第9話 精霊憑依~2~
自らに襲いかかってくる魔物、狼の牙を避け、代わりにその胴体に剣ーークサナギを叩き込むタクト。だが、その表情は芳しくない。やはり、いつも使っている証の刀とクサナギとでは、使用感がまるで違い、違和感を拭いきれないでいた。
「くっ……!」
苦々しい表情で唇を噛み、見事二つに分かちた狼が一瞬で黒い霧状となって霧散するのを見て、一つ頷く。
「やっぱし、使い方がまるで違うッ!」
『申し訳ないが、それは自分で何とかしてもらおうか、タクト』
右手に握ったクサナギに視線を落とし、呟くタクトだが、当の剣は我関せずというような態度で答えた。
無理もない。今の今までずっと使ってきた刀から、急に直刃のやや大きい剣を使っているのだ。しかも、クサナギの使用はこれが初めてであり、手に馴染まない柄や重さ、重心の違いなどに戸惑いを隠せない。
苦しい表情のままクサナギに気を取られるタクトだが、背後から自身ののど笛を噛みちぎらんとばかりに飛びかかってきた狼に気づき、とっさに魔力を片足に注ぎ込み、一歩踏み込んだ。
高く飛びかかってきた狼は、タクトののど笛があったその場所をガチンと噛みしめーーしかし、そこにタクトはいない。僅か一歩離れていた場所で剣を振り上げた姿勢で佇んでいる。
「……”爪魔”」
クサナギの刀身を、己の”魔力”で覆い、強化した剣で狼を両断する。先程よりもあっさりと断ち切った感触を感じながら、タクトは良しと小さくガッツポーズを取る。
「“瞬歩”も霊印流の太刀も、使えるようになってるっ!」
『魔力炉が復活したのだ、当然だろう?』
喜ぶタクトに、クサナギは苦笑混じりの声で呟くも、おそらく聞こえていないのだろう。タクトは嬉しさのあまり、ここが戦いの場と言うことを忘れて注意力が散漫になった彼へと、狼が三度襲いかかった。
『ん? っ! タクト、後ろだ!』
「ーーえ?」
それに気づいたクサナギが、突如叫び声を上げ、それにタクトは反応するも、遅い。飛びかかってきた狼は、タクトの頭部めがけてその牙で噛みちぎろうとしてーー。
「一之太刀、爪魔」
横手から呟きとともに振るわれた一閃が、襲いかかってきた狼を断ち切った。胴から二つに分かれ、地面に落ちた頃にはもう霧散していた。その結果を導いた、タクトと同じ霊印流を学んでいるセイヤは、あたりに注意を向けたまま、
「このバカッ! 戦いの場では常に注意してろと言っただろうがッ!」
「ご、ごめんっ」
顔さえこちらに向けずに喚く彼に、タクトは慌てて頭を軽く下げて剣を構え直し、襲い来る狼たちに備えた。ちらりと周囲を見ると、最初にいた多数の狼たちはその数を大分減らしており、特にセイヤとアンネル、槍使いの精霊使いにトレイドの所は、狼の姿はかなり薄い。
あの赤い髪の毛の女性の姿はないが、おそらく姿を消す光属性の技で隠れているのだろう。時折銃声が聞こえるのが何よりの証だ。
そのことを瞬時に理解したタクトは視線を戻し、自身の魔力炉へと意識を向ける。ここ数日間、一切動いていなかったためか、いつもより動きが鈍く、魔力生成が若干遅い。だが、それを除けば体に染みついた魔力操作は普段と同じように使え、この感覚がさび付いていないことにほっとしていた。
「ーー飛刃ッ!」
やや離れたところにいる狼めがけて思いっきりクサナギを振るい、魔力刃を放つ。その魔力刃は狼を難なく断ち切り、追撃とばかりにタクトはもう一閃。その軌跡から放たれたもう一つのそれは、またも狼を切り裂いた。
ーー突如、違和感を覚えた。
その違和感は、不調なことから来るものではない。刀が剣に変わったことでも、久々に剣を振るうことから来るものでもない。ただ、何かが変わって見える。
『タクト、後ろ!』
「瞬牙ッ!」
クサナギの忠告に、しかしタクトは半ばそれを予測していたかのような滑らかな動きで一回転。剣から放出させた魔力で勢いを付け、高速で振るわれた一閃は狼の体を切り裂き、遅れて二つに分かれた。
ーー背後から冷気を感じる。それは、己の命を奪おうとする凶器から放たれる、冷たい気。そして、それを持つものの気配を。
二つに分断した狼の体がまだ宙にあるなか、タクトは瞬牙の余勢を利用して後方へと向き直る。そしてそのまま、剣の切っ先に溜めた魔力を解放させ、衝撃波として打つ。ーー四之太刀、爪破。
放たれた衝撃波はゴウ、という空気音とともに、塵となって霧散しかけている狼の体を吹き飛ばし、さらにその方向からこちらに向かってきた狼をも弾いた。先程感じた気配は、この魔物のものだったのだ。
『た、タクト?』
「………」
彼が握るクサナギが、彼の異変に気づき声をかける。だが、タクトはそれに答えず、瞬歩を用いて一気に移動。弾き、身動きが取れない狼の真っ正面へ、剣を上段に構えた姿勢で移動を終えた彼は、そのまま”無表情な瞳”でクサナギを振り下ろした。
「残、刃」
たった一振りが、五つの斬撃へと変わるその一太刀を持って、魔物の体を文字通り五回切り裂いた。
タクトの戦いを見ていたセイヤは、ただひたすら驚きに浸っていた。
ーーあいつ……ここまで?
