第11話 歩みを進める二人の剣士~5~
ーーガーディアン・フォースーー
彼が心の中で唱えたはずのその呪文を、すぐ側で見守っていた老婆ははっきりと聞き取った。
しかしそれは、音を介して聞き取ったのではない。まるで心に直接響くかのようにして、彼女は感じ取ったのだ。その現象を目の当たりにして、彼女は小さく頷き、光を映さなくなった瞳を、側にいる弟子へと向けた。
「……やっと、鍵の呪文に開眼したようじゃの? どうじゃ、何か変化はあったかの?」
「………」
師からの問いかけに、弟子は残念そうな表情で首を振る。ーー何も変化はない、その返答を受け、老婆はにっこりと微笑んだ。
「そうかそうか。まぁ、変化があったほうがおかしいのじゃが」
「えっ?」
ほっほっほと笑いながらの答えに、弟子である”彼”はぎょっと目をむいて驚いた。その表情の変化を心の目で捉えーーつまり見て満足したのか、師である大魔術師の老婆はゆっくりとした歩調で歩きつつ、
「当たり前じゃ。鍵の呪文は、あくまで術を使う前の前準備……お主らの魔法で言う、始動呪文じゃ。……ただまぁ、とても強い自己暗示の一種でもあるがな」
「………」
「心象術とは、無から有を作り上げている。しかし、そんなことは当然出来ない。故に、心の世界ーー心象風景から”引っ張り出す”……それが心象術の真髄」
そう言って、彼女は光を映さないはずの瞳で弟子である”彼”へ視線を送った。
盲目であるはずの彼女は、何も見えない。しかし、彼女は心象風景から”視力”を引っ張り出している。何も見えないはずの彼女が、物事を見ることが出来るのはそれが要因だ。
無論、その能力は心象風景によって左右され、また発動のしかたも様々である。心象風景というのは、人によって違う。それはつまり、個人によって心象術が大きく変わってくると言うことでもあった。
故に、心象術の使い手は少ない。教え手が少なすぎるのだ。発動のしかたは、まだある程度の”型”があるが、その能力は性質、特性などは人によって違う。なにせ、”同じ心を持った人間”など、一人としていないのだから。
そのため、人に教えると言ったことがほぼ出来ず、出来たとしても彼女の以前の弟子と同じく、発動まで。そこで教えを打ち切ることにもなり、そして今の弟子も同じ道を歩むことになろう。
「心象術の基礎にして全て。まさに、一にして全。……鍵の呪文、しかとお主に伝えたぞ」
「……はい」
そのことは、この弟子もしかと理解していた。最初の出会いの直後、この話をしたからでもある。話した直後、驚いた表情で「なら何故大魔術師と呼ばれているんだ」と聞かれた。その疑問も当然だろう。この程度のことしか教えられない人物が、そのような大それた名を頂戴しているのだから。
しかし、その疑問には彼女は不本意ながらも答えることが出来る。曰くーーただ単に、まわりの人がそう呼び出しただけのこと。
ーー人の世というものは、意外とこういうことが多いのだぞ、という教訓にはなったのだろうか。微妙に納得がいかない表情で”彼”が頷いていたのは良い思い出である。
老婆は思う。おそらく後数百年もしたら、心象術はなくなっているかも知れない。しかしそれでも、目の前にいる若い精霊使いであり、同時に心象術の見習いでもある”彼”に伝えることで、それは変わるかも知れない。
以前の弟子である精霊王に教えたときも、漠然とそんなことを思い出したなと、気づいたのは、”彼”が巣立ってからであった。
~~~~~
ーー暗い森を抜けたそこには、まさに遺跡群であった。
「……うわぁ……」
「ようやく到着か……長かったなぁ……」
目の前の光景に目を見開き、驚愕するタクトと、これまでの長い道のりを思い出して重々しくため息をつくトレイド。しかしその言葉とは裏腹に、タクトと同じくその光景に目を奪われていた。
