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6ページ目 美咲先生といっしょ


放課後の喫茶アムールは珍しくガラガラだった。

普段は美咲たちの高校の生徒で賑わっているのだが、今日は空席が多く、BGMとして流れているジャズがいつもよりもよく聞こえる。


愛乃は物珍しいものを見るかのように、辺りを見回している。


「よしのんはアムるの初めて?」


そんな愛乃を見ながら、華乃はとても楽しそうに笑みを浮かべる。


「アムる……?」


聞き慣れない造語に愛乃は首を傾げる。


「ああ、アムるっていうのはね、ここ……喫茶アムールに遊びに行くことだよ。みんなそう言ってるんだ〜」


「へえ……」


愛乃は納得したようで、目をキラキラと輝かせながら再び周りの装飾へと目を移す。

そんな二人のやりとりを見て、美咲は尋ねる。


「二人っていつの間に仲良くなったのさ、前は愛乃が人見知りしてたのに」


「もう、頬を膨らませちゃってさ。ヤキモチでも焼いてんの?」


「ち…ちっちちち違うし!!!」


狼狽える美咲を見ながら、華乃はケラケラと笑う。

人をおもちゃのように扱うなんて、と美咲は拗ねて頬を膨らませているが、華乃はそれに気づかぬふりをしながら話を続ける。


「昨日、美咲が休んだ時にさ、愛乃から美咲の家を聞かれたんだよね。それで話すようになった訳!」


「へえ……でも、それだけにしては親しそうな……」


そう言いながら愛乃の方を見てみると、愛乃が頬を赤らめながらあたふたしていた。


「はっ、華乃……さん!そのことは美咲には……」


どうやら美咲に内緒にしたいことがあったらしい。

それが何かは気になるところだが、事実を考えると華乃のおかげで仲直りできた訳だから、突っ込まないことにした。


「よしのんにこんなに可愛く口止めされたら仕方ないなあ」


それはそうとして、愛乃に甘すぎでは?と美咲は華乃の愛乃への溺愛ぶりにじっとりとした目線を送る。


それを避けるかのように、華乃は唐突に話題をすり替える。


「そ、そういえばさ、今日からテスト期間な訳だけど二人は勉強大丈夫なのかな〜?」


「その話題は成績優秀な私には無意味だとわからないのかね、ハナさんや」


「ほんまに優秀な人は自分では言わんものですよ」


なにおう!!?と美咲は華乃を睨みつけると、華乃も流れで睨み返してくる。お互いの間にバチバチと火花が流れているような雰囲気に、真ん中にいる愛乃があわあわと慌てている。


「真の優等生とは物言わぬものだよ、そこにいるよしのんのようにね!ね、よしのん?」


「えっ!?……う、うん……」


華乃に話しかけられた愛乃は、なぜだかビクリと肩を震わせてからモジモジとしている。先程の会話とは全く違う様子に二人の頭に?マークが浮かんでいる。

少し経ってから、愛乃は意を決したかのように二人に告げる。



「わ……私、実は、赤点……取りそうで……」



「「……………………………へ?」」



予想外の言葉に同じような反応をしてしまう美咲と華乃。

店内には、グラスの中で溶けた氷がカラン、と落ちる音だけが響いた。





愛乃の話は、今までの彼女の儚げなイメージからかけ離れたものだった。


高校に入学したての頃は、愛乃は元々は授業中にも本を読んでいたらしい。

その時点で美咲にとっては衝撃的だった。


だが、それは先生たちに目をつけられやすいということで、すぐに止めたそうだ。本を読む時間をどうにかして捻り出したいと思った時に、愛乃が至った結論が……。


「睡眠時間を削る、と……よしのんって意外とバカなの?」


「直球すぎるけど、私もそう思う」


二人のツッコミに『あはは…』と苦笑いする愛乃。

図書館の眠り姫、だなんて麗しい二つ名の理由がこんな脳筋なものだと知ったら、愛乃の隠れファンは卒倒するに違いない。普段のミステリアスな雰囲気とは真逆すぎる。


「でもさ、授業中寝てて赤点取ってたら、それはそれで目をつけられない?その割にはよしのんのことを悪く言う先生なんて見たことないんだけどなあ」


愛乃と同じクラスの華乃が言うのだから間違いないだろう。

美咲たちの通う高校は比較的緩い校風ではあるが、一応名だたる進学校である。そのため、成績に関しては厳しい。赤点を取ると補習は当たり前、再試験が無限に続くなんてこともあるらしい。


