第20話 追いつくために~1~
「………」
フェルアント本部にあてがわれた豪華な一室で、桐生アキラはふぅっとため息をつき、とある場所の様子を映像として映していた魔法を中断させる。その映像は、フェルアント学園の寮の一室をしめしており、さらに映像はある窓から小さな光が飛び立つところで止められていた。
――試練に打ち勝つことは出来なかったか……。
映像を見て、飛び立った光がクサナギ――否、スサノオのことだと察したアキラは、寮の一室で起こった事を推測する。
そして――スサノオがタクトの元を離れたのを見て、試練には打ち勝てなかったことも。その考えに、少しばかりホッとするのと同時に、このままで本当に良いのかという疑問がわいてくる。
(……試練に打ち勝てなかったと言うことは、タクトはスサノオと本契約を結ぶことは出来ない……。……私の思惑通り……なのに何故、こんなにも複雑なのだ……)
アキラの思惑とは、タクトに過剰な力を与えず、また得ることもないようにするということ。それは、実の息子であるセイヤに対する”後悔”もあわさっていた。
負けないように、挫けないようにセイヤに稽古を付け、戦い方を教え――その結果、アイツはマスターリットに、“最強”の二つ名を背負うに値する力量を得ることが出来た。だがそれは、彼を危険にさらすのと同じ事だった。
十七年前の改革の時、アキラは当時のマスターリットと戦い、そして打ち勝ってきた。当時のメンバーは、改革の際に起こった”事件”により、リーダーを除きもうこの世にはいない。
今ならばわかる。彼らは、フェルアントを守るための剣であり、騎士でもある。そんな彼らが、過酷で危険な任務を負うことが多い彼らが、いつまでも”生きていられる”保証はどこにもない。
「…………」
――幼少期の、父と母、それに叔父を失ったトラウマは、アキラと風菜の心に、癒やしようのないほど深い傷を付けた。四十になったこの身でも、その時の状況は嫌でもはっきりと思い出せる。
――もう、家族を失うのは嫌だ。
失わないように、自らの身を守れるようにセイヤに剣と魔法を教え。その結果、彼に死と隣り合わせの場所へと追い込んでしまった。ならばタクトは――特に彼は。そう思い、本当に“自衛”としての力しか持たぬようにしておきたかった。
『過保護すぎる。……子供というのは、いつか自分の力で飛び立つものだ。それほどまでに過保護では……アイツは、飛び立てなくなる』
以前、スサノオに言われた言葉を思い出す。――頷かざるを得ないのも、言われた当時から分かっていたことだ。ただ認めたくなくて、頑なに否定していた。これは自分の――自分たちの我が儘だ。だから――
「………」
――もう、我が儘を子供達に押しつける、みっともない大人は止めにしよう。アキラは自らの手で顔を覆い、もう片方の手でぐっと天井に向かって拳を突き出す。
――分かっていたのだ。タクトが――とある事情により、不反応症を――呪文が魔術と結びつかないという、魔法使いとしても、精霊使いとしても致命的なハンデを持っている彼が。そんなハンデを背負っていてもなお、周りには気にしていないとばかりに強がっていたことを。
――強くなれなくても良い。守れるぐらいの力があれば、それで――そんな風に言っていた彼が、本当は自分やセイヤの強さに憧れていたことを。本当はわかっていたのだ。――だから。
「……”霊印流の型”を、教えるときか……」
――だから今度は、こちらが彼の我が儘を聞いてあげる番。突き上げた拳を開き、天井から降り注ぐ照明の光を掴むかのように、アキラはゆっくりと拳を握りしめていく。
――今掴んだ光と決意があれば。自分は、きっと迷わずに前へ進めることだろう。
~~~~
「……う……」
