第16話 それから~2~
「母さーん、俺腹減った~」
「私も~」
「もうすぐよ。少し待ってね」
アウストラ郊外、街外れを歩く四人の集団は、和やかな空気を生み出しながら、あるところ目指して歩いていた。
少年少女が一人ずつ、彼らの先頭を行くのは、二人を両手で手を繋ぐ女性であり、その後ろには男性が、荷物を持ちながら彼らを微笑ましそうに眺めている。そして四人全員が赤髪であった。
天気は快晴、空から差し込む陽光は、残暑を過ぎた今となっては穏やかで気持ちの良いで、絶好のピクニック日和だ。赤毛の集団――遠目から見れば家族に見えるし、それは間違いではない。だが、正確には母一人に双子の姉弟、そして母親の弟であり双子からすれば叔父に当たる男性という組み合わせだ。そしてこの家族は、アウストラにある、とある料理店を経営している一家でもあった。
「う~、ライ、美味しい物たくさん持ってきているよねぇッ!!」
「当然だろ? 俺を誰だと思っているんだ、トレイド。それと、呼び捨てはやめろよ」
最後尾を歩くライは、甥っ子であるトレイドの言葉に苦笑を浮かべ、手に持っている荷物を軽く揺さぶってみせる。その動作で、中身が今日の昼食――それも、叔父さんの手作りと言うことが分かる。この男こそが、十年以上も料理店を支えてきた腕を持つ料理人であり。
――ある場所にいる黒髪の青年にとっては、親友であり、料理の師にあたる人物でもある。
「もう、トレイド。あまり叔父さんを困らせないの」
「ライのじっちゃんは困ってねぇじゃん。……ユリア姉ちゃんは大丈夫なのか?」
トレイドは母を挟んで向こう側にいる姉に窘められるが、それを交わしつつ姉の体調を心配するあたり、彼の優しさが表れていた。ちなみに、俺はじっちゃんという歳じゃない、という震え混じりの呟きが聞こえてきたが、当然のように無視である。
「あ、うん。私は大丈夫だよ。それに、ずっと前から今日を楽しみにしていたしね」
朗らかな笑みを浮かべながら言うユリア。虚弱な体であり、同年代の子供と比べると体が細く、体力もあまりない。故に風邪を引きやすく、現に前日まで風邪を引いて寝込んでいたのだが、運良く昨日の夜から熱が下がったのだ。
とはいえ、治ったとは言えない。言えなかったが、本人の強い希望もあり、以前から決めていたこの場所に来ているのだ。――十分に厚着姿であり、母と叔父から、体調が悪くなったらすぐ言うようにときつく言われている。
料理店の経営に多忙なライが、”この日”だけは時間を作り、家族全員で”この場所”に来ようと決めていたからなのだ。それは、”あの日”から毎年続けていることでもある。今回は所用により、父親の姿はないが、それでも後で向かうと言葉を貰っている。
これから向かう先は、街外れにあるとある場所。そこで用事を終わらした後は、少し離れた広場で昼食をーーすなわちピクニックをすることにしている。流石に、例のその場所で昼食を取るわけにはいかなかった。
なぜなら、その場所は――孤児院跡。そして、その場所でなくなった子供達を悼む慰霊碑が置かれている場所なのだ。そんな場所で食事が出来るほど、彼らは強くはない。
何より、その場所にはーー大人達にとって、親友とその恋人が、そして子供達にとっては、自分の名前の元となった人が眠る場所。やんちゃなで面倒くさなりな面があるトレイドでさえ、その場所でお昼を食べようなどとは言わないのだ。
この場所が、親たちにとってどれほど大事な場所なのかーー年端もいかない子供達にさえ伝わるのだ。
ーーこの子達のおかげねーー
双子の母、サヤは子供達の手を繋ぎながら、クスリと笑みを溢した。彼らが生まれたとき、名前を“彼ら”の名前にしようと決めたとき、もちろんためらいはあった。ただただ、彼らの名前を呼ぶときに、辛い記憶を思い出してしまうだけではないだろうか、と。
しかし、そんな心配は憂慮だった。
トレイドは、名前の元となった彼と同じ、茶目っ気があってやんちゃ坊主だけど、確かな優しさを持っている。違うのは、顔立ちや髪の色と言った容姿を除けば、天然ではない所ぐらいだ。
ユリアは、名前の元となった彼女と同じ、意志の強さと頑固さ、優しさに、周りの雰囲気をやんわりと変えてくれる不思議な魅力がある。病弱で、ベッドの上に横になってばかりだけど、そういう所は本当にそっくりだ。