「……うん、私、ほとんどの科目は平均以上だから。本から知識はいくらでも得られるし、何なら教科書読めば満点取れるわ」


「おいおい、今試験勉強頑張る人たちを敵に回したよこの子」


思わずツッコミを入れてしまう。


「……でも、数学だけは駄目なの」


「数学?」


美咲が聞くやいなや愛乃はガバッと姿勢を前のめりにする。


「……そう、数学!読んでも訳のわからない数字や記号の羅列……!挙げ句の果てにはベクトルだの微分積分いい気分なんて言い出すじゃない、訳がわからないわ……!」


こっちは全然いい気分なんかになれないわ、と愛乃はプンプンという擬音が似合うような怒りっぷりだ。


「それで、数学だけは赤点取っちゃうってこと?」


華乃が愛乃に尋ねると、愛乃はブンブンと首を縦に振った。

そんな様子を見てから、華乃は美咲の方へ話しかけてくる。


「……だそうですよ、みさきちさんや」


「……?美咲さん、数学得意なの?」


愛乃は期待を込めた眼差しで美咲の方を見つめる。


「……一応、毎回9割超えております」


自慢ではないが、美咲は成績上位だ。

いくら校風が緩いとはいえ、自分のスタイルを貫き通すにはきちんとした地力が必要なのである。愛乃と違って国語は苦手だが、それ以外ならかなり自信があった。


「……教えて!!」


愛乃のものすごい勢いに気圧されそうになるが、普段の物語とかについて教えてもらう関係とは逆なのが少し嬉しかった。今回は自分が愛乃の役に立てそうな気がしたからだ。


「美咲先生に任せなさいっ!」


「みさきちせんせー、うちもー」


「ハナは自分でできるでしょ」


「ひどーい」


華乃はそう言いながらも、あまり気にしていない様子だった。

愛乃はそんな二人を見ながら、にっこりと微笑んだ。


「……うん、よろしくね。……美咲先生」


少し頬を赤らめながら冗談を言ってくる愛乃が、美咲にはとても可愛らしく見えた。



        ◆     ◆     ◆


翌日から、放課後には試験勉強を始めた。

試験期間中は図書委員の仕事も休みになったが、二人で勉強するには図書館が都合がよかったので、図書館で勉強をした。


結論から言うと、愛乃の成績は両極端だった。

過去問を解いても現代文、古典、日本史、世界史、英語、化学、生物は無勉強にも関わらず、軒並み平均以上を掻っ攫う。

日頃から本を読む中で学習をしているということなのだろう。そのすさまじい記憶力がとても羨ましく感じる。


その一方で、数学はほぼ0点だった。


「意味分かんない……!」と嘆いていたが、高校どころか中学生後半の数学から躓いているのは数学に対する相当な苦手意識を感じた。

ちなみに、去年は追試を3回受けた上で蔵書管理の雑用を請け負うことでなんとか許されたらしい。意外と強かな面もある愛乃に美咲は驚きを隠せなかった。


「ベクトルは平行四辺形を座標内に書くと解きやすいよ。座標だけで意味がわからない時には、しっかり図形を描いてから考えようね」


「こ、こうかな……」


「そう!そしたらそれぞれの頂点の座標をこの図に書き込んで……」


そして、愛乃はやはり優秀だった。

数学嫌いは教科書を読んでも理解しづらいというだけで、理屈さえわかればしっかりと正解を導き出せる。思考が柔らかいからか、幾何学は特にすぐ上達していった。


「愛乃、勉強ちゃんとしたらすごくいいじゃん」


「えへへ……本を読む時間が減るのが嫌で……」


「愛乃はブレないね」


何をするにも読書第一な愛乃が面白くなってしまってついつい笑ってしまう。 


それからも、時々図書館のルールの範囲内で談笑しながらも着々と試験範囲の学習を進めていく。

教えることで、自分の理解度も上がっている気がするので、美咲はこの勉強の仕方もありだな……とか考えながら、愛乃に勉強を教えていた。愛乃も、どんどん覚えていく。すらすらと聞き流すので、できているか少し心配になるが、問題を出すと、既出事項はすべて解けてしまうのだ。