そこにあった遺跡は、滅び、朽ち果てている。しかし、それでもそこに確かな文明があったということを伝えるのには十分であった。
古めかしさを思わせる石造りの建物は、森の木々に押しつぶされ、所々苔むし、草に覆われている。そこまでは、以前土の賢者に会った世界と同じように感じられるだろう。だが、あの世界にあった建物は、完全に崩れ、崩壊していた。
それに対し、こちらは違う。木々や草、苔に潰され、覆われる長い時間が経ってなお、今は亡き主人達を迎え入れるために悠然と佇むその姿。所々崩れかけているが、それでもそれは、最初に作られた姿のままでいた。
「すごい……」
「……ふむ。絶景だな」
呆然と呟くタクトと、定位置である頭上から称賛するクサナギ。普段歴史物にケチを付けることが多い彼が、言葉少なめなれども称賛することは珍しい。とはいえ、彼がケチを付けるのは、基本的に日本の歴史のみなのだが。どうやら、流石にプーリアの歴史は専門外のようだ。
「……さてと。やっぱし、もう近くにダークネスの気配を感じるな。どうやら、すぐ側まで来ているみたいだ」
古代遺跡ーーそこにたどり着いたトレイドは、風景に圧倒されながらも気を取り直し、もう身近に感じられるようになってきたダークネスの気配に気を研ぎ澄ませる。
どうやら、今回のダークネスは人や動物の体ーー体内にあるわけではないらしい。そうでなければ、こんなにはっきりとは感じられないだろう。
「それに、ダークネスも割と近いし、すぐ見つかりそうだ。さっさと見つけて、今夜はここでーー」
ーー野宿だな、と言いかけ、すぐにトレイドはばっと跳ね上がり、背後の森へと視線を向けた。彼の隣にいたタクトは、トレイドの行動に気づき首を傾げながら彼へ問いかける。
「……トレイドさん?」
「……気のせい……か?」
眉根を寄せながら森の中へじっと視線を送り続けるトレイド。その表情には、こういったときに見られる険しさはない。彼の反応から察するに、何かしらの気配を感じたようだが、どうも様子が変である。
うっすらと気配を感じ取り、そちらを振り向いたときには気配が消えているーーそんな時は、ほぼ間違いなく何かある。俗に言う、フラグという奴だ。
トレイドの様子から、嫌な予感をひしひしと感じ取っているタクトは、神妙な面持ちで彼を見やりーーやがて、トレイドはにやりと笑みを浮かべた。
「なるほど、そういうことか」
「へ? ど、どうしたんですか?」
「何でもねぇよ、ほっとけ。それより、さっさと探しに行くぞ」
彼の、どう判断したら良いか迷う反応に戸惑うタクトだが、どうやら感じた気配の主に察しが付いている様子。それを問いただすも答えてくれず、勝手に歩き出してしまう。
自由気ままなその行動に頭を悩ませるも、トレイドの表情と反応から、さほど心配するものではないと自分を言い含め、頭上のクサナギとともに彼の後を追いかける。
ーー二人が消えた森の奥で、木々が揺れた。
自然に囲まれ、飲み込まれそうになっている遺跡は、どうやら土の賢者と出会った名もなき世界のそれよりも、年数は言ってないようだ。あそこは、苔やわき出た水、草に巨大な木の根に足を取られ、思うように進むことが難しかった。
ーー今思えば、よくあんな足場で走ることが出来たなと褒めてあげたいくらいだ。一方こちらは、さほど年月は経っていないためか、足場が悪くなるほどの風化や劣化は起こっていない。そのため、二人はいつもと同じペースで歩き続けていた。
「……えっと……」
「……トレイドさん、こっちです」
前を行くトレイドは、時折立ち止まりすっと目を閉じて周囲の気配を探っており、ダークネスの位置を探ろうとしているのだろう。だが、目的地に近くにつれ、今度はタクトが案内しだした。自身の前を行き始めたタクトに目をやり、彼は目を瞬きながら尋ねる。
「わかるのか?」
「……何となく、ざわつくんです」
