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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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君の瞳に甘い一粒を乾杯。

掲載日:2026/06/11


「静かにしなさい!!このくらいで泣くんじゃない!!」


バシッ


「助けてっ……」


————私は一体何をしているんだろう。こんな毎日のように「躾だ」といって私たちに暴力が振るわれる保育士の無法地帯で。

 

 私、宮西みやにし 叶かなえは気づいたらここにいた。多分、私に物心がつく前にここに放り込まれたんだろう。そこからずっと、ここで暮らしてきた。小学校に関しても、登下校中、一生保育士が横にいる。それだけでもおかしいが、何よりもおかしいのが暴力。

 子供って普通何か痛いことや、悲しいことがあるとすぐ泣いてしまう。その度にこの場所の保育士は黙らせようと、怒鳴り散らしたり、殴ったりしてくるのだ。私なんてもう何回怒鳴られたか、殴られたか。まさにやりたい放題だった。保育士はここがストレスの発散場所とかでも思っているのだろうか。


 実際にこの場所では暴力による死亡者も出ている。しかも月に一回。しかしそれをもろともせず、普通に遺体を隠蔽するのだ。こんなの見るに耐えれない。

 さらに、余りの酷さに耐えられなくて、脱走しようとする人も何人も見てきた。しかしもちろんそんな簡単に脱走できるわけがなく、捕まるとさらに暴力を振るわれる。強制労働で部屋の掃除や洗い物までさせられる。


 ここまでして親が黙ってないだろうかって?ここに子供を預けにくるのは親が育児放棄をして、面倒くさくなり、最終的にここに預けにくるという流れがお決まりなのだ。


 この生活も多分7年目。そろそろ限界を迎えそうだった。今まで、逆境に打ち勝って明るい未来を自分で切り開くんだ、と思っていた。


「もういやだ。死にたい」


なんて数千回くらい思ったんじゃないか?いい思い出なんてあったのだろうか。もう心が限界だった。

 私の誕生日と重なっている国民的イベントであるバレンタインデー。それさえ何も楽しくないものだった。誕生日は友達に祝ってもらうだけ。保育士なんて見向きもしない。毎年誕生日が来るのが嫌だった。このまま年を取らないといけないのかと思うと切ない。そんな日々では、数少ない友達だけが救いだった。


 本当に私の誕生日含め、日常は全く楽しくなかった。そう、楽しくなかった。

今年で10歳になる私には、初めて好きな人ができたんだ。いわゆる片想い。


 相手は私より一歳年上、小学生5年生の大曲おおまがり 桂馬けいまくん。聞いたところによると約3年前に、親の事故死で入所してきた人らしい。

 

 出会いのきっかけは数ヶ月前。あの鬼畜保育士に私と桂馬くんの2人で行かされたおつかいだった。

 初めて会ったこともあり、歳では後輩だが、施設内では先輩なので、そういう風に振る舞わないといけないと思い、スーパーまでの道を先導しようとした。が、私はこの7年間で児童施設の敷地外に出たことがほとんどないせいで、どの方向に行けば良いかわからず、ウロウロしていた。


 すると桂馬くんはいきなり私の横に来て「道なら知ってるよ、付いてきて」と言い、逆に私を先導してくれた。

 その後の買い物でも重いものを全部持ってくれたりしてくれた。極め付けはバイクが後ろから来た時に私の体を安全な方向に引き寄せてくれたこと。小学生である私は男前な行動に完全に惚れてしまったのだ。桂馬くんは何も思ってなさそうな顔だったけど。


 そこから私は初恋という2文字のワードから感じるプレッシャーに負けて、それ以降今まで桂馬くんに話すことができなかった。


 だけどついに、生まれてから9回目のバレンタイン兼誕生日で私は覚悟を決めたんだ。人生を変えるってね。

 私は昨日おつかいに行かされた時に、自分の少ないお金で買ったDARSチョコを、友達に頼んでクーラーボックスに保存してもらうことに。


 そして今日は運命の前日2月13日。明日がバレンタインにも関わらず、施設内は何も変わり映えなかった。何もないまま昼を迎え、昼飯を食べて、勉強して夜ご飯を食べて、お風呂に入り、そのままベットで眠りに落ちた。



