第14話 深淵の闇~3~
自身の体から溢れ出す黒い泡ーーダークネスの欠片を見て、タクトは表情をしかめた。ーー時間切れだ。
いや、おそらくダークネスに喉を鷲掴みにされているからだろう。ダークネスが直接触っているために、中にある欠片が封じの力を破り、溢れ出したのだ。
タクトの体から溢れ出した欠片は、ゆっくりとしたスピードで鎧を作り上げていき、鎧に覆われていく面積が増えていくごとに、タクトの意識は朦朧としていく。
ーー………っ
頭が真っ白に染まっていく。思考が定まらない。首を絞められているというのに、苦しみを感じない。”あの風景”は、もう見えなくなっていた。
次第に意識が薄れ、黒騎士の鎧に包まれていくタクトを見ながら、ダークネスは綻び、首を絞める力を弱めた。その次の瞬間、足下から何かが光り、飛び上がってきた。
『っ!?』
それに気づくも、躱すことが出来ず。気がついたらタクトを捕まえていた右腕がすっぱりと切り裂かれていた。右腕ごと地面にドサリと落ちるタクトには目もくれず、ダークネスは腕を切り裂いた光を忌々しげに睨み付ける。
『……貴様……っ』
宙に浮かぶそれーータクトが捕まったとき、その手から落としてしまったクサナギーーは、刀身から神々しい光を放ち、その光をほんの一瞬強めた。
『くっ……!』
神剣が放つ光は、どうやら特殊な力を宿していたようで、ダークネスの動きを一瞬止めた。だが、それも光を放った瞬間の出来事であり、すぐに光が途切れ、その効力を失ってしまう。
しかしーーその光は、タクトの体を覆いつつあった黒騎士の鎧の進行を押しとどめた。どうやらそちらが主目的だったようだ。自分は、その余波を浴びただけ。
主に力を貸すどころか、主を手助けしようとしていた。そんな神に、ダークネスは苛立ちを覚えた。そんな神など、居る必要はないと。
『どこまでも、我の邪魔をするか!』
人の子を助けようとする神剣に向かって、左手で持っていた漆黒の大剣を振り下ろそうとしーー
「がぁぁぁぁっ!!」
『っ!?』
ーー獣のような叫び声と共に、自らに向かって猛スピードで突っ込んできた黒い何かが大剣を弾いた。ダークネスは邪魔だと言わんばかりに顔をしかめるも、邪魔をした存在に気づき、目を見開く。
『トレイド……貴様、まだ動けたか』
「……ぐっ……るううぅぅぅ……」
ダークネスの呼びかけに、飛び込んできたトレイドは獣のようなうなり声で返す。彼の姿は、もう大半が黒騎士の鎧に覆われていた。すでに左半身は完全に黒騎士の鎧で覆い尽くされ、胴体部分は完全に鎧姿だ。
まだ残っているのは、右足の一部分と右腕の肩から手首にかけてだ。手首から先、右手の部分はすでに立派なかぎ爪で覆われている。
さらに、彼が持つ証。もとは細身の長剣だったそれは、今や漆黒の大剣へと姿を変えていた。証が姿を変えることはない。姿を変えるとしたら、それはーーその人物の本質が、完全に変わったと言うことを表している。つまり彼はもうダークネスの欠片に飲み込まれてしまっていた。
だがまだ完全に鎧に覆われたわけではなく、顔の右半分、目の周りだけはヘイムに覆われていなかった。口元は完全に隠れてしまっているが、覆われていないそこから映る彼の黒目は、辛うじて意識を保っている色があった。
「ぐぅ………っ」
ダークネスはその色を見逃さなかった。しかし、もうろくにしゃべれない彼を見て、もう長くないと悟る。
『だが、もう限界のようだな。そこで、この少年が死ぬ様を見るがいい。そして絶望し、怒り、嘆きーー我が欠片に飲まれるがいい』
「っ!? があぁぁぁぁっ!!」
大剣を、いつの間にか再生していた右腕で逆手に持ち替え、切っ先を倒れたままのタクトへと向けた。欠片に飲み込まれかけているトレイドは、タクトを突き刺そうとする大剣を見て再び突撃しようとし。
「がっ!?」
しかし、そこでがくんと膝を突く。ガタガタと動こうと体が震えているも、動けない様子である。ーー鎧が拘束具となり、彼の動きを封じていたのだ。
急に跪いたトレイドを一瞥し、ダークネスはふんっと勝ち誇ったように鼻で笑い、地面に横たわるタクトへと視線を向けた。ーーその傍らで、相変わらず神剣が光を放ち、彼の欠片を封じ込めている。そのせいで、彼を覆っていた黒騎士の鎧は全て消え去っている。
