5ページ目 『友だち』
「人を誑かす……悪い目……?」
愛乃が言った言葉を美咲は繰り返す。
藍原愛乃が持つ魅力的な目。
初めて出会ったあの日、彼女が気になるきっかけになった目。
それが、人を誑かすものだと愛乃は言う。
聞いたことがある気がする。クレオパトラや楊貴妃に然り、歴史上には周りの人物の人生すらも狂わせるような魔性の魅力を持つ人物がいたということを。
(愛乃の瞳は、それと同じ……?)
いきなりそんなことを言われても、知識は出てくるものの、それと目の前の女の子の間に共通点を見出すことができずに、美咲は訳がわからなくなる。
そんな彼女の様子を見て、愛乃は焦るように、目を泳がせる。
「……あの、ええと……!いきなりそんなこと言われてもよくわかんないですよね……」
「うん……でも、焦んないでいいよ。愛乃の話、最後までちゃんと聞くから」
「……やっぱり美咲さんは優しいです」
愛乃の表情が少し和らぐ。
そんなことない、と言おうとした。
けれど、彼女の話そうとする決意に水を差したくなくて、美咲は黙って聞くことにした。
愛乃は少しの間、何を話すか考えているのか髪をくるくると指先で巻きながら目をそらしていた。
時計のチクタクという音だけが部屋にこだまする。
いつもの沈黙とは違い、少し気まずさを感じた。
「……私、小さい頃からこの目に悩んでました」
ポツリと愛乃が呟く。
「小学生の頃も、中学生の頃も。いろんな人から言い寄られました。何が理由かわかったのは小学校高学年頃だったと思います」
愛乃の目は遠い過去を見つめているかのようにぼんやりとしている。決して輝かしいような過去ではなく、忘れ去りたいものだということは、その顔のこわばりからして明らかなことだった。
「私の目を見た人は……私のことを好きになるみたいなんです」
「好きになる……?」
「文字通りです。恋愛対象として見られることになります」
それを聞いたところで、美咲は苦しむ理由がわからなかった。
好かれることは嬉しいことではないのだろうか。
美咲は、いろんな人に好かれる今の自分が好きだ。
周りからは憧れの視線を受け、異性からは告白され、そうして他人に認められることには意義があると思っている。
「……普通に考えたら羨ましいですよね」
そんな美咲の心中を察したのか、愛乃は呟いた。
「うん、人に好かれるっていいことじゃないの……?」
「……普通はね」
そう言う愛乃は憂いを帯びた表情をしており、愛乃にとってはそれが嬉しくないことだとわかる。
「………話したこともない人から急に言われるんです。『付き合ってくれ』って」
美咲は自分の軽率な考え方を恥じた。
今話そうとしているのは、愛乃が一番思い出したくなくて、一番知られたくないことだ。
それを、美咲のために話そうとしている。
美咲に責任を感じさせないために。
「……挨拶したおじさんがこっちに粘ついた視線を送ってくるんです…………仲良く話していた友だちが目を見てからは『お前は俺のものだ』って迫ってくるんです……」
「………………っ!!」
それなのに…………。
自分の尺度で人を測って、決めつけて。
愛乃の心の奥底の辛さに気付なかった。
そんな自分のどれだけ浅ましいことか。
「愛乃っ!もういい……いいんだよ……!辛いこと話させてごめん、私が考えなしだった……!」
そう叫びながら愛乃の手を取る。
その手はとても暖かくて、それなのに、ゾワッとするような寒気を感じた。愛乃は美咲から顔を隠すかのように、俯く。
「……誰も、私のことを見てくれなかった。何が好きか、何が嫌いか、そんなことよりも自分の好意を押しつけることだけに必死だった」
愛乃の声が段々と小さく、弱々しく震えた声になる。
美咲は、教室での愛乃を思い浮かべた。
いつも寝てばかりでだった彼女。人と関わりたくないのかな、程度に思っていたが、その理由がそこまで深刻なものだっただなんて思わなかった。
「…………………美咲さんは、違うと思ったんです」
愛乃のその一言は、願いのようだった。
周りに裏切られ続けた少女の、一人きりだった少女の切なる願い。
「美咲さんが、初めてだったんです。私の好きな本の話を聞いてくれた……こんなつまらない私の友だちでいてくれた……目を見た後も態度を変えないでいてくれた……」
そう言いながら、愛乃は美咲から握られた手をゆっくりと握り返す。その弱々しい力で握る手は、まるで美咲に縋るかのようで、ズキリと心が痛むのを美咲は感じた。
ああ、そうか……。普通の友情とは、美咲の当たり前とは。
愛乃にとっては⸺。
「……『また明日』って……言ってくれた……!!」
⸺こんなにも尊く、重いものだったのか。
愛乃が顔を上げる。
その時、前髪がサラリと揺れ、彼女の表情が垣間見える。
愛乃は、目から大粒の涙を流して泣いていた。
何を言えばいいのか。
何をすれば愛乃は笑ってくれるのか。
そんなことを考えるよりも前に、美咲の体は動き出していた。
席を勢いよく立ち上がり、テーブルの向かい側の愛乃に近づくと、ギュッと愛乃の体を抱き寄せた。
美咲が座っていた椅子がガタン、と倒れる音が部屋に響く。