先程怒鳴りつけた途端一変、あれほど隙がなく、技と技の連携が滑らか。そして、まるで相手の動きが、そして位置が”見えている”かのように動いていたことに、セイヤは目を見張っていた。
あの動きは……まるでーー
「セイヤッ!」
「っ!」
そこまで考え、脳裏にある人物の姿が浮かび上がるも、その前に上司であるアンネルの呼びかけに応じて振り返った。
「数をあらかた減らした! 一気に後方へ下がるぞ!」
「了解!」
命令を下しながらこちらに向かって走ってくるアンネルと、それに追従するクーに頷き、セイヤも踵を返して後ろへと走り出す。だが、隣にいるタクトは、アンネルの叫びが聞こえていたにもかかわらず、振り返らずにまるでそこに縫い止められたかのように立ち止まっていた。それに気づいたセイヤは、再び怒鳴り声を上げる。
「おいタクト! お前ーー」
「そっちは駄目だッ!!」
怒鳴り声を上げた途端、それをかき消す音量でタクトは叫んだ。その叫びに、タクトとセイヤを追い越した二人は立ち止まり、
「大きいのが”出てくる”!!」
「っ!?」
妙な言い回しをタクトがした途端、二人の足下に”影”が現れ、次の瞬間二人は吹き飛ばされた。そして、影があった地点から、まるで”影が実体化”したかのようにして、突如巨大な狼が現れる。上空へと投げ飛ばされた二人は、空中で姿勢を立て直し、無事に着地しつつ、その巨狼へと視線を向ける。
「なっ……今のが、こいつらの出現方法?!」
「影が実体化……また厄介な現れ方だ!」
アンネルとクーはそれぞれ証の切っ先を向けながら一時距離を取る。その間にセイヤとタクトは二人と合流し、四人となって巨狼を睨み付けた。
「こいつが、トレイドの言っていた”親玉”か!?」
「てか、その本人はどこ行った!?」
体躯が非常に大きいーーだいたい六、七メートルぐらいはあるだろうーー巨狼は、他の魔物にはなかった、いかにも堅そうな部位を胴体や四肢、そして頭部に付けていた。
黒い毛皮の上から、まるで鎧のごとく付けられたその白い部位を見て、巨大さもあいまって魔物達の頭領的存在だろうと直感する。しかし、それが正しいかどうか知っているであろう当人はどこへやら、ぱっと辺りを見渡しても見つからない。
セイヤの嘆きに、しかし彼の隣にいるタクトは眉をひそめながら、さも違和感を感じていると言わんばかりの気むずかしい表情を浮かべている。
「……トレイドさんなら、今くるよ」
「今?」
槍を構えたクーが、ぽつりと呟いたその一言に反応し、振り向いて尋ねる。それにタクトは頷き、そしてーー
「ーーーーーーーぉぉぉぉおおおおおっ!!」
巨狼の上空から、剣を逆さに構えたトレイドが気合いとも受け取れる声を発しながら落ちてきた。真下にいる巨狼はその声に気づき、上空へ視線を向けるが、それが仇となりーー落ちてきた彼の剣は、そのまま巨狼の右目を突き刺した。
「ガアァァァッ!!?」
「のあたぁぁ!」
右目を潰され、痛みと驚きで首を激しく振り乱し、暴れ出した彼はそのままトレイドを吹き飛ばす。吹き飛ばされた彼は妙な声を上げながら地面に着地。そのさいに、「むぎゅう」という情けない声を漏らすも、上体のバネを生かして即座に立ち上がり、
「今のうちに行くぞ!」
「お、おう!」
何事もなかったかのように皆に呼びかけるトレイドに、ほおけながら頷いたアンネルは先に行ったトレイドの後を追いかける。それを皮切りに、セイヤ、タクト、クーの順番で後を追いかけ始める。
「……あれ?」
一気にこの場から遠ざかろうと走る中、タクトは首を傾げる。そして前を行くセイヤに向かって、
「セイヤ兄の隣……誰か、いる?」
「は? ……って、あぁ」
一瞬ぽかんとした表情を浮かべるも、すぐに何のことを言っているのか理解して、セイヤは頷く。するとすぐに、タクトの隣で囁き声がした。