 日を跨いだ2月14日、午前4時前。私は尿意を催し部屋を出てお手洗いに向かう。廊下は月も沈み真っ暗闇に包まれていた。どこからかの森から聞こえるフクロウの鳴き声もこの雰囲気を引き立てていた。


「静か……」


いつもあんなに色々な声や物音が聞こえる地獄の雰囲気がまるで嘘のよう。毎日こんな平和で静かだったらいいのにな。でも私がどう思ったって変わらない。切なさと憎しみと寂しさを沸々と感じていた私は自然と涙がこぼれそうになっていた。


用を足して部屋に戻ろうとしたところ、すごく近くから物音が聞こえてくる。いつもとは違う。コソコソ隠れているような小さい音。……誰かいるの?


 周りを耳を澄ませて見渡していると、曲がり角のところから聞こえているのがわかった。


「誰……?」


今にもかすり消えそうな声で声を出すと、曲がり角から影が出てくる。


「ひっ……」


私は身構えて後ずさる。


「あ、なんだ。叶ちゃんか。焦った〜」


そこにいたのはまさかの大曲 桂馬くんだった。


「け、けけ桂馬くん!?!? ……わぶっ」


桂馬くんはいきなり私を押さえ込んだ。もうこれ押し倒されてるようなもの……(ねぇなんで小4でその言葉知ってるの?)


「な、何するの??」


「静かに。俺は今隠れてるんだ」


隠れている?誰から?


桂馬くんに聞いたところ、どうやらここから脱走しようとしているらしい。


「ダメだよ、ここは外に出たらブザーがなって施設の人が追ってくるんだから。それにでてった後はどうするのよ。私たちの親はもういないようなもんなんだから、家にはいけないよ」


「叶ちゃんと行った初めての買い物の時覚えている?」


もちろんだった。あんな濃い1日を忘れるわけがない。

私は頷く。


「あの時一度公園で叶ちゃんをおいてどこか行ってたでしょ?その時に駅までのルートを確認してたんだ」


「そうだったんだ……」


 更に聞いたところ、その後も何回もお使いに行っては外を見に行って地形を把握していたそうだ。それに、何回も捕まる前提で脱走もして、どの時間帯、どの場所、どの駅までのルートが1番捕まるのが遅いか試していたそう。よく死なないなぁ……


「ちょっとそろそろ行かないとまずいかも。このことはチクらないでくれよ」


そうして桂馬くんは立ち上がった。足に多分ここの人の仕業であろう傷跡が深く残っている。やっぱり無事ではなかったんだなぁ……絶対に成功してね。


……はっ!ここで見送ったら、もし成功した場合、一生会えなくなる……チョコも渡せないじゃん。

……怖いけど……人生は冒険だ!まだ好きだとも伝えてないのに会えなくなってたまるか!


「……私もついていきたい」


「え?」


「お願いします、私も連れて行ってください。7年もここにいてそろそろ限界なんです。早く自由が欲しいんです」


桂馬くんはうつむく。少し考え込んだ後私に言う。


「危険だぞ」


「承知の上です。荷物をとってくるから少し待ってて欲しい」


「急いでくれよな」


 そして私は小走りで自分の部屋に戻り、自分の服とかが入った小さいバック、友達に保管してもらったDARSを持って桂馬くんの元に急ぐ。


「来たね。走れるな?行く先は全て俺に任せて。俺たち、自由になろう。だけど全て自己責任だからな」


「うん、行こう」



午前4時、今私たちは暗闇に向かって飛び出していく。




——————————




「いくぞ、あそこに飛び移るからな。しっかり握ってろよな」


 そう言って桂馬くんは窓を開ける。次の瞬間私達は宙に浮いていた。


 そして見事隣の倉庫の屋根に飛び移る。同時に鳴り響く警報。私達は坂の下の方へと駆けて行った。まるで私の人生そのものを表すかのような。そんな急な坂だった。心の中はすでに緊張と怖さで埋め尽くされていた。

