第九話 紗良と獣耳カチューシャと夏の始まり
「これ、取り外せるんですよ」
紗良は、得意げに頭に手をやると金髪のふわふわの毛の間からアーチ形の細長い木を取り出した。
――予定通り夕刻にアーサーの工房を訪れた紗良とジョバンニは、アーサーに案内されて居住区の厨房にいた。
紗良は、羊耳がついた弓状の細木を手にしながら、
「この木の部分、カチューシャって言って――あっちの世界では髪飾り的に使われていたんですけど、今回、ちょっと私もみんなみたい変身してみたくって、コスプレ的に――それで、ジョバンニのウールをちょっとお借りして――」
「お借りって言うか、お前、俺が酔っぱらって寝てる隙に俺のケツの毛、勝手に毟っただろ」
顔を歪めながら腰をさすっているジョバンニに紗良は、何よと不満げに頬を膨らませた。
「毟ったなんて、酷いわね。ちゃんと、ハサミで切ったわよ。それに、ちょっとだけだし――と、とにかく、昨日の夜にちょっとひらめいちゃって」
紗良は、カチューシャについている二つの羊耳を指でつついた。
「ジョバンニの毛でこの羊の耳を作ったんです。羊毛フェルトって言うんですけど――結構リアルじゃないですか?」
ずいとアーサーにカチューシャを差し出した紗良。アーサーは、笑顔で紗良からそれを受け取った。
細長い木を興味深そうにして眺めたアーサーは、そのしなり具合を確かめるように手に力を込めながら、
「この木を――加工したのは、カイルか?」
「正解! 羊の耳をつけて本土に行きたいってカイルに話して、それでこのカチューシャ作って欲しいってお願いしたら――まさに、朝飯前でした」
ふふふと嬉しそうに答える紗良に、アーサーは目を細めて頷くと、次にその柔らかな視線を羊毛フェルトに移した。
そっとフェルト耳に触れたアーサーは、それから何度も感触を確かめるようにフェルト耳を指でつまみながら、
「これは、見た目と違って――結構しっかりとしているな。ふわふわとしているのに触っても――形が崩れない。中に何か入れていおるのか?」
尋ねてアーサーは、顔を上げた。
彼と視線が合った紗良は、首を横に振って、不敵な笑みを浮かべた。
「何も入れていません。全部ジョバンニの毛です。それ、一晩かけて固めたんです。一晩中、ぶすぶすと、針で――ぶっ刺して」
「針――ぶっさす」
紗良の言葉に困惑しながら、アーサーがオウム返しのように尋ねた。
「カイルが使っていた大工道具で古いのをお借りして――」
紗良が答えるとそれまで黙って話を聞いていたジョバンニがすかさず会話に入り込んできた。
「お前は、なんでも勝手にお借りする奴だな」
不満げにまた腰をさすりながら言う彼に、紗良は「仕方ないでしょ」と腰に手を当てながら、
「折角の本土初上陸、完璧に変装したかったのよ。いいの。いいの。私の人生、お借りして生きてなんぼなのよ。古い捨てられるものを漁って生きるのが、私の性に合っているのよ。それに、その分、節約だって出来てるんだし――これでいいのよ」
言い終えて紗良は、アーサーに向き直った。
「羊毛フェルト、針がギザギザになっていないとうまく固まらないんです」
紗良のとぎれとぎれの説明に首を傾げ続けているアーサー。
彼の困惑しきりの表情に紗良は、ふふふと何かを思い出したように言った。
「やっぱり、私の説明じゃ、わかりませんよね。百聞は一見に如かずです。今度、どうやって作っているのか――実物を、お見せしますね」
片目を瞑って見せた。
アーサーは、紗良の言葉にああと思い出したように口角を上げ、
「夏は――しもやけする心配もないしな。では、今度、是非見せてもらおう。おぬしの実物をな」
いたずらな笑みで紗良に応えた。
ジョバンニも二人のやり取りに「そっか。あれか」と、懐かしそうにして笑みを浮かべた。
アーサーの隣にいたヴォルフは、三人の会話に何もわからないと、つまらなそうにして俯いた。
一人取り残されているヴォルフに気がついたアーサーが、下を向きながら前髪をいじっているヴォルフの頭を撫でながら、
「ヴォルフ、今朝、前髪を切ってやってな――」
紗良に話しかけた。
アーサーの言葉に、紗良は身を屈めてヴォルフの顔を覗き込んだ。
「ここに来てすぐに気づいたわ。とっても、すっきりしたわ。ヴォルフ、すっごく格好いいわよ」
至近距離で微笑む紗良に、ヴォルフはふいと顔を背けた。
ヴォルフの膨らんだ頬に眉尻をさげる紗良。
アーサーが彼女に気を使うようにして尋ねた。
