第12話 語られるべき時~5~
意識を心象世界から現実世界に戻したタクトは、クサナギの言及をかわしながら昼食を取るために宿の下の階へと降りていた。
「もうお昼なんだ。……なんか、ついさっき朝ご飯を食べた気がするんだけど」
『それはお前、寝ていたからだろうに……』
やや跳ね気味の髪を気にしながら下の階に降りてきたタクトの呟きに、腰に吊ったクサナギが呆れたように返した。
毛が細く、手触りが良い(レナ談)彼の髪は、珍しいことに所々跳ねており、煩わしそうにその部分を弄っていたタクトは、やがて諦めたかのように一つに束ね、青い髪紐で結ぶ。いつもよりもやや乱雑だが、跳ねている分仕方がない。
うなじの部分で髪を纏めた後、彼は下の階にある食堂で何を食べようか考えーーそこで、あることを閃いた。思い出したのは、以前の記憶感応で見た、あの場所。
「……」
『……?』
無言のまま食堂を、そして宿を出たタクトに対し、クサナギは首を傾げる思いだった。何故宿を出たのか彼に問いただしたかったが、ここでは人の目があることを思い踏みとどまったのだ。
外に出た彼は辺りをキョロキョロ見渡して目的地へと歩き始める。
この世界に広く伝わっている魔法の名前は、フィーリグという。そのため精霊使いが扱うあコベラ式にならい、トレイドはフィーリグ式と呼んでいる。何でも、かつてその名をした賢者が生み出した魔法なのだそうだ。
このフィーリグ式は、魔法石と呼ばれる、魔力を宿した石をもって発動される。そのため、魔法石を持ち、魔法を扱う知識があれば誰でも魔法を行使できるという特性がある。原理としては、ポータルと非常によく似ている。
そのため、精霊使いが扱うコベラ式のように、「精霊使いしか行使できない」ということがないのだ。その特性にタクトは少し興味を抱いている。
タクトは不反応症ーー精霊使いなら行使できるはずのコベラ式の魔法が、彼は使うことが出来ないのだ。そのことに対する劣等感を抱いていたのは遠い昔のことのように思え、もうすでに踏ん切りがついていたと思っていたのだが。なかなかどうして、無意識というのは恐ろしいものだ。
ともあれ、フィーリグ式の魔法を扱うには魔法石が必要である。この国ディアヌーンは、その魔法石の採掘量が世界一の国で有り、そして今いるこの街アウストラは、ディアヌーンの首都だ。
豊かな国の、豊かな街である。周りに乱立する建物の全てが凝った外装をしており、豊かさを象徴するがごとく、洒落たデザインが多い。住宅の多くが石造りーー魔法石の採掘所があるのだから、石や鉄の量も多いのだろう。
だが、その中にちらほらと木造の建物があり、木造の建物に限って地味な外見ーーおそらく、建てられてからそこそこの年数が経っているのだろう。古い建物はほぼ全て、木造であった。
(……何で古いものは木造なんだろう?)
叔父からの教えである。見知らぬ世界に来てしまったときは、食文化か建築文化を見ろ、と。それで大抵その世界の文化の輪郭は見えてくるはずだ、と。この二つの文化は、その世界の文化と切り離せない関係にあるのだ。
食文化においては、この世界に来る道中トレイドの手作り料理を食べていたりしたので、大抵の察しがついている。彼が作った郷土料理は基本的にスタミナがつくもの。魔法石の採掘が多いと言うことだから、おそらく重労働が多いのだろう。
だが建築物においてはーー石造りの建物は新しいが、古いものはない。代わりに木造建築は、新しいものはなく、古い建物しかなかった。
まだ街全体の建物を見たわけではないので断言は出来ないがーー以前は、木造建築が主流だったのだろうか?
