咳
1月の末に、インフルエンザを罹患してから、身体は元気になったが、ずっと咳をするようになってしまった。
転職に伴い直近で受けた健康診断では問題なかったため、大病にかかっている訳ではないと思うが、一回一回、咳をするたびに、考えてしまう。このままずっと治らなければ、どうだろうか。
その際、私が抱く感情。
それは不安ではなく、優越感であった。
一般的に、ずっと咳が治らない場合、人間が抱く感情は、自分でも気付いていない大きな病に対する不安や、恐怖かと思う。そしてそれは、根本的には、死への恐怖に由来する。
しかし死への恐怖が限りなく薄い場合、どうだろうか。
死というものに否定的な印象が欠如していて、好きにやってその結果、いつ死んでも良いという思考回路であれば、咳が止まらない今の状況は、決して悪いものでは無いのであった。
咳をしてもひとり
尾崎放哉の句に、私は感銘を受けた過去がある。
これほど叙情的な一文があるだろうかと思う。
それもあり、私は咳をし続ける人間に、明治の文豪のような、退廃的な美しさを感じている。
そして私は今そうなっている。
この状況を客観的に見た時に、死への恐怖が欠如している今の私は、とても嬉しくなるのだった。
これは側から見れば『中二病』というのだろうか。他人が聞くと、痛々しく思う者もいるかもしれない。しかし私は私の感情を、嘘偽りなく文字に起こすと、そうなってしまう。
しかしそれに対して、私は誇りを持っている。
それだけで充分なのだ。
他人のことなど、考える必要なんてない。
自分の思うがまま、正直に生きれば良い。
それを否定する人間はクソだと思う。
結局みんな、自分が一番大事なのだ。
その考えは共通認識として誰しもが持っている筈なのに、
どうして、ありのまま生きる人間を否定できる?
書いている途中、また何回か咳をした。
咳をしてもひとり。
しかし最後に一つだけ言っておきたい。
これまで書いたことの全ては、私が孤独だからこそ言えるのだろう。
今私には、守るべき人間がいない。
これから、私を育ててくれた父や母からする私のように、私にも守るべき者ができたら、
また死ぬのが怖くなって、
咳をし続けるのが、怖くなるのだろう。
その時には、ちゃんと病院に行こう。
考え方はいくらでも、変えれば良い。
そんな下らぬことを考えた、夜であった。




