第7話 決意~4~
朝食の際に使ったお皿を洗っていた風菜は、道場の方から歩いてきたタクトと、その肩に座っているクサナギを見て、軽い驚きを露わにさせ、次いでどこか寂しそうな、そして息子の将来を案じる思案顔を同時に浮かべていた。
(仮契約、無事に成立したんだ……。……タクト)
その、妙な表情に気づかないまま、タクトはクサナギからの忠告に耳を傾けている。
「ーーとりあえず、今日一日は様子見だ。色々と体に変化が起きるだろうからな」
「……あの、さ、クサナギ。これで、僕は元に……」
「……どうだろうな? ダークネスも私も、どちらも神器だが……今はダークネストの繋がりの方が大きい。奴さんを追い出すのには、ちと力が足りないが、魔力炉は動かすことが出来るかもしれん」
「ホント!?」
「仮にも神様だ。嘘はーー」
「良く言ってるでしょ?」
突如第三者の声が飛んできて、二人はそろってそちらを見やった。二人の会話に水を差したのは、風菜の手伝いをしていたアヤカである。彼女はため息をつきながら、風菜が洗った食器を拭く作業を中断し、タクトの肩に腰掛けるクサナギをじろりと見やる。
普段とは違い、掛けた眼鏡の奥から呆れたような視線を彼に注ぎ、
「あんた昨日タクトに力を戻してやれないのって聞いたとき、即答で無理って答えたでしょ! なのに何で、魔力炉なら動かせるかも、ってドヤ顔しているのよ!」
「え、そうなの!?」
話が違うじゃない、とクサナギを糾弾し、初耳であったタクトはクサナギの方を振り向く。が、彼はじっとアヤカの顔を見やり、ぽつりと呟いた。
「……普段とは違う眼鏡姿も、中々似合っているな。……ふむ、昨日は見る機会がなかったが……胸、大きくなったな。しかもノーーー」
「どこ見てんのよ、このエロ神ッ!!」
何かを言いかけたクサナギを、タクトが反応できない速度で突き出した拳が吹き飛ばす。当然、拳の主はアヤカであり、その表情は怒りと羞恥とで、若干赤らんでいる。
「…………」
タクトの肩にいたクサナギをピンポイントで殴り飛ばしたため、結果的にアヤカの拳は彼の顔面すれすれを通り抜けることとなり、自身の真横にある拳へぎこちなく視線を移動させたタクトは、表情を青ざめさせた。
「がっ……くっ、何故だ、何故桐生家に縁のある女性はこうも逞しいんだ……っ!」
「それ、あなたのせいだと思うの」
背後にある壁に叩き付けられ、子蠅のように地に落ちたクサナギは、全身の痛みと闘いながらそう呟く。ーー風菜のあきれ果てた指摘を、聞かない振りして。
「クサナギ……大丈夫?」
身も心もダメージを受けたであろう彼を、仮契約を交わしたタクトが心配し声をかける。そんな彼に、クサナギはほろりと涙を流して、
「……タクト、お前は優しいな……。これで女だったら言うことないーー」
ーー突如、タクトがものすごい勢いで彼を蹴り飛ばした。先程交わした仮契約を、破棄せんばかりの勢いで。いつもはこのような”力で訴える”的なことはしないタクトだが、今回はクサナギが地雷を踏んだためである。
放物線を描いて飛んでいく彼は、空中で何とか急制動を掛けると、痛みに顔をしかめながら叫んだ。
「き、貴様殺りに来たな!? 確実に殺りに来たよな!?」
「うるさい黙れ自業自得だ」
声音は単調であるが、だからこそ彼の怒りが如実に表れていた。ゴゴゴゴと擬音が付きそうなほど全身から怒りのオーラを放つ彼に、風菜とアヤカは若干距離を取る。そして、仮契約を結び、タクトとの精神的繋がりが生まれたことにより、クサナギも彼の怒りのほどを理解したのだろう、若干表情を引きつらせると、
「……コホン。さて、アヤカ殿。話がそれてしまったが、先の問いの続きだな」
咳払いを一つして話を変えるクサナギ。あまりにも露骨すぎる話の転換だが、タクト自身も興味があるのだろう、放っていた怒りのオーラを収めると、ため息一つ吐いて頷き、アヤカもそれに習う。
「昨日アヤカ殿が聞いてきた時点では、まだタクトとの繋がりがなく、奴のダークネスを取り払う事は出来なかった。だが、今は仮契約を結び、繋がりが生じた。……今なら、こいつの中にいるダークネスに干渉できると言うわけだ」
「へ~。……もしかして、そのために?」
「いや、私自身の目的もあるのだがね。とにかく、今ならタクトの中のダークネスを何とか出来るかもしれん」