『ーー大火事があったんだ』
首を傾げるタクトだが、そこでトレイドの言葉を思い出した。火事があったーーどのぐらいの規模の火事かは言っていなかったが、しかし大勢の人が死んだ言うからには、大火事の類いだったのだろう。その頃は木造建築が多くて、それ以降は石造りに変化したのだろうか。
アウストラの近くに森があったので、わざわざ重い石を街まで運ばずに、森から取れる木を使っていたのだろう。それが火事の影響で一気に変化したのか。
トレイドの話は、だいたい十年ぐらい前の話だ。ということは、時期的にもだいたいその辺りだろう。ここ十年で建築文化は大きく変化したようだ。
ーー等々、タクトなりの文化考察をある程度終えた後、彼は目的の場所までやってきていた。
目的の場所であるその”店”は木造である。つまりタクトの推測通りなのだとしたら、この店が建てられてから最低でも十年単位の時間が経っている。ーーだが、外観からは十年の歳月はあまり感じられない。それほど、大事に扱われてきている証拠なのだろう。
それに、”築十二、三年”では、外観に驚くほどの変化はないはずだ。
タクトが訪れたのは、記憶感応を頼りに訪れたある店。看板は掲げられておらず、ドアに「開業中」の札が括り付けられているだけだ。これだけでは、どんな店かは分からないがーー
(……? 何の店だ)
「………」
クサナギの呟きが、脳裏に響き渡る。だが、その思念にタクトは答えず、意を決して扉を開けようと手を伸ばしーー
「ーーじゃあ叔父さん、行ってくるぜっ!?」
「あだっ!」
ーーその前に、元気の良い声と共に札が括り付けられたドアがバンッと勢いよく開き、タクトは扉の直撃を受けた。額をドアに思いっきりぶつけられ、思わず仰け反るタクトは驚きと痛みに少し後ずさる。
「ん? あーーワリィワリィ……えっと……お姉さん?」
「………」
ドアの勢いよく開けた赤髪の少年は、額を押さえているタクトを見るなり、ドアの手応えの正体に思い至ったのか、軽いノリで謝罪をしーータクトの顔を見るなり、首を傾げた。
ーー人様をドアで殴りつけた上に、お姉さん呼ばわりとは良い度胸だね、少年。タクトはにっこりと笑みを浮かべて怒りを隠すも、良いさ良いさ、どうせお姉さんにしか見えないさーと、諦めも入っていた。怒り半分、諦め半分の心情を悟られまいとするように、
「あのね、ぼ……俺、一応お兄さんなんだけどな?」
「へー、女にしか見えないや!」
(ぶっ! クックックッ……!)
赤髪の少年の、悪意がない正直な言葉に、タクトは胸を突撃槍で突き刺されたような感覚を覚えた。正直、泣きたい。そしてクサナギ、後で覚えておけ。
それにしてもこの少年、赤毛も含めてどこかで見覚えがあるような。軽い既視感を覚えた彼だが、その答えはすぐに出た。
「何して……あ、すいません」
タクトがそんなことを思っていると、店の中からこちらの様子を尋ねる声がした。その声を聞き、タクトははっと目を見開く。
「………」
そこにいたのは、三十手前と行った年上の男性である。白い服に同色のエプロンを着ており、見た目穏やかな料理人といった感じだ。短く刈り込んだ赤毛に、そして何よりも特徴的なのは、その顔立ち。
彼は、タクトが記憶感応で見たとある人物の、”十年後”の姿と言っても差し支えないほどに、面影を残したまま成長していた。
(……この人が、ライさん)
トレイドの幼馴染みにして親友。共に苦楽をともにしてきた、家族とも呼べる存在。
ライはじっとこちらを見てくるタクトに気づいたのか、にっこりと微笑みながら、
「どうしたんだい?」
「あ、その……ここの食堂の評判を聞いて、興味を持ったんです」
問われ、タクトは本当のことを織り交ぜながら答えた。料理があれほどうまいトレイドの、師匠的な存在の店に興味を持ったのは本当、食堂の評判については、正直聞いていないためわからない。
