第22話 刃を向ける先~3~
力任せに振り抜かれた鉄槌が、教師寮の玄関を吹き飛ばそうとする。風を纏った槍の穂先が、扉を穿とうとする。次々と生み出される、大量の水を圧縮させた水弾が扉にぶち当たる。
――しかし、結果は変わらない。どれだけ大量の攻撃に晒されようと、入り口たる玄関は破られる気配はない。これでは、外に出られない。
扉が頑丈なのではなく、この建物全体に強力な結界が張られているようなのだ。もし玄関ではなく、二階の窓を壊そうとしても、この結界に阻まれ、結果は同じになるだろう。この建物から出る手段は一つ――この結界を破壊するしかない。
破壊する方法はある。この結界の防御を上回る威力を持った攻撃で破壊するか、もしくは結界を解呪するか。少なくとも、後者は不可能だった。
魔術を得意とする教師達が調べたところ、この結界は精霊使いが主に使用するコベラ式の魔法ではなかった。となれば、解呪するのは難しくなるだろう。おまけに、コベラ式は魔力を別の物に変換することに特化しており、純粋魔力を用いた魔法は不得手なのだ。
解呪するのには相当の時間が掛かることが予想される。ならば、力ずくで壊すしかなかった。――だが、それも少々難しい。
「――何という堅さだ」
様々な攻撃を打ち込まれ、舞い上がった煙が薄れていく中、傷一つ付いていない結界を見て、ジムは表情を歪めながら呟いた。
戦闘科目を担当する教師達と、魔術担当の教師達の攻撃を受けてもびくともしない結界に、彼らは焦りを浮かべている。誰が、何のためにこの結界を展開したのかは不明だが、とある人物によると何者か(おそらく集団)が学園を襲ってきたのだという。
普段ならば冗談を、と笑い飛ばすだろうが、この結界を目の当たりにしてはその言葉は無視できない物である。おまけに通信魔法が遮断されているのだ。この状況で、その言葉を笑い飛ばせるようなお気楽な教師は誰もいない。
「……こうなったら、結界を張った術者を仕留めた方が早いのではないか?」
「術者が結界内にいるとは限らないだろう。だがこの強度の結界だ、何か特別な物を用意しているような気がするが……」
教師達はそれぞれ、この結界をどうするのか話し合っている。このまま攻撃を続けても、こちらの魔力をいたずらに消費するだけだ。焦りを感じているが、だからといって闇雲に動くべきではないことはわかっていた。
こういう状況下でこそ、冷静でなければならない。この結界をどうするのか、彼らは話し合っていた。
「………」
その状況下の中、教師達が集まってくるまで一人で結界を壊そうとしていたトレイドは、彼らと場所を変わるとそのまま気配を殺し、誰にも気づかれぬように二階に上がっていた。
玄関の真上――二階の廊下にやってきたトレイドは、自然の加護を発揮してこの階に誰もいないのを確認する。この教師寮にいる者達は皆、真下に集まっているようだ。
「……やるしかない」
周囲の気配を読み取り、誰もいないことを確認してトレイドは呟き、そっと瞳を閉じた。――しばらくの間使うことはないだろう、と思っていたこの”力”を、もう使うことになるとは。独りごちながらも、彼は自身の奥底に眠る”力”を感じ取っていた。
――彼の背中に、三対の翼を象ったエンブレムが浮かび上がった。それと同時に、右手に握る細身の長剣が変化する。長剣の鍔が、エンブレムと同様の形状に変化し、刀身が長く、そしてやや幅広くなった。
長剣――片手剣からバスタードソード――片手でも、両手でも扱うことの出来る汎用剣。不思議な光を自ら放つ刀身を持った証へと変化したそれを手に、トレイドは目の前の窓を見据えた。
「………俺に、力を貸してくれ……!」
自らに眠る力――神の力たる“理”を発動させ、変化した証を両手で握りしめ、その切っ先を窓に向けて構えた。
今の言葉は、一体誰に向けて放たれたのか――背中の理の、翼の部分が光り輝き、それに応じて刀身の輝きが増していく。
「――砕け散れ――」
汎用剣を上段に持ち上げて、全力の振り下ろし。廊下を覆い尽くすほどの眩い光に照らされる中、縦一直線に振るわれた長剣は、結界に衝突した。
衝突した瞬間、結界に波紋が生じた。今までの攻撃では、このような波紋は一切生まれなかったというのに。その結果に、トレイドは口元に笑みを浮かべる。耳を澄ますと、衝突した場所から軋む音も聞こえてくる。
――いける……!
