第11話 歩みを進める二人の剣士~7~
ーーふと目を開けた先には、荒野が広がっていた。
火事でも起こったのか、広がる荒野にはうっすらと焼け跡がある。頭上にある分厚い雲は日の光を遮り、暗く滅びに満ちた空間であった。
「……へ?」
その光景に、ぽかんと口を半開きにして困ったように呟いた少年、桐生タクトは呆然と辺りを見渡す。それもそのはず、いきなりこんな場所で目を覚まして、驚きを露わにしない人がいるだろうか。
何故こんな所にいるのだろうか。彼は寝っ転がっていた荒野から起き上がり、左右を見渡して目を開ける前のことを思い出す。
確か、マモル達がやってきて、今までの話とか、これからのこととかを久しぶりに話してーーそれで、どうなったんだっけ?
そうだ、軽い眠気を感じて少し目を閉じたんだ。それで眠ったのだろうか。ということは、ここはーーいや、これはーー
「……夢? だとしても……」
ーーずいぶんリアルな夢だな、という感想は口元まで上がり、そこで止まった。見ているこの光景ーー風景に、激しく見覚えがあったからだ。まさか、そんな思いとともに後ろを振り返り、ひっそりと佇む枯れた木を見て、予感が的中したことを悟る。
「……心象風景」
心象風景ーー自分の、心の世界。そこに、今自分はいる。そう、眼前に広がる荒野が。分厚い雲が。流れる空気が。そしてなによりも、痛々しいほどに枯れ果てた桜の木を見て、痛感させられた。
「……はは」
それにしても、何とも痛々しい世界である。まるで戦争にでも遭い、滅んだ国のような世界であった。
これまでに滅んだ世界を見た。だが眼前に広がるこの荒野は、その時見たものよりも遙かにひどい。土の賢者と会ったあの世界は、滅んではいたがどこか儚く、自然の雄大さを物語っていた。
先程までいた遺跡も同様であり、過去の人間の存在を伝えつつも、自然の大きさに飲み込まれそうになっていた遺跡には、圧倒的な存在感があった。
なのに、である。滅んだ世界でさえ、目を見張るほどの”力”を感じさせてくれるというのに、この風景にはそれがない。つい先程、ここは滅んでしまったーーこの世界を評するとすれば、それしかないだろう。
「………」
『だとしても、諦めちゃ駄目だ。そう誓ったんでしょ?』
枯れ果てた桜の木を何となく見ていた彼の耳に、聞き覚えのある声が響いてくる。この声は、自分の心にいる”あの人”であり、そして自分にとってのーー
「……貴方ですか。僕をここに呼んだのも?」
『黄昏れている少年を励ますためにね。そして、今この場にトレイドがいないことを幸運に思うと良いよ』
「あっ……はは」
自らの額に指を指すあの人の鋭い指摘に、タクトは今気づいたように苦笑し、頬をポリポリとかく。確かに今頃、トレイドがいればおでこに鋭い痛みが走っていることである。
どこか元気なさげに、枯れた桜へと再度目を向けたタクトに向けて彼は口を開いた。
『君は、何かあるたびに悩んでいるね』
「……わかっちゃう?」
『まぁね』
彼はタクトの心の中にいるのだ。わかって当然だろう。そして、それを指摘されずとも承知しているタクトも苦笑いを浮かべるだけ。
『トレイドの言葉。ダークネスとは俺一人で戦う……あいつらしい言葉だ。だけど、君はーー』
「ーー納得できないです。僕ももう、無関係じゃないのに」
ーー水臭い。言葉にせずとも、タクトは態度でそう述べていた。トレイド自身も認めていただろう。もう部外者とは言えないほどに巻きこんでしまった、と。
トレイドとしては贖罪のつもりなのだろうか。タクトがダークネスを宿してしまったことに対して、そしてそれを彼の責任ではないのに責任と感じ、彼と行動を共にしたことを。
自分のせいで巻きこんでしまい、あげく行動を共にするーー端から見れば理不尽極まりない。しかし彼としては、あのとき桐生家を訪れたのはタクトの様子を見るためだったらしく、そして前へ進むことを決めた彼を見て、同行を申し込んだらしい。