だが、評判が良いのは事実だろう。ドアの向こう側に、たくさんの人の気配がして、食器がカチャカチャ鳴る音が響いている。そのためか、タクトの答えにライは嬉しそうな笑みを見せて、
「君、ここに来るのは初めてだね? 看板を掲げていないから、わからない観光客も多いんだ」
「だぜ、兄ちゃん! 兄ちゃんはホント運が良いよ!」
と、先程の十歳前後の少年が二カッと笑い、対するライはそんな少年に呆れたようにため息をつき、
「ほら、友達の所に行くんだろ? 行ってくると良いよ」
「おう! じゃね叔父さん、晩ご飯よろしくなー」
ライのことを叔父と呼んだ少年は、びしっと挨拶を一つするとタクトにも一瞥し、そのまま駆け出していった。
「ははっ……すみません、腕白なもので……」
あっという間に姿が見えなくなった少年を、二人は見送った後、ライは申し訳なさそうに苦笑いを浮かべて頭を下げた。それに対しタクトも、(全くではないが)気にしてないので大丈夫だと答えた。ーー気にしたのは、性別を間違えられた件である。
「いえ、大丈夫です。……甥っ子さん、ですか?」
言いたいことを飲み込み、タクトも苦笑を浮かべながらそう尋ねた。するとライは頷いて、
「えぇ。私の、姉の子……双子なんですけどね、その弟になります」
「へぇ……ちなみに、お名前は?」
タクトが何気なしに聞くと、ライはよく聞いてくれた、とばかりに笑顔を浮かべた。ーー以外と、子煩悩なのかも知れない。いや、この場合は甥煩悩か、ともかく彼の様子に苦笑を浮かべーー
ーータクトの苦笑は、一瞬にして驚きへと変わった。
「あの子の名前は、”トレイド”と言います」
~~~~~
街を外れ、誰も来ないような辺鄙な場所。そこに今、黒髪の青年が花束を片手に歩いていた。言わずもがな、トレイドである。
彼の表情からは感情が見られないーーいや、無理に感情を押し込めたかのような無表情、と言うのが正しいのだろうか。見た目は完全に無表情なのだが、だからこそ、うちに秘めた激情が垣間見られる。
「…………」
やがてたどり着いたその場所は、廃墟がひっそりと佇んでいる。この場所にあった建物の名残を感じさせるそれを見て、彼は僅かに息を呑む。そしてゆっくりと表情を緩めて、そこに持っていた花束を置いた。
花束を置いた場所。廃墟の前には小さな石碑が建てられていた。表面にはこう書かれている。
”欲望にまみれた愚者はおらず。天よ、哀れな子供達に安らかな眠りを与えたまえ”
”そして、愚者を殺めし正義の義賊に、最大の恩赦を”
「…………」
石碑ーーいや、慰霊碑に刻まれた文字を指でなぞり、トレイドは感情を映さない瞳で見やり。そっと息を吐き出した。どうやら刻まれた文字を読んでいる間、ずっと息を止めていたらしい。その事実に気づき、彼は苦笑をーーようやく、感情を露わにさせた。
「……ごめんな。みんな、俺のせいで死んじまったんだもんな……。……俺が、殺したようなものだよな……」
しかし、露わにさせた苦笑はすぐに後悔に代わり、自分に対する憎しみへと変わる。
ーー俺が精霊使いになったばっかりに。
ーー俺が盗賊という盗みを働くようになったばっかりに。
ーー俺が孤児院にいたばっかりに。
次々と現れる後悔は、己の心を傷つけるのには十分だった。今彼がいるこの場所がーー慰霊碑が建つこの場所こそ、かつてトレイドとライ、サヤがいた孤児院があった場所であり、たくさんの子供達がいた場所であり、トレイドにとって、愛する人を失った場所でもある。
最初は孤児院を救いたい、助けたいという善意からだった。だから、親友であるライや、サヤと一緒に行動を起こしたし、ユリアやあの人のように協力してくれる人もいた。
それでも足りないーーそう思ったとき、トレイドはなら自分の力が役に立つのではないかと思いついた。そして行ったのは、盗みだったのだ。
だが、決して貧しい所からーー自分が助けたいと思った所から盗むことはしなかった。そして豪邸でも、”真っ当な商売”で儲けたところからは絶対に手を出さなかった。彼が手を出したのは、非道な手法で金銭を集めていたところからのみであったのだ。