彼らを育てていく内に、心にぽっかりと空いた穴を埋めてくれるかのように、次々と幸せが流れ込んでいくのを感じていた。
子供達の名前を呼ぶたびに、辛い記憶が呼び起こされることはあるものの、それを上回る幸福が、辛い記憶を、忘れることの出来ない、大事な思い出へと変えていってくれた。
いつかトレイドとユリアに、名前の元となった彼らのことを伝えていきたいと思っている。そうすることで、私の記憶にある彼らも、生き続けていくのではないかーー今となっては、そう思える。
「……? ねぇ、お母さん、どうしたの? 何か、嬉しそうだけど……」
長い赤毛を肩の辺りで一つに纏めた母親が、どことなく嬉しそうにしているのに気づき、ユリアは声をかける。するとサヤは、ふふっと笑みを溢しながら、
「そうね。……ユリアや、トレイド。それに、ライと一緒にここに来れたのが嬉しいかな」
「……そうだね、うんっ! 早くお父さん来ないかなぁ……」
よほど母親の言葉が嬉しかったのか、ぱぁっと顔を輝かせて何度も頷くユリア。彼女の笑顔を見て、サヤも釣られて笑顔になり、そこであることに気づく。ふと、ちょっと悪戯心が動いて、浮かべていた笑顔を沈んだ表情に変え、彼女は実の娘にそっと囁く。
彼女の目線に合わせて低く屈み、
「……実はね、ユリア。あなたのお父さんは……」
「……えっ?」
――子供の勘、とでも言う奴だろうか。ユリアはわかりやすいほど表情をころころ変えーーきっと、実の父親でなかったらどうしよう、とか。今日来なかったのは、自警団で何かがあったからじゃないか、とか。もっと言えば、実はお父さんが事故か何かで帰らぬ人になってしまったのか、とか。
そんな子供の妄想が手に取るようにわかるあたり、流石母親と言ったところか。もっとも、そんな妄想を煽るようにわざと声音や表情を変えているのだが。
ちなみに、手を離したことでいつの間にかユリアのとなりに来たトレイドまでも、真剣な表情をしていてーー彼らには見えないが、ライは口元に手を当てて笑いを堪え、そして”もう一人”はゆっくりと忍び足でユリアに近づきーー
「……あなたの後ろにいるのよ」
「んばぁっ!!!」
「きゃぁぁぁぁーーーーーっ!!?」
――いきなり背後から肩を思いっきり掴まれ、耳元で奇怪な叫びを上げられれば、誰だって驚くだろう。それがユリアのように、恐がりな少女ならなおさらだ。悲鳴を上げて前にいた母親の胸に飛び込み、顔を埋めてしまった。
「うっ……うぅ……っ!!」
「ちょ、ちょぉぉおっ!? と、父ちゃん!? 驚かすなよなぁ……っ!!」
ユリアは母親の胸に顔を埋めて半泣き状態、トレイドも素っ頓狂な声を上げながら、背後にいた父親から距離を取り、引きつった表情で睨み付けている。
「はは、悪い悪い。ちょっとなぁ~」
「~~~~っ!!」
「……って、ごめんて、ユリア……」
一方の父親――アルトは、髪の毛をかきむしり、笑みを浮かべながら全く悪いと思っていない声で謝罪する。しかし、途端に娘からきっと睨まれ、アルトは笑みを引きつらせ、おずおずと頭を下げる。すると、ユリアは顔を真っ赤にさせ、若干の涙を滲ませながら、
「お父さんなんて大ッ嫌いッ!!」
「ちょ、ちょーーッ!! 悪かったッ! お父さんが悪かったッ!!」
――娘の反抗期はこうやって始まっていくのさ、と、妙に達観した声で、アルトは後に語ることとなる。それは置いといて。
娘に対して半身低頭する威厳のない父親を一目見て、サヤはユリアを宥めつつも、
「全く……いい年して、子供を驚かそうなんて……」
「い、いや、乗った時点で共犯だろ……?」
「あら、何のことかしら?」
ジトッとした目で妻であるサヤを見やるも、彼女はその視線をさらりと流してみせる。
アルトが近づいてきたことには、ライもサヤも気づいていたのだ。しかし、当のアルトが唇に人差し指を当てて、静かに、などとジェスチャーしてきたのだ。何となく夫の意図を悟り、乗って見せた訳だがーー娘が泣いた途端、掌を返したのだ。
くうぅっと詰まった声で呻くアルトだが、この場に味方は居ない。仲良し姉弟であるトレイドは、グスグスと泣き出してしまった姉を母と共に宥めているし、義弟であるライからは呆れを多分に含んだ視線で見ている。
「……俺が、悪かった……」
四面楚歌の状態に陥り、半ば泣きたい気分になりつつ、彼は弱々しく声を上げるしか出来なかった。