力を失った彼を一人で行かせるわけにはいかない。ましてや、自分のせいでそうなったのならなおさらだ。ーーいつぞや、そう語っていたのを聞いた覚えがある。
その彼が、あんなことを言ったのだ。一人で戦う、と。それに内心怒り、同時に水くささを感じているも、彼の言っていることは道理である。今の自分には、力はない。
魔力炉は動くものの、元から魔術は使えず、剣の腕も彼には遠く及ばない。そんな自分が、トレイドと一緒に戦う事なんて出来るはずがない。彼の言うとおり、足手まといでしかない。
それは理解している。理解しているのだが、納得いかない。頭ではわかっていても、心で拒絶していたのだ。その思いを汲み、”あの人”である彼は、微笑みを見せながら、
『君は、君のしたいようにやれば良いさ』
「えっ……?」
優しく微笑みながら言ったその一言に、タクトは反応した。目を見開きながら問い返すと、
『君のしたいようにやれ。君は、トレイドを助けたい。助けになりたい。そんな乙女チックな心情に突き動かされそうになっている』
「う、うるさいなっ!」
乙女チックという言葉が気に入らなかったのかタクトは反論するも、自覚があったのか、それだけを叫んでそっぽを向く。ーーだから女の子と間違われるんだ、という感想を彼は飲み込み、代わりに、
『見てみなよ。上を』
「え? ……うわぁ」
そう言って頭上を指さし、彼にもそれを見させた。目に映った光景に、タクトは感嘆の声を上げ、瞳を一杯に見開いた。
「……空が……」
分厚い雲に覆われていた空から、隙間から日の光が差し込んできた。その光は、タクトがこれまで浴びたことのある太陽光の中でも飛びっ切りの暖かさを有している。そして、雲の隙間から微かに見える青空は、澄み渡っているように見えた。
『ここはいつか、雲を晴らし、大地に草を咲かせ、木に花を付けるだろう。その日は、遠くない』
まるで予言のような言葉。だが、その予言は絶対のものだと、彼は言わずともその口調で言っていた。
『その時を楽しみにしている。……そしてその時こそ、君に授けよう。私の……”私たち”の、本当の力を』
その一言を最後に、差し込む日の光が視界を塗りつぶし、白一色に染め上げた。それは疑問も許さない、彼からの一方的な別れだった。
うっすらと視界に光が差し込み、気づいたタクトは瞼を持ち上げた。どうやら軽く眠ってしまったらしい。手頃な石に腰を下ろして頬杖をついていた彼はそのことに気づくと苦笑する。
(……もしかしたら、寝ちゃったんじゃなくて、呼び込まれたのかな……?)
不意にわき上がってきた疑問。しかし、現時点ではそれに答えてくれる人はいない。故にそのことを置いておき、タクトは顔を正面に持ち上げてーー
「うわぁ!?」
「……こんな所で寝ることが出来ちゃうなんて、すごいね」
目と鼻の先に、レナが顔を近づけてこちらを凝視していた。不意打ちにも近いその距離に思わず驚き、情け無い声を上げて飛び上がりかけた。対するレナは、呆れたようにため息をつくと、
「そう。私たちが学園で授業を受けている最中、タクトは道中眠っていたりしていたの? 良いご身分ね」
「い、いやいや! 日のある内はずっと森の中歩いていたし! 休憩中も少し休む程度で、寝る暇なんてほとんどなかったよ」
久々に飛び出した彼女の毒舌に内心冷や汗が飛び出す。彼女の口から毒が出てくるのは、仲が良い友人に対する突っ込みか、もしくは機嫌が悪いときのどちらかである。ーーおそらく、今の彼女は後者であろう。
両手を振り、あたふたと口を開くタクトに向けて、しばし猜疑心にまみれた視線を向けてくるものの、ぷっと小さく吹き出し、笑顔を浮かべてタクトに手を差し伸べる。
「冗談だよ。それより、よくそんなところで眠れるよね?」
