第20話 追いつくために~3~
「――――このように、複数の属性を組み合わせることによって、場合によっては効率の良い魔力運用を行うことが可能です」
教壇に立ち、魔力運用について教えるジムの解説を、レナは珍しく上の空で聞いていた。時々思い出したかのようにノートを取るのだが、聞き逃した箇所が多すぎて、後から見直しても何のことなのかわからないことだろう。
(全くあんたは……心配なのは分かるけど、今は目の前のことに集中しなさい)
何度彼女の精霊であるキャベラからお小言を貰ったことだろうか。キャベラに何度もごめんと謝りつつ、彼女は切り替えようとする。
――しかし――やはりというか、気になることがあるのか、いまいち集中しきれない。
「――十の結果を引き出すために十の魔力を使う。しかし、複数の組み合わせは、十の結果を引き出すために早計で七の魔力で同じ結果を引き出せるのです。最も、正しく適切な組み合わせでなければなりませんが」
教壇の上に立つジムの解説は、レナの耳には遠く聞こえた。
「よう。すんげぇ集中していなかったみたいだが、どうしたよ?」
ジムの講義が終了した後、一緒に講義を受けていたマモルが声をかけてくる。茶髪に長身の幼馴染みは、彼女の異変に気づいていたらしい。声をかけられたレナはふぅっとため息をついた。
「その……色々と、悩み事があって……」
「悩み事、ねぇ……」
よっこらしょ、と彼はレナの机の上に座り込む。すでにノートの類いは全て片付けていたので問題はないが――だからといって、一言声をかけてくれても良いと思う。いつものことなので、もう慣れてしまったが。
「お前さんの悩みって言うの、当ててみようか?」
「……別に良いよ。どうせわかってるんでしょ?」
ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向くレナに、マモルは苦笑いを浮かべた。頭をポリポリとかきながら、
「自覚があるようで何よりだ。……つーかあいつも、なんで気づかないんだろうな?」
「……気づいてほしかったり、気づいてほしくなかったり……」
視線を逸らしながら小声で呟くレナに、マモルは面白くなさそうに唇を尖らせた。――このままだと甘ったるい空気になりそうだ。幸いなことに、甘ったるい空間にはなりそうにないが。
「そういう惚気は付き合ってからにしろよ」
「つ、つきっ!?」
「子供かお前は。……あぁ、子供だったな」
恋愛レベルが小学生並の彼女にマモルはため息一つ。そのことをからかうのも面白そうだが、今はそのことを置いておく。どうせ後で弄り倒すだろうし。
「そんなことよりも、タクトは何をやらかした? なんか朝職員室にいたそうだが」
「さぁ……」
彼女の悩みのため――思い人でもある桐生タクトについてだ。今朝方彼の部屋が何やら騒がしかったのは知っているが、流石に注意のために呼び出されたわけではないだろう。
今朝早くに、タクトがトレイドと共に職員室に向かうのを見た生徒がいるらしい。その生徒曰く、二人とも真剣な顔つきをしていたとのことで、さらには二人はジムに連れられて応接間に足を運んだのを見たという別の生徒がいた。
普通ならば、「食堂のお兄さん」であるトレイドを、タクトが職員室まで案内し、その過程で応接間まで一緒になった、という見方が自然だろう。だが、トレイドの事を知っているレナとマモルはそうとは思えなかった。
――出来るならば、”それ”であってほしいと願うが。二人の直感は、”それ”ではないと告げていた。
「あいつもすげぇ巻きこまれ体質だよな。”あのとき”の事と言……」
「………」
――”あのとき”。マモルが何気なく口にしたその言葉は、彼女の前では禁句だったと今更ながら思い出した。俯き、押し黙った彼女を見て、マモルは頭をかきながらぼやいた。
「……まだ気にしているのか? あいつ、もう気にしてないと思うが……」
「そんなことないよ。タクトは、すごく気にしている……」
俯いた彼女の、後悔が多分に含まれる声音に、マモルはため息をつく。
――あのとき――昔、レナに関することでちょっとしたいざこざがあり、その時にタクトは右耳を失った。ちゃんと聞こえているようだが、やはり右側は少し聞き取りづらいらしい。普段は長めに伸ばした黒髪で隠しているため、あまり気づかれないのだ。
タクトが髪を伸ばし、傷跡を隠しているのは、周囲の目もあるが一番の要因は彼女に余計な罪悪感を抱かせたくないという気持ちかららしい。――だが、レナにとっては逆効果になっている。
