ページextra1 図書館の眠り姫と体育祭の話
今作は時系列が2話と3話の間になってます。
「あー、疲れた……もう何もしたくない」
6月のとある水曜日。
いつもよりも少し遅く図書館に着いた美咲は、カウンターにうつむいてぐったりしていた。蒸し暑い梅雨時なのもあり、図書館は冷房も完璧だったが、ハンディファンを顔に向けて「あ〜」と声を震わせている。それでも少し汗が滲んでいることから、相当体を動かしているのが伺える。
「……美咲さん、どうしたんですか?」
隣では愛乃がゆっくりと本を読んでいた。
今日は太宰治の走れメロスを読んでいる。愛乃なら何度でも読んだことがありそうだが、名作だと何回読んでも飽きないのだろうか。
「あー、体育祭のテント設営があってさ……実行委員の子に頼まれたからめっちゃ手伝ってたのよ」
「……あっ、もうすぐですもんね」
美咲たちの高校では、6月の初め頃に体育祭が開催されている。体育会系の生徒にとっては一大行事なのはどの高校も共通で、最近は校内のムードが体育祭一色に染まりきっている。
美咲はそこまで熱心に取り組む訳ではないが、みんなで何かをするのは好きだったので、顔の広さもありあちこちを駆け回っていたのだ。
「テントって生徒が建ててたんですね……先生たちがしてるのかと思ってました」
「高校規模でそれやってたら先生たち疲れて死んじゃうよ。てか愛乃はそういうのしたことないんだね」
そう話しかけると、愛乃は少し俯いて本に顔を隠すようにする。体育祭の話はあまりしたくなさそうな雰囲気を美咲は感じた。
(愛乃は見るからに文化系だもんね。苦手なことは語りたくないか)
そう思い、どう話題を変えようか考えていると、愛乃が呟くように口を開く。
「……私、去年の体育祭は休んだんです……運動、苦手だから」
「……そっか」
まさか話してくれるとは思っていなかったので、美咲はどう返事をしたものかと戸惑ってしまう。
体育祭の雰囲気が苦手で休むという人もいるのは知っている。だから、配慮が足りていなかったのを感じてしまう。
(マズッたな……愛乃にこの手の話題を振らない方がよかったかも)
そう美咲が悩んでいると、愛乃からの視線を感じた。
愛乃の方を見てみると、先程まで読んでいた本を閉じて美咲の方をじっと見つめていた。
「どうしたの?」
問いかけてみるも、愛乃の目線は逸れることはない。
先程まで本を読んでいたので、ヘアピンで前髪を留めており、群青色の瞳がこちらを見つめているのがよくわかる。
「……愛乃?」
怒ってるとか、そういうのではなさそうだ。
けれど、愛乃が何を思っているのかわからなくてどぎまぎしていると、愛乃は意を決したように問いかける。
「美咲さん……体育祭って、楽しいですか……?」
何を思ってそれを問いかけているのか、真意はわからないが美咲は自分の思いを伝えることにした。
「私は好きだよ。みんなと協力して何かを成し遂げる感じとか、お祭りみたいな雰囲気とか、汗を流して頑張るのも……メイク落ちたりするのは嫌だけど、なんだかんだで好きかも」
それを聞いて、愛乃は「そうですか…」と黙り込む。
愛乃の中にも、体育祭に対する葛藤があるのだろうか。
「……実は、運動は嫌いではないです。まあ、苦手なんですが……でも、それ以上に……」
そう言うと、愛乃は口を噤む。
言いづらいことを言っているのだろうということはわかる。
そして、それを吐き出してみたい、ということも。
無理に言わなくてもと言おうとしたが、美咲も愛乃のことが気になるので、聞きたい気持ちもあった。
長く感じた数秒の沈黙の後、愛乃が少しずつ言葉を紡ぎ始める。
「……人前は、苦手です。何を考えているのかわからない人たちが、たくさんいるのは……私には怖いんです。そんなことはないと分かってるけれど、思ってしまうんです。『もし嘲笑されていたら』『変なやつだと思われたら』『周りからはみ出していたら』……って」
きっと、愛乃はこのことで悩み続けているのだろう。
周りの目線が気になって、自分の行動を制限してしまう。それは美咲にもあることだ。グループの中にいるからには、はみ出ると外されるかもしれない。そんなことを考えていると、本当の自分を出せていないかもしれない、と思うこともある。
それでも。
「……気にしなくていいんじゃないかな?」
「……えっ?」
美咲からの一言が意外であるかのように、愛乃は目を丸くする。その瞳には、先程よりも少しだけ明るさが戻っているような気がした。
「周りの目線は気になるけど、いくら考えても結局はみんなの気持ちなんてわからないんだよ。……私にも、愛乃がそう思っている理由は完璧にはわからない」
でもね、と美咲は愛乃に伝わるだろうかと考えながら言葉を選ぶ。
「だからこそ、気にしなくていいんじゃない?嘲笑われたって、いろいろ言われたって、自分は自分なんだよ。せっかくなら楽しんでいこうよ。周りだって意外と自分たちのことは見てないものだよ?」
その言葉に、愛乃は少しだけ俯いた。
気にするな、と言っても気になるのは当たり前のことだろう。
「それに、私は愛乃と体育祭、出てみたいな」
「……あ」
愛乃はヘアピンを外して、わざとらしく顔を隠す、
けれど、ちらりと見える頬は赤らんでいるような気がした。
「……わ、私も……美咲さんとなら、出たいかも……体育祭……」
「……うん!出ようよ!でも、無理はしないでね?」
はい、と愛乃は呟く。
その声は、その日で一番嬉しそうな声をしていて、美咲は愛乃の気持ちが少しでも軽くなったのなら嬉しいな、と思った。
◆ ◆ ◆
体育祭当日。
美咲は実行委員のクラスメイトの手伝いを終えてから、2年生のテントへと戻ってきた。
周りは『絶対勝つぞ!!』『おっしゃああああ!!』と気合を入れる男子たちや、その周りでワイワイと騒ぎ立てる女子で盛り上がっている。
辺りをキョロキョロと見回してみるも、愛乃の姿はない。
(……愛乃、休みなのかな……?)