窓から差し込む光の眩しさに、タクトは目を覚ました。寮の自室、床の上で寝ていた彼は、何故こんな所で寝ていたのだろうと不思議そうな顔で辺りを見渡した。――胸中で、埋めようのない寂しさを感じながら。
「……僕は……」
頭を押さえながら、つい以前の一人称を呟いてしまうタクト。次の瞬間、額に激痛が走った。
「イタッ!!?」
パチンコ玉を脳天に喰らったかのような、覚えのある痛みに、ハッと我に返りタクトは目の前に視線をやった。そこには、いつの間にか部屋に入ってきていたトレイドが、少しホッとしたような表情を浮かべている。
「目を覚ましたか、タクト」
「と、トレイドさん……? 何で……」
何故彼が自室に入ってきているのだろうか。見ると、彼の背後にある扉は開かれている。昨日の夜、きちんと鍵をかけたはず――
――昨日の夜――その言葉が、昨晩あった出来事を思い出すキーワードとなった。
「何でって、そりゃ夜の内にここから妙な気配を感じたからよ。来てみたらお前の部屋で、しょうがないから鍵を複製して――」
「トレイドさん、スサノオ……ううん、クサナギを見なかった!?」
彼の問いかけに、生真面目に答えてくれるトレイドだが、タクトはその親切を見事にぶった切り、彼に問いかける。するとトレイドは、説明を邪魔されたにもかかわらず、むしろ彼の必死さを見て眉根を寄せた。
「いや、見てないが……あいつ、来ていたのか?」
「……っ!」
クッと表情をしかめ、タクトは振り返り、部屋の窓に視線をやった。その窓は、開け放たれている。
「……クサナギ……」
――行ってしまった。やはり昨日のアレは、間違いでも何でもなかった。クサナギと――否、スサノオと戦ったあの出来事は。知らず知らずのうちに拳を握りしめるタクト。俯き、震える声で彼はトレイドに問いかける。
「……トレイドさん……」
「……どうした? 一体何が起こった?」
振るえる彼の声音と体を見て、昨晩ここで何かが起こったのだとトレイドは察し、打ち震える彼の肩にそっと手を置いた。――見ると、彼の手の甲に、ぽつぽつと水滴が付いている。
「俺に……憑依を教えて下さい……」
「…………」
「俺は……負けたくない……っ! 自分の心の弱さに、負けたくない!」
――嗚咽混じりの叫びに、トレイドは目を閉じて考え込む。昨晩ここで何かが――おそらく、クサナギに関することで何かがあったのだろう。ここから神気を感じたことからもそれは明らかであろう。
出来れば力にはなってやりたい。だが、今の俺では、タクトに憑依を教えるのは無理だ。元々、教えると言うことが不得手なのだから。憑依も、記憶感応によって再現したに過ぎないため、実は詳しい法則を知らない。にわか知識しかないのだ。
俺がタクトに教えるのはむしろ逆効果。今の俺に出来ることと言えば――
「俺は教えるのは不得手だ。俺じゃなく、別の奴に聞くと言い。なんたってここは、”学園”……学舎だろ?」
――教えるのがうまい、“知っていそうな奴”を紹介することだけだ。そして幸いにも、心当たりがあった。トレイドは頬をニッと引きつらせ、項垂れるタクトの肩をバンッと叩いた。
「…………」
トン、トン、トン、と机を叩く音が教官室に鳴り響く。スキンヘッドの中年の男性教官――ジムは、朝早くから目の前にいる彼らを見ての行動であった。
「もう一度聞こう。私に、何を教えてくれと?」
周囲に他の教師はいない。――ある意味では助かったが、彼らの頼み事は、首を縦に振るわけにはいかないものだった。そうやすやすと、頼まれて良いものでもない。しかし彼らは――タクトと、見覚えるある食堂に勤めている青年は、ジムの言葉に同じ事を返した。
「だからよ。こいつに……精霊憑依のことを教えてやってくれ」
