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精霊の担い手  作者: 天剣
2年時
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第17話 日常への帰還~7~

フェルアントの街を歩き、アイギットは一人学園への帰路につく。その途中、去年の惨劇の広場――ダークネスに飲まれたある男が引き起こした殺人現場を通りかかった。


「…………」


同業者――精霊使い達によって、惨劇があったとは思えないほど元通りになった広場。しかし人通りは少なく、またその中央にある噴水には、いくつもの花束と慰霊碑が置かれていた。


街は元に戻った。――しかし、戻らなかった人達もいるのだ。慰霊碑に置かれた花束を目にやって、アイギットは瞳を閉ざし黙祷する。


あの時現場に居合わせたアイギット達は、何とか事態を解決しようと尽力したものの、力及ばず犯人を逃してしまった。あのとき、犯人に抱いた怒りは今でも鮮明に覚えている。


(……あのとき、親父とお袋を重ねてしまっていたんだよな……)


あの男がダークネスに意識を奪われ、飲み込まれたために惨劇が起こってしまった。いきなり引き起こった惨劇に巻きこまれ、無残にも命を奪われた市民を見て、アイギットは考えることもなく渦中の中へ飛び込んだ。


――横たわる市民、彼らを母親と重ね合わせてしまい、正常な判断力を失ったとも言える。


(……あのときの怒りは今でも覚えている……親父に対する怒りも、あの事件を引き起こしたあの男にも……)


あの一件の後、当時本部長であったアイギットの父、グラッサは事件を引き起こした男と手を組み、学園の近くにある森の中に隠した洞窟で何かを開こうとしていた。


グラッサはあの男を利用するつもりだったと話している。目的を果たすために、どうしてもあの男と手を組まざるを得なかったという。だが、利用するつもりだったとは言え、相手は惨劇を引き起こした張本人。


元から手を組んでいたのではないのか、と非難されてもおかしくはない。むしろ、それが当然のはずだ。アイギットも弁護するつもりは全くない。父に対して、怒りを強めた一件でもある。


――だが今は。父に対する怒りや憎しみと言ったものは、自分でも驚くほどなかった。


父親の話を聞いて、父が胸の内に抱えていた罪の意識を知って。――それを知ってしまっただけで、自分の中にあった憎悪の炎は、小さくなってしまった。


「……結局俺は、何だったんだろうな……」


ぽつりと独り言が漏れてしまう。自分でも時折押さえられなくなってしまう憎悪の炎が、こうも簡単に萎んでしまったことに驚きと呆れを感じていた。


後生大事に持ち続けていた物をなくしてしまったかのような、ぽっかりと胸に穴が空いたような気分。ただただ、どうしようもなく空しい。


(……なくした物だけを見続けるつもり?)


「っ」


突如頭の中で声が――念話が響く。一瞬驚きを露わにする物の、アイギットは口の端を僅かにつり上げた。


(ウンディーネか……どうした?)


彼と契約を交わした自然型の精霊――水の精霊、ウンディーネ。タクトのコウのように、あまり活発的ではないウンディーネは基本的にしゃべろうとはしない。というか、活発的な精霊は幻獣型に多い。内包する魔力の量が多いためらしい。


だからといってしゃべれないわけではなく、話しかければちゃんと答えてくれるし、思い悩んでいるときは気軽に相談に乗ってくれたりもする。この辺は、どの精霊使いも同じだろう。自分の精霊と相性が悪い、という者はいない。


(何であんたは、そうも後ろ向きなのかしら……。何でなくした物のことばかり考えているのよ。あんたには、お父さんに対する憎悪しか持ってなかったの?)


(……それは……)


(学園に入ってから得られた物のことを考えなさい。……あんたは、友達のことさえもどうでもいいって言うの?)


――目を見開いた。驚きが顔中にありありと浮かんでしまったことだろう。だが、構わなかった。


――学園の級友。入学時に色々とあって、それ以来一緒にいるようになった友人達。ウンディーネの指摘に、アイギットの脳裏に数々の名前が浮かんでくる。


(……ウンディーネ。……俺って、バカだよな?)