結界は破壊されることを拒むかのように、剣をはじき返そうとしてくる。だが、このまま行けば、と確信した彼は剣に力を込め、こちらを押し返そうとする強烈な力に抗い、強引に結界を破壊しようと力を振り絞る。
やがて、剣と結界がせめぎ合う箇所にひび割れが生じ、こちらを押し返そうとする力も弱まった。そのことを感じ取ったトレイドは、より一層力を込めて剣を押し込み。
「――っ……っ!!」
強引に結界の一部分を砕くのだった。そのまま勢い余って建物の壁を破壊してしまい、心中ですまないと頭を下げる物の、彼はそのまま結界の外へと飛び出した。――下の階にいる教師達に声をかけようかと思ったが、やめておくことにした。
どうやって結界を壊したのか聞かれる上に、下手をすればこの壁の責任を負いかねないからだ。それは出来れば避けたかった、というのもある。――だが一番の理由は、時間がなかったからだ。
結界は一部分が破壊され穴が空いたが、その大きさは人が一人通れる程度の物。結界を完全に破壊することは出来なかった。おまけに、空いた穴を塞ぐように結界が広がってきたということもある。
「……生徒達はかならず助ける。だから、今回も許してくれ」
二階から飛び降りたトレイドは背後の玄関――どうやら視界も遮る特殊な結界なのか、ガラスの向こう側は黒く塗りつぶされており、中の様子は全く掴めない。
だが、あの向こう側に教師達はいるだろう。トレイドは聞こえないだろうが、そう声をかけ、夜の学園の敷地内を走り出した。
「――……っ……」
目的地は不審な気配と、戦っている感覚が感じられる生徒達がいる学園の寮。間に合ってくれ――そう願いながら、彼は走り――
『以外と早かったね。でも、こっちも準備はしているんだよ』
「なっ!?」
誰もいないはずの敷地内で、突如声が響き渡った。あまりにも突然のことにトレイドは驚き、思わず立ち止まって辺りを見渡した。――誰もいない――自然の加護を使っても、気配が感じられるのは寮の方角だ。周囲には誰もいないのに、何故声が――
「誰だ……っ!」
『……僕が何者かは、またの機会に。出番だよ、ゼルファ、ルキィ』
突如響き渡った謎の声は、それだけを言い残し――トレイドの右側と左側の2箇所に、魔法陣が浮かび上がる。その陣は、コベラ式のものではなく――突如展開した魔法陣から、何かが現れトレイドに飛びかかる。
「ちぃっ!」
彼はその場から飛び退き、元の長剣に戻っていた証を一閃。おそらく声の主に転移されたのだろう、襲いかかってきた二体のそれを牽制する。
「邪魔を……っ…………っ!」
とっとと追い払おうとして、しかしその二体を目にするなりトレイドは驚きに目を見開き、次に戦闘は避けられないと覚悟を決め、剣を握りしめる。その表情は痛ましげに歪んでいた。
二体とも獅子の姿をしていた。膨れあがった筋肉に、長く伸びた剛毛。軽く二メートルは超える巨体は、まるで似つかわしくない黒衣を身に纏っていた。
巨体が着るにはあまりにも小さすぎたのだろう。大部分が裂け、はじけ飛び、服としての体裁を保っていない。――だが、それは服だった。おそらく、”人が着るもの”。
「……すまない……っ!!」
トレイドは、その二体の”正体”に気づき――しかし、本当にすまなさそうに、自身を押し殺した声音でそれだけを彼らに言い、その二体に向かって突撃する。異形の二体も、トレイドを迎え撃とうとかぎ爪の生えた両手を開いた。
――異形の二体は、その瞳から涙を流していた。
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「貴様ら、エンプリッターかッ!」
フォーマは黒衣の集団に銃を突きつけられながらも、声高にそう叫ぶ。しかし、黒衣の集団は何も答えず――生徒達の方も、彼の叫びに目を見開き、じわじわと驚きのざわめきが広がっていく。