一瞬、辺りの気配に気を配る素振りを見せる青年トレイド。どうやら事の重要さはわかっているらしい。だが、それでも答えは変わらない。
「すまないが、精霊憑依、というもの自体が初耳でな。全く分からないのだ」
「そんな……っ!」
「おいおい、そりゃなしにしようぜ」
首を傾げ、さも初めて聞いたかのように首を傾げ、露骨に話を終わらせようとするジムに対し、トレイドは肩をすくめて、
「”知識”を持ってるあんたが、憑依を習得していないはずがない」
ぴたり、とジムの動きが止まった。
知識――それは法陣と呪文を使わず、知識を宿した物体に触れている魔力、もしくは自然物限定だが、ノーモーションで魔術を発動させることが出来る力。この知識は、“精霊が憑依した物”になら宿る力なのだ。
トレイドの言う”知識を持っている”とは、すなわち”証に精霊を憑依させた”経験がある、ということ。トレイドの指摘に、ジムは視線を向け、ふぅっとため息をついた。
「……やはり君は、神霊祭のときに現れた、あの仮面の人だね」
「あー……まぁ、その時のことは、水に流して貰えると……」
はっはっはっは、と引きつった笑みで誤魔化そうとするトレイドに、ジムは珍しく鋭い視線を向ける。――普段の彼は、他者を睨んだりはしないはずなのだが――タクトはその珍しさに、瞳を瞬かせた。
「………君のことは、本部からもある程度の話は聞いているよ。君が桐生君を助けて、手助けしてくれたことも。……しかし、だからといって教え子にあの技を授けるわけにはいかない」
真剣な表情を浮かべたまま、こればっかりは駄目だと首を振るジム。
「桐生君、君はあれがどれだけ危険な物なのか、理解しているのかい?」
「……それは……」
――精霊憑依。タクトはその術について、断片的な情報しか持たない。記憶感応でも、その術を行った瞬間の記憶は、未だに追体験していない。だからこそ、こうしてトレイドに教え手貰うように頼み、ジムにも手助けを求めているのだ。
だから、彼の言う”危険”がわからなかった。どういった意味で、どの程度危険なのか。押し黙ったタクトを見て、その辺りを察したのだろうジムは、ふぅっとため息をついて、
「……知らないのであれば、教えるわけにはいかない。さぁ、帰ると良い。当然このことは、他言無用だけどね」
「……っ、でも、先生ッ」
きっぱりと断り、そして忘れるようにと遠回しに釘を刺すジム。タクトはくっと拳を握りしめ、なおも食い下がろうと口を開きかける。だが、押し黙っていたトレイドの言葉の方が速かった。
「――教え子にあの技を教えたくない気持ちはわかる。あの技は、身を滅ぼしかねない技だ」
「………」
トレイドの言葉に、ジムは無反応のまま。視線を彼に向け、じっとトレイドを見やるのみだ。――彼もタクトと同じく、記憶感応による断片的な知識しか持たない。故にタクトに憑依のことを教えることが出来ないはず。
――にもかかわらず、彼は憑依のことを、”身を滅ぼしかねない技”と言った。断片的な知識しか持たない彼が、何故そのことを知っているのだろうか――幸いにも、タクトはそのことに気づかなかったが。
「――だが、今のこいつに必要な技なんだ。……頼む、俺では……記憶感応から得た知識しか持たない俺では、こいつを的確に指導することは出来やしない」
我が事のように頭を下げるトレイド。そんな彼にジムは瞑目し、考え込むかのように椅子の背もたれに深く沈み込む。
「……何らかの事情があるようですね」
「……みたいだがな」
ジムの指摘に、トレイドは隣にいるタクトに視線を向けながら肯定する。トレイド自身もまだ、タクトから聞いていないのだ。彼の自室で何が起こったのか、そしてクサナギとの間に一体何があったのか。