ーーしかし、一度黒騎士になりかけたのだ。トレイドのような並外れた精神力を持っていれば意識があったかも知れないが、横たわる彼を見る限り完全に気絶していた。
最も、そのトレイドでさえ、意識があるとは言いがたい。あれはもはや、”執念”で動いていると言っても過言ではなかった。その証拠に、彼の動きを封じているはずが、無理矢理動こうともがいている。下手をしたらーー封じを破られるかも知れない。
『……おそろしい奴め。だが、もう……』
横たわる少年の真上で、大剣を握る力を弱めた。このまま柄から手を離せば、大剣の重量で少年を殺すことが出来るだろう。そう、後はこのままーー
『ーーその慢心が、主を殺す』
『なーー』
突如、光を放っていた長剣が語った、次の瞬間。
『ーーに……?』
ーーもう一度、右腕を切り落とされていた。今度は先程のように、神剣が勝手に動いたのではない。いや、そもそも右腕を切り落としたのは、神剣ではない。先程から同じ位置で、今もずっと光を放っている。
『ーーーー』
ダークネスは、自らの右腕を切り落としたそれを見た。白銀に輝く細身の曲刀。おそらく、神剣の加護を受けているのだろう。そうでなくば、神に連なるこの身に傷を負わせるなど出来るはずがない。
欠片を通して、地球をしっているダークネスは、その剣ーーいや、”刀”を見てピンと来た。彼が、タクトが手にしている刀は日本刀だと。そして、日本刀はーー彼の、”証”であった。
だがその証は、いつもの彼の証ではなかった。新しく柄頭から二本の飾り紐が伸び、刀の動きに合わせて激しく動き、揺れている。この飾り紐が新しく追加されていた。
たった二本の飾り紐とはいえ、変化は変化。そして証の変化は、本人の本質の変化を表している。つまりタクトはーーダークネスの欠片を宿し、精霊使いの力を失った日々を得て、何かが変わったと言うことを如実に表していたのだ。
切り落とした右腕が地面に落ち、握られていた大剣は、跪いた状態から刀を振り抜いた彼のすぐ側に突き刺さる。
(……久しぶりに目が覚めたと思ったら、いきなり厄介な状況になっているようだな、タクト)
ーー久しぶりの、脳裏に響くその声に。起き上がりつつダークネスの右腕を斬ったタクトは、ニヤリと笑みを浮かべる。
(おはよう、”コウ”。……おかえり)
(あぁ。ただいま)
彼の精霊である、不死鳥のコウが目を覚ました。同時に、タクトの左掌に刻まれていた精霊使いを表す文様。力を失ってから薄くなっていた文様が、くっきりと分かるほどに濃くなった。
桐生タクト。この時をもって、彼は精霊使いとして復帰した。同時に、体を覆っていた黒騎士の鎧は全て消えている。
「ーー……?」
久しぶりに握った日本刀型の証を構えーー柄頭から伸びる二本の飾り紐を見て首を傾げるも、すぐに視線をダークネスへと向けた。
「第3ラウンド……開始と行きましょうか!」
『貴様……図に乗るな、人の子がぁ!!』
普段とは違う、やや強気な言葉をダークネスに向ける。ダークネスも、強気な言葉を挑発と受け取り、再び再生させて生やした右腕で黒い大剣を掴むなり、猛烈な勢いで振り上げた。
~~~~~
ーー荒れ果てた荒野を照らす、雲の隙間からこぼれ落ちてくる太陽の光は、もうない。代わりに、真っ黒と言っても過言ではない曇天雲が空を覆い尽くしている。
荒野にそびえ立つ、枯れた一本の大樹。そのすぐ傍らで、倒れ込んだ少年と、彼を見守る一人の青年、そして銀の光を放つ和服を着た子人がいた。
『ーーここは……。そうか、タクトの心象風景か……』
少年のすぐ側で宙に佇む銀の子人は、不意に辺りをキョロキョロ見渡し、ここがどこかを把握すると納得したように頷いた。その間も、前に差し出した両手は倒れ込んだ少年に向けられている。
倒れ込んだ少年の体は、大部分が黒く汚れており、子人の放つ銀の光がその汚れを祓い、浄化していく。本来浄化というのは集中しなければならないことなのだが、しかし子人はいとも容易く行っている。
『お主が私を……いや、”我々”を引き込んだのか?』
『……そうだよ、クサナギ』
