第18話 狼、再び~3~
フェルアント学園では、”精霊憑依”について一切教えない方針を固めている。それは、本部の意向からでもあった。
十七年前に起こった”改革”以前は、学園でも特に優れた生徒のみに、極秘に教える方針だったが、今は教えるどころか、憑依について口外することさえ禁じられていた。
それにはいくつかの理由がある。もう二度と、”禁術による悲劇”を起こさせないようにする――それが、本部上層部の決定であった。
精霊憑依とは、本来”ある禁術”から漏れ出した副産物に過ぎない。しかし、副産物であるが故に、少し見方を――考え方を変えれば、“禁術”にたどり着きかねない。
それを防ぐために、本部は精霊憑依の存在を隠匿したのだ。さらに、”憑依習得者”については本部の方でしっかりと把握しており、そのことを固く守らせるようにしていた。
だが、一部例外がいる。タクトやトレイドのような、”王の血筋”だ。彼らの場合、先祖の記憶から”憑依”の存在を知ってしまう場合がある。その場合も、発見し次第固く守る誓約書を書かされるのだが――
――そんなものは必要ないのかも知れない、というのが現状だ。記憶感応から精霊憑依を習得できるものはごく限られており、王の血が濃くなければまず不可能なのだ。
そして大抵、習得できるほど血が濃ければ、憑依の先にある”禁術”を、そしてその禁術がどれほど危険なものなのかも”追体験”しているはずなのだ。
はっきり言おう。一部の例外を除き、血筋から憑依を習得したものは、憑依を使いたがらない。先祖が味わい、自分も味わったあの苦しみを、もう一度、しかも“現実”で繰り返すのはごめん被る。それが、彼らの本音であった。
「精霊憑依の習得……」
「あぁ。……その様子だと、精霊憑依がどんなものなのか知っているみたいだな?」
「記憶感応でどんなものかは……。ただ、”使った記憶”はまだ追体験していないので……」
「なるほど……ってことは、やっぱ教えなきゃ駄目っぽいか……」
ふぅ、と諦めた様子でため息をつくトレイドに、タクトは首を傾げる。
「えっと……気は進まないんですけど……そのうち記憶感応で使えるようになると……」
「クサナギ曰く、『できる限り早めに』ってことだからな。気が進まないのは俺もだ……。これはどちらかというと感覚的なものが多いから……うまく教えられる自信はまるでない」
心底自信がないのだろう、ため息をつく彼は明らかに憂鬱そうだ。――最も、タクトもこの人は教えるのが下手だと言うことはよく知っている。この人と共に過ごした間、時折戦い方を教えられたりしたのだが――あれ、それ、これ、等という代名詞や、そんな感じ、等の感覚的な言い方が多く、理解に苦しんだものだ。
無理もない、と思う。彼の強さの大半は、記憶感応によって得た武術と自然の加護によって支えられており、完全に独学となっているのだ。教えられたことがない以上、教えるのは不得手のはず。
「あはは……その、誰にだって得意不得意はありますよ」
「そう言って貰えると、こちらも気が楽なのだがな」
頭をかきながら、ありきたりなフォローをするタクトに対し、トレイドは肩をすくめる。そして、手に持った証を逆手に握り、地面に突き刺した。
「タクト、お前の証を貸してくれ」
すっと、空いている左手を差し出してきた。タクトは頼まれるままに自らの証――日本刀を取り出し、トレイドに差し出した。
「……前々から思っていたが、どうも曲刀の類いには良い思い出がないぜ……」
一瞬だけ嫌そうな表情をしてタクトの日本刀を見やった。刀の類いに嫌な思い出でもあるのだろうかと思ったのもつかの間、トレイドはその柄を握りしめ、すっと瞳を閉じる。
すると、彼の足下――証が突き刺さった地面から土が盛り上がる。盛り上がった土は土柱となり、徐々に細くなり、なだらかな曲線を描き出した。
(……これって……)
その土柱は、次第にある形を象った。なだらかに曲線を描く、土で象られた一振りの刀。トレイドは足下の地面に魔力を通し、土を刀の形にしたのだ。
「……よし、こんなもんだな。さて次は……」