当時から、盗みという悪行を犯している自覚があった。ーーだからこそ、最後の一線は守ろうと決めていたのだ。すなわち、”貧しいもの、真っ当なものから奪わず”、そして”殺さず”。盗賊になると決めた晩、絶対に守ると決めた二つの誓いだ。
この一線を越えたら、自分は本当の意味での悪逆非道の盗賊。そう自身に戒めていたのだ。
客観的に見ると、彼は本当に義賊の鏡とも言うべき存在であった。行いもそうだが、自らに貸した誓いも、それを守ろうとする誇り高さも。
だが、盗みは盗み。どれだけ誇り高い近いがあろうとも、悪行は悪行であり、当然、罰が下される。
彼の行いに対する罰は、皮肉なことに彼自身にではなく、彼の周りーー守りたいと思っていた孤児院に、そして彼が愛した女性に降りかかったのだ。
彼は目の前で、子供達が殺される様を、愛した人が自分を庇って殺されるその瞬間を、見させられる羽目になったのであった。
ぐっと息を呑み、彼は慰霊碑に刻まれた文字を見やった。
”愚者を殺めた正義の義賊に、最大の恩赦を”
「……何が正義だ。……人を殺した時点で、正義もないだろう……」
力なく、脱力したように呟いて、彼は跪き、その小さな慰霊碑に触れた。
愚者を殺めたーーそう、トレイドは手にかけたのだ。怒りに身を任せ、傭兵を雇い、孤児院に襲撃をかけるように命じた愚者を。
自分が立てた誓いを破ったというのに、何も知らない民衆の自分勝手な物言いにトレイドは怒りを覚え、慰霊碑に触れた手に力を込める。ーーほんの微かに、慰霊碑から軋むような音が聞こえた。
(……怒るのは自由だが。それから手を離せ、馬鹿者。それは、子供達や、ユリアの墓でもあるんだぞ)
「っ」
そのまま力任せに石碑を壊そうとするトレイドを見かねてか、彼の精霊であるザイは宥めるような口調で諭し、ぎりぎりで思い留まった。ザイの言葉ーーいや、罵倒は続く。
(当初の目的を見失うな。……手を合わせに来たのだろう?)
「……そうだな。悪い」
(詫びるのは私ではなかろう)
トレイドは苦笑を浮かべ、怒りを飲み込んだ。複雑な思いはあるものの、その思いをいったん全て捨て、彼は石碑に向かって手を合わせた。そして目をつむり、黙祷する。
ーーこの文面にあるとおり。どうか、安らかに眠ってくれーー
ーー今から十二年ほど前のことです。この街に大きな火事が起こりました。火事は様々なものを焼き尽くし、あたりを焼け野原としてしまいました。
それでも、この地に生きる人々は必死に生きようと手を取り合い、協力してこの街を復興させていったのです。
しかしーー欲にかられた愚か者は、必死に生きようとしていた人たちから搾取を始めたのでした。
愚か者、愚者は商人でした。彼は火事によって寄りべを失った者たちや貧しい人たちから、売買という行為を介して、彼らから金銭を巻き上げていったのです。
その行為を見逃せないとして、一人の少年が立ち上がりました。狼を携えた少年は、愚者のお屋敷に何度も忍び込み、溜め込んだ金銀を奪い、貧しい人々に分け与えていったのです。私たちは彼のことを、義賊と呼び、たたえました。
義賊にも、助けたい、そして守りたいと想っていた物がありました。貧しい人達はもちろん、義賊が育った孤児院もその一つです。ですがーー愚者は、彼が守りたいと思っていたものに手をかけてしまいました。孤児院を焼き払ったのです。
その行いが、義賊の怒りに触れ、義賊はその愚者を殺めてしまいました。
その後、義賊は自らその命を絶ったとされています。
義賊は決して、盗賊として兵に剣を突きつけられても、兵に囲まれても、彼らを殺めることはしませんでした。義賊が人を殺めたのは、この愚者が初めてでした。
故に、私たちは思うのです。彼は、とても優しい人だったのではないか、と。だから、愚者を殺めた後、自らの命を絶ったと伝えられているのです。