これ聞くの二回目だけど、とはにかみながら再び聞かれたその問いかけに、タクトは苦笑を浮かべながら差し出された手を掴み、彼女の力を借りて石から立ち上がる。
「う~ん、まぁその……色々鍛えられたからね」
おそらくだが、心象風景にいたため、眠ったのではなく、意識がそちら側に行ってしまったーーつまり、一時的に気絶状態になったのだろう。だが、それを説明するのは少々困難であり、また今度ゆっくり話そうと思ったため、適当にはぐらかすことにする。
「へぇ~。……鍛えたら石の上で眠るの?」
「……ごめん、おすすめはしないよ」
お尻の辺りをさすりながら、情け無い声を上げるタクト。それにクスクスと笑みを漏らすレナを見ながら、彼は何となしに思った。
ーー不機嫌じゃなくて、機嫌が良いんだ。
朗らかな笑みを浮かべている彼女を見ていると、こちらも自然と笑みが浮かび上がってきて、情けなさそうに頬をかいていた彼も、その頬が緩んでいることを指で感じ取っていた。
和やかな空気が流れる二人を、少し離れたところから微笑ましげに見やる集団がいる。その集団の一員であるマモルとアイギットは、うんうんと頷き合いつつも、
「久しぶりに会ったから、二人とも喜んでるな。だけど、二人ともそれに気づいていないし……」
「駄目だなこれは。どうにかならないのか?」
やれやれとばかりに首を振っていた。正反対な反応を示す二人に、傍らで聞いていたトレイドは何とも微妙な反応を示す。
「いや~その……まぁ、何だ?」
そこで区切り、しばしの沈黙が周囲に満ちる。その微妙な反応は、彼は何か知っているのかと言う意味で解釈され、続きを求める視線がトレイドの体に突き刺さり、あ~、やらう~やら唸り、やがて背を向ける。
「……夕日が綺麗だな」
「その誤魔化し、流石に無理があると思うよ~」
遠い目をして赤く染まってきた夕日を見やる彼に、あははと笑いながら指摘された言葉を無視する。コルダは笑いながらも、良い雰囲気を作っている二人に目を向けた後、意味ありげに後輩であるミューナへ視線を送る。
「……何ですか?」
「何でもないよ~。少し、拗ねてるな~って思っただけだよ~」
「す、拗ねてないですよ、私!」
唇をとがらせてタクト達を見る彼女は、明らかに不機嫌な様子であり、本人はそれを指摘されても首を振って否定している。だが、第三者が見ても即座に不機嫌だと同調するだろう。そんなミューナに苦笑を浮かべるも、トレイドはこれまでの人生経験の賜か、我関せずと言うように視線を逸らした。
男女間によるいざこざは当人達で解決すべし、という考えの基、不干渉を貫くつもりである。何せ、男女間のいざこざを他人が取り繕ったところで、それは一時の解決にしかならず。当人達が解決することで、本当の意味で二人の距離がさらに縮まるのだ。故に、ここは放置の一手のみ。
ーー決して、めんどくさそうだなと思ったわけでもなく。二人の女の子にフラグを建てている彼を羨ましく思ったわけでもない。
はは、思ってないさ、羨ましいなんて。だって俺、大人だもん。三十路近いもん。
自虐ネタが入っている辺り、彼の本当の思いが滲み出ているのだが。敢えて表現するならば、心の中で血の涙を流しているというたとえが正しいだろうか。
内なる思いとは乖離したことを思い浮かべつつ、彼はふんと鼻を鳴らしながらマモル達から離れる。本来ならば年上として二人っきりにさせてやろうとか、そういうことを言うべきなのだろうがーーここに一人、タクトを慕っている女の子がいるのだから、そういうのは流石に気が引けた。
「しかし……あいつも青春してるねぇ……」
こんな所まで追ってきてくれる友達に、慕ってくれる女の子。そんな人がいるだけでも、彼は幸せ者だろう。うんうんと独りごち、次にじろりと細い瞳をさらに細めて遺跡の一角を見やった。
