冬の蝉
彼は、狭い書斎の机に向かい、パソコンの画面をじっと見つめていた。
ラノベ全盛期と呼ばれるこの時代、読者は誰もが読みやすく、感情移入しやすい一人称の物語を求めていた。
軽快で、ページをめくる手を止めない文章。それが売れる文章であり、世間の標準だった。
彼の小説は違った。三人称で視点を切り替え、登場人物の心理や葛藤を丁寧に描き、世界を立体的に構築する。
書くたびに手が止まり、推敲を重ねる作業は終わりが見えない。即効性の共感やSNSでの拡散も期待できない。それでも彼は、毎日机に向かってペンを握った。
彼は己を「冬の蝉」だと思っている。生まれ出る季節を誤った蝉は、冬の冷気の中で声を上げても、誰の耳にも届かない。
それでも生きなければならない。与えられた場で、声を振り絞るしかない。
創作を始めたのは、まだ幼く、映画やTVで目にする仮想の世界に想像力を膨らませていた頃だ。1984年のことだ。
あの頃は、ノートにびっしりと鉛筆で物語を書き込んでいた。
魔法も戦争も星の海も自由に行き来する、壮大なファンタジー。それこそかの「STARWARS」も顔負けの大長編だった。
しかし稚拙な文体にお粗末な表現。意味不明な展開と語彙不足からくるオノマトペに頼る手法など、評価は散々だった。しかし、あの頃の彼はそんなこと気にも留めなかった。書くことが楽しくて仕方なかったのだ。
時代とともに媒体は変わった。
手書きの大学ノートは、次第にデジタルデバイスになり、保存先はフロッピーからMOディスク、そしてハードディスクやSSDへと姿を変えた。そのたびに元原稿は徐々に失われ、足並みを揃えるように若き日の筆跡も風化していった。
こうして失われ削られていくに連れ、物語の芯だけが、今も彼の中に燃えている。
仕事に追われていても合間を見てはノートパソコンに文字を書き綴っていく。書き溜めた分だけ物語は進んでいく。
小説だけでは飽き足らず、彼は挿絵を描き始めた。
初めての頃の作品は、今見れば幼稚なものだった。低スペックのパソコンに、ペンタブレットなどという高級品はもちろんない。
使っていたのはパソコン付属のペイントソフトとマウス一本。線はカクカクで、影も色も思うように出なかった。
もちろんネットに上げた絵は、容赦なく酷評された。
「下手すぎる」
「線画が歪んでる」
「色が死んでる」
「そもそも構図がおかしい」
「パケット料の無駄」
「CGなのだからもっと上手く描け」
だから彼は筆を置かなかった。
小説も絵も上達したいと描き続けるうちに少しずつ形が整い、線が柔らかくなり、陰影を掴む感覚を覚えていく。同時に「神絵師」と呼ばれる人々の作品は、彼よりもさらに進化を遂げ遠く及ばないという現実を突きつけられるのを分かっていながら、筆を執る。
1枚の挿絵を描くのに通算で24時間を要する。
平日は1日1時間、休日には7時間。描き始めからほぼ2週間をかけてようやく完成する。構図を考え、キャラクターの表情を微調整し、影を入れ、色を重ね、何度もやり直す。目に痛みが出てくる頃、ようやく一枚が仕上がる。
そんな作品もWebに出れば泡沫のように消え去っていく。
神絵師の「ラクガキ」には遠く及ばず、アナログ絵師には「デジタルでしか描けない初心者」と見下され、あまつさえAIの生成した画像にも閲覧数を奪われていく。
努力の時間など外部には関係がない。デジタルとAIの技術は人を「絵師」にさせている。魅力的で目を引く絵が次々とネットに溢れ、作品をSNSに掲載してもまるで下水のように押し流され、誰の目にも留まらない。
それは分かっている事だ。そんな状態でも彼が、自分の描く世界を手放すことができないのは何故だろう?