彼が作り上げた土刀を見てぶつぶつと呟き、トレイドは再度瞳を閉ざす。すると、土刀に魔力が注ぎ込まれ――眩い光と共に、土が金属へと変化した。
土の属性変化改式・鉄――またの名を”練金”。土を金属へと変化させる、トレイドが得意とする魔術だ。彼曰く、その気になれば道ばたの石を金塊に変えられるらしい。もちろん御法度な行為である。
「よし、出来た。……若干重さに違いがあるかも知れないが……」
地面に突き刺した証をしまい、トレイドは作り上げた刀を地面から引き抜き、重さを比べて眉根を寄せた。二本の刀の違いは、飾り紐の有無のみである。――逆に言えば、それを除けば外見はほぼ同じ刀だった。
「……トレイドさん?」
「ん、ほれ。証はしまっとけ」
思わず呼びかけると、すっと二本の刀を差しだしてきた。二本とも受け取り、言われたとおり飾り紐の付いた証を消し、トレイドが作った鉄製の刀を握りしめた。その、手に馴染む不思議な感じに目を見開き、トレイドから少し離れて軽く振るってみる。
「……違和感感じないです」
「そうかい、そりゃなによりだ」
にっと口元に笑みを浮かべる彼。何故か浮かべたドヤ顔に、タクトは苦笑を見せて口を開く。
「それで、これを使って何を……?」
「……精霊憑依には二種類ある」
浮かべていた笑みを消し、唐突に口調を改めて真剣な眼差しでタクトを見やるトレイド。彼の態度の変化から、これから大事なことを話すのだと悟ったタクトは、同じように視線を交差させる。
「お前は分かってるかも知れないが一応説明しておくぜ。憑依は召喚と同じ、精霊を使役するタイプの魔術だ。ただ、召喚は精霊に多大な負担を強いるが、憑依はそんなんでもない。人に掛かる負担は……やり方次第で変わってくるがな」
彼の説明に、タクトはうんうんと頷きながら耳に入れる。
「召喚は、精霊が持つ魔力をフルに使わせて実体化、その上で使役するのに対して、憑依の方は精霊は霊体のまま使役する。だから精霊に掛かる負担は少ないんだが……霊体のままじゃ、何も出来ないだろ?」
「えぇ、何も出来ない。……でも、“霊体”という特性を利用して、別のものに“宿らせる”……」
「お、どうやら基礎知識の方はあるみたいだな。その通り、精霊を霊体化させ、器に憑依させる……それが精霊憑依だ」
ぱちぱちぱち、と軽く手を叩いて称賛するトレイド。若干イラッとするものの、これは”話が早くて助かる”という意味での称賛だろう。
例えば――トレイドはそう言って、足下を転がっている石ころを拾い上げた。
「この石に、俺の精霊であるザイを憑依させたとする………いや、憑依しなくていい………ってタクト、お前に言ったわけじゃないぞ」
いきなり変なことを言い出した上に、タクトに向かって首を振るトレイド。おそらく、彼の精霊であるザイが「憑依するのか?」とでも聞いてきたのだろう。相変わらずのコンビに、タクトはため息をついた。
「……あの、話し途中にザイと会話するのは止めて貰いません?」
「いや念話で答えようとしたんだが、つい口で言っちまった……。コホン、とりあえず、こいつにザイを憑依させたら、この石ころ一つで、単独で魔術の行使が出来るようになるんだ。精霊は魔力炉と魔術の知識、両方とも持っているからな」
「……………つまり、実体化せずに精霊が魔術を使えるようになる?」
「あぁ、そんな感じよ」
うんうんと頷くトレイド。確かにそれは便利なものだ。
精霊は実体化するために多大な魔力を消費している。タクトの精霊であるコウやトレイドの精霊であるザイは、共に幻獣型の精霊のため、魔力が多く比較的気安く実体化出来る。だが、他の精霊にとって、実体化するのは負担が大きすぎるのだ。
そんな幻獣型の精霊であっても、実体化した状態で魔術の行使は少々厳しいのだ。――しかし精霊憑依を使えば、実体化せずに魔術を行使できるため、その分の魔力を術に使うことが出来るのだろう。
もしこの術を昔から使うことが出来ていたら――タクトは相棒であるコウへ、不満げに念話を飛ばす。
(コウ、なんで憑依のことを教えてくれなかったのさ?)
(……いやすまない、私も初めて知ったのだ)
(……え?)