タクトが傷を負ったのは自分のせい。その傷で、周りから変な目で見られるのも自分のせい。タクトは何も悪くない。それどころか、あのとき真っ先に助けようとしてくれたのは彼なのに。
――逆に、彼を傷つける結果になってしまった。その思いは、今もなお厚く彼女の心を覆っている。
「……何で気にしているって思っているんだ? あいつは、気にしていないって何度も――」
「…………」
幼馴染み同士の間で、何度も交わしてきた同じ問い。それに対するレナの答えは、いつも同じだった。ただ無言で首を振る。気にしていないわけがない、とタクトの答えを否定しているのか。それとも――違う意味合いで首を振っているのか。
「口ではそう言っても、タクトはきっと、すごく気にしてる」
ただ今回は、珍しく彼女が口を開いた。俯いたままの視線は、遠くを見据えている。
「そう思う根拠は何だよ?」
「…………」
レナは答えない。マモルの問いかけに、ただ無言を貫くだけである。こうなってしまっては、二人の微妙な距離感の修復もままならない。――流石に十年以上もこの距離感を取ってしまうと、この距離感が普通のように感じるのだろう。
端から見れば両思いの上、お似合いの二人なのだが、距離が縮まらないのはそういった理由もある。――当然、二人とも鈍感だからという理由もあるが。
これ以上はもう意味ないだろうなと悟ったマモルは、ため息をついて机の上から降りる。コキコキと首をならしつつ、
「さてと。そろそろタクトの所にでも行こうかねぇ?」
「……え?」
先程まで話題になっていた彼の名前を挙げた瞬間、俯いていた彼女は顔を持ち上げる。その表情には、困惑があった。そして困惑は、まさかに変わっていき――
「気になるんだったら、直接聞けば言いさ。あいつ、何でも今ようやく改築が終わった第一アリーナでなんかやるみたいだからさ」
昼食時――レナとアイギットは所用で席を外し、彼と自分、それからコルダの三人で昼食を食べていたときに聞いたことであった。
この学園には、体を動かすのに十分な広さを持った室内空間――日本で言う体育館に当たる――をアリーナと呼び、その空間は三つあるらしい。
そのうちの一つが講義――特に模擬戦や組み手などの実技が絡む講義を行うのが第一、および第二アリーナ。元々は第一アリーナだけだったのだが、生徒数の増加に伴い第二アリーナを建造。その後、老朽化が見え始めた第一アリーナの改修を行っていたのである。
その改修、実はタクトが復学する一週間前には終わっていたのだ。新しくなった第一アリーナは、いくつかの”機械”を導入した最新施設になっているらしい。最近フェルアントは”科学技術”に力を入れ始めている
ある同盟世界と比べれば天と地ほどの差があるだろうが、その世界からの協力を仰げば、一瞬で技術力を向上することが出来るのだろう。しかし「過度な文明の発達」は御法度として定めている以上、それはない。このまま緩やかに技術力が発達していくだけだ。
ともあれ、最新技術を取り入れた第一アリーナで何を行おうというのか、興味はある。タクトからその話を聞いたとき、とりあえず見てこようという気にはなったのだ。
「………もしかして、タクトから色々と事情を聞いてたりする?」
「いや、何でアイツが職員室にいたのかは知らんよ。ただまぁ、絶対何かやらかそうとしているんだろうけどな」
ニッと笑みを浮かべながら掌に拳を打ち付けるマモル。――きっと問い詰めて問い詰めて、それでもタクトが口を割らなかったら全力で割に行くんだろうなぁ、とレナは苦笑いを浮かべた。
彼と共に教室を後にし、守の提案に乗ってそのまま第一アリーナまで向かう最中である。ちなみにこの第一アリーナ、何でも以前よりも大きくなったことに加えて個人鍛錬用のスペースまで追加されたらしい。
「ま、何にせよ俺はまだここに入ったことないからな。道案内頼むわ」
「……え? あたしも入ったことないけど……」
改築された第一アリーナの入り口までやってきたとき、マモルはそう頼み込む。レナは首を振って出来ないと言うが、彼はそれに取り合わずテクテクと中に入ってしまう。
「……全く……」
――呆れて物も言えない。しかし、幼馴染み故にマモルの性質は知っているつもりだ。きっとこのままアリーナの中を適当に歩き回って――
「…………」
――結局目的地にたどり着けない。幼少期に何度も同じ体験をしてきたため、その辺はもはやお約束と言った所だろう。レナは顰めっ面を浮かべた後、早足でマモルの後に続くのだった。
中に入ると真っ先に目に映ったのが案内掲示板。改修工事が終わり、開放されたことを告げる旨の記された張り紙と、簡単なアリーナ内の地図が貼られていた。これにはレナもホッとする。地図があるのならば、目的地にたどり着くことが――