先程から、タクトは妙な感覚にとらわれていた。体の奥底がざわつくような、不快感。それは目的地に近づくにつれ、どんどんと強くなっていることに気づいた。これは、おそらくーー
「……多分、僕の中にあるダークネスが反応してっでっ!?」
「なるほどね。なら、案内頼む」
僕呼びを咎められ、恒例となりつつあるデコピンを喰らうタクト。人が不快感を感じているときに、こうした行為は止めて欲しいと思うも、彼がわかるはずがない。苛立ちが増して来るも、それに耐えつつタクトは不快感が強まる方向へ歩みを進める。
歩くこと数分。強まりつつある不快感は、強烈な怖気となりタクトの体を駆け巡る。歩くスピードが急激に遅くなり、顔色を悪くしながら冷や汗を流す彼に気づき、トレイドはため息とともに彼を横抱きし、来た道を戻り始めた。
「と、トレイドさん……?」
「じっとしてろ。とりあえず、休んどけ」
彼を連れてきたのは失敗だったなと思う。何せ彼は、横抱きーーつまり、お姫様抱っこの状態で抱き上げたのに文句一つ言わず、瞳を細めたのだから。どうやら、今の状況に気づかないほど辛いようである。
「……ふむ、こう、具合が悪い美少女が涙目で、さらに上目遣いをしているというのは、眼福だな」
「……ふぇ?」
「……いかん、今のはかなり来た……っ!」
何が来たんだ、と宙を浮かびつつタクトの顔に視線を落とすクサナギに突っ込んでから、歩く速度を上げる。
後ろで、何でアレが少女でないのだ……っと未練たらしく呟く声が聞こえるも無視。ぼうっとし、売るんだ瞳のタクトを抱えながらすたすたと歩きつつ、トレイド自身も感じているダークネスの気配から遠ざかるにつれ、タクトの顔色をも落ち着いてきた。それを確認するとその場で下ろし、
「お前はここで待ってろ。ダークネスは俺が探しに行く」
「……すいません、良いですか?」
「おう。むしろ、よくがんばったな」
すとんと腰を下ろした彼の頭を撫で、彼は一人来た道を戻り始めた。それはつまり、ダークネスがある方向へと向かっていったのだ。遠ざかっていく後ろ姿を見送りながら、タクトは遺跡である石壁に寄りかかり、ふぅっと息を吐き出した。
「……うぅ~……」
「ーーそうだ、確か外見を変える変装魔法があったな。あれは、性別も変えられるはずーー」
「クーサーナーギー、聞こえてるぞー」
目を瞑ってうなり声を漏らす彼の耳に、己の相棒のとてつもなく恐ろしい考えに釘を刺す。とはいえ、釘を刺したところで中々止まらない奴だと言うことを知っているのだが。
「………」
未だに気分は悪いが、このまま休んでいればそのうち楽になるだろう、と彼は思い、ふっと目を瞑る。すると瞳の奥で、最近眠るたびに起こる記憶感応のことを思い出していた。
「……僕は……」
ーー心象術。それがどんなものなのか、昨晩の記憶感応で何となくわかってきた。どうやら、自身の心ーー特に心象風景にまつわる魔法のようである。とはいえ、どうやら普通の魔法ではないらしく、魔力を用いるわけではないようだ。
ただ、それを扱うのには自身の心と真っ直ぐに向き合わねばならないらしく。真の意味で己を悟らなければ使えないという最大の欠点がある。ーーそれを思えば、今の自分には使えないだろう。
「……はは。鍵の呪文を知ってて……自分の心を見たって言うのに……使えないか……」
自嘲じみた口調で呟くタクト。初めて聞く未知の魔法の存在を知り、その使用法を知ってもしかしたらと思ったが、結局ぬか喜びであった。以前の自分なら、ここで諦めてしまうかもしれない。ーーそう、”以前なら”。
「……」
閉じていた瞳を開け、空を見上げた。青い空に浮かぶ雲を見やるその瞳には、確固たる決意があった。その目は雄弁に語っている。ーー諦めてたまるか、と。
ーーそれに君は、「無い物ねだりはしない」と良く言うが、それはつまり、”諦め”なんじゃないのかい?ーー
「……諦めないよ、僕は」
手を頭上に突き上げ、拳をぎゅっと握りしめ、タクトは一人呟いた。あくまで独り言であったそれに、問いかける声が横手から聞こえてきた。