合点がいったようなタクトの問いに、しかし今度は明確にはぐらかした。軽くウインクなどかます彼に怒りが沸くが、そこをぐっとこらえてタクトはクサナギに頭を下げた。
「……ありがとう」
「礼には及ばん。……どうしても礼がしたいというのなら、是非”たくみちゃん”衣装を着てーー」
「もう一回蹴られたい?」
「スミマセン、チョウシニノリスギマシタ」
馬鹿なことをほざくクサナギを、タクトはにっこりと笑みを浮かべて申し出る。するとクサナギは、彼の笑顔から目をそらし、冷や汗を流しつつカタコトで己の非を詫びた。
ちなみに、たくみちゃんというのは、タクトの女装時の名前ーー命名クサナギーーであり、言うまでもなく、本人はとても嫌がっていたりする。
クサナギの小さな頭を鷲掴みにし、アイアンクローをかますタクトに苦笑を浮かべつつ、アヤカは大きく頷いた。
「ははぁ、やっと本調子が出始めてきたって所かしら?」
「まぁそんなところです。……それと、昨日はありがとうございました。おかげでだいぶ吹っ切れましたし、前向きに考え始めるきっかけになりました」
苦手な人だからか、彼はあくまでも丁寧口調を貫く。ようやくいつもの調子になってきたタクトを見て、今度は満足げに微笑んで、
「うん、いい顔になってきた。その調子だったら、レナに良い返事が書けそうね」
「えぇ、よろしくお願いします」
タクトも笑顔を浮かべ、頷いた。
「………」
ようやく自分を取り戻したタクトを見て、風菜はある思いにとらわれた。それは息子の成長を喜ぶものではあったが、同時に息子の将来を案じるものでもあった。
『ーーあの子達は、二人とも死んでしまった』
昔、”彼”から聞かされた言葉を思い出す。それは、”彼”が唐突に語ってくれた、己の人生の半生である。それを語りながらも、彼の瞳には、当時のことを悔やむ後悔が宿っていたのを、風菜は忘れられなかった。
(………タクト)
アヤカと話し合っている息子を見て、風菜は彼に降りかかるであろう苦難を思い浮かべ、一人やや気落ちした表情を浮かべる。彼女が、そのような表情を浮かべていたのに気づいた者は、クサナギだけである。
彼はどこか沈んだ表情をする風菜を見ても、顔色を変えずに、むしろ誇らしげにタクトに視線を戻した。その態度は、己が正しいのだと、言葉にせずはっきりと伝えていた。
~~~~~
今日一日は様子見ということで、タクトは道場にいかず、一人部屋に閉じこもってずっと考え事をしていた。
「…………」
ベッドに腰掛け、左の掌ーー三日前まで、当たり前のように刻まれていた印章がなくなった所をぼんやりと見やり、彼はこれからの事を考えていた。
『……やっぱり、僕は学園に戻りたいんだよ』
『……学園に戻るためには、もう一度精霊使いにならなくちゃいけない。でも、そのためには……今の僕だと、あまりにも無力なんだ。だから……』
朝、道場でクサナギに言った言葉に嘘はなかった。学園に戻りたい、というのは紛れもなく本心で、そしてどうすればそれを実現できるのか、と聞かれたらーー答えは、決まっていた。
「……クサナギ」
「何だ?」
新たな相棒となったクサナギに声をかけた。彼は精霊のような存在であるが、同時に剣でもあるため、精霊のように契約者の体内に入ると言うことができないらしい。その状態で長時間の実体化が可能なのは、やはり剣に宿る”理”の影響なのだろう。
そう、あの剣自体が理を宿す器、神器であり、そのことは以前から知っていたのだがーー契約を通して伝わってくる力の大きさに、改めてタクトは驚きと同時に怖いものを感じていた。
だが、その巨大な力が、今は心強く、頼もしく感じる。
「もし僕が勝手に家出したら、お前はどうするの?」
何となく呟いた彼の言葉に、机に腰掛け、台所から持ってきたであろう酒を飲んでいたクサナギは、盃に酒を注ぎ込ませながら、
「私はお前と仮契約を交わした間柄だぞ、ついて行くに決まっていくだろう? ……ま、アキラや風菜、未花に怒られるときは、ともに叱られてやるとしよう」
「はは……ありがとう」
彼の苦笑混じり、冗談交じりの会話にタクトも苦笑を浮かべ、静かに頭を下げる。腰掛けていたベッドから立ち上がると、部屋を出るためドアノブに手を掛けたとき、机の方から声を掛かけられる。
「どこかへ行くつもりか?」
「うん。ここにいても、ダークネスをどうすればいいのかわからないし、それに最悪、また暴走するかも知れない。だったら、ここにいないで、ダークネスを取り除く方法を見つけたいんだ」