「さて、ここでレナに質問だ」
「まさか場所聞いていないとか言わないよね?」
「……………」
肯定の無言、である。マモルの問いかけに、逆にずばっと問い返したレナ。彼は案の定、後ろを振り向いて何も言わなかった。流石にため息を隠さずについて、
「……マモルって、本当に抜けてるよね。……だから残念なイケメンって言われるんだよ?」
「……い、イケメンだってことは認めてくれるんだな?」
「自分で言って虚しくない?」
「虚しいです、はい……」
しょんぼりと肩を落とすマモルに、レナは得意の毒舌を浴びせる。彼女が毒を吐くというのも珍しいが、吐くのはあくまで親しい友人相手だけであったりするため、なかなかに珍しい光景なのだ。
「――あ、いたいた~!」
地図を前にどうするか、と落ち込むマモルを放置して考え込んでいたレナは、後ろから聞こえた友人の声に振り返った。そこには紫の髪を二つにして纏めた、褐色の肌の少女がいる。コルダ・モラン――一見天真爛漫な少女だが、色々と大きな物を抱えているらしい。ともあれ、突然の友人の出現に、レナは顔をほころばせつつも首を傾げた。
「コルダ、どうしたの?」
「タクトがここで何かやるって聞いたら見に来たんだ。レナ達は?」
「同じよ。……そっか、コルダ。それどこでやるか聞いてる?」
何が嬉しいのか、顔中に微笑みを浮かべながら言うコルダに違和感を抱くが、とりあえずそのことを置いておき、彼女に場所を尋ねてみる。すると彼女は首を傾げ、掲示板に貼られた案内容の地図を見やった。
「んっと……多分こっち」
「た、多分って……」
何とも微妙なことを言い、ある方向を指さして進み出したコルダに、レナは苦笑いを浮かべた。だが、彼女の表情からは笑みが消え、真剣そのものであることに気づき、はたと目を見開いた。
――普段はポワンとしているコルダだが、時折別人ではないか、と疑うほど真剣みを帯びた表情と言動を取ることがある。何でも、彼女が宿している”力”が関係しているらしいのだが――詳しいことは、実はよく分からない。
だがこれだけは言える。今の彼女は、とにかくすごい、と。――凄まじく抽象的な例えだが、それが一番適しているであろう。
「こっちこっち~。付いてきて~」
「……大丈夫なのかな?」
「……ま、あいつのことだから大丈夫だろ。来た道覚えとけば、ここまで戻ってこれるだろうし」
それでも、微妙に心配してしまうと言うレナは、隣にいる彼に問いかける。するとマモルは、数秒ほど黙り込んだ後に肩をすくめて彼女の後を追う。確かに彼の言う通りか、とレナも納得し、その背中を追ったのだった。
コルダの後を追っていき、たどり着いたそこは、扉がずらりと並んだ不思議な通路である。その通路を見て、レナは怪訝そうな表情を浮かべた。
「何でこんなに扉が一杯あるんだろう……?」
「さぁ。……ってか、さっきあの地図見たときに不思議に思ってたんだが……このアリーナって、広い場所ないのかねぇ?」
「え?」
マモルも不思議そうに群がる扉を見ながら呟いた。広い場所がない――アリーナに?
アリーナと聞けば、思い浮かべるのが第二アリーナの広い空間。戦うのに十分な広さを持ったあのアリーナの姿だ。おそらくそれが普通だろう。しかし、その広い場所がないとは一体――
「はい。多分この部屋」
そうこうしているうちに、ある一つの扉までたどり着いた。フェルアントでは珍しい、機械仕掛けのスライド式の扉である。その扉までコルダに案内された物の、案内した彼女自身、もの凄く不思議そうだ。
「あたしの勘だとここって告げているんだけど……どうなんだろ?」
「勘でここに連れてくるって言うのもなかなかにすげぇこと何だがな……」
コルダに言われても、信じてなさそうな表情でマモルはため息をついた。まぁ物は試しとでも思ったのか、彼は扉を開けようとして――
「――――」
――開けようとしたマモルではなく、その側にいたレナがあることに気がついた。この扉の向こう、もしかしたら――
しかしそれを口にする間もなく、マモルはスライド式の扉のスイッチらしき部分に触り、スッと音もなく扉がスライドする。
「おぉ、地球でもこんなハイテクな物はな――」
――ハイテクな物はない、と言おうとしたのだろう。だが彼はそれを全て口にすることは出来なかった。
「……なに?」
「うそ……?」
彼とコルダが、信じられないとばかりに目を見開いて、扉の向こう側の空間に目を見開いていた。レナも確証を得るためにコルダの頭の上から部屋の内部をのぞき込む。
「………」