「何を諦めないの?」
「強くなることを……へ?」
聞き覚えのある柔らかい声音に反射的に返してしまった後、驚きとともに声の主へと振り向いた。そこにいた少女を目にとめて、彼は脳裏にある言葉がいくつも浮かび上がった。
何故ここにいるのか。
何故ここがわかったのか。
何故ここに来たのか。
浮かび上がったいくつもの何故。先程からずっと続く不快感など忘れて、彼は驚きに満ちた瞳で彼女を見て、恐る恐る口を開く。
「なんで……?」
「えっと、その……久しぶり、タクト」
優しげな表情をゆっくりと微笑みに変える、艶のある長い黒髪の少女ーー鈴野レナは、軽くタクトに手を振った。
「レナ-、そっちいた~?」
「あ、うん。みんな、こっち」
「……み、みんな!?」
目の前の自体に信じられず、挨拶も出来ないまま固まってしまったタクトだが、運良くレナの向こう側から、こちらも見知った声が聞こえてきて、ようやく彼の頭は動き出す。信じられない、というようにレナに問いかけると、彼女は頷いて、
「みんな……私やマモル、アイギットにコルダ……それに、ミューナちゃんも来てるよ。流石に、フォーマ先輩は来れなかったけど」
「え? みゅ、ミューナまで?」
タクトの呆然とした問いかけに、あっさりと頷くレナ。ミューナ・アスベルーー神霊祭の時にタクトと色々あり、今は和解している少女だ。ーーと言っても、その”色々”も、ダークネスの影響だったので実際はタクトは全く気にしていないのだが、どうも彼女の方が気にしているらしく、事あるごとに話しかけてくれる。
タクトの驚いた声音に、レナは微笑みを浮かべながら、
「うん。タクトがダークネスに操られたって聞いたとき、すっごく取り乱してたよ。もしかして、あたしのせいかも、って」
「……そう」
「良かったね、タクト先輩? 可愛い後輩に心配されて」
どこか棘のある口調で言われ、さらに彼女の微笑みを見て、何故か全身に緊張が走った。その緊張感がなんなのか全くわからず、しかしこのままでは不味いと言うことだけはわかり、即座に話をすり替える。
「そ、そう。ミューナには後でお礼を言っとくよ(何のだろう?)。そういえば、みんなはどうやってここに?」
自分で言っておきながら、何に対するお礼なのかわからないという状況ではあったが、何とか話題を逸らすことには成功した。タクトの言葉にレナは笑みを真剣な表情へと代えて、
「……それは、みんなが揃ってから話すね。まずはみんなを呼ばなきゃ……」
瞳を閉じ、呪文を唱えようと構えるレナ。おそらく、通信魔法を使おうとしたのだろう。だが、今まさに呪文を唱えようとした矢先に、ふっと後ろを振り返って呟いた。
「……そういえば、コルダは?」
この遺跡群の中心であり、周囲の建物と比べて高さのある建物ーー外見から言えば祭壇が近いかーーの中に、黒い輝きを放ちながら絶えず形を変える”それ”があった。
「何だ、中にあったのか」
祭壇の中に入ったトレイドは、真っ先に目に映ったそれを見て、やれやれとため息をつく。この祭壇にあることは気がついていたが、まさか中にあるとは思わず、周辺をぐるぐる回りながら探していたのだ。先程ついたため息は、徒労に終わった己の行動に呆れたためである。
「よし、さっさと回収するか」
首を振り、気持ちを切り替えてから己の中に眠る理の力を解放する。トレイドの背後に黒い日輪と、左右に三対の羽を象った刻印が浮かび上がった。彼はそのまま片手を上げ、黒い輝きを放つ”それ”ーーつまりダークネスに触れる。
「っ……」
瞬間、ダークネスがトレイドの手に吸い込まれる。その際に生じる不快感に眉をひそめるも耐え、やがてダークネスを全て吸い込み、理の力を用いて無理矢理封じ込める。
ーードクン、という心音にも似た音が響く。それは共鳴の音。666個集まったダークネスの共鳴は、世界の壁を越えてこの世のどこかにいる”大本の”ダークネスと共鳴した音であった。