「……確かに道理だな。実を言うとな、私もお前に似たようなことを進言しようと思っていたところだ」
「進言って……なんか僕が偉いみたいな言い方だね」
クサナギの言い方を受け、タクトは困ったような苦笑いを浮かべて彼に視線を向ける。だが、相変わらず彼は小さな盃に注いだ酒を飲み干しながら、
「仮にも”マスター”だからな。タクトの意向には従うさ」
タクトのことをマスターと呼び、そのことに彼は首を傾げる。
「……マスター?」
「契約を交わしたからな。昔は、精霊は契約者のことをマスターと呼んでいたそうだ。……だが、それだからこそ、契約者は精霊のことを”使い魔”として見ていたんだ」
「…………?」
どこかしんみりと語るクサナギに首を傾げる。使い魔ーー要するに、昔は精霊のことを召使いか何かのように思っていたと言うことなのだろうか。だが、そう思うような精霊使いはーー
「……あっ」
ーーいた。十七年前の、かつてのフェルアント本部そのものである。タクト自身、話でしか聞いたことがないのだが、当時の本部は精霊のことを下級の存在としてみており、なにやら様々な実験を行っていたーーらしい。
思えば、その実験の結果、生まれてきたのがフェル・ア・チルドレンーーレナと、そしてフォーマ。皮肉にも、そのような思想がなければ、親友と現生徒会会長と出会うことはなかったのだ。彼らの顔を思い出し、思わず気落ちし始めーー
「……お前は一つの話題で、違うことまで考えてしまうのか?」
「へ? あ、いや、そういうわけじゃ……」
呆れた声音で囁いたクサナギの言葉に戸惑うも、今彼とは契約を交わした間柄故に、タクトの考えていることもある程度感じてしまうのだろう。咄嗟に首を振るタクトに、クサナギはばつの悪そうな表情を浮かべた。
「……すまん、お前の考えを読む気はなかったのだが……つい、な」
「いや、気にしないで。時々コウにも言われたよ。お前は読みやすい部類だって」
ははは、と苦笑し、頬をポリポリかくタクトは、そこでようやく意を決したように今度こそドアノブに手を掛けた。ダークネスを取り除くため、家を出ることを母や叔父、叔母に伝えるために。だがーー
「……っ!」
「? クサナギ?」
突如、クサナギが何かに気づいたかのように顔色を変えて、窓へと視線を向ける。盃を机に置くと宙に浮き上がり、タクトに向かって早口にまくし立てた。
「何者かが、桐生家に転移してきたッ!!」
「……うわぉ」
突如現れたその男は、目の前に広がる光景に思わず感嘆の声を上げた。今まで様々な世界を渡り歩き、見てきた建物の中で、これほどまでに近代と民謡的なものが合わさった建物を、見てきたことはなかった。
二階建ての、角度が緩やかな三角屋根がついた家に目を見開き、次いで辺りを見渡してさらに唸る。庭なのだろう、見事に体裁の整った池と花、そして立派な桜の木。
(……うん?)
傍らに立っている気を見上げて、男は首を傾げた。異世界にも確かに桜は存在するが、それを一目で見分けられるほど木に詳しかったか? と内心疑問に思ったからだ。しかしすぐに肩をすくめ、疑問を後回しにする。
「……それにしても、すごい見事な建物だな。こういうのを……なんだっけ、百花繚乱? ていうんだっけ?」
「……私もさほど詳しいわけではないが……これだけは断言できる。それは違う」
「まじ?」
というよりも、どこで覚えてきたその単語、と傍らにいる犬ーー実際は狼だがーーは、ぽつりと呟いた。何故花が咲き乱れるという意味の言葉を、建物に対して使うのだろうか。面食らった様子の男は、黒髪をかきむしり、話題を変える。
「まぁいいや。それより……あの少年、あのときのおっさんの関係者だったみたいだな」
「? 何を言ってーー」
「……やはり、気づいていたか」
黒い毛を持つ狼は、黒髪の男ーー青年が呟いたその一言に首を傾げるも、青年が視線を向ける方向から声が届き、狼はさっとそちらの方を向き直り、呻く。
「ウゥゥゥ……」
「やめろ、ザイ。大丈夫だ」
歯をむき出しにして威嚇する己の精霊に手を振って制し、建物についている、座れる程度の広さしかないとても窮屈なベランダーー後にそれが縁側だと知るーーから現れた初老の男性を見て、青年はもう片方の手を上げる。
「久しぶりだな、おっさん……いや、おっさん、俺のことわかるか?」
「もちろんだとも。一ヶ月前は世話になったね、トレイド君」
「……何で顔ばれしてるんだよ?」