愛乃を探していると、後ろから
「なにしてんの?」
と話しかける声がして、振り返る。
そこには、友人の宮島華乃が立っていた。
「ハナちゃん」
「うっす、みさきち!誰か探してんの?キョロキョロしてたけど」
華乃は愛乃のことを知っているようだし、同じクラスだから事情がわかるかもしれないと思い、美咲は相談することにした。
「ハナちゃん、愛乃がどこにいるか知らない?」
それを聞いて、華乃は少し気まずそうな表情をする。
「あー、よしのんね…よしのんは、来てるんだけど……体調崩しちゃって、今は保健室にいるの」
「ありがと!」
美咲はそれを聞くとすぐに保健室のある校舎の方へと走り出す。
「ちょっと、みさきち!もうすぐ競技!!」
焦りながら大声で伝える華乃に、美咲は振り返らずに手を振りながら
「すぐ戻るから!」
とだけ言って走っていく。
華乃はそれを呆れた顔で見つめる。だが、自然とその口はにやけるように緩んでいた。
「まあ、みさきちなら大丈夫だよね」
「愛乃!!」
扉を乱暴に開くと、部屋の中から「ひゃああっ!?」という叫び声が聞こえた。
そちらの方を見ると、ベッドの上で愛乃が驚いたような顔で固まっている。保健室には誰もいなかったからか、髪をヘアゴムで纏めており、表情がよく見える。そして、その手元には1冊の本があった。恐らく、先程まで読んでいたものだろう。いつもの愛乃と変わらない姿に美咲は表情が緩んだ。
「……よかった、元気そうで」
乱れた息を整えながら、美咲は愛乃の体調がそこまで悪くなさそうなことに安堵していた。愛乃は、そんな美咲を見ながら、わずかに微笑んだ。
「ありがとうございます、見に来てくれて。……でも、競技は?」
美咲はベッドの近くのパイプ椅子に座りながら答える。
「大丈夫、すぐに戻るから!愛乃は……出れそうにない?」
「ごめんなさい、やっぱりあの雰囲気は……」
「うん、無理言っちゃってごめんね」
愛乃はそんなことはない、と言うかのように首を横に振る。
「私、嬉しかったです。美咲さんに『一緒に出よう』って言ってもらえて。……だから、気持ちに答えられないのは、悔しい」
愛乃は今にも泣きそうな顔で下を向く。
愛乃が頑張っているのだということは美咲がよく知っている。それでも、駄目だったのなら仕方ない、と思うが、愛乃はそんな自分が許せないのだろう。
「でも、愛乃はここに来てくれたじゃん」
美咲の一言に、愛乃の肩がピクリと動く。
「家で休むこともできたのに、来てくれたじゃん。じゃないと、私たちはここで会えなかった。それは、去年と比べるとレベルアップした、って言えないかな」
愛乃は枕で顔を隠しながら、
「……ありがとう」
とだけ呟いた。
その声は少し震えていて、愛乃が泣いているのだと美咲は気づいた。
半開きの窓から、音割れする程の音量で放送の声が流れてくる。もうすぐ、2年生の競技が始まる。さすがに戻らないと間に合わないだろう。
「それじゃあ、私は行くよ。愛乃、ありがとね」
そう言いながらパイプ椅子から立ち上がって歩きだそうとすると、引っ張られているような感覚がして振り返る。
愛乃が、ジャージの裾をぎゅっと掴んでいた。
「美咲さん、これ……」
そう言いながら渡してきたのは、一本のスポーツドリンクだった。少しぬるくなっているそれは、愛乃も外で頑張っていたことを表していた。
「外、暑いから……気をつけて」
愛乃は相変わらず顔を隠していて、表情はわからない。
だが、間違いなく美咲のことを応援してくれていることは伝わる。美咲はそれを受け取ってから、愛乃の手を一瞬だけギュッと握る。
「ありがと、行ってくる!」
そして、美咲は慌ただしく保健室から駆け出していく。
余程慌てていたのか、扉を閉め忘れている入り口からは、美咲の足音が遠ざかっていくのが聞こえてくる。
やがて、校舎が静まり返り、遠くから『次は2年生による綱引きです』と放送が聞こえてくる。
愛乃はほんのりと湿った枕から顔を離す。
「美咲さん、間に合ったのかな……?」
呟いてみるも、今の愛乃にはそれを知る術はない。
間に合っていることを祈りながら、愛乃は握られた右手をじっと見つめる。
結果として一緒には競技に出られなかった。
それなのに、美咲は『でも来てくれた』と肯定してくれた。
そんな彼女となら、出てみたい。
今年は無理だとしても、来年こそは。
「美咲さんと、体育祭……出たいな」
そう呟くと、ふと保健室の隅の姿見に自分が写っていることに気づく。その顔は、少し明るくなっている。
美咲と一緒にいると、大嫌いな自分のことが少しずつ好きになれるかもしれない。そう思うと、愛乃は僅かな希望を抱いて目を閉じる。
窓からは僅かに風が吹き、カーテンが揺れていた。