愛乃はビクリと体を震わせる。
当然のことだ。愛乃にとってはスキンシップは嫌なことでしかない。
それでも、抱きしめずにはいられなかった。
愛乃の目を見たから、なんかではない。
「愛乃、ごめんなさい!私、あなたのことを傷つけてしまった……!!」
漆原美咲は、藍原愛乃の友人である、と伝えるため。
傷つけてしまっても、それでも愛乃の側から離れずにいる友でありたいと伝えるためだ。
「愛乃の目のこと、全部はわかっていないだろうけど、いろいろ辛かったってことはわかったよ……。そんなあなたに、迫ってしまった……許されないのはわかってる」
愛乃は、まだ友情とは何かが理解しきれていないだろう。
物心がついた時には目に困らされ、人と距離を置いていたことが先程の話から想像できてしまう。
「それでも、許されるのなら……愛乃が、望んでくれるなら」
そんな彼女に知ってもらいたい。
友情とは、すれ違いから立ち直る度により強く結ばれるのだということを。
愛乃のことを大切に思う人もいるのだということを。
そして。
「これからも、私はあなたの友だちでいたい……!!」
美咲が、愛乃のことを大切な友だちだと思っていることを。
愛乃の表情は、抱きしめているせいでよく見えない。
耳元からは啜り泣く声が聞こえてくる。
「……いいんですか」
「もちろん」
「私、めんどくさいですよ……?」
「人間なんてめんどくさいところはあるものだよ。それに、愛乃と話すの、私は好きだよ」
「また、私の目のせいで……」
何度かの問答の後、愛乃の言葉が止まる。
また、迷惑をかけるのではないか。そう考えているのだろう。
「いいんだよ、友だちなんだから」
愛乃に、もう一人で背負わせたくない。
愛乃に辛そうな顔をしてほしくないと思ったから。
「愛乃の辛いことや悲しいこと、私にも少し背負わせてよ」
「……ぅぅ……ぅああ…………っ……!」
愛乃は、美咲の服の裾をぎゅっと握り返す。
それから、今までの孤独を、辛かった気持ちを吐き出すかのように美咲の胸の中で泣いた。
泣いている愛乃の頭を優しく撫でながら、美咲は思う。
私が愛乃に抱いている気持ちは何なのだろう、と。
愛乃の瞳は、見た人を魅了してしまうものなのだとしたら、今の自分はただ単に愛乃に魅了されているだけなのではないだろうか、と。
だとすれば、愛乃の目に魅了された自分が愛乃を慰めることは、自分の目が嫌いな愛乃にとっては望まれないことなのではないのか、と。
そんな考えが頭をよぎって、全力で振り払った。
確かに、愛乃の目に惹かれているのかもしれない。
けれども、それだけではないはずなのだ。
(嘘じゃない。私が愛乃を大事にしたいって気持ちは、絶対に嘘じゃない)
そう思いながら、彼女は自分の胸の中で誓う。
愛乃にこの葛藤を察せられないようにしよう。
自分は、愛乃のよき友でいるのだ、と。
◆ ◆ ◆
「おはよ!ハナ、昨日はごめんね。心配かけちゃった」
次の日の朝。
2年3組の教室に美咲は訪ねに来ていた。
華乃やグループの友だちにはLINEを未読無視し続けたこともあり、謝らなければならないと思っていたのだ。
「いいってことよ。あっ、でも今度喫茶店のパフェ奢りね」
「え〜?まあ、いいけどさあ」
そんなことを話していると、教室のドアがガラガラと音を立てて開く。
周りは一瞬静まり返る。
そこには、愛乃が立っていた。
愛乃は美咲たちを見つけると、スタスタとそちらに向かって歩いていった。
周りのクラスメイトは少しどよめいている。愛乃がクラスメイトに話しかけに行くことは普段全くないのだろう。
愛乃は美咲の近くに来ると、柔らかな言い方で美咲に言う。
「……おはよう、美咲さん」
「おはよう、愛乃」
それだけだった。
けれど、二人の間にはその一言で十分なのだ。
そんな二人を見て、華乃はからかうように愛乃に話しかける。
「おはよう、よしのん!みさきちが喫茶店のパフェ奢ってくれるって!」
「ちょっ、ハナ!?」
唐突なキラーパスに美咲は戸惑いが隠せなかった。
少し前には人見知りが発動していたはずだ。いきなりその冗談は難易度が高いのでは……?と考えていると愛乃はすぐに答える。
「行きます」
即決だった。
「愛乃!!?」
いつの間にか仲良くなったのだろうか。
華乃と愛乃の関係の変化に驚きながらも美咲は二人にツッコミを入れる。
「いや、さすがに二人分はキッツいよ!?あそこのパフェ美味しいけど、高いし」
美咲の一言に、愛乃は少し考えてから純粋な笑顔で答える。
「美味しいなら気になるから、行きたいです」
その微笑みを見て、愛乃の心臓は何故か高鳴った。
愛乃は今、髪を下ろしている。ということは、これは目を見ていることによるものではないはずだ。
この動悸は一体何なのか。
今はまだ、考えない方がいいように感じて、美咲はその考えを振り払った。そして、二人との喫茶店でのおしゃべりの計画を立てる。
その間も、胸の動悸は収まらなかった。
誤字報告ありがとうございました。
そして、今更ですが、一昨日に初めてカテゴリランキングに載れたようです。これからも美咲と愛乃の物語を見ていただけると嬉しいです。