少年の体を汚す黒い穢れを祓いながら、子人ーークサナギは傍らにいる青年へと視線を移した。ーー彼の中にいるということは知っていたのだが、こうして面をあわせるのも、会話をするのも初めてだ。
”彼”はタクトの心象風景ーー言わば心の中にしか居ない。その意味では二重人格ととらわれかねないが、”彼”は違う。”彼”は言わば、魂に宿った残留思念のような物だ。
”彼”と同じ魂を持ったタクトだからこそ、心象風景の中に”彼”がいる。そう、”彼”はーー
『私がタクトと、タクトと繋がりのある君をこちら側に引っ張ってきたんだ。……君たちに、伝えなければならないことがあるからね』
もっとも、タクトは寝ているけど、と苦笑いを浮かべる”彼”。しかし、その”彼”は、辺りが暗く、仄かに光っているために分かりづらいがーーあきらかに、”薄くなっている”。目を凝らせば、彼を通して向こう側の景色が見えそうだった。
『……お主』
『そんな目をしないで、クサナギ。どのみち、私は居なくなる運命だったんだから』
ーーそう。”彼”は残留思念、辛うじて残った意識体だ。その意識体も、ダークネスの欠片を押さえるために力を使いすぎて、今はもう消えかけている状態であった。
消えそうな状態にあると言うのに、あくまで穏やかに微笑みを浮かべている。
『……クサナギ、お願いがある。……”彼女”を、お願い』
そう言って、”彼”は手を伸ばしてきた。伸ばした掌の上には、ダークネスの欠片があった。その欠片を見て、流石のクサナギも若干嫌そうな顔をし、
『……破壊してもかまわないか?』
『駄目、絶対駄目。……これは、”彼女”なんだよ?』
『彼女? この欠片がか?』
ーー消えかけているからこそ、気が触れたのか? 本気でそう思い、タクトの浄化を続けながらも”彼”と距離を開けようとするクサナギ。そんな彼に、そういう意味じゃないと首を振って、
『これは、”トレイドの彼女”。これで……トレイドを救ってやってくれ……いや、彼女に、救わせてやってくれ』
『………』
トレイドの彼女ーーその言葉を聞いたクサナギは、眉をひそめながらも再度欠片を見てーーその奥にある気配を感じ取り、全てを悟った。そういうことか、と。
クサナギも、トレイドの過去を知っている。だからか、出来うるならば”彼女”の力になろうと思ったのだ。
『……愛する男を救うために、理の力となって欠片に流れ込んだ、か。……人の愛という物は、恐ろしくも、美しいものだな』
”彼”から受け取った欠片ーー直接持たずに、念力によって浮かせながらーーを見ながら、クサナギは遠い目をしてそう呟く。このクサナギも、色々とあったのだろう。そう思うも、今は彼の事情を聞いている暇はない。故に”彼”は、にこやかに笑みを浮かべて、
『君がここから持ち出せば、もうタクトの中にダークネスはいなくなる。……彼の力も、復活するさ』
『……そうか。それは朗報だ。いい加減、タクトの子守も面倒になってきたからな』
口ではそう言いつつも、ほんの一瞬、寂しそうな顔を浮かべたのを”彼”は見逃さない。しかし、それを指摘することはなく、ただ仄かに微笑みを浮かべて、
『……私は、少し感慨深いな。こんなにも未熟だった彼が、前へと進むきっかけを得られた。……彼はもう、大丈夫だ』
一人横たわるタクトを見下ろす”彼”。タクトの体を覆っていた黒い汚れは、根源がクサナギの手に渡ったためか、綺麗に消えていた。一体いつの間に、と言いたくなるほどの速さだった。先程までは、クサナギの力でも進行を留めるのが精一杯だったというのに。
ーーそれはきっと、”この世界”のおかげだろう。心象風景ーーまたは、心象世界と呼ばれる、この世界。人間が一人一人持つ、心の世界。その世界は、その人物の本質や性格、性質などを表した世界があり、そして同じように、通常では考えられない法則を持っている。
タクトの心象世界は、ダークネスの影響により大きく歪められてしまったが、もう元に戻ろうとしていた。その証拠に、分厚く覆っていた曇天は空を流れていく。雲と雲の隙間から太陽の光が差し込んでいく。
以前、ダークネスとの戦いが始まる前の心象世界がこれだった。曇天が漂う中、その隙間から陽光が荒野に差し込む世界。しかし、曇天は薄く、遠くへ流れていく。