「あら、良くわかったわね、坊や」
「えっ!?」
いきなり横から声をかけられたことに驚き、ばっとそちらを見るタクト。そこには、いつの間にか一人の女性ーー例の、赤い髪を結い上げたリーゼルドがそこにいた。彼女は走りながら、タクトの顔を近くから見やり、優しげな笑みを浮かべつつも流し目を向け、
「姿を消してたのに、それに気づくなんてすごいじゃない。流石、セイヤの弟分ね」
「あ、い、いえ……」
走りながら顔を近づける彼女に、タクトはやや引き気味で視線を逸らす。近い近い近い、と内心で叫ぶ彼の心情を知ってか知らずか、セイヤはふうとため息をついた。
「タクトをからかわないでやってください。そういうのに免疫ないんで。それより、お得意の光影消で俺たちを隠せないんですか?」
セイヤの提案に、リーゼルドはタクトから彼へと視線を動かし、首を振る。
「無理ね。連中、目じゃなくて鼻か気配で私たちを探してるし」
さっきも何体か私の所へ来たわ、と言う彼女に、セイヤは表情をしかめる。どうやら、リーゼルドが得意とする幻覚戦術は通用しないらしい。ちらりと後ろを見ると、減らした魔物の数が増えつつあった。
「勝手に増えていくのかよ!」
毒づくセイヤ。先程の五、六十体のうち、半数以下に減らしたはずの魔物が、いつの間にか七、八十体ほどーー下手すれば、百にも届くのではないかという数へと増大していた。しかも、それは数えられる内であり、追加で数十体は馬鹿正直に実体化した状態で追いかけてくるのではなく、”影”の状態でこちらへと高速で接近してきた。
そして高速で接近してきた影は、セイヤ達を追い抜かしーーまて、とそこでセイヤは首を傾げた。その時に、なにやら大きなものが過ぎ去ったようにも見えた。
ーー追い越した? しかも、今の巨大な”影”は。
「っ! まずい、トレイド、アンネルッ!」
「ちいっ!」
「なにを……っ!?」
気づき、発したセイヤの警告にトレイドはいち早く反応し、厳しい表情を浮かべた彼は突然止まり、後ろから追いかけていたアンネルを突き飛ばした。それに抗議のの声を上げかけたアンネルは、すぐにそれを飲み込んだ。
トレイドの足下から、先程の巨狼が現れたのだ。しかもその巨狼は、顎だけを実体化させ、その巨大な牙でトレイドの体を飲み込んだ。
「なっ……」
「と、トレイドさんッ!?」
突然の出来事に皆唖然とする中、タクトは悲痛な叫びを上げーー
「グギャゥ!!?」
顎だけを出した巨狼が、叫び声と大きな爆発音とともに顎がはじけ飛び、その部分のみ肉片と化した。その中心部分から無事現れたトレイドは、衣服が所々破けているが、目立った傷はない。だが、少々荒い息を吐いている。
肉片が飛び散った辺りは空気が熱く、先の爆発音を考えると、おそらく炎の属性変化術で爆発を起こしたのだろう。息が荒いのは、その際に魔力を使用したからか。
魔力は魔力炉から生成される。そして魔力炉を動かす源はその人物の生命エネルギー。つまり、魔力を使い、魔力炉を酷使すれば命を縮める要因となる。
先の爆発、巨狼の顎をまるまる吹き飛ばすほどの爆発となると、そう何度も撃てはしない。ちっと本人も舌打ちを放った。
「大丈夫か!?」
「いや、少しきつい……けど、何とか……。早く行こう……!」
クーの言葉に表情を歪めながらも頷き、先に行くことを皆に促す。だが、クーはおろか、アンネルやセイヤまでもが微妙な表情を見せて辺りを見渡していた。
「無理、囲まれた!」
「何っ!?」
セイヤの叫びにハッとして、トレイドは周囲を見渡した。彼の言うとおり、先のほんの僅かな間で周囲一体、狼の魔物によって囲まれていた。魔物の紅の瞳が夜の廃墟で怪し明かりをともし、暗闇の中その数を目で物語る。
「……全員、転移の準備を」