 私を引っ張っている腕はひどく傷ついていた。その傷一つ一つが今までの苦労を物語っていた。


 どんどん私が幽閉されていた施設が離れていく。それと同時に知らない世界への境界線を超えて行ったのだ。住宅地を駆け抜ける。


 5分が経ち、見知らぬ池がある公園までやってきた。桂馬くんはそこのベンチに私を座らせた。


「……逃げないの?多分追ってきてるよ」


「今逃げたって意味ないんだ。近くにある駅の始発が4時半なんだ。それまで逃げてないといけない。かと言って4時半まで待っていたら係の人が外からやってくる。この時間しかなかったんだ。後無理はいけない。叶ちゃんは少し休んでていいよ」


「……わかった」


 そこまで考えているんだ。まさかこの数ヶ月間ずっと調べてたのかな。本当に小学生5年生なの?私より一歳年上なの?だとしたら凄すぎる。よくそんなことバレずに計画できるよなぁ。そんな行動力があっただなんて。ちゃんと電車に乗るまでも計画しているのも凄すぎる。


…………あれ?ちょっと待って?


「……てか!」


「どうしたの?」


「電車に乗るためのお金とか切符は?あれないと乗れないんじゃ……」


 捕まるかもしれないという焦りのあまり、少し声を大きくしてそう訴えかけると、ポケットから何か取り出した。


「ほい」


 そうして手に渡されたものはここの最寄駅から乗るための切符。用意周到すぎて逆に怖い。


「……そんなお金どうやって出したの?まさか施設から奪って……」


「っ違う違う……!まぁそれでも良かったんだけど……あの施設には恨みしかないし」


桂馬くんは私の横に腰を下ろして話し始める。


「実は俺の親が死んでここに預けられることが決まった時に、おじいちゃんとおばあちゃんが施設の人に秘密で『何か必要な時にこれを使いなさい』って言ってこっそりお金を5万円くらいくれたんだ。ちなみに切符は2人分で1万5千円くらいだった」


5万円!?!?


小学生の私からすると5万円は未知の領域。凄いなぁ……お金持ち。

そして切符も高い。どこまで行くつもりなんだろうか?


あれ?でもなんで2つ買ってたんだろう?


「こっちから反応があるぞ、探せ!」


この声って……


「うわ、もう追手来たのか」


悪い予感は的中。私がどうしようどうしようとオロオロしていると、桂馬くんは急に私の髪の毛をいじり始める。


「なっ……何!?」


「叶ちゃん、多分GPSついてる。ほらこれ」


 私の髪の毛の中に仕込まれていた小さい石みたいなものを取り出す。知らないままにこんなものを仕込まれてたなんて。だから脱走してもすぐに捕まったのか。

 桂馬くんはそのGPSを投げ捨てて、ここはまずいと言いすぐに走り出した。後ろから追っ手の人が遠くから走ってきていたのだ。

 

 その後私たちは水路の脇を伝ってどんどんと時間をかけて駅に近づいていく。東の空には少しだけ光が見えた。始発電車の発車時刻の4時半までの30分間は、人生で1番長く感じる30分なのかもしれない。4時11分。刻一刻と運命の瞬間と駅が近づいてくるとともに、2人の間に緊張が走る。

しかし。


「はぁっ……はぁっ……」


私はもうすでに体力の限界が来ていた。目の前が眩む。それもそのはず。もうぶっ通しで20分以上走っているのだから。


駅はもう目と鼻の先なのにっ……こんなところで……!

すでに後ろに追手の人が4人ほど。このままじゃ捕まる。仕方がなく、私は私をおいいて先に向かってと言ったが、桂馬くんは首を縦に振らない。


「叶ちゃん……ちょっとこっち行こう」


 そう言って桂馬くんは曲がり角を3回ほど曲がり、ある空き地の土管の裏に身を潜める。疲れ切って座り込んでいる私を見て、桂馬くんは一度周りを見渡した後、私に言った。


「俺が引きつけるよ。この腕時計を渡すから、これが20分になったらこのルートで駅に向かって欲しい。その時に合流しよう。なんなら先に電車に乗っててもいいぞ」


 地図と腕時計を私の手のひらに乗せると、私を土管の裏に隠し、空き地から飛び出していく。その背中に少し物寂しさを感じた。

……本当に大丈夫なのかな?私は見つからないよね?それにこれが失敗したら……殺されるのかな。


 私は消耗した体力を回復しつつ、その時を待った。だけど私は逆に1分経つのがこの上なく恐ろしく感じた。


「こっちはいないのか?」


「いそうですね」


!!