とりあえずユリアも泣き止みーー時々睨み付けられるがーーアルトも加わった一行は、程なく目的地であるその場所にたどり着いた。
「……何回来ても、ここは変わらないな」
「……そうね」
たどり着いた、孤児院跡。そして、その場所に建てられた、子供達を悼むための慰霊碑。毎年来ているとは言え、ライとサヤは、久しぶりに来たかのような感覚を味わっていた。
「……十年……か……」
この慰霊碑を建てたのは、何を隠そうアルトだった。十年前――孤児院が燃え尽き、子供達は殺され、ユリアはトレイドを庇って死に至り――そのトレイドは、孤児院が火事になった元凶を討った後、自ら命を絶った。その直後だ、慰霊碑を建てようと言い出したのは。
慰霊碑を建てることに、サヤやライも反対はなかった。むしろ、賛同し、自ら協力したほどだ。
――アルトは、彼らには一言も言っていない。トレイドは自殺したのではなく、自分が、彼の生き方に哀れみを抱き、終わらせてやろうとして手にかけようとしたことを。その結果、彼の人生を終わらせることが出来ず、その居場所を奪ってしまったことを。
その罪悪感は、”義賊”であったトレイドならばーー悪徳な商法をしていた輩から金を盗み、貧しい者達に分け与えていた彼ならば、どうしただろうか、という物へと変わっていった。そう考え、アルトはこの場所に慰霊碑を建てたのだ。
この慰霊碑は、サヤやライにとっては慰霊碑であるだろう。だがアルトにとっては、慰霊碑であると同時に、自らが犯した罪の象徴であった。
だが今はーー慰霊碑は罪の象徴から、決意の証へと変わっていた。
「……守ってやる」
「? 父ちゃん、何か言った?」
ぽつりと、誰にも聞かれないように呟いたのだが。側に居た息子には聞こえたらしい。彼はこちらを見上げながら首を傾げている。
アルトの、慰霊碑に対する意識を変えた男と、同じ名前を持つ息子に、笑みを向けながらぽんっと頭に手を置いた。
「……そうだな、トレイド。お前には、話すときが来るかもな……」
「………?」
父親の言葉に、息子は首を傾げる。しかしアルトは、なおも笑顔を張り付かせたまましゃがみ込み、トレイドと視線を合わせながら彼の赤い頭を優しく叩き続ける。
「ま、それまでは……姉ちゃんと母さん、それに叔父さんも守ってやってくれ」
「うんっ!」
真っ正面から見つめられる、父親の眼差しに一瞬きょとんとするも、すぐにトレイドは輝くような笑みを浮かべて大きく頷いた。
「トレイドにアルト。そこでぼさっとしてないで、こっち来たらどうだ?」
「あ、今行くよ、おっちゃん!」
「だから、おっちゃん言うなッ!」
それほどまでにおっちゃん呼ばわりがいやなのか、ライはがなり立てるかのように声を荒げ、しかしトレイドにはあまり効果がないようだ。ケラケラと笑いながら彼の叫びを無視している。
「……我が息子ながら、図太く成長したもんだなぁ……」
その様子に呆れ、アルトは苦笑を浮かべながら息子に目を向けながら歩く。やがて、慰霊碑の前までやってくると、先に来ていたサヤとユリアが不思議そうな表情で何かを見ていた。
「どうした?」
「あ、アルトさん。実は……」
一際不思議そうな顔をしていたサヤに問うと、彼女は首を傾げながら手に持っていた”それ”を差し出した。彼女が手に握っていたのは、真っ白な美しい花――ユリアの花だ。
「……? それが、どうしたって?」
「慰霊碑の前に置かれていたの。……ううん、お供えられていた、っていうほうが正しいかな?」
その花を見て、アルトも首を傾げた。供えられていた、となれば、誰が供えたのかが気になるのだが。
曲がりなりにも慰霊碑、アルト達以外にもお供えや手を合わしていく人も確かにいる。だが、これまでのお供え物に、ユリアの花はなかった気がする。
それにユリアの花は、ここに眠る、とある少女の名前の元となった花だ。ということは、彼女と縁のあるーー
「……」
そこでアルトはハッとした。いるではないか。彼女と縁のある”あいつ”が。
「……アルト?」
「――いや、何でもないよ。多分、誰かがこの花を置いていったんだろ? そう珍しいことではないよ」
「……そう、よね。……ごめん、少し、深読みし過ぎちゃった……」
どことなく自嘲気味に笑いながらユリアの花を元に戻すサヤ。花は一輪だけではなく、束となって慰霊碑の前に供えられている。