エンプリッター――今のフェルアント本部になる前の、旧世代の者達の総称だ。彼らが掲げた思想である『精霊使いによる支配』、それに反発した一市民および、それは間違っていると叫んだ一部の精霊使い達が決起し、最終的には決起したレジスタンス側の勝利で終わった。
その後、本部の中でも地位の高い者達、および非人道的な行為に携わっていた者達を一斉に投獄したが、逃げ延びた者達もいる。――それが、学園の生徒達の認識である。
当然、それだけでは説明が不十分だ。だが今の本部としても、詳細を口に出すわけにはいかなかった。
説明不足になると、やましいことがあるのではないか、という声が上がることも承知しているが、その上でも口には出せないのだ。当時の本部――つまりエンプリッターは、人体実験はもちろん”神器を用いた兵器”の考案も行っていたのである。
その図面を理解できた瞬間、レジスタンスのほとんどの精霊使いが卒倒したという。なにせ、その図面通りに兵器を造り、うまくいけば、力を押さえた状態でフェルアントの街一つを地図から消すことが出来る。
しかも、それが”最低出力”だというのだからおどろきだ。もちろん、その図面はその場で消し炭にしたのだが。
市民に言えるわけがなかったのだ。フェルアント本部は、街一つを余裕で消し飛ばせる兵器を造ろうとしていた、なんてことは。そんなことを公にしてしまえば、レジスタンス側にも影響が出ないとは限らない。
情報が隠されているからこそ、エンプリッターに対する一般的な感覚というのは“改革に負けた敗者”程度なのだ。ようは彼らに対する危機感がやや薄いのだ。もっとも今回の一件で、少なくとも生徒達はその認識を改めることになるとは思うが。
「……さて、返答を聞こう№4。№7を連れてくるのならば、我々はここで引く。もっとも、お前と№7には一緒に来て貰うことになるが」
「……断ったら、どうする?」
「…………」
フォーマに銃を突きつけたまま、黒衣の男――エンプリッターの一員である男は、フォーマにそう提案してきた。対するフォーマは、眼鏡の奥から男を見据えて冷静に問いかける。すると男は――いや、男の背後にいた集団の一人が、突如発砲した。
「―――――――っ!!」
――銃器から放たれた、魔力の弾丸は、フォーマの背後にいる生徒の足下を穿った。足下を銃で撃たれた生徒は、顔色を青くさせて後ずさる。
「――先程の続きをするだけだ。最も、彼らは反撃できないだろう? 何せ、ここに”お前という人質がいる”」
「…………」
――男が言ったその一言に、フォーマは無言のまま俯いた。この交渉に、自分が応じてしまった時点で失敗だったのだ。もちろん、フォーマは彼らの要求に応じる気はない。それはレナも同様だろう。自分たちを名前でなく“番号”で呼ぶような奴らの言いなりになる気はない。
(……………)
フォーマは目を閉じた。自分の意地を通しつつ、かつての”生徒会会長”から学園を頼まれた身として出来る、精一杯の抵抗は、これしかない。彼は自身の首から提げているネックレスに意識を集中させて――
「フォーマ会長。良い時間稼ぎでしたよ」
「なっ……」
「なに!?」
背後から、良く耳にする声が聞こえた。その内容に驚きを浮かべると同時に、突如として男が持つ銃の銃身が真っ二つに斬り裂かれた。突然のことに驚き、動けなくなった男にフォーマはこれまでの鬱憤を叩き付けるかのように腹部を蹴り飛ばし、彼らの背後にいる部下達に男の体をぶつけるのだった。
「き、貴様……! ………なぁっ!?」
男が叫び、部下から奪い取った銃をフォーマに突きつけるも、廊下の“角”から細い糸が飛び出し、その銃器も先と同じ結末を迎えた。
――一瞬しか見ることが出来なかったが、角から飛び出したのは糸ではない、”水”だ。水を圧縮させて糸状に伸ばしたそれは、水とは思えないほどの切れ味を有していた。
「……っ! アイギット……っ!」
エンプリッターから距離を取ったフォーマは即座に後ろを振り返り、後ろの方にいる今の攻撃を行った人物を視認する。金髪の、やや長身の男子――アイギットだ。彼は自身の足下に青い法陣を展開させ、そこから水糸を伸ばして廊下の角に這わせていた。