施設の人の声だ。しかも2人。見つかれば……死、と言っても過言ではない。

私は心臓を極度にドキドキさせながら息を殺す。


「あの土管の裏とかいそうじゃね?」


!!

 しかし、ここが怪しまれないわけがなかったのだ。この辺は隠れる場所が少ない上に見通しが良い。だからここくらいしか隠れる場所がないのだ。ふたりはどんどん私がいる土管に近づいてくる。


「た……助けて……桂馬くん……」


今にも擦りきれそうな声が出た。

ダメなのかな。私に自由なんてないのかな。掴むことさえ許されない世界線。


「ここは僕が調べるので安達さんは戻ったところの水路探してくれないですか?角を何回か曲がってたのでそっちもあり得ると思います」


「了解。見つけたら言えよ」


 1人減った。だけど減ったところで変わらない。私は泣く気にもなれない。ただただ死ぬのを待つような顔をしていた。


「本当にここにいるのかよあの野郎。どうせほら吹きだろ。普通こんなとこに隠れる訳……」


「ひっ!」


思いっきり目が合う。

その瞬間私は全てが終わったと心、いや、全身がそう感じ、気を失った。





チョコ、渡したかったなぁ。


意識を手放す最後に、誰かの声が聞こえたような気がした。




——————————





じゃあね。叶ちゃん。元気でいろよ。


どこ行くの、待って————




「おっ、目ぇ覚めた?」


「……はっ!」


……さっきの施設の人で間違いない。私は逃げようとした。


「いやっ……私を殺さないで下さい!!」


しかしすぐ取り押さえられる。万事休す……


「まぁ落ち着けって。俺は敵じゃねーよ」


へ?


口調が優しい。さっきの人とはもしかしたら別人?

その男の人は、横たわっていた私を抱きかかえ、駅のほうに歩きながら説明する。


「俺は桂馬の家のお隣さん。朝霧あさぎ 宏哉ひろや。あんたらの味方」


「何を言ってるんですか……?……っていうか今何時っ……」


「今は4時18分。時間がないからそのポケットの地図見せてくれ。連れて行ってやる」


 とりあえず、雰囲気だけ見ると私の味方っぽかった。てか私、5分くらい気を失ってたんだ……危なかった。本当に間に合わないところだった。


 朝霧さんという人はそのまま私を抱きかかえて私のズボンのポケットから桂馬くんにもらった地図を取り出し、その地図の通りに駆けていく。……どういう状況?


「……あぁ確かにこのルートならあいつらバレないわな。さすが桂馬」


なんか1人で納得している。私はまだ脳内の情報処理を1割も完了していないのに。この人は一体何物……?お隣さんとか言っていたけど。


「なんで私を助けて——」


「実はなぁ、これ桂馬に頼まれてんだよ」


「えっ?」


 聞くところによると、さっき言っていた通り、桂馬くんと朝霧さんはお隣さんで、なんの偶然かわからないが、2人とも児童と保育士という関係で施設にいたらしい。そこで2人は他の保育士にバレないよう、1ヶ月以上前からこの計画を練っていたそうなんだ。追いかける時は絶対に追いかけ、捕まりそうになったらフォローする。そう約束していたそう。

まさか裏でそんなことが……


「……まさか宮西を連れ出す前提で計画立てるとは思わなかったぜ」


え?今なんて……?

私が顔を上げると朝霧はすぐ目を逸らす。


「いや、何でもない。気にすんな。それよりほら、駅すぐそこだぞ」


 朝霧さんが指差す方を見ると確かに桂馬くんが言っていた駅があった。

すると朝霧さんは私を駅の直前で車の影に隠す。


「桂馬はここにくるだろ?だから他の追手も絶対にここにくる。見張っといてやる。あとは任せな」


「あ、ありがとうございます」


すると、朝霧さんの思惑通り3人ほど追手がやってきた。


「すばしっこいなあいつ……マジで探せ!」


「……あ、朝霧!お前ここで何してるんだ!サボってるのか?」


3人のうち1人が剣幕そうな顔で朝霧さんに詰め寄る。


「違いますよ先輩。僕は逃走に電車を使うと予想しているので。来たところを捕まえます」


「確かにな。じゃあ俺らも見張るか」


「いや、大丈夫です。僕だけで脱走者を捕まえれます。足は自信あるので。あと、これ見てください。こんな地図が落ちてました」


そう言って桂馬くんが私に渡した地図を見せてしまう。


えっ!?だ、騙された……!?


