺りを押さえつけ苦しそうな声を漏らし、目を見開いて焦点の定まらない瞳を虚空に向ける。その突然の行動に、トレイドは眉を寄せ、少年を見やる。すると視線に気づいたのだろう、少年はトレイドの方を見ずに口を開いた。
「――彼女は精霊となりし者にはなり得なかった。だけどそのかわり、生まれたときから”精霊使い”だった。生まれたときから魔力炉を持ち、生まれたときから精霊使いと同じ身体能力を有していた」
「……な……に……?」
「そんな彼女が精霊と契約を交わしたことによって、”魔力炉が二つ”になった。魔力炉は、生命力を使って魔力を生み出す炉のこと。それが二つと言うことは、消費される生命力も二倍になる。このままでは衰弱死してしまう、ということで、スサノオは彼女の魔力炉を……元から持っていた方を封印したんだ」
「――――――――」
――この男は何を、そしてどこまで知っているのだろうか。まるで全てを分かった上で口を開く彼に、トレイドは言葉に出来ない何かを感じていた。
――もし彼が正常ならば、その感覚に名前を付けることが出来たはずだ。”恐怖”という名を。生憎とそれがわからないトレイドは、彼のことを厳しい表情で見やることしか出来ないでいる。
「お前……」
「そして今……彼女に施されていた封印を解いた」
「っ!?」
トレイドは少年に向けていた視線を、倒れ込んだまま苦しそうに呻くレナに向けた。そうだ、こいつの言うことが本当なのだとすれば――
「二つの魔力炉が動き出して、生命力の消費が多くなった彼女はどうなると思う? しかも片方は十年以上も動いていなかった炉だ。……果たして、正常な働きをすると思うかな?」
「っ!?」
「うぅ………あっ、あぁぁ………っ………あぅ………っ」
レナのあの苦しみよう、どう見ても尋常ではなかった。十年以上も動いていなかった魔力炉が急に動き出したため、体が驚き、拒絶反応に近いことが起こっているのだ。
「っ………!!」
「無駄だよ。いくら効果が薄いとは言え、痛覚はある。――そこまで派手にやられると、しばらくは動かせないと思うよ」
彼女を助けようともがくが、ろくに力が入らない。無理に拘束から逃れようとしていることを少年に見抜かれ、そう指摘された。残念なことに、事実だ。力が入らないのも痛みによって――だけど――
「だから……何だってんだ……っ!!」
――それが、何だと言うんだ。トレイドは関節を杭で打たれながらも、無理矢理に拘束から逃れようとする。全身に走る激痛など無視して、力を込めていき――徐々に、杭を“その場に残しながら”逃れてくる。
体に空いた痛々しいまでの穴――それが徐々に魔力によって修復されていくのを尻目に、少年は訳が分からないとばかりに首を振る。
「解せないなぁ……なんで君は、そうも必死になるんだい?」
「決まってるだろ……っ! もう二度と、見たくねぇからだ……っ」
叫びながらトレイドは少年に向かって突撃する。途中で法陣と呪文を呟き、両手に二本の金属剣を精製した。うち一本を少年に投げつけ、それを彼は数歩下がるだけで避けてみせる。
トレイドは数歩下がった彼の動きを先読みし、下がった彼との間合いを詰めるように一歩大きく踏み込み、もう片方の剣を振り下ろす。その一刀を、少年は手にした杖ではなく、法陣を展開させて受け止めた。
「何を見たくないんだい? どうも君は、おかしな奴みたいだけど……」
「おかしな奴か……そうだろうよ……っ!」
法陣に打ち付けた金属剣に力を込め、彼は一気に振り切った。刀身を魔力で覆った、見よう見まねのとある少年が扱う流派――霊印流一之太刀、爪魔。
彼も桐生家の者達と同様、純粋魔力をそのまま攻撃に転化させることが出来るのだ。もっともその魔力の質は、桐生家の者達とは比べようもないほど劣っているが。
しかし、基本にして初歩の技である爪魔程度ならば、容易く扱うことが出来る。――それどころか。
振り切った一刀は、少年が展開した法陣を粉砕する。ガラスが砕けるような音を響かせながら消えゆく法陣ごしに、振り切った剣を翻すトレイドがいる。
――容易く扱えるどころか。彼の純粋魔力技であるジャベリング・アローのほうが高度な技であった。
「何せ……人として壊れているからなぁ!」
叫び、トレイドは少年に向かって剣を振るった。だが、振るう直前に、トレイドは目を見開いて驚きを露わにした。――結果は分かりきっている。金髪の少年は杖を持っている。杖を手にした彼の前面に、突如“鉄杭”が生み出される。トレイドを拘束した、あの鉄杭――。
本来コベラ式の魔術の行使には、法陣を展開し呪文を唱えるという過程が必須となる。だが少年は、”それら全てを無視して”、鉄杭を生み出したのだ。
証に宿る知識を使ったのだとしても、少年の杖は床に触れていない。そもそも、足下の床を錬成したのだとすれば、鉄杭は足下の床から生み出されるはずなのだ。だが、杭が出現したのは少年とトレイドの間――何もないところから、急に生み出されたのだ。