いつの間にこれほど近づいてきたのだろうか。向こうさんがすごいのか、こちらが気を抜きすぎていたのかーーおそらく、その両方だろう。差し込める夕日を背後に、遺跡の一角に佇む二人の人影があった。
その両方に、トレイドは見覚えがある。というよりも、思い出した。フェルアントで見つけた、かつて自分が良くしていた格好とうり二つのあの男と、つい先日刃を交えた、同じ姿をした集落の人々を斬ったであろうあの殺人鬼。
「ここで出てくるとわ……。無粋にもほどがある」
その二人を前にして、トレイドは静かな怒りが燃え上がるのを感じていた。あの二人に対しては、かつての自分を思い起こさせる格好と行いからわき上がる複雑な感情と、罪のない大勢の人達を斬った事に対する怒りもあった。
だが何よりもトレイドが怒りを見せていたのは、今現れたと言う一点に他ならない。少年達が久しぶりに再会したというのに、その喜びに水を差しに来たのだから。
右手に細身の長剣ーー彼の証を握り、彼が発する怒りがそのまま気迫になったかのように周囲に伝わった。
「っ?」
「なんだろう、これ……って、トレイドさん!?」
背後からびりびりとするものでも感じたのか、アイギットとミューナは首を傾げながら周囲を見渡し、そして気づいた。いつの間にか剣を握り、臨戦態勢を取っているトレイドを見てミューナは素っ頓狂な声を上げた。
二人のその行動にマモルとコルダも気づき、異変に気づく。コルダは剣を構えるトレイドを見てほぇっと情け無い声を上げて問いかけようとしてーー
「一体何してーー」
「上だ!」
ーーマモルが鋭い叫びとともに遺跡の一角を指さし、そこにいる二つの黒い影を見て一同ハッとする。ここからでは夕日が逆光となって黒々とした影しかわからないが、それでもわかる。
この二人は危険だと言うことが。離れていても、はっきりとした姿形を見なくても。何となくわかってしまったのだ。それはつまり、”それほどにまで危険”だということ。
一同は即座に証を取り出して構えると、トレイドの元へと駆け出した。だが、彼は駆け寄ろうとするマモル達をも見せずに片手で制し、告げる。
「下がってろ! お前らじゃーー」
そこまで言い放ったとき、二つの影が動いた。二人は遺跡から一気に走り出し、一気に距離を詰めようとする。こちらに向かってくる二人に対し、トレイドは言いかけた言葉を止め、剣を携えてこちらからも肉薄する。
向こうの二人組の内の一人ーー近づいてくるにつれ、見覚えのあるシルエットはより鮮明になってくるーーが、片手に細身の剣を持ち、もう片方の手を、まるで何かを投げるかのようにして振るってきた。
「っ!!?」
途端に嫌な予感がし、咄嗟に剣腹に手を添えて向かってきた何かを逸らす。これはーー黒い鎖だ。火花を散らしながら明後日の方向へ飛んでいく鎖の先端には、見覚えのあるかぎ爪が取り付けられていた。
ーー嫌な野郎だっ!!
どうやら、以前の自分にそっくりの服装をしたそいつは、服だけでなく使っている獲物もそっくりにしたようである。そうこうしているうちに、こちらに向かってくる二人組ーーどちらも黒服だーーは、鍵鎖を投げ牽制した方を先頭に一列に並んだ。
その並びに眉をひそめるトレイド。しかし、眼前に躍り込んだ、自身のトラウマを刺激させられる格好をした黒服相手に、冷静さを欠き、内心の焦りに気づかずーー下方から襲いかかってきた細身の長剣を受け止めた。
二人が剣を組み合わせたまま止まるーーその瞬間である。後ろに潜んでいたもう一人が、前で鍔迫り合いになる相方の肩を足場にしてトレイドの頭上を飛び越えた。
「っ!? まずった!!」
頭上を越えたもう一人の黒服ーーおそらくこいつが、集落全員を斬った殺人鬼ーーに思わず視線が行きながら、己の失態に気づく。先程一列に並んだのは、自分をやり過ごすためだったのか、と。