「こっちのルートで行けば見つからないってことでしょう。僕はあまり視力良くないので隠れているところは見えませんでしたが……3人でこの辺で待ち伏せておけば絶対に来るはずです」


「なるほど……でかしたぞ、朝霧。確かにこのルートは予想していなかった。ここに行けば確実に捕まえられる」


そう言って3人は行ってしまった。

なんて口上手な人なんだろう……カッコ良すぎる。


「もう大丈夫だから。……おっと、そろそろ時間だ。桂馬に連絡する」


朝霧はスマホを取り出し桂馬くんに電話をする。


「もしもし。完璧だ」


『ありがとう、宏哉にーちゃん。今向かうよ。駅の中に叶ちゃんを入れておいて』


「了解。捕まんなよ」


電話を切ると朝霧さんはすぐに私を抱きかかえて駅の中まで向かう。


「じゃあ、気をつけろよな」


「あ……色々ありがとうございました。助けてくれてありがとうございました」


「いいってことよ。桂馬の頼みだからな。こっちのことの尻拭いは全部任せろ」


 そう言って朝霧さんはまた駅の外に向かっていく。するとまたこちらを振り返る。今までの顔で1番表情が和らいだ顔だった。


「桂馬のこと、頼んだぞ」



時刻は午前4時22分を過ぎたところだった。そろそろ電車が来る。私は切符売り場の物陰に身を隠しながら、桂馬くんが来るのをじっと待つ。


本当にくるよね……?捕まっちゃったりしてないよね……?


 もうこの30分以上、一生心臓がはち切れそうな思いをしてばっかり。そろそろ疲労も溜まりに溜まって限界が来ていた。私はカバンの中に入っていた水筒の最後の水を飲み込んで、耐え凌いだ。こんなのチョコどころじゃないよ……



25分。

 私の身の後ろの方からディーゼル車のエンジンと、ゆっくりと線路を伝ってくる車輪の音が聞こえてくる。


「桂馬くん……早く……もう間に合わないよぉ……」


 私は物陰でカバンを抱きしめたまま泣いた。このまま間に合わず、また戻されることを考えると涙が止まらない。仮にもし私が今この電車に乗れたとしても、桂馬くんが乗れないと意味がない。待つしかなかったんだ。そう、桂馬くんが来るまで。


28分。

 もう腕時計の針を目で追うことにも気持ち悪さを覚えた。なるべく考えることもできずにいた。……多分、捕まっちゃったんだろうな……。私がすぐにスタミナ切れして迷惑かけたせいで。あそこで単独行動にさせたせいで。囮にしてしまったせいで……!本当にごめんなさいっ……!!本当に、本当に、本当にぃぃっっ!!!!


「叶ちゃん、何汚い顔してるの。俺の前でそんな顔しないでよ。せめていつも施設のみんなに見せていたあの笑顔でいてよ」


「へぇっ!?」


 そこに立っていたのは私が散々導かれた大曲 桂馬くん以外の何者でもなかった。

私が最後に見た桂馬くんの姿より、傷が酷く、服も一部分が大きく破れていた。とても目に入れられない。


「……ちょっと、傷大丈夫?」


「そんなこと言ってる暇はない。ほら、行くぞ!」


「あ、ちょ」


腕を思いっきり引っ張る。私を引っ張る腕の力の強さが、施設を出てからこれまで出してきた、私のためのことの必死さが痛いほど腕を経由して伝わってくる。

 そして、私の涙はいつの間にか感動と感謝の意を表す涙にすり変わっていた。そのままの勢いで私たちは視界にとらえたディーゼル車に飛び込む。


「おい!今2人があそこの電車に乗り込もうとしているぞ!」


「マジか!?急げ!!」


 ついに施設の人に見つかった私たち。だけどそれと同時に発車のベルが鳴り響く。それを行かせまいと全速力でこちらに向かってくる。


早く扉閉まって……!閉まれば私たちの勝ちだから……!