一ヶ月前ーー神霊祭の出し物で乱入した際に剣を交わした初老の男性が、こちらの名前を知っていることに対して、青年トレイドは頬をぴくぴくとつり上げた。そんな彼に、男性ーー桐生アキラははぁっとため息をつくと、
「こちらは組織なのでね。顔がわかると、あっという間に広がるのさ」
「……ち、無駄に高い組織力だな」
「これでも、さほど高くはないほうさ。と言うよりも、この一件に関しては、百パーセント君の落ち度だと思うのだが?」
ふんと鼻を鳴らすトレイドに、アキラは冷静な突っ込みを入れる。しかし、トレイドはそれを聞かない振りして視線を逸らすと、ぽつりぽつり呟いた。
「……そういや、ちゃんと名乗ったことはなかったな。俺はトレイドだ。んで、こっちの狼が精霊のザイ」
「ふむ、フェルアント地球支部支部長、桐生アキラ。そして、私の精霊……」
アキラは自ら名乗り、そして自身の背後へと視線を送ると、そこから一体の龍が現れた。
蛇のように長い胴体は鱗に包まれ、頭部からは立派な角に、長い髭。サイズは小さいながらも、そこにいたのは立派な龍そのものである。その精霊は、まるで頷くように頭を動かした。
「セイゴウだ。……さて、名乗りも終えたことだし、君の用件を聞こうじゃないか。ただし、夕飯の時間が迫っている、手短にな」
「あ、これから夕飯でしたか……。それは失敬、また後で出直します」
「待て待て待て待てッ」
「イタッ!? おい、ザイッ! てめぇ何しやがるッ!」
これから夕飯だと所帯じみたことを述べるアキラに、トレイドはあっさりと頭を下げて転移魔法を発動させようとするも、それを隣にいるザイが手を噛んで止めた。痛いとわめく彼を無視して、ザイは一気にまくし立てた。
「お前バカか! 何で馬鹿正直に引くんだよ!」
「いや、ここは引かないとアキラのおっさん達に迷惑だろう? てか人のことをバカって呼ぶな。バカという方がバカなんだぞ」
「子供かお前ッ!? ああもう、だったら迷惑にならんよう手短に済ませれば良いだけだろう!?」
「おお、その手があったな!」
ぽん、と拳で軽く掌を叩き、妙案を思い浮かんだような表情を浮かべるトレイドに対し、ザイはがっくりと肩を落とす。ーーザイに肩はないが、ようはそれぐらい呆れたということである。そんな契約者と精霊を見比べて、セイゴウは貫禄を思わせる口調で呟いた。
「主。以前あったときは中々出来る奴だと思っていたが……見込み違いか? それとも、素がこれなのか?」
「……実はトレイド君のそっくりさん……と、言うわけでもなさそうだな。おそらく、これが素なのだろう」
顎に手を当てて、なにやら考え込む様子のアキラは、ため息混じりにそう結論づけた。それと同時に、彼に対する警戒心が大分薄まっていることに気づき、一つ頷く。
「……どうかね、君も一緒に食べないかい?」
「へ? 俺? 良いんですか?」
アキラの申し出に対して、トレイドは己を指さして不思議そうに首を傾げる。そんな彼にアキラは頷くと、うーんと唸りながら虚空を見やり、何事かを考えた後、
「……それじゃあ、お言葉に甘えて。あ、でも大丈夫ですか? 俺のせいで食材が足りないなんてことは」
「君は妙な心配をする男だな。それぐらい大丈夫さ」
彼の心配事に、大丈夫だとアキラは肩をすくめる。その表情は穏やかな物で、先程までの警戒心が完全になくなったことを自覚する。彼の天然さに呆れと親しみが沸いたせいだろうか、それともこの男から、どこか義理の愚弟に似たものを感じるせいだろうか。
「さて、客人が増えたことを家内と妹に伝えるとするか。喜びたまえ、家内と妹の手料理はうまいぞ?」
「へぇ~、それは楽しみです」
どこか楽しむように、そしておもしろがるような表情でトレイドは口を開く。その態度に、どこか突っかかる物を覚えながら、彼を部屋へ上げようとして。
「叔父さん! クサナギが、誰かが転移してきた……って……?」
ドダドダドダと、誰かが走り寄ってくる足音と声が重なり、アキラの背後からタクトが顔を見せた。右肩にクサナギを乗せた彼はアキラに言いながら客人の存在に気づいたのだろう、トレイドの方を見ると、言葉が次第に尻すぼみになって消えていった。
「……と、トレイドさんッ!?」
「おっ! よ、少年! 久しぶりだな」
わなわなと震えるタクトが指さすと、トレイドはにやりと笑みを浮かべて片手を上げる。その笑顔は、「やっと見つけた」と言わんばかりだった。