(昔っからね)


契約者の問いかけに精霊は否定せず、それどころか付け加えるように補足してきた。若干イラッとしたものの、その通りなのだろうから否定できなかった。


(それに、散々言ってきたけど、憎悪なんて持ち続けてもいいことはないわ)


(……今になって、その言葉の重みが分かるようになったよ……)


ふぅ、とため息をつくアイギット。ウンディーネの言葉は、実に的を得ていた。


真実を知って、憎悪の炎は大きく薄まった。それと同時に胸にぽっかりと穴が空いた気分にもなった。――だけど、憎悪が薄まったことで虚しさを感じると同時に、邪気が払われたかのようにスッとしたのもまた事実。


彼は広場の中央にある慰霊碑から視線を逸らして、ある方向へと――学園がある方向へ瞳を向けた。


(――さて。帰るとしようか)


もやもやとした気持ちはまだある。それでも、真実を知ってすっきりしたのもまた事実。内心にあるもやもやも、友人達と一緒に過ごしていけば、そのうち消えることだろう。


アイギットは止めていた足を動かし、学園への帰路を再び歩み始めた。




フェルアント学園に到着した頃には、もうすっかり日が暮れてしまっていた。辺りはしんっと静まりかえり、人の気配も感じられない。父との面会だけで丸一日も使ってしまったことにため息をつきながらも、彼はトボトボと寮へと足を向ける。


父との面会に時間が掛かったのは、単純にややこしい手続きが多かったためだ。それを終えて顔を合わせても、面会時間は限られており、冗談抜きで一日を書類の記入と待ち時間で終えてしまったような感覚である。昨日までは一日もかからないだろうと思っていたのだが、その予測は大きく狂わされてしまった。


「……? 何だ?」


寮に向かって歩いている最中、角を曲がると学園の校舎から光が漏れていることに気づいた。光源を探すと三階の一室――ほぼ毎日通っている部屋から零れている。


「……こんな時間にまだいるのか……?」


こんな時間といっても、日が暮れて間もない。生徒会の活動が長引いたため残ったとしても、おかしくはない時間帯だ。アイギットは一瞬迷うも、やがてため息をついて元来た道を引き返す。――校舎の中に入るためには、正面玄関か裏口しかない。ここからなら正面の方が近いだろうし、何よりまだ閉まってはいないはずだ。




校舎の中に入り、アイギットは目的地である三階の生徒会室へと足を伸ばす。――何やら微かに楽しげな声が響いてくる。一体どこから、と訝しげに首を傾げていたが、その音源は生徒会室だった。


生徒会室に限らず、ほぼ全ての教室には防音対策が施されている。その防音性たるや、生半可な音はほぼ完璧に遮断するのだが、時折その”生半可な音”を超える音が廊下内に微かに響いてきたりする。


「…………」


生徒会室の目の前にやってきたアイギット。その表情は思いっきり不機嫌そうにしかめられている。目の前にやってきて気づいたが、楽しそうな声の中で時折悲鳴のような声もしてくる。一体この中で何をやっているんだか――彼はため息をついて生徒会室の扉を開ける。


「タク――うぅん、“タクミちゃん”、動かないでね?」


「そうですよ、タクミ先輩! あ、やっぱり髪型はポニーテールの方が良いんでしょうか?」


「あたしとしてはロングのストレートが良いと思うんだけど……あ、ほら! ウィッグなんて物があった? どう?」


「う~ん……ここは地毛の方が良いんじゃないかな? ほら、タクミちゃんの髪って綺麗な黒髪だし、細いし量も多いし……それに、地味に長いし」


「確かにそうですね……やっぱり作り物よりも本物の方が……っていうか、タクミ先輩の髪の毛って弄っていると少し腹が立ってきますよね……?」


「……それ、よく分かるわ……。あたしも昔っから羨ましかったし……」


「あはは、レナの髪だって綺麗じゃん!」


――レナにコルダ、それから何故か一年であり、生徒会の役員ではないミューナ・アスベルがこの部屋にいた。それも何故かこの上なく上機嫌で、楽しげであった。


――何が起こっている? 突然の状況に理解が及ばず、アイギットは生徒会のドアを開けたその場所で硬直する。どうやら誰かが椅子に座らされ、女性陣に囲まれながら色々と弄られている様子。


漏れてくる話を聞いた限りでは髪型を弄っているようだが――すぐ側にあるテーブルの上には、化粧道具が置かれていた。


化粧のレクチャーでも受けているのだろう。アイギットはそう解釈し、ため息をつきながら声をかけようとして――


「――――っ!」


「………?」


声をかけるよりも先に、生徒会室の端の方にいたマモルとフォーマ会長がこちらに気づき、一瞬驚いた表情を浮かべるもすぐに唇に人差し指を当ててきた。静かに、というレクチャーだ。