プシューッ 



バタンッッ


「閉まった……?」


「うん。俺たちが勝ったんだ。もう大丈夫だよ」


 私が目を上げると同時に動き始める列車。施設の人を待たずして駅から離れていく。施設の人は何か叫んでいるようにも見えたがもうどうでもよかった。


「よかった……!もうっ、ダメかと思ったぁぁ〜!!ひぐっ」


 私は全てがいい意味で終わり、安堵するのと同時に膝から崩れ落ち、溜まっていた緊張と怖さを全て外に吐き出すように、大泣きし始めた。


「……遅くなってごめん。心配させたよね。本当は……もうちょっと早くくる予定だったんだけど思ったよりあの人達頭使ってきてね。回り込まれたりして時間取っちゃったんだ」



 

 年季の入ったディーゼル車は朝のモヤをゆっくりと駆け抜けながら、たった2人だけの乗客を幸せな空間の中で揺らしていた。





—————————





『次は、中ノ瀬に止まります。お降りのお客様は運賃を運転室前の清算箱にお入れください。定期券のお客様は——』


「……ねぇ。私たちはこれからどうするの?」


 脱走には成功したが、あの時は地獄から一刻も早く逃げ出したいという一心しかなく、逃げ出した後どうするかなんて何も決めてなかったのだ。


「とりあえずこの電車の終点まで向かおう。そこからはまた決める。それにどうせ施設の人も追ってくる。今はまだ束の間の休息時間ってわけだよ」


 まだ終わってないのか。もう自由になれたと思っていたのに……?やっぱり私には自由なんて、なかったんだな。


「でも市街地の方まで行けば隠れる場所も多い。それに何があろうと俺は叶ちゃんを守ってあげるから。一緒にいっぱい逃げようよ。お金ならまだ余ってるし」


 私に向かって差し向けられるその一言一言が、それまで緊張と怖さで動いていた心臓の鼓動は全て憧れと恋心による鼓動の刻み方に変わっていった。


もっと大きく、大きく。

 この恋心の象徴であるこの音が、そっと添えた手を経由して伝わってしまってないかな。伝わっていたら恥ずかしい。私が言うまでは、気づかないでいてほしい。知らないでいてほしい。


 この怖さとはまた違う緊張を和らげるため、私は桂馬くんに今までのことを全て聞き出した。


「私、朝霧さんに聞いちゃったんだけど、この計画私のためだったの?」


「……! なんでそれを……?」


 桂馬くんの顔が焦りの表情に変わっていくのがこれ以上ないくらい丸わかりだった。核心を突かれたのか、桂馬くんは顔に手を当てて項垂れる。


「……絶対言うなよって言ったのに」


そう愚痴を漏らすと彼は座席から立ち上がり、ドアから外の景色を眺める。そして深い深呼吸を5秒くらいかけ、ついに口を開く。


「……そうだよ。叶ちゃんの言うとおり。叶ちゃんを連れていく前提で宏哉にーちゃんとこの計画を立てたんだよ。1か月以上前からね」


「そうなんだ……でもなんで私を……?私がいない方が楽に逃げれるのに」


 それだけが疑問だった。結果私が勝手についてきたみたいな感じだけど、本当は私を連れていく予定だって言ったって…… 「行こう」なんて私に一度も言わなかったじゃん。おまけに私がついて行きたいって言った時はすごい驚いていたし。


桂馬くんはまた黙り込む。


 もしかしたら機嫌を損ねたかもと思い、何かいいものはないかとバックの中を探る。


……あ。私は……

 そこで私は本当の目的を思い出した。こんな朝っぱらに命のリスクを冒してまでこの場所にいる理由を。こんな着替えが入ったバックを背負ってまで走った理由を。桂馬くんの横にいる事を求める理由を。点と点が繋がった瞬間だった。

 

 赤色のパッケージに白文字で書かれたものを。


————桂馬くんは果たして、空気が読めない女の子を意識してくれるのかな?