コウの念話に、タクトは驚きを露わにした。精霊であるコウが、憑依のことを知らなかった――そんなことがあるのだろうか。
「……タクト、どうかしたのか?」
「あ、その……コウが、憑依のことを初めて知ったと」
こちらの異常に気がついたのか、トレイドが首を傾げながら問いかけてくる。彼の問いにタクトは頷き、恐る恐る疑問を投げかけた。
「あぁ、それは仕方ないさ。精霊が持っている知識と、契約の時に得られる知識はホントに基礎の基礎。それに元々、召喚と憑依は人が作った魔術だからな。精霊が知らなくても無理はない」
トレイドの説明に、目を丸くするタクト。だがよくよく考えれば、納得のいく答えでも合った。確かにタクトも、召喚については母親から教わったし、それに憑依も、精霊が知っているのならばわざわざ人から人へと伝授する必要も、この学園がある意味もない。
「……それにこれ、精霊が知っていても教えたくない類いのものだろうからな……」
「……トレイドさん? 今何か言いました?」
――トレイドが、ぽつりと呟いた気がした。残念ながら、その呟きを聞き逃してしまい――しかし、聞き逃してはならない予感がして、タクトは聞き返す。トレイドは首を振り、
「……何でもないさ」
とだけ言い、トレイドはタクトを見やった。
「しかしお前……憑依の知識ってもしかして中途半端なぶんしかないのか?」
「え、えぇ……」
逆に問いかけてきて、タクトの答えを聞くと腕を組んでため息をついた。
「……思った以上に面倒くさいぜ、これ……まぁいい、習うよりも慣れろだ」
本人的には、一々説明しなくても大丈夫だと思っていたのだろうか。ともあれ、トレイドは頭をガリガリとかきながら言い、タクトに手渡した鋼の刀へと視線を移す。
「とりあえず、まずはその刀にお前さんの精霊を憑依させてみろ」
「い、いやいきなりやれって言われても……」
無理である。トレイドもそのことを悟ったのか、ドジッたとばかりにため息をつき、少々考え込んで言葉をひねり出す。
「……そうだな……タクト、精霊召喚をすることはあるか?」
「え? えぇ、今までに何度かしたことはありますけど……」
「基本的にはそれと同じさ。精霊召喚する前に、何かすることあるだろ?」
召喚時にすることと言われ、彼はふむと考え込む。――呪文の詠唱――あれはどちらかというと、精霊に対する呼びかけに近い。言葉を――言霊をもって精霊に”頼み”――
「言っておくが、小難しいことは何一つないぞ。大事なのは”礼儀”のほうだ」
「……礼儀?」
「あぁ。召喚も憑依も、精霊に負担が掛かる。まぁ、掛かる負担の大きさには結構な違いがあるが……」
「……あ」
――なるほど、そういうことか。確かに、これには小難しいことは何一つない。こんな事に気がつかなかった自分にげんなりし、タクトはため息をついた。
召喚と憑依、この二つの術に共通するもの、それは――
(コウ……力を貸して)
(……ふむ、了解だ)
――“精霊の協力”。二つとも、術者のみで行使出来る術ではないのだ。精霊と精霊使い、この両者が協力し合って初めて使える。
スッと手に持った刀を水平に持ち上げた。
こと魔術において、言葉というのは大きな意味を持つ。術を発動させるための鍵であったり、己に対する暗示であったり、契約であったり。
これより紡がれる言葉――呪文は、契約の類い。故に、決まった形はない。契約を結ぶものと、結ばれるもの、この両者が”そう”だとわかれば、それでよい。一呼吸置き、水平に掲げた刀を、頭上へと持ち上げる。
『――我と契約を交わせし精霊よ。我が示す器に宿れ――』
言葉は自然と出て来た。――きっとあの暗い洞窟で、あの聖域の中で、トレイドの憑依を目の当たりにしたからこそかもしれなかった。
タクトの体から小さな光の玉が零れ、その光は彼が掲げた刀に、器に吸い込まれる。――次の瞬間、ドクン、と刀が脈打ち――
――パキィン、と刀の刀身が砕けた。
「――は?」
「――へ?」
(――なに?)