その光景に、彼女は絶句する。そこにあったのは、第二アリーナにあった広間よりも広い空間。それこそ、百人単位で中には入れるほどに広い空間があったのだ。
信じられないとばかりに彼女は目を見開き、扉の向こう側の空間から、こちら側――つまり通路へと視線を戻す。扉が並ぶ間隔はだいたい二、三メートルおきか。中の空間は、扉が一つだけで、今レナ達がいる扉だけだ。つまり二、三メートルおきに、これだけ広い空間が並んでいると言うことなのか――常識的に考えればあり得ない。不可能だ。――だが、この手の魔法の種類を、レナは知っていた。
「――空間圧縮……」
空間をねじ曲げ、広い空間を小さくさせる――精霊使いが使用する、自然物に特化したコベラ式の魔法では難しい――というよりも、相性が悪すぎて行えない大魔法である。
出来ないこともないが、膨大な魔力と最低でも数日はかかる呪文の詠唱の果てに、ようやく行える魔法だ。
「空間圧縮って……あの!?」
「それぐらいしか考えられないよ……!」
レナの呟きを耳にしたのか、マモルは信じられないとばかりに彼女を見やる。眼鏡の向こう側の瞳は、大きく見開かれていた。一方、コルダは落ち着きを取り戻したのか、それとも何か別のことを考えたのか、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。
「……これが人の技術……」
おそらくこの建物は、例の”最新技術”とやらを導入して、この大魔法を実現したのだろう。扉の向こう側には、ここと同じ空間が広がっているはずだ。
「……ていうか、二人とも。タクトがいる」
はたと我に返ったのか、一瞬瞳を瞬いた後、今気がついたかのように広い空間の中央で片膝をつく黒髪の少年を指さした。レナとマモルの二人もハッと我に返り、ここに来た目的を思い出した。
「そ、そうだった。てか、タクトの奴に本当にいたよ……」
「………っていうか、あれ? ……なんで、あの人がここに?」
ふぅ、とため息をつくマモルだが、次いでこの空間にいる他の人達に気づき、絶句した。レナも概ね同意なのか、振るえる声音で”あの人”を見た。
タクトの叔父――桐生アキラの姿を。その姿をマモルも見た瞬間、びしっと固まり呆然とする。
「…………なんで、アキラさんがここに?」
あまりにも意外すぎる人物がいたためか、マモルは呆然と固まったままその人物を見ていた。さらに、アキラが手にする得物を見て、眉根を寄せる。
「……刀……証……?」
黒光りする鞘に包まれた、タクトと同じ日本刀型の得物――アキラの証を見る。そしてアキラの正面で膝をつくタクトの姿も。彼もまた、飾り紐の付いた刀を手にしている。
互いに証という得物を持ち、ここ第一アリーナの一室で真っ正面から向き合っている――これらの状況から導き出される答えは、一つしかなかった。
「戦っている……?」
「――いや、“指南”だそうだ。それより来たのかお前ら」
「ってうわぁっ!!」
マモルの呟きに答えるかのように、隣から聞き覚えのある声がする。ぎょっとしてそちらを見やると、腕を組み、壁に寄り掛かりながら苦々しい表情を浮かべているトレイドの姿があった。その視線は、タクトとアキラに向けられたままである。
「と、トレイドさんっ!?」
「おう。そんな驚かなくても良いだろ?」
一体いつからそこにいたのか――おそらく最初からだろうが――ともあれ、気配を殺したままいきなり話しかけるのは止めていただきたい。マモルはそのことを口に出して伝えると、彼は視線を寄越さないまま肩をすくめて、
「いや悪いな。あの二人を見てると、ついつい気配を殺して見入っちまう」
「?」
「ま、見てろって事だ」
そこでようやく、トレイドは黒い瞳を向けてきた。苦々しげな表情が少しばかり和らぎ、口の端を僅かばかりつり上げた。すぐに視線を、部屋の中央にいる二人に戻し、
「――タクトの奴、化けるぜ」
その言葉と同時に、ようやく立ち上がったタクトは、刀を正眼に構えてアキラを見やる。対する叔父も、刀を鞘に収めたまま右半身となり右手を軽く柄に触れさせた。
ただ構えを取って相手を見据えているだけだというのに、彼らから伝わってくる気迫に、レナ達は思わず身構えた。同時に、トレイドが気配を殺していた理由に、何となく察しが付く。
――邪魔をしてはいけない――部屋の真ん中にいる二人を見て、三人は本能的にそのことを悟る。それだけ二人は集中しているのだ。だから――
「……見てるよ、トレイドさん」
トレイドと同じように壁に背を預け、コルダは呟いた。その呟きに同意し、マモルもレナも部屋の中央で向かい合う叔父と甥を見やる。
――事の発端は数時間前、今朝まで遡る。