『……晴れるのか?』
『ここは元々、晴れしかない所だったからね。……さて、もう時間だ』
空の様子を見ていたクサナギの呟きに”彼”は答え、パチンと指を鳴らした。すると、クサナギとその傍らにあるダークネスの欠片、そして横たわるタクトの体がふわりと宙に浮く。
差し込む光は、すでに荒野全体を覆っていた。空を見上げると、そこはもう別世界のように雲はなく、太陽の光が春の陽気のように暖かかった。
『……お主』
『……私も、ダークネスのを押さえるのに力を使いすぎた。……だから、思っていたより早かったけど、タクトに託すことにするよ』
ーー心象世界は変わっていこうとしていた。その代償に、眼下にいる青年がーー”先人”が消えようとしていた。それも仕方のないことなのかも知れない。
”彼”はとある人物の残留思念。実態のない霊体に近い彼がその力を使いすぎれば、消えてしまうのは当然のことだった。それにーー”祖先”がいつまでも”子孫”の中にいてもーー
『それから、君にも。クサナギ、タクトの力になってあげて欲しい。そしたら、もしかしたらーー”僕”とは違う結末を迎えるかも知れない』
”私”から”僕”。急に変わった一人称に、上昇を続けていたクサナギは目を見開く。すでにクサナギの目からは、”彼”の姿は見えにくい物に変わっていた。それは、この心象世界から脱出する事を表している。
『……子守は面倒だが、まぁ、どうしてもと言うのならば、力になろう』
『素直じゃないねぇ』
素直に分かったと認めるのが癪なのだろう。クサナギはぶっきらぼうに了承し、そんな銀の子人に”彼”は苦笑いのみ。
『君はタクトのことを子供の頃から見守ってきたんだろう? なら、その延長上だと思ってさ。……どのみち、君の年齢だとアキラでさえ子供にしか見えないんだろうけど』
『……年齢についてとやかく言われる筋合いはない。お主も似たようなものだろうが』
お互いに軽口を叩きつつも、クサナギは自らの意識が”本当の体”に戻っていくのを自覚していた。もう、”彼”と会話を交わすことはないだろう。
この邂逅が初めてだったが、”彼”がタクトの中にいること、そして自らの境遇に近しい人物であると言うことを知っていたため、いつかは話をしてみたいと密かに思っていた。それが叶っただけでも満足だ。ーー”彼”も、クサナギも。
心象世界のクサナギが消えると同時に、彼の意識が体にーー剣に戻った。こうして二人は、別れを告げることもなく、自然と離ればなれになった。
『……これからも、よろしく頼むよ』
”彼”は、クサナギとダークネスの欠片、そして横たわったままのタクトが消えたその場所を見続けながらそう呟き、自分の手をかざした。ーーもう、手の向こうにある枯れた桜の木がはっきりとわかる。
『……私も、もう最後か。…………タクト』
脳裏に浮かぶのは、在りし日の出来事。父と母、弟。共に肩を並べ、背中を会わせた六人の仲間達。数度しか顔を合わせていない、しかしよく知った少年の顔。
そしてーー最後に脳裏によぎったのは、何の変哲もない、質素な長剣。唯一語る部分と言えば、柄頭から伸びる二本の飾り紐のみ。かつて自らが握りしめた愛剣を思い出した。
”彼”が歩き出す。手をかざした桜の木ーーその表面に触れた瞬間、心象風景の上空に、僅かに残っていた雲が完全に消え去り、美しく、そして清々しいまでの青空を映し出す。真上にある太陽は暖かな陽光となって大地を照らし、桜の木を中心に、荒野を一瞬にして草原へと変えていく。
ーー風が吹く。その風に煽られ、ひらひらと美しい、薄いピンクの花びらを散らしていく。その花びらは、見る物が見れば一目でわかるだろう。ーー桜、と。
枯れていたはずの桜の大樹は、満開に咲き誇っていた。
草原、青空、陽光、風、そして桜ーーそれら全てが調和をもたらし、一枚の絵のように美しい光景が広がっている。これがタクトの、本来の心象世界。心の世界だ。
そして。桜の大樹に手をかざした”彼”は、もうそこにいない。彼は最後に、世界を元に戻して、消えていったのだった。
ーー後は、まかせたよ。……我が子孫、私の、〇〇れ〇〇りーー
風に乗って、どこからともなく、そんな声が響き渡った。