「………」
不意に、彼らに全て打ち明けたい衝動に駆られる。だがーーそれは出来ない。このことは、自分が一生背負っていかなければならないことなのだから。
――……あぁ、守ってやるさ。……こいつらを……家族を、一生なーー
胸中呟き、アルトは慰霊碑に手を合わせた。数秒間の黙祷と、新たな決意を胸に目を開けた。そして、花を供えた人物の正体に気づいた時から、ずっと感じる気配の方へ、そっと振り返ってみた。
木々が立ち並び、風に吹かれて枝が揺れる。その中で、一本の太い枝に座り、遠くからこちらを見つめている黒髪の青年がいた。気づかれないよう遠く、そして高所から見下ろす青年――その隣で、アルトには、彼に寄り添うもう一つの人影が居るように見えた。
長い栗色の髪をサイドポニーにして纏め、かつての料理店の制服を着ているその少女。驚きに瞬きを一つ、その時には跡形もなく人影は消えていた。
――例え今のが幻覚だとしても。そしてどれだけ時が経とうとも。寄り添い合っていた二人の姿を、アルトは生涯忘れることはないだろう。
遠くの青年が、優しく微笑んだ。すると、脳裏に彼の声が響いてくる。
――ありがとう。さようなら――
頭に声が響くというのは初めての経験だったが。今のアルトには、そんなことはどうでも良かった。おそらく理を通しての念話だろう。だからこそ、耳を通して聞くよりも、鮮明に聞こえ――心を打った。
「…………」
アルトは何も答えない。念話で返そうにも、方法を知らない。だからただ、コクンを頷いて見せた。
「……お父さん、泣いてるの?」
ようやく機嫌を直してくれたらしいユリアが、彼に近づくなり驚きを露わにさせて問いかけた。娘に指摘されて、はじめて涙を零していることに気がつくアルト。目元に手をやり、指に付いた水滴を悲しそうな瞳で眺め――ふっと笑みを溢す。
父親のことを心配そうに見上げる娘の頭に手を置き、彼は笑顔を浮かべたまま、
「何でもない、少し眠くてなぁ。何だ、心配してくれるのか?」
「べ、別にそういうわけじゃなくて……」
「そっかそっかー。ユリアちゃんはパパのことを心配してくれているのかぁ~。嬉しいなぁ~」
「…………お父さん、うざい」
醒めた目つきで、くだらない物を見るような冷たい目を向けられ、さらにぽつりと呟いた一言は、父親の胸を刺し――いや、むしろ貫通する。
「……サヤ。俺、立ち直れない」
「自業自得でしょ……」
「……多分ユリアは、そのうちお前さんと歩かなくなるだろうな……」
妻からは、呆れ果てたようにため息をつかれる。義弟からは、嫌すぎる未来を予見される。
娘はツンッとして父親からそっぽ向き、息子はそんな姉を見て苦笑いを浮かべるのみ。
遠くに居る青年は、慰霊碑の前にいる一家を微笑ましそうに見守っている。――その傍らで、誰も認識出来ない一人の少女が、笑顔を浮かべながら見守っていた。
ようやくここまで来ることが出来ました……。
長かった、とても長かったように感じます。
精霊の担い手自体はまだ続きますが、とりあえず「トレイドの物語」はここで終わりとなります。……いえ、まだまだ登場人物として、キーパーソンとして、活躍して貰いますが笑
ただ、彼を主人公とした物語が終わった、と言うことですね。現に二年時編が始まってから、「もう一人の主人公」として、時にはタクト以上に主人公やっているんじゃねぇかと天剣自身突っ込んだり。
彼は私の処女作の主人公を原型としているキャラです。もちろんこの作品に会わせて色々と変わっているところはありますが、変わっていないところは何一つ変えていません(天然など
そういった経緯もあり、彼は天剣の中でもかなり思い入れが深く、付き合いの長い人でもあります。そんな彼の「物語」を、ひとまず終わらせることが出来てホッとしつつも、どこか感慨深く、また寂しくもあります。
……ここだけ読むと、まるで完結した作品の後書きみたいですね(滝汗
先にも言ったとおり、トレイドはまだまだ活躍して貰いますし、もちろん本当の主人公であるタクト、彼の友人達であり仲間でもあるマモルやレナ、アイギットにコルダ。常に一緒にいる精霊コウや、新しい相棒(相剣?)クサナギ。頼れる先生方等々、彼らの活躍に天剣自身も楽しみにしています(?)
これからの彼らの活躍に期待して下さい!