彼の部屋は上の階のはずだろうに、なぜここに――? フォーマは疑問に思うものの、今はそれを置いて彼と共に目の前の襲撃者達を何とかするのが先である。アイギットはこちらを見据えながらこくりと頷き、指を一本立てて合図を送ってきた。
何かを一つ――いや、一分、といった所か。一分間持ちこたえて欲しい、というジェスチャー。何か秘策でもあるのだろう、今は彼を信じて足止めに徹することにする。
「貴様ら……!」
「あまり、うちの生徒達を舐めないで欲しいものだ」
距離を取ったフォーマは、杖の先を彼らに向けて緑の法陣を展開し、呪文を唱えてその先端から風を生み出した。
「――」
風を生み出しながら、彼はもう一つ呪文を唱えた。緑の法陣と重なるように展開された茶色の法陣が、砂を生み出す。風と砂――その二つを混ぜ合わせ、緑の法陣だけに魔力を注ぎ込む。
とたん、風は巨大化して竜巻となった。砂を含んだ竜巻――砂嵐へと。
「――色々と傷つくからやりたくはないが……仕方がない」
二つの属性を組み合わせて作り出した砂嵐を、ゆっくりとエンプリッター達の元へ進ませる。時折飛来する砂礫に、双方顔をしかめながらも、黒衣の集団もそれぞれ緑の法陣を展開させて砂嵐の風を弱めようとする。
砂自身に攻撃力はほとんどない。精々視界を妨げるか、動きを阻害するか程度の障害。――だが、この砂嵐をどうにかしなければ彼らの元にはたどり着けなかった。幸いにも、水糸による攻撃は止んでおり、そちらを気にする必要はなくなっている。
この砂嵐だ、向こうも下手に手を出せないのだろう。これはおそらく、ただの時間稼ぎ――一時退却し、体勢を立て直すつもりだろう。そう考えた襲撃部隊を率いた彼は、ここを強行突破する腹づもりだった。
――それがいけなかった。砂嵐の風を弱め、男は体に吹き付ける砂礫を全て無視し、視界が開けた、その瞬間。
「見えて――何ッ!!?」
止んだと思ったはずの水糸が、今度は”縄”となってこちらの体に巻き付いてきた。大量の水を持って作られたその水縄はこちらの両腕をも封じている。
「っ! たかが水、この程度力尽くで…………っ!!?」
動きを封じてきたとはいえ、それは水で作られたものだ。束縛から逃れるのは容易いはず――そう思っていたのだが。――この水、とんでもなく重たかった。
「ぐっ………!? 一体、どれほどの水を……っ!!」
大量の水を収束させたことにより生み出された”水圧”という名の重さは、完全に彼らの力を封じ込めている。だが、これほど大量の水を一体どこから持ってきたというのだろうか。どう考えても、一個人で生み出せる水の量では――
「くっ……っ!! 何……っ!!」
水圧から逃れようともがくうちに、生徒達の後ろ側――水糸を操っていた生徒が、細剣状の証を床に突き立ててかざし、瞳を閉じて集中していた。これほど大量の水を一度に操っているのだ、集中するのも無理はない。
――だが、男の驚きはそこではなかった。よく見ると、水を操っている金髪の生徒の傍らには蛇口――”水源”がある。あそこから水を調達していたのか。だが、どう考えても蛇口から流れる水の量では限界がある――
――『フォーマ会長。良い時間稼ぎでしたよ』
蘇るのはその言葉。そしてあの生徒がフォーマに送った、指を一本立てる合図――まさか、ここに来てからしばらくの間水を溜め込んでいたというのか。
「いまだ――」
驚愕に固まる、動けないエンプリッターを前に、フォーマは片手を上げて合図し、黄色い法陣を展開した。それに呼応するかのように、後ろにいる生徒達も同色の法陣を展開する。
黄色い法陣――つまり雷属性。そして彼らは今、大量の”水”によって動きを封じられており――
「ま、まて――」
「思うところはあるだろうけど、みんな加減して撃って」
――最低限の気遣いを見せて、フォーマは上げた手を振り下ろし、法陣から雷が走った。廊下に眩いばかりの光が走り、悲鳴と絶叫が木霊する。