トレイドを通り越した黒服は、右手に湾曲した細身の長剣ーータクトの言う刀をその手に握っていた。記憶に間違いがなければ、この前は剣だったはずだが。だが、そのことに関心を払う余裕はなくなった。眼前にいる相手が、低い声で呟いた。
「ーー敵を前に、目をそらすのか?」
「っ!!」
ーーその言葉が耳に入ったのは、腹部を切られた後だった。
「のぉっ!!」
トレイドを飛び越え、こちらに向かってくる日本刀を構えた黒服の男。顔はフードをかぶっているためわからないが、全身から放たれる濃密な殺気から、とてつもない危険人物なのだとはっきりわかった。故にマモルは、自衛のために思わず両手に握った二丁銃の内片方をそいつ目がけて引き金を引く。ただの威嚇射撃であり、足を止めることが目的だった。
「っ!?」
だが黒服の男は、弾丸の軌道が見えているのか、身じろき一つせずに駆け続けーー弾丸が全て外れる。それもそのはず、わざと狙いを外して撃ったのだから。歩みを止めることは愚か、速度を落とすことさえも出来ず、その結果に目を見開き、マモルは自衛の二文字を忘れて相手の体目がけて弾丸を放った。
ダンダンダンと連続して響き渡る銃声。放たれた弾丸は、全て体を穿ち、貫かんとばかりに回転しながら突き進む。無造作に撃っているように見えてその実、全ての弾丸が狙い通り男の間接ーー急所を外していた。一方黒服の男は、迫り来る弾丸に対し刀を振るい、そのどれもがあっさりと弾かれたーーいや。”真っ二つに斬られていた”。その結果に、今度は呆然とし、マモルはほんの少しの間動きを止めた。
「嘘だろ……証の弾丸だぞ!?」
マモルの銃が吐き出したものは、証の弾丸であり、飛び道具系の証は基本的に脆くなる傾向にあるが、それでも強度はかなりのものである。弾くならともかく、証でもない武器で切り裂くなんて芸当ーーよほどの名刀と、力量がなければできないことであった。
「ちぃっ!!」
舌打ちとともに、マモルは再度引き金を引こうとする。もはや手加減はなしーー全力で、相手の急所を狙い撃った。万が一当たれば大変なことになるだろう。だが、証の弾丸が斬られたのを見た彼には確信があった。
相手はこれでも止まらない、歯牙にも掛けないと。今相手にしているのは、それほどの相手なのだと。この時の彼は、はっきりと認めたのであった。ーー相手の方がかなり強い。
「アイギット、ミューナ! 近づくな! こいつは不味い!」
「もちろんだ……! 魔法戦に切り替える!」
「は、はいっ!」
マモルの叫びに近い呼びかけに、弾丸が斬られるその様を見た二人は即座に頷き合い、呪文を唱えた。それぞれ青と緑ーー水と風の魔法を発動させようとする。
「行っけぇ!!」
その横手から、弓に矢をつがえていたコルダも気合いとともに弦を手放し矢を放つ。その矢の先端ーー鏃には炎が纏っていた。放たれた火矢は真っ直ぐに黒服へと吸い込まれーーその直前、刀でたたき落とされる。しかしーー
「っ!!」
地面にたたき落とされた火矢が、鏃に纏っていた炎を解放し、黒服を飲み込もうと襲いかかってくる。それに気づき、初めて表情に驚きを浮かべるも即座に対応してきた。襲いかかってくる炎に対して大上段から刀を振り下ろし、その風圧で炎を振り払い現れた穴をくぐり抜けて炎を回避した。
「うわぁー……ホントにただの人?」
その行いを見て、コルダは呆然と呟いた。目の前にいる相手からは魔力を感じられず、見た感じ普通の人のような気がしたからである。
確かにタクトのような人物を除き、精霊使いは魔力感知が苦手であり、その常識に漏れず彼女たちも魔力を感じ取るのはやや疎い。故に、今行われた刀を振り下ろした風圧で炎を振り払う、というのを見た瞬間、コルダが呟いた疑問は皆の胸中にも浮かび上がっていた。
本当に普通の人間なのだろうか、と。
「ーーミューナ、手加減抜きだ!」
「はいっ!!」