首を傾げつつも、指示通りにかけようとしていた口を閉ざし、あーでもないこーでもないと、何やら上機嫌に議論を重ねる彼女たちに気づかれないよう脇を通り過ぎ、マモルの元に向かう。――何やらフォーマが口元を手で覆いながら俯いている。どうやら笑いたいのを我慢しているらしい。


マモルもマモルで様子がおかしかった。涙目になっており、おそらく爆笑した後なのだろう、顔は真っ赤に染まっていた。そして彼も、眼鏡をかけた童顔の生徒会長殿と同じく、必死に笑みを我慢していた。


「……どうしたんだ、一体……? ていうか、一体何をやっているんだ?」


「お、おう……おかえり……ククッ……じ、実はなぁ……ぷふふっ……っ!!」


「やばい……っ、これは、やばい、ぞ……っ!」


どうやら笑いを押し殺すので精一杯の様子の彼ら。体を震わせ、爆笑を押し殺した奇妙な呻き声のみが返ってくるだけで、状況を察することが出来ない。


「……なぁ、さっきレナが言っていた”タクミ”って一体誰だ?」


『ぶっ!!?』


ため息をつき、呆れ混じりに問いかける。――彼からしてみれば、先程の会話の中で聞こえてきた名前の主を聞こうとしただけなのだが。問いかけた次の瞬間、二人は堪えきれずに吹き出した。


マモルはともかく、普段は冷静で落ち着いているフォーマまでもが吹き出したことにアイギットは驚きを隠せなかったが。次の瞬間には、そんなことすらどうでもよくなった。



「そこっ!! 笑うな!!」



怒りに満ちた声が、女性陣の方から聞こえてきた。女子にしてはやや低く、男子にしては高めの声。


「もう、タクミちゃんうるさい……って、アイギット? お帰り~」


「あぁ、ただいま……って……―――――」


「って、あ、アイギットッ!!?」


声に吊られてそちらの方を向くと、ちょうど女性陣が苦言を呈していたところだった。その際に彼女たちもようやくアイギットの存在に気づき、コルダはのんきに手を振ってくれた。


いつも通り――いつもよりもテンションが高めの彼女に頷きながら、化粧のレクチャーを受けているであろう女子を見るアイギット。彼女の姿を見た瞬間、アイギットはその場で固まった。


椅子に座って――いや、手首はがっちりと紐で拘束されている所を見ると、座らされているという表現が正しいようだ。


どうやら髪型はポニーテールに決まったらしく、やや高いところで青い髪紐を使って一つに束ねられた黒髪に、薄く化粧が施された白い肌。怒りか、それとも羞恥故か、頬を赤らめながら吠えてくる彼女は、可愛らしく映る。


学園の女子制服を身に纏った彼女は背が高めのようだが、それでも膝丈まであるスカートから伸びるすらりとした足に細い腕と、どう見ても美少女の容姿をしていた。


――”美少女の容姿をしていた”。


「ち、違うんだアイギット! これは――」


彼女はアイギットを見て動揺し、首を振りながら口を開きかけ――しかしアイギットは首を振ってため息を一つ。


「……”タクト”、お前……」


彼女は――否、名前を呼ばれた“彼”は途端にホッと息を吐き出した。外見が変わっても分かってくれたのか、と。そんな安堵はものの数秒で崩れ去る。


「……とうとう、そっち方面に目覚めたか……」


「ちが――――う!! ていうかとうとうってどういう意味だぁ―――!」


タクトの絶望に満ちた絶叫と、マモルとフォーマの高らかな笑い声が狭い生徒会室に響き渡った。




「――なるほど、レナ達に強制的に、ねぇ……」


アイギットの登場により、”タクトを女装させよう”企画(コルダ発案)は中断となった。


タクトとは約一ヶ月ぶりの感動の再会なのだが、いかんせん先程のような再会であったため、感動の「か」の字さえ浮かんでは来なかった。それはタクトも同じだったようで、彼と正面から向き合う形で椅子に座りつつ、彼の話を聞いているところだった。


「うぅ………アイギット、何とかしてよ……」


「…………まぁ……一発芸とやらの持ちネタに加えたらどうだ?」


「絶っ対嫌だ!!」


彼のぼやきに、アイギットはレナ達女性陣の方を一瞥して答えた。ほくほく顔でやりきった、と言わんばかりの達成感に満ちた表情に、アイギットは首を振って諦めろと遠回しに伝えることにした。


反応は見ての通りである。キッとまなじりをつり上げ、やや赤らんだ頬のまま睨んでくるタクト――否、タクミ。今だ女装が解かれていないため、とりあえずそう呼ぶことにする。


