第四話 若返った紗良と男どもの会話
「さ、紗良?! 大丈夫か?!」
ジョバンニの声が居間に響いた。
彼の声を聞いた紗良は、うっすらとその目を開けて掠れた声を出した。
「ジョバンニ……」
「紗良!? 起きたか! どうした? 何があった? 熱があるぞ! 前よりずっと熱い! 大丈夫か!?」
朦朧とした状態で力なく頷く紗良に、ジョバンニは彼女を抱きかかえ立ち上がった。
紗良に大丈夫だと繰り返しながらジョバンニは、人を抱えているとは思えないほどの早さで居間を飛び出すと、狼には目もくれずに階段を駆け上った――。
紗良の寝室に入ったジョバンニは、彼女をベッドに寝かせると素早く羊に獣化した。
羊は慣れた様子でベッドに上がると仰向けで寝ている紗良の隣に体を横たえた。
彼女の胸元に頭を乗せる。反射的にジョバンニの耳を触った紗良は、はぁと息をもらして彼に腕を回した。
――静まり返る室内。
部屋の隅では、狼が佇んでいた。彼の視線の先では、紗良がジョバンニにひしと抱きついている。
ガタガタと震えている紗良の汗が、羊の体に浸み込んでいた。
はぁ、はぁと苦しそうに呼吸をする紗良。
彼女の熱い息は羊の耳を何度も揺らした。しかし、彼はそんなことなど気にも留めずに彼女から出る熱い呼吸を一身に受け止めていた。
羊の体に苦しそうにしがみつく汗だくの紗良。
羊は、
『紗良――大丈夫だ、紗良――』
掠れた声で何度も彼女の名を呼んだ。
狼は何もできずに、ただただ部屋の隅で立ち尽くしていた――。
――コンコン
控えめなノック音が部屋に響いた。
外はすでに明るく、部屋の小さな明り取りからは、夏の陽射しが突き刺していた。
「紗良さん、大丈夫っすか?」
カイルが顔を覗かせた。彼の手には冷たい水で満たされたたらいがあり、彼の肩には白い布が掛けられていた。
『ああ、カイルか――』
羊が目を開けた。湿り気を帯びた体毛を重たそうにしながら体を起こした彼は、紗良がまだ眠っているのを確認すると、すっと獣化を解いた。
傍らに置かれた白布に手を伸ばしたジョバンニは、濡れた身体を拭きながら、
「昨日の紗良の熱、やばかったな。あんなに熱いの初めてだよ。ってか、虫歯を治した時以来だよな。十年も前だったけど――今回のは、あんなのの比じゃなかったぞ。すっげえ熱かった。マジで焦った」
紗良の寝顔を見ながら素早く服を着たジョバンニは、ベッドに腰かけた。彼女の額に手を乗せる。
手から伝わる熱がいつものそれに戻ったことに安堵したジョバンニは、肩の力を抜いて言った。
「しっかし、あんなに熱が出て、また一晩で下がるって――やっぱりっていうか、確実にこれ、また番の力が発現したんだよな。しかも、今回は――」
紗良の顔に纏わりついている汗まみれの髪の毛を丁寧に拭うカイルの手元を見ながら、ジョバンニは、
「まさか、紗良が若返るなんてな」
彼女の寝顔をまじまじと覗き込みながら、
「紗良、元々童顔ってのか、アーサーと同年代って言ってても若そうに見えてたけど、今は、俺らと同じか、俺らよりも――若く見えるよな?」
ジョバンニは、確かめるようにカイルに尋ねた。カイルは、ジョバンニの言葉にうんうんと頷きながらも戸惑いを隠せないでいた。
「いきなりこんなに若返ってお前、これから、どうするんだよ。虫歯治療とか――なんだったんだよ」
気持ちよさそうにすやすやと寝息を立てている紗良を見ながら、ジョバンニは、はぁとため息を吐いた――。
――コンコン
ノック音と共に、アーサーが顔を出した。
「紗良の熱は下がったのか?」
心配そうに尋ねる彼に、ジョバンニとカイルは笑顔でもう大丈夫だと答えた。
彼らの表情に胸をなでおろしたアーサーは、安堵の表情を浮かべながら、彼らに近づいていった。
「これは――」
紗良の寝顔を見てアーサーは立ち止まり、息を飲んだ。
「ヴォルフが言っておったが、まさか、こんなにとは――」
島で暮らし始めて十年の時が経ったアーサーの容貌とは反対に、紗良の寝顔からは一切の皺やたるみが消え去っていた。
「ヴォルフ、どうしてるっすか?」
紗良から目が離せないでいるアーサーにカイルが尋ねた。
アーサーは、カイルの言葉にようやく顔を上げると、
「ヴォルフは、動揺しておる。今は、私の部屋で寝ているが――」
ちらりとジョバンニを見遣った。
「紗良の熱もそうだが――あやつ、昨日の紗良とおぬしの様子に驚いたようだった」
首を傾げているジョバンニに、アーサーは眉尻をさげながら答えた。
「おぬしら、抱き合っておったのだろう」
アーサーの言葉にジョバンニは、初めてはっとして顔を赤らめた。
「私やカイルは、もう何年もお前たちを見ているからの。ヴォルフが赤子の時から、おぬしらがサークルの中で寝ているのを見ておるから慣れていたが――ヴォルフには、衝撃だったようだ」
しまったと肩を竦めるジョバンニに、カイルは彼の肩をポンポンと叩きながら、アーサーに言った。
「俺、ヴォルフと話してくるっす。十年前に紗良さんが熱を出した時の事も話して、それで、誤解を解いてくるっす」
部屋を出ようとするカイルに、アーサーは彼を制しながら、
「まあ、そう急ぐことはない。そんなにヴォルフを甘やかせるな。あやつの紗良への最近の態度は、本当にひどいものだったからの。
罰が当たったのだ。まだ、何も言わんでもよい。もう少し、やつには――『もやもや』とやらを、させておけ」
いたずらな笑みを浮かべて片目を瞑って見せた。
カイルは、困ったように笑みを浮かべながら「わかったっす」と、頷いた――。
カイルが紗良の汗を拭いているのをしばらく眺めていたアーサーがおもむろに口を開いた。
「しかし、どうしたものか。まさか、紗良の番の力が十年も経って今さら発現するとは……しかも、今回は、歴代のお取り寄せとは違って、紗良自身が若返るなど――」
アーサーが難しい表情をしてそう言うと、ジョバンニが不安げに尋ねた。
「これも、陛下には――伝えなければいけないんですよね」
「ここまで変わってしまったのだ。伝えないわけにはいかないが――」
考え込むアーサー。彼は腕を組みながら天を仰いだ。
――ぐぅうう
腹を押さえながらアーサーは、
「ま、すぐに報告せんでも良かろう。紗良が若返ったとて、国が滅びるわけでもあるまいし。虫歯が治ったと大して変わらんさ。
それに、腹が減った状態ではいい考えも浮かばんしの。とりあえず、紗良はこのままで、昼も過ぎてしまったが――朝飯にするか」
にんまりと笑顔を見せた。
アーサーの笑顔に肩の力を抜いたジョバンニとカイルは、笑顔を浮かべて頷いた――。
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