眉根を寄せながら叫ぶアイギットの言葉に、彼女も即座に従い、緑の法陣が浮かんだ両腕を覆う手甲を突き出し、風を纏めて打ち放った。衝撃波とも言えるその攻撃は、あまりにも小さく、黒服の反射速度を見るに易々と躱されてしまうだろう。
だが、彼女は黒服目がけて撃ったのではなく、その手前ーー地面に目がけて撃ったのだ。衝撃波は地面を穿ち、土くれが飛び黒服へ飛びかかる。時折石の礫が交じるそれは、彼女の狙い通り顔ーー特に目の辺りを集中して飛びかかってきたのだ。
流石の黒服もこれには驚いた。おそらく、さほど驚異には感じていなかったのだろう。土くれを無視し襲いかかろうとするも、目に集中して襲いかかってくれば、そうしてはいられなくなる。現に、目を守るために刀を握っていない左手で顔を半分覆い隠すようにして前進する。ーーもうさほど距離はない。
深くかぶったフードの奥で、表情をしかめたーーようにアイギットには見えた。故に、自分のまわりに生成させた複数の氷の杭を、黒服目がけて一気に打ち放つ。
放たれたいくつもの氷の杭ーーアイギットの十八番とも言えるその攻撃に、黒服は覆った腕の向こうでハッと目を見開いた。
「っ……」
ここでようやく止まり、放たれた氷柱を前にして刀を構える黒服。その立ち姿を見て、アイギットは表情を歪める。ーー迎撃するつもりか。
考えてみれば、相手は走りながら迫り来る弾丸を斬って見せたのだ。弾丸よりも遙かに大きい氷柱を相手に、反応できないわけがない。
案の定、襲いかかる氷柱の一つを真っ正面から真っ二つにし、それが二つ、三つと続いていく。その姿を見て、一同は表情を曇らせた。
ーー突破される。氷柱を難なく斬っていくその姿を見れば、嫌でもわかる現実だ。氷柱を突破されれば、あの刀は自分たちに牙をむくことになるだろう。
このままでは氷柱は突破されるーー突破される寸前だ。もう氷柱の数は少ない。だけど、黒服が”動きを止めた”のも今なのだ。
ならば、今ーー
「くそっ……!!」
「こんのぉーー!!」
マモルの舌打ちと、コルダの悔しそうな叫びが重なり合い、ほぼ同時にそれぞれ証から弾丸と矢を放った。氷柱の迎撃にかかりっきりになっている黒服に、それらを対処できる余裕はなかった。
黒服に迫り来る弾丸と矢。それに気づき、彼は目を見開き、次にくっと表情をしかめた。この弾丸と矢は当たるーー男の反応からそう確信した一同は、手ひどい裏切りにあうこととなる。
氷柱の間をくぐり抜けるようにして突き抜ける弾丸と矢。それが間近に迫り、黒服に当たる瞬間ーー標的の姿が消えた。
「なっ!!?」
当たる寸前で標的が消えたことに、一同驚きの声を漏らす。直前まで当たると確信していた弾丸達は、先程までいた空間を貫き、通り抜けていく。それを確認せずに、マモルは周囲を見渡して、
「どこに……!?」
敵の姿を確認しようとしていた。しかし、皮肉なことに敵の姿を確認しようとしたからこそ、敵に気づかなかった。
「っ! マモル、避けろ!」
”それ”に気づいたアイギットはぎょっと目を見開き、叫んだ。ーー続いて叫んだ一言は、マモルの心胆を震え上がらせる。
「”真上”だ!!」
「っ!!?」
ぞくり、という予感とともに、彼は反射的に見上げてしまう。
視界に映ったのは黒。同時に何かがきらりと光る。それを確認して、しかし彼は動けない。蛇に睨まれた蛙のごとく、呆然と黒を見上げるのみ。
黒の正体は言わずもがな、黒服である。どうやら奴は弾丸が当たる瞬間、素早い動きで上空へ飛び、マモル達の視界から消えて見せたのだろう。上空から襲いかかる黒服を前にして、呆然と固まったマモルの左右から、させるかとばかりにアイギットとミューナが必死の形相でレイピアと手甲を黒服へと叩き込もうとしてーー
ーー黒服よりも、そしてアイギットとミューナの二人よりも早く動いた影が、マモル達の後ろから飛び出した。