周囲を囲まれた状況を見て、アンネルはそう静かに呟き、皆もそれに賛同する。これだけの数、彼らも”切り札”を切れば切り抜けられないことはないのだが、体に掛かる負担も大きく、出来ることなら使いたくはない。
それに、当初の目的ーー最小限の目的だが、果たすことは出来た。本命はトレイドをマスターリットにスカウトすることだが、それが困難であれば、彼から今回の件に関して事情を聞くことである。今回それは敵わなかったが、それはまた別の機会だろう。むしろ、彼から話をしに来るという言質を取っただけでも十分である。
唯一、彼がそれを無下にしたらという懸念はある物の、トレイドの人となりを見て、それはないだろうと何となく理解した。
とりあえず、命令されたことはやり遂げたこととなる。その中でこの状況、素早く撤退するに限る。
しかし、転移魔法は一つ問題を抱えており、転移発動前の数秒間は、全く身動きが取れないのだ。その最中に体が動いてしまうと、転移は不発に終わってしまう。そのため、敵に囲まれた中で転移を行おうとすると、棒立ちのまま危険にさらされてしまうこととなる。
「俺が時間を稼ぐ。お前らはその隙に撤退しろ」
「アンネル隊長……」
その問題点を払拭するために、彼は部下にそう告げる。リーゼルドの、こちらを心配するような声音に応じず、アンネルは一人己の証を構え、一歩前に出た。その背中を見て、有無を言わさぬ彼の”命令”なのだとセイヤ達は理解する。
「……力を……っとぉ!?」
「お前さんはこっちだ」
厳しい表情を浮かべるアンネル。しかし、そんな彼を制するかのようにトレイドがアンネルの襟首を掴み、部下達の方へ押しやった。クーに支えられ、何とか転倒を免れた彼は、きっとトレイドを睨み付ける。
「お前、何を……っ!」
「あんたらはさっさと転移をするといい。その間の時間は、俺が稼ぐ」
己の証を正面で構え、トレイドはそれだけを告げた。そしてーー
「行くぞ、ザイ……。久々の”憑依”だ」
「なに……?」
彼がぽつりと呟いたその一言に、タクトと彼を除いた全員が目を見開いた。一方のタクトは、皆の反応に首を傾げ、
「……憑依?」
『見ていると良い。お前には、それが一番だ』
クサナギは、淡々とした声音でタクトに告げる。その忠告にしたがい、彼はトレイドを見やりーー。
「我と契約を交わせし精霊よ。我を指し示す器に宿れ」
まるで精霊召喚のように詠唱するトレイドの隣で、いつの間にか一粒の光が浮かび上がっていることに気がついた。その光はふわふわと浮かびながら、やがて彼が掲げた証に吸い込まれーー
その瞬間、タクトのなくなった右耳の奥で、ドクンという心臓の脈動が聞こえた。それは、自分の心臓が勢いよく跳ね上がったことで生じた音であった。
ーーなに?
自然と、自らの胸を押さえつけていることに彼は気づかず、しかしーーその現象を、知っているような気がした。
気がつけば、トレイドの姿が変わっていた。
全身がやや黒ずみ、見ると腕や首、そして頬などに薄く、しかし確かな”毛”が生えていた。その毛は人の体毛ではなく、”狼”のような毛を至る所から生やし、何より特徴的なのは、頭に生えた狼の耳と、尻尾。どちらも黒いそれらを見て、タクトは脳裏に閃くことがあった。
”アレ”は、彼と契約を交わした精霊”ザイ”ーーその特徴が、入り交じった姿をしていた。ちらりとこちらを見たトレイドの黒い瞳は、本来の色ではなく、うすくぎらりと輝く金の瞳をこちらに向け、僅かに笑みを浮かべて頷いた。
何故彼の姿が変わったのか、疑問はつきないはずなのに、タクトの脳裏に閃くことがあった。閃いたその言葉を、彼は自然と口にする。
「……精霊……憑依」
初めて呟いたはずのその言葉は、まるで久々に言ったかのような懐かしさを催した。