 また私の横に座った桂馬くんは安堵でも達成感でも嬉しさでもない、よくわからない表情を浮かべていた。そんな横で私はDARSをポケットに隠したまま迷っていた。


桂馬くんが悩んでる。絶対今じゃない、いや、今のうちに言わないと2度と言えない。今しかない。心の中に住む天使と悪魔が戦争規模の争いをしている。


あ、———私はまずそれのためにあそこを出たんだった。なのにタイミングが悪いという理由でやめてしまっていいのか。それに私のただの片想いなんだから、今言わないで待ってたって、向こうから来るなんてことはないんだから。


負けてたまるかってんだ!!


「あ……」


「?」


言えない。

やばい。負けそう。余りにも早い挫折すぎて自分でも萎えた。


「どうしたの?」


「ひゃぁっ」


 急に顔を覗き込まれたのと、恋心というカテゴリーで悩んでいたことと、ちょうど大好きな相手だったせいで私は変な声が出てしまう。


「な、なな、何でもないです!」


 私は両手を振って違う違うアピールをする。見るからに怪しい口調だし、顔も赤らめていたのだが、桂馬くんはスルーしてくれた。


「そう?じゃあちょっと……目を瞑ってくれない?」


「へっ」


なぜなのか言及したかったが、桂馬くんに急かされたので少し怯えながら目を閉じる。なんかとても怖い。急に目を瞑れと言われて。何をするつもりなんだろう。まさか……キス……な訳。


「いいって言うまで絶対目開けないでね」


 そう言ってすぐ、何かガサゴソ音が聞こえたような気がしたが、ちょうどディーゼル車がポイント通過のタイミングと重なりほとんどなんの音かわからなかった。

 なんの音かわからないって、なんか怖い。


「ちょっと俺前面展望見るために先頭の車両にいってくるから。いいよ、目を開けても」


唇や頬に感覚はこの数秒間なかった。私はほんの少しだけガッカリした。

そう思いながら目を開ける。自分から離れていく足音も聞こえた。



「……え」


張り切って目を開けると膝の上に二箱のホワイトDARSがしっかりと置かれていた。


 あれ?私のポケットに入ってるのを出された?いや、入っている。しかも私のものはホワイトじゃないし。私はホワイトなんて持ってきた覚えがない。だとしたら。


「ん?何これ」


私は白ダスと白ダスの間に一つの紙切れが挟まっているのを見た。


「これは————」



叶ちゃんへ

これが俺の答えだ。計画の目的だ。

叶ちゃん、俺と付き合ってほしい。空気が読めない男の子でごめん。返事が決まったら先頭車両まで来て。


「っ!?!?」


 声にもならない驚きが私だけがいる車両を駆け巡る。まさかの展開にその場から動けなくなる。


へっ……これって、もしかしてじゃなくてそうだよね……?


 当たり前のように嬉しさよりも驚きが圧倒的に勝った。少し時間をおいて冷静になると、この手紙と白ダス×2に感動を覚えた。私にこれを渡すためだけにこの計画を1ヶ月以上前から立てて、さらに成功させていると考えると意図していないのに勝手に涙が出てくる。止まってくれない。


「なんで、私こんなに泣いてるんだろ。フフッ。わかんないよ。誰にも教えてもらうことのできない、真似できない、自分しか知る事を許されない私だけの涙なんだろうな」


あれもこれも全部演技だったんだなぁ。でも結果良ければ全てよしってやつだよね。


返事は……勿論。




「桂馬くん」


 桂馬くんは言ってた通り前面展望を満喫していた。こっちは色々と気持ちを抱えてるって言うのに。

 ……最後の大勝負だね。桂馬くん。しっかり受け止めてよ。


「手紙みたよ」


「そうか…………返事はどうなの、叶ちゃん」


桂馬くん、本当にありがとう。今度は私が恩を返す番だ。何年掛かっても構わない。私が導くんだ。危険なこの世の中で。私たちで本当の「大人」になろう。


「桂馬くん、これ」


そう言って私はポケットにしまっていたDARSを桂馬くんに差し出す。

私は今までのことなんて忘れるような笑顔でこう言った。




「これからよろしくねっ」




 私はそのあと不意打ちにも程があるスピードでキスをされた事をいつまでも忘れないでいた。



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