「……お前はそういう所を直さないと駄目だろうな……」


「え?」


アイギットの呟きに、タクミは首を傾げて疑問符を浮かべる。――そういう仕草が、彼の所謂”男の娘”らしさに拍車をかけているのだ。いや、むしろ女子として扱った方が良いのでは、と若干アイギットも混乱気味である。


そこまで考えたとき、彼はハッと思い直して首を左右に振る。雑念を追い払うかのようにして重いため息をつき、


「とりあえず遅れたが……復学おめでとう」


「アイギット……うん、ありがとう」


生徒会室ではしゃいでいる趣旨をマモルから聞いていたアイギットは、タクトにそう伝えた。これだけは今伝えなければならないことだろう。彼も一瞬目を見開いたが、すぐににっこりと笑みを浮かべて頷く。


今の彼の笑顔は、見た目もあってなかなかに破壊力があった。事情を知らない男が今の笑顔を向けられたら間違いなく落ちるだろうし、何より事情を知っているアイギットでさえぐらっと来たのだ。


彼は苦笑いを浮かべて何とか彼の笑顔をやり過ごし、フェルアント本部でタクトの叔父であるアキラが言っていたことを思い出していた。



『ニアミスとなったか……向こうの都合とは言え、一日ぐらいずらしても良いだろうに……』


『……桐生さん? 一体どうしたんですか?』


『……いや、こちらのことだ。……それより、学園に戻ったらサプライズが待っているだろうな……』


『サプライズ?』



(――サプライズってこのことか……)


父親と面会する直前、アキラがぽつりと呟いていた言葉だ。あの言葉には、こんな意図が隠されていたのか。


教えてくれてもよかったのに、とついぼやいてしまうが、アキラはサプライズと言っていたのだ。きっと自分を驚かせようと思って黙っていたのだろう。


――最も、甥が女装に目覚めたということは、流石に分からなかっただろうが。


「……アイギット、今変なこと考えなかった?」


「何のことやら」


目つきを険しくさせてジトッと睨んでくるタクトの視線から逃れるように、アイギットはさらりと言って近くにある机の上にある紙コップを手に取った。相変わらず勘の良い――疑るような目つきを受け流し続けていると、やがてタクトの方が折れてため息をついた。


「……俺としても、なんで女装させられたのか分からないんだけど……」


「お前の”俺呼び”は結構違和感があるな。まぁ別に良いが」


一人称が変わったことを指摘するも、すぐに苦笑いと共に流し、


「レナ達も、久しぶりにお前に会えて嬉しいんだ。”俺呼び”以外、あんまり変わっていないみたいだしな」


「あ……はは……そう、なのかな……」


紙コップに飲み物を注ぎながらタクトに伝えたが、当の本人からは歯切れの悪い返答が返ってくる。


この時、アイギットは気づけなかった。タクトが歯切れの悪い返答をしたとき、表情に陰りが生まれたことを。彼の視線が、ほんの一瞬遠くを見つめたことを。


「…………」


「……? タクト?」


それ以降、無言のまま押し黙ってしまったタクトのほうを向く。が、アイギットが見たのはにっこりと笑顔を浮かべていたタクトの姿だった。


「? アイギット、どうしたの?」


「……いや……急に黙り込んだからな……何か、変なことでも思い出したか?」


「……なんで思い出すことが前提なのさ……」


微妙な表情を浮かべ、嫌そうな声を出して押し黙ったタクト。――アイギットとしては冗談としていったのだが、もしかして本当に思い出したくないことでも思い出したのだろうか。


「何かあったのか?」


「……何かあった、ってわけじゃない」


ふるふると首を振るタクト。そんな彼の様子に引っかかるものを覚えたアイギットは、さらに問いかけようとして口を開きかけ――


「――っと、忘れてた。もうそろそろお開きにしよう」


今の時間を確かめたフォーマが声をかけた。気づけば寮の門限が近い。彼の呼びかけに、一同は頷いて後片付けを行いだし、動き始めたみんなを見てタクトは立ち上がる。


「――みんな、今日はありがとう」


穏やかな微笑みを浮かべながら、タクトは優しく言い放った。




――変わらない物などない。全てものは、時の流れと共にゆっくりと変化していくのが常である。


そして、ゆっくりと変化していくからこそ、時間の流れと共にその変化を受け入れる事が出来るのだ。


だが、急速な変化は――変容は、時として受け入れられない時がある。



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