聞ける雰囲気ではなかった、というのもある。だが、もう彼から事情を聞いても言い頃合いのはずだ。その確認を込めてのタクトを見やり――彼は頷いた。昨晩、自室で何が起こったのかを語り出そうとして――
「おはよう、夜勤の先生方……」
――厳つい体つきに、厳つい顔立ちをした先生が、突如教官室に入ってきた。アニュレイトは朝が弱いのか、死にかけのように顔色が悪い。突如教官室に入ってきた低血圧の先生に、その場にいた三人の警戒が高まる。
「……あの時のおっさんか……」
人相を見て、一瞬誰だが分からなかったのか、トレイドは数秒ほどまじまじとアニュレイトを見て、ようやく記憶と一致する人物を思い浮かべた。ひどい有様だ、ほとんど別人のようじゃないか――
「……ジム先生に、桐生か…………ん? ……まぁいい、それよりジム先生……あ~、桐生もちょうど良いかもな。お客さんが来ている」
まじまじと見続けているトレイドに視線をやり、何か引っかかりを覚えたのか、首を傾げるアニュレイト。しかし気のせいとして首を振り、先に教官室に来ていたジムとタクトに、来客があると告げる。
「私はともかく、桐生君にも、ですか?」
「いや、桐生は関係ないが……まぁ、行ってみればわかる」
ポリポリポリと、後頭部をかきながら「朝っぱらからビクッたぜ……」と疲れたように呟くアニュレイトに、三人は首を傾げる。
「……俺も付いていって良いか? あのおっさんがびくつくって一体どんな人が来たんだ?」
「ふむ……」
ジムは顎に手をやり、何やら考え込む様子。ちらりと正面に立つタクトに視線をやり、そして頷いた。
「何がともあれ、行ってみればわかることなのだろう。……しかし早朝から来客とは……」
相手の職業によっては珍しくはないが、少々相手のことを考えていない時間帯ではある。十分許容範囲内だが。
ジムはタクトとトレイドを引き連れて教官室を出、足早に応接間へと足を運ぶ。その途中、何かを感じ取ったのかトレイドはしきりに辺りを見渡し、落ち着かない様子を見せていたのが気になった。
「――失礼します」
ややあって応接間にたどり着き、ジムは拳を上げて扉をノックし、ドアノブを捻った。扉を開け、そこから中に入り――中で待っていた人物を見て、一同は固まった。
「やぁ、おはよう。タクト、トレイド……そしてジムも。いや、ジム先生、というべきだろうね」
中のソファに腰掛けていたのは、桐生アキラであった。
「お、叔父さん!? ってか、先生、もしかして叔父さんとは知り合いなんですか?」
「……あははは……まぁ、ね。昔、一緒に戦ったことがある」
「昔……それって、もしかして十七年前に起きた改革の……?」
はっとしたタクトは、二人に問いかけ、ジムは頷いた。続けざまに、アキラが当時のことを思い出すかのように目を細める。体をソファに深く預け、
「懐かしいな……以前はふさふさだったというのに、どうしてお前の頭は寂しくなったんだ……」
「……貴方にだけは言われたくないですね。白い物も大事に取っておくのは、みっともないですよ」
――お互いに体の一部分を見ながら交わす会話に、タクトとトレイドは身震いする。自分たちは全く関係ないのに、何故か背中から流れる冷や汗を無視できない。しかしそれは、互いに親密な関係だからこそ言える悪ふざけ。ややあって、アキラは口元に笑みを浮かべ、ジムもそれに続く。
「ふ……お前とのやりとりも久しぶりだな。……この後昔話に花を咲かせたいが……その前に、少し頼み事がある」
アキラはそう言って、ジムの隣にいるタクトに視線を向ける。その視線に込められた感情に、彼は首を傾げた。――寂しさと不安と――ほんの少しの、“期待”が込められた視線。
「タクトもいるのならば、ちょうど良い。……タクトに、”霊印流の型”を教えたいと思い……今日ここに来たのは、そのためだ」
――アキラの言葉に、タクトは目を見開いた。