粉々に砕け、金属片がぱらぱらとこぼれ落ちるのを見届けながら、タクトは素っ頓狂な声を漏らした。それはトレイドも同じであり、彼に至っては腕を組み見守っていた姿勢のまま、呆然と固まってしまう。
コウに至っては、タクトに対し念話で疑問を口にする。――一体、何が起こったのだ? その疑問に、この場にいた全員は答えられなかった。
「……トレイドさん?」
「……待て、違う。……違うぞ? い、いや刀を練金したのは俺だが……強度が足りなかったのか……? いやいや、憑依に器の強度なんて関係ないし……」
呆然としたままのトレイドに視線をやると、彼はぶんぶんと首を振りつつ否定し、ぶつぶつと呟き始めている。憑依に成功した、と思った矢先に器が壊れたのだ。器を制作した人物を真っ先に疑ってしまうのは無理もないことだ。
「………一体何が起こったんだ……? ……てか、いきなり証に憑依させなくて正解だったかな……?」
どうやら、何故器が砕けたのか、トレイドにも分からないようだ。――というか、何を安心しているんだ。しかも砕けた刀を見ながら、証に憑依させなくてよかったとか、不安しか抱かない発言はマジで止めて貰いたい。
それはともかくとして、精霊憑依は――
(……コウ、どうだった?)
(……ふむ……私が宿り、器が砕けるまでの僅かな時間だったが……確かに、”精霊憑依”とやらは成功していたようだ)
(やっぱり……)
コウの念話に、タクトも胸中頷いた。コウが証に宿った瞬間、確かに彼も感じたのだ。器に宿ったコウを通して、何らかの繋がりが出来たことに。
もっともそれも、即座に刀が自壊してしまったことによって、つかみかけていたその感覚も分からなくなってしまったが。現に今、自分は何も感じてはいない。
「……トレイドさん、色々と言いたいことはありますが……とりあえず憑依には成功したみたいです」
「あ、まじか……そいつはよかったぜ……」
「といっても、器が砕けるまでの僅かな時間でしたけど」
「………………」
ジトッとした視線を彼に向ける。トレイドは何も言わず、無言で顔を背けてしまった。――俺のせいじゃない、とどうあっても己の失敗を認めようとはしない様子である。
――まぁ、本当に彼の失敗ではないのかも知れないが。
「……こういう風に、憑依した瞬間器が砕けるなんて事、あったんですか?」
「いやなかった……どうなっているんだ……?」
ただただ首を振り、肩をすくめるだけのトレイド。憑依についての知識が詳しいのは彼なのだから、彼が分からなければ完全に手詰まりだ。
(……コウは何か分かるか?)
(……すまんが、わからんよ。元々、私は召喚と憑依についての知識はないからな。……人の知恵を借りるほかあるまい)
どこか諦めを漂わせながら吐き出すコウ。だが、それは難しいことのように思えてならない。
憑依の習得は、現在厳しく禁じられているか、もしくは本部の監視の下でひっそりと行われるかのどちらかだったはずだ。トレイドと共に本部で話をしていたときに、そんなことを従兄であるセイヤから聞いたのだ。
つまり、こうしてタクトが憑依の習得をしていることは、本部の定めた規定に違反しているのである。だからこそ、トレイドはこうして人の寄りつかないこの場所で憑依の指導にいそしんでいる訳なのだが。
(……セイヤ兄だったら手ほどきはしてくれそうだけど……)
――無理であろう。従兄は本部直轄の暗部に所属してしまっている。合わせてくれるはずなどなかった。
――それに、従兄からも”宿題”を課せられてもいたのだ。余計に顔を合わせづらい。現状、トレイド以外の憑依習得者から指導を受けるのは難しそうだ。第一、誰が憑依を習得しているのか分からないではないか。
――実は教師達の何人かは憑依を習得しているのだが――彼がそのことを知るのは、もう少し後になる。
「……なんかなぁ……いっそこのまま証に憑依させちまうか……?」
「止めて下さい」
悶々と考えているトレイドは、やがて首を振りながら順序をすっ飛ばしたことを提案してくる。証にコウを憑依させた瞬間、自身の分身とも言える刀が粉々に砕ける様子が頭に浮かび、全力で首を振るタクト。
「大丈夫だって。外部的要因での損傷だったら、本人には何の影響もないから」
「いや、あれどう見たって内部的要因でしょうがっ!!」
――駄目だこの男、色々とハプニングが起こったためか、混乱していやがる。誰か医者を呼んできてくれ。
「と、ともかく今日はこれで終わりだ! 俺も夜の仕込みがあるし、解散! それと、憑依はなるべく使うなよ!」
「…………………」
冷や汗をだらだら流しながら叫ぶトレイドを、タクトは冷たい瞳で見つめ続けた。――俺、何のために講義を欠席したんだっけ……。色々な意味で疑問しか残らない午後の一時だった。
――この時、原因を解明し、きちんと憑依を習得していれば、あんなことには――後に、タクトは後悔することになる。――後悔するときは、もうすぐ側まで近づいていた