文芸や芸術は、本来生物が生きていく上で何の価値もない代物だ。乱暴な事を言えばなくても構わない。そこに価値を見出すのが文化だ。
しかし文化は決して固定されない。流動的で不定形なものであり、時代によって左右されるので、芸術の価値もまた受け取る側の感性によって大きく変わる。
たとえ意味不明なラクガキでも、ステータスのある者が良いと言えば価値は上がり、逆に美しいと思えるものでも「不敬だ」「教えに背く」と言われれば滅ぼされ土に還る。後代に受け継がれるものなどごく僅かに過ぎない泡沫のものだと分かっていても、表現者は何かを残そうとする。彼もまた、その数多いる表現者の一部なのだ。
仕事と家事を終え、深夜の静けさの中でようやく訪れる創作の時間。
彼は小説と絵、二つの道を同時に歩こうとしていた。だが、そのどちらも険しい。文字に時間を割けば絵が遅れる。絵に没頭すれば小説の更新が止まる。二刀流の誇りと現実の不条理の狭間で、彼はいつも自問していた。
「いったい、何のためにこれを続けているのか」と。
それでも、答えはひとつだった。
「描きたいから。書きたいから」
そう口に出すたび、少しだけ胸が軽くなる。
時代は変わり、文学も絵も今まで以上に商業の波に飲み込まれていった。「その時に売れる作品」ばかりを選び、大量に吸い上げ消費していく。
結果、誰でも簡単に創作者だと名乗れるようになり、創作者向けの「売れるためのメソッド」が濫立していく。それが必然の流れであり、流れを掴んだ者は、着実に高みへと進み成功者の一人となる。それは誰しも夢見る事だ。それがモチベーションになるのだから。
彼は思う。大量消費とタイムパフォーマンスを求められる今日では、三人称で重ねていくような物語は、いずれ淘汰されるだろうと……それが判っていても、文字を紡ぐ、何かを描く手を止めることはできない。
「努力はいつか報われる」と、成功者は簡単に言ってのける。そしてその手法や動画を出し、さらに多くの反響を得ている。
彼はそれが幻想であることを肌身で理解している。例えば何の予兆も見せなかったアイドルが突如作家宣言をし、出版社から本が出され、いきなり賞レースにノミネートされていく。これはビジネスであり「売れる事」こそが何よりも重要視されるのだから当然だ。
その一方で、何十年も潜伏し報われない努力を続けている者も、この世には確かに存在している。応募しても論評もなく落選し「今回も何も成せなかった」という虚しさを同居させながら。
彼の描く世界は、時代に取り残された古びた城のように静かだった。
だが、その石壁の中には確かな炎が燃えている。
PVが低く、読者がいなくても、絵が見向きもされず埋もれていても、創作するという行為そのものが彼の生きる証なのだろう。
「冬の蝉」は鳴いても誰にも届かない。
だが、鳴くことをやめた瞬間に、その存在は完全に消える。
彼は今日も机に向かう。文字を打ち、線を引き、色を重ねる。
誰かに見つけてもらうためではない。
誰かに認められるためでもない。
ただ、この世界を生きた証として、表現するために。
虚しさと孤独の果てに、それでもなお鳴き続ける声がある。
それが、彼の矜持であり、創作者としての祈りだった。
冬の蝉は今日も、雪の降る空に向かって鳴いている。
誰にも聞かれず、誰にも届かずに……
それでも確かに、鳴き声は、絶やすことなく放たれている。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
1984年から書き始めて、40年が過ぎました。
この作品に書いたことは、多くの部分で私自身の経験です。
評価されない創作を続けることの虚しさ。
それでも筆を置けない不思議な衝動。
報われないと知りながら、机に向かう日々。
この物語が、同じように創作を続けている誰かの心に、
少しでも届けば、それだけで十分です。
冬の蝉の声は、今日も鳴き続けています。
2025年11月 朝霧 巡