「っ……っ!? なっ?」
こちらのダークネスとあちらのダークネスが共鳴し、その瞬間、トレイドの脳裏に大本がいる場所が浮かび上がった。ーー浮かび上がるなり、彼は戸惑いの声を漏らした。この場所はーーこの、場所はーー
「ど、どういう……」
「お、やはりここにいたね」
戸惑いを隠せないトレイドは、困惑した様子で目を見開きーーそんな彼の耳に、聞き覚えのある声が入ってくる。
この声は、確かーーそう思いつつ、声のした方向を見ると、褐色の肌に紫の髪をした少女がそこにいた。
以前、フェルアント本部のお世話になっていたとき、自分を牢から出してくれた少女である。そして自分と同じく、理を持つものでもあり、少々変わった女の子だ。
タクトと同い年らしいが、年不相応な童顔と幼さを残した精神年齢をしているため、文字通りかなり幼く見られがちだ。だが、理の力を発揮しているときは、年不相応な色っぽさを醸し出す、年上のお姉さんそのものである。
一体どうやったらこれほどまで変われるというのだろうか、トレイドとしては不思議でならない。人格が変わるわけでもないのに。
……実はまさにその通りなのだが、気づいていないのか、彼は悩ましげに頭を抱えていた。ため息を一つつき、次いで彼はコホンと咳払い一つ。
「久しぶりだな。えっと……確か、コル……モル?」
「ほう、勝手に略す。良い度胸だな、小僧っ子」
割と真剣な表情で首を傾けたトレイドに腹立たしさを滲ませながら、コルダ・モランだと再度名乗りを上げた。すると彼は、あぁっと納得したように頷き、
「そうそう、コルダ・モラン。いや、あっさり自己紹介してたからつい忘れてた……。でもいいだろう、コルモルで」
「……少々単純だな」
どこか不機嫌そうに言うものの、否定はしない。表情は素っ気ないものの、まんざらでもないのだろう、それを了承と受け止めたトレイドはにやりと笑みを浮かべ、彼女の頭に手を置いた。
「むっ、手をのけろ馬鹿者」
「うん、意外と手触りの良い髪ーーいや、そうだな。……そういや、お前は……いや、お前”ら”は何しにここへ?」
撫でていた手を払いのけ、彼女はじっとこちらを見つめてきた。どこか力強い視線に居心地の悪さを感じ、すいっと視線と話題を逸らすことにする。やはり、この年頃の少女の頭を気安く撫でた自分に非があるか。
「意外は余計。私たちはただ、色々理由を付けタクトを探していただけだ。生家である桐生家からいなくなり、お前と行動を共にしていると聞いたから」
「なるほど。……アキラのおっさん、そのことについて説明しなかったのか……?」
首を傾げ、タクトの叔父である桐生アキラの顔を思い出す。実年齢よりもやや老けて見えなくもない壮年の男は、タクトが出て行くことについて、まわりには一体どのように説明したのか気になった。ーーが、気になっただけで、深く追求する気はなかった。故に即座に首を振り、
「まぁいい。それより、タクトの所へ戻るとするか」
「そうね。…………あ、もうみんな集まってるみたい」
「……そうかい」
声音が変わり、以前の別れ際に見たコルダの幼さ全開になった様子に、謎の疲労感を感じ取った。ふぅっと今日何度目かのため息をつき、彼女の頭をポンポンと叩いてやった。
「ほら、行くぞ」
「うん。それにしても、トレイドさんの手って大きいし、堅いし、ごつごつしてるね」
「あ? まぁな」
コルダの返答に生返事で答えた。もう付き合っていられないとばかりに目の前を歩く彼は、コルダが後ろから付いてくるのを気配で感じ取りつつ、先程脳裏に浮かんだ事について思案する。
(…………逃れられない、か)
ーーそれは自身の生い立ちからであり、自身の目的からでもあり、そしてーー忌まわしき、記憶からであった。知らず内に拳を握りしめ、彼は決意を固めようとしていた。