「そういえば、カイルは、どうした? 一緒に町に出ていたんだろう?」
アーサーの言葉に顔を上げた紗良が答えた。
「今、工房の方に行ってます。カチューシャに使う木を持ってきてくれるって言って――」
紗良が言い終える前にカイルの声がした。
「紗良さん、持ってきたっす。これくらいあれば大丈夫っすか?」
言いながら扉を開けて厨房に入ってきた彼は、細い木の束を抱えていた。
「紗良、おぬし、変装のために一体何個のカチューシャを作るのだ?」
アーサーは、カイルが持ってきたそれの多さに驚きながら紗良に聞いた。
紗良は、「違うんです」と、手を振りながら、
「実は、私のこの羊耳カチューシャ、雑貨屋さんにいる時に、速攻で店員さんに偽物ってばれて――でも、その店員さん、私のこのカチューシャに興味を持ってくれて、獣人の皆さんにも変身願望があるみたいで――」
紗良は、アーサーが手にしていたカチューシャを「良いですか?」と手を伸ばした。アーサーは、ああと彼女にカチューシャを渡した。
紗良は、受け取った羊耳のカチューシャをカイルの頭につけた。
「これで、兎のカイルが手軽に羊さんになれると――」
羊耳をつけたカイルに目尻を下げて「やっぱり、カイル、あなたなんでも似合うわ。最高ね」と微笑んだ。
アーサーは、二人を眺めながら、
「それで、カチューシャをたくさん作ることになったのか?」
アーサーの言葉に紗良は、にんまりとしながら、
「そうなんです。雑貨屋のオーナーさんが、たまたま、いらっしゃってて――是非売り出したいって。さっき、値段交渉もしてきて――」
「こいつ、おんぶ紐はすっげぇ安い値段で売ってるのに、カチューシャには高い値段をふっかけたんですよ」
ジョバンニの言葉に紗良は、また腰に手を当てながら、
「いいのよ。おんぶ紐は、生活の必需品だけど――カチューシャは、完全にお貴族様の嗜好品。お嬢様方のお金なんて有り余ってるんだから、ふっかけれるだけふっかけるのよ。
それに、このコスプレブームは生ものなの。いつ彼らの気まぐれが終わってしまうかわからないんだもの。
稼げるときに、素早く、お高く、売りさばくのよ。ジョバンニ、早速、今日から徹夜だからね。あなたの毛も、全身、頂くわよ。
あ、そうだ。居間に布団を敷きましょう。
寝室に戻って仮眠する時間も惜しいもの――まずは、人気のうさ耳と猫耳からよ。売って、売って売りまくるわよ」
紗良が楽しそうに話し終えると、ジョバンニは目を細めながら、
「居間で雑魚寝か。懐かしいな」
彼の言葉に、カイルもうんうんと頷きながら、
「懐かしいっす――俺も、一緒に寝ていいっすか? 俺、兎になれば、場所取らないっす。迷惑かけないっす」
うさ耳をぴょこんと出したカイルは、紗良に尋ねた。
紗良は、彼の頭にうさ耳と羊耳があるのを見上げながら「もちろん」と満面の笑みを見せた。
アーサーは、彼らのやり取りを見ながら寂しそうにしているヴォルフの背中をポンと叩いた。
ヴォルフが顔を上げた。彼と視線を交わしたアーサーは、ヴォルフの背中をさすりながら、
「昨日の事、紗良に頼んでみたらどうだ?」
ヴォルフの耳もとで小さく囁いた。
うんと頷いたヴォルフは、
「ば、バッバ――」
ズボンを握りしめながら紗良に話しかけた。
紗良は、久しぶりに聞いた彼の紗良を呼ぶ声に、柔らかな笑みを見せた。
「お、俺も、バ……み、みんなと一緒に寝てもいいか?」
おずおずと尋ねるヴォルフに、紗良は弾ける笑顔を見せた。
「もちろんよ。みんなで――居間でお泊りしましょう」
紗良のいつもの笑顔に、ヴォルフは、ようやく肩の力を抜いた。
「じゃあ、みんなで、帰るか」
ジョバンニが、満面の笑みでヴォルフに手を差し出した。
ヴォルフは無邪気な笑顔を見せながらジョバンニの手を握りしめた。
幸せそうにジョバンニを見上げるヴォルフの横顔にアーサーは、安堵の笑みを浮かべた。
「私も、久しぶりに居間にお泊りするかの」
アーサーの言葉に、全員が嬉しそうに頷いた――。
久しぶりに全員揃った彼らの夕食は、思い思いに好きなものを食べて飲み、島中に彼らの笑い声を響き渡らせた。
夜遅くまで灯った塔を覗けば、昔のように身を寄せ合いトランプを楽しむ彼らの中に、必死で頭を働かせて彼らに勝とうとする成長した少年の姿があった。
紗良達が少年を囲う姿は、しかし、十年前のそれと何も変わらずにただただ幸せそうだった。
厳しい冬を乗り越えた彼らの、熱い夏が始まった――。