法陣も、呪文も、知識さえも使わずに魔術を行使する――そのありえなさ、でたらめさにトレイドは舌を巻きつつ――しかし、振るった剣は止められない。このままでは、先程壁に貼り付けられたときと同様、カウンター気味に鉄杭の斉射を喰らい――
「うおぉぉぉぉっ!!」
「っ!」
再度叫び、剣を横一文字に振るいながら瞬時に”逆手に持ち替え”、勢いそのままに腕を振るう。剣を振るいながら逆手に持ち替える――剣を向けられていた少年からすれば、突如剣が伸びたように見えたことだろう。
少年は驚きを浮かべながら体を引き、杭を斉射。放たれた杭はトレイドの体を穿ち、再び壁に貼り付けにしようとして――
「ぐっ……っ!!」
――しかし至近距離からの杭数本の斉射に、彼は耐えて見せた。体を大きく傾かせながらも、彼は逆手に持ち替えていた剣を床に突き刺していたのだ。それをストッパーに、その場で持ちこたえて見せる。
「――――」
「っ……っがあぁぁぁぁっ!!」
再び驚きを目に浮かべる少年。杭の斉射に耐えて見せたトレイドは、体中に杭を打ち込まれながらも、左手で少年の服を掴み、動きを止めて――
「――っ!!?」
突如、少年が目を見開いた。その驚きは、明らかに驚愕のそれである。トレイドは痛みを込めた吐息を吐きながら、少年の肩越しに向こう側を見て。
「良いタイミングだ、コルダ」
「っ!?」
彼はぽつりと呟き、少年ははっと何かに気づいたかのような表情で後ろを見る。そこには、黄金の剣矢が肩に突き刺さった自身の姿と。その後方で、息を荒げながらも金色の光を放つ大きな矢を手にした少女が立っていた。
少女の背中には、金色の文様が浮かび上がり、表情を苦痛に歪めている。
「痛いわねぇ……あなたもこの痛み、感じてみる?」
「……?」
表情を苦痛に歪めながらも、どことなくねっとりとした、妖艶な響きをその声音から感じたのは自分の気のせいだろうか。トレイドは一瞬眉根を寄せるも、少年が彼の手をふりほどき、片手で印を結んだ。
――直後、その姿が消える。すでに気配はどこにもなく、おそらく転移したのだろう。明らかにコベラ式ではない、別系統の魔法を用いてこうも素早く消え去るとは。体に突き刺さった杭を引き抜きながらトレイドは当たりを見渡し、そして響き渡る声に耳を澄ました。
『――まさか”巫女”がここで目覚めてくるなんてね。流石に理持ちを二人同時に相手するのはやめておくよ。ここは退くよ』
まさかの敗北宣言に、トレイドはニヤリと笑みを浮かべた。おそらく少年にはわからないだろうが――それでも、声をかけずにはいられなかった。
「最初は自信満々で襲っておきながら、少しでも不利になると退くのか? 大した奴だな」
『はは、そうだろ。なかなか図太い神経しているんだ、僕』
――誉めたわけじゃねぇ。まさか嫌味を開き直ることで流すとは。いやまて――
「お前……こっちの声が聞こえるのか?」
『うん。そっちの光景を見ているからね。あ、そうそう、レナのことも今は放置してあげるよ。早く彼女を見てあげると良い。じゃなきゃ……不味いことになるかもよ?』
「っ!」
言われてトレイドは背後を振り返る。そこには、すでにコルダを含んだ複数の生徒がレナの元に駆け寄っていた。トレイドも彼女の元に駆け寄ろうとして――
『それじゃ……”置き土産”、受け取ってくれると嬉しいな』
「―――置き土産?」
――その言葉を最後に、少年からの声が途絶えた。凄まじいほどの嫌な予感を感じ取ったトレイドは、その場でたたらを踏み、視線を窓へと向けた。
窓の向こう側は真っ黒――漆黒と言っても良いかもしれない。いくら夜とは言え、外の光景を一切移さない窓を見て、彼は目を見開いた。
(あいつ……”いつの間に結界を張りやがった”……!?)
驚愕を露わにするが、その数秒後、遠くで何かが砕ける音と共に、窓が外の景色を映し出した。結界が解けたのだろうが――問題は、あの少年がこちらに一切気づかせずに、“この階全体を覆う結界”を張っていたと言うこと。
呪術の使い手であり。印を結ぶだけで行う転移魔術の使い手であり。何もないところから鉄を生み出せるほどの練度の高い精霊使いであり。どうやら“未来を予知”できるらしく。そして――フェル・ア・ガイでもある。
現時点で、あの少年について分かっていることをあげるとこうだ。どれだけ規格外かがはっきりとわかる。これは――
「どんな化け物を相手にしていたんだ俺は……」
彼はふと足下を――ようやく解放された証を回収し、重い足取りでレナの元に向かい。その途中、下の階に繋がる階段がある方角が騒がしくなる。
「皆さん、大丈夫ですかっ!!?」
「レナッ! って、トレイドさん!?」
階段を守っていたタクト達の後輩であるミューナが声を張り上げ、続けざまにタクトが姿を現した。彼は肩で息をしており、傍目から見ても分かるほど疲労している。
「お前ら来るの遅……」
「し、仕方ないじゃないですか! 訳の分からない結界が張ってあって……っ!」
まさか天牙でも破壊できないなんて――と漏らす彼に、まぁ仕方ないさと言いかけ。
下の階から、轟音が響いた。