普段から真面目な美咲ですら、日頃の授業と家での復習をしているからこそ成績をキープできているので、愛乃の凄さがよくわかる。


その時、愛乃の問題を解く手が少し遅くなった。


「大丈夫?少し休憩する?」


「ううん、あと少しだから……ありがとう」


愛乃はこちらに目線を移さずにノートの方を見つめている。

ものすごい集中力だ。

美咲は学習中にも友だちからのLINEとかが気になってしまうので、黙々と取り組めるところは羨ましく思った。


少しの時間が過ぎてから、愛乃の手がピタリと止まった。


「……少し疲れた。休んでもいい?」


「わかった、飲み物買いに行こう」


荷物をすっかり顔なじみになった司書の先生に預けてから、二人は図書室の扉をガラリと開いた。




 




「愛乃は飲むもの決めた?」


「うーん…カフェラテがいいかな」


そんな会話を交わしながら、美咲の心は少し躍っていた。


数日前にお互いに心を少しずつさらけ出したあの日から、少しずつ愛乃の距離感が近くなっているのを感じる。

それだけではなく、華乃とも仲がよかったし、以前の愛乃とは違って成長していっていると思うのだ。


(……愛乃の過去には、間違いなくトラウマがある)


あの日の話から思っていたことだ。

少し口を開いただけでも、あれだけのことが出てきたのだ。きっと、心の奥底にはもっと辛い記憶があるに違いないし、愛乃もあの時はその場の勢いで話していたが、できれば誰にも知られたくないのだろう。


あれから悪いと思いながらも、少し探りを入れてしまった。

いろんな人に聞いてわかったことがある。



愛乃の中学生の頃のことを『誰も』知らないのだ。



愛乃はかなり遠くの全寮制中学に通っていたらしい。

そこの出身の人は誰もいなかった。


多分、そこでのことがきっかけになっている。

だが、美咲はそのことを愛乃に聞くつもりはなかった。


(今、愛乃は楽しそうに過ごしてる。だから、無理に思い出させることは……ないよね)


雰囲気がかなり柔らかくなった。

少しずつ敬語が抜けてきて、気兼ねなく話せるようになってきた。


その居心地のいい関係を崩したくない。


そう思ってしまうのだ。



「美咲さーん…これどっちが美味しいかな……?迷っちゃうよ」


愛乃がオロオロしながら美咲に話しかける。

普段はあまり買わないのだろう。少しおかしくなって、吹き出しながらも答えた。


「今はこっちかな?ゲロ甘だから、勉強した後には沁みるよ〜」


そう言うと、愛乃はためらうことなく美咲のおすすめのボタンを押す。ガタンという音と共に、激甘コーヒーの缶が落ちる。


「それじゃあ……美咲先生、ありがとうございます」


「これからもしっかり勉学に勤しんでくれたまえよ、愛乃くん。…………あと、時間があったら現文教えて」


「もちろん、今度は私が頑張るね」


そんな他愛のない話をしながら、美咲は誰ともなく祈った。



このささやかな幸せが続いたらいいのにな、と。


これからも愛乃と友だちでいれたなら。

目の前で甘いカフェラテをちびちびと飲んでいる私の友だちがずっと笑顔でいてくれたなら。


きっと、それだけでとても嬉しいことなのだから。




「……………………?」




こんなことを、今まで考えたことがなかった。

他の友だちももちろん大切だ。けれど、なんとなく楽しく過ごせればそれだけでよかった。


(……なんで、こんなことを考えてしまうんだろう)


きっと、変わっているのは愛乃だけではない。

美咲も愛乃と出会ってから、少しずつ変わり始めているのだ。


この感情の正体は分からないけれど、決して悪いものではないなと感じている。

だから、美咲は気持ちを切り替えるために、持っていた缶コーラを一気に飲み干してから空を見上げる。


空は少し前までの曇り空ではなく、青く、澄んでいた。

1匹の蝉が夏の到来を告げるかのように一足先に鳴き始めているのが聞こえた。




もうすぐ、夏が来る。

今年の夏はいつもとはきっと違うものになるだろう。


美咲は馳せる心を抑えながら、愛乃と一緒に図書館へ続く廊下を駆け出した。


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