第二十七話 同居人フランツの絶望
「――どういうことだよ!! 何だよ、このクッソ汚い便所は?!」
フランツの叫び声が厨房にまで届いた。紗良は、大根の皮をむいていた手を止めて扉の方に顔を向けると、ふふふと楽しそうにして微笑んだ――。
夕陽が差し込む厨房で、紗良とジョバンニは晩御飯の準備を始めている。
フランツの叫び声を聞いたジョバンニは、
「なんだよ。あいつ、お前らがあいつと一緒に島で暮らしても良いって許可するまでひたすら低姿勢だったくせに……もういつもの調子かよ。あの叫び声、わざと俺らにも聞こえるようにあんな大声出してるんだぜ。
風呂が一つなのが気に入らないって事の次は、便所が古いのが気に入らないってか――その一つしかない風呂を破壊したのは、あいつのくせに……」
不服そうにして鼻を鳴らしながら言った。
厚切り肉にざくざくと包丁を立てながら不満顔のジョバンニに、紗良は彼の肩をポンと叩きながら嬉しそうに言った。
「お便所が気に入らない。懐かしい響きね。あなたも最初はあんなだったのよ。ふふふ。まさに、デジャブね」
ニヤリと口角を上げてその顎を扉の方に向けながら余裕の笑みを浮かべている紗良に、ジョバンニは頬を膨らませながら八つ当たりのようにしてひたすら目の前の肉に包丁を突き刺していった。
「ちょっと、お肉の筋切りしてって頼んだだけなのよ。そんなにザクザク包丁を刺していたら、ミンチになっちゃうじゃない。今日は、ハンバーグの予定じゃないのよ」
紗良が、ジョバンニの手元を覗き込みながら眉を吊り上げる。ジョバンニは、わかってるよと、面倒臭そうにしながら肘で紗良を押しのけた。
「貴重な厚切り肉、粗末にしませんよ。しっかし、今日は、俺の大好物のとんかつの日だってのに――」
ああと天井を見上げながらジョバンニは、大きくため息を吐いた。手が止まったタイミングで紗良は、すかさずジョバンニの手元の肉を取り上げた。手にした肉の表面を検めた紗良は、大丈夫ねと呟きほっと短くため息を吐く。
「だから、大丈夫だって言ってるだろ。こんな上等な肉、いくらあいつがむかつくからって、ミンチになんてしねぇよ」
包丁をまな板に置きながらフランツは、体をくるりと回転させ背後に積み上げられていた肉を手にした。
「折角の肉、あいつにやるなんて……クソ、あいつは、焦げたパンでも食っておきゃ良いんだ。フランツなんかに、肉はもったいねぇ」
納得のいかない様子で、ぶつぶつと文句を言いながらまな板の上に肉を置いたジョバンニは、それから包丁を手に取った。
紗良の方に視線だけを動かしながら、
「でも、お前、本当にフランツをここにおいても平気なのか? あいつ、未遂とは言えお前を誘拐しようと企んでたんだぞ。いくら行くところがないって言っても、宿に泊まらせるとか、あいつの母親に事情を話して引き取りに来てもらうとか、いろいろできそうなことはあったろ。それに、まだあいつの企みとか、色々とどす黒いもんがありそうなのに、ヴォルフと河童にあいつの相手をさせるなんて、大丈夫なのか?」
ジョバンニはそれから羊耳をぴくぴくと動かした。目をきょろきょろと左右に動かしながら、塔の中を案内しているヴォルフと河童少年の様子を探る。
紗良は、包丁を握りしめたまま心配そうに視線を漂わせているジョバンニに、ふふふと微笑んで、
「フランツは、あれでもアーサーの息子なんだからそんなに極悪じゃないわよ。それに、あんなに必死に頼まれちゃったら、ちょっとは助けてあげないとかわいそうじゃない。
あと、ヴォルフと河童ちゃん、あの二人のことなら大丈夫よ。ヴォルフ、走るの早いって言うし、河童ちゃんは、ああ見えて魔力がすごいんでしょ? 攻撃系では……あるのかないのかわからないけど、あの子ならピンチになっても大丈夫な気がするのよ――リスさんも当分は島にいるらしいし。彼、ちゃんと二人の事を守ってくれるって言ってたからね」
「あのリスだって、そのままあいつの言うことを信じでもいいのか? 本当にあのアーサーさんの影のリスザルの息子なのか? 紗良、お前、何ですぐにあいつの言うことを信じた?」
ジョバンニが尋ねると紗良は肩を竦めた。
「息子かどうかは、ま、よく分からないけど……」
ジョバンニに答えながら紗良は、剥き終えた大根の皮をまな板の端によけると、竹でできたおろし金を手に大根をすり始めた。
「あの子が、カイルに憧れているって言うのは本当だと思うわ。
だって、あの子、カイルの事を本当に良く見ていたんだなって思えるような仕草を結構するのよ。カイルの真似って言うの? それが本当に似ていて、特徴を良く捉えているっていうのかしら。なんかそれこそ、カイルの息子をみているみたいな感覚よ。
あの言葉遣いは……ちょっと、カイルとは違っておかしいところもあるけど、あの、カイルを好きだって姿勢は本物ね。
そして、まさにそこがアーサーを尊敬して彼の影として一緒に暮らしていた、あのおさるさんとそっくりなのよ。
おさるさんもよくアーサーの仕草を真似てて、彼と同じような笑顔を見せてたわ。なんかね、ちょっと眉を下げてへへへって笑う感じのやつ」
紗良は、隅に置かれているテーブルに目をやった。懐かしいわねと微笑む紗良にジョバンニは、
「そのアーサーさんのへへへってのは、よくわからんけど。ま、お前が良いならいいや。ま、フランツの事は、俺も、ま、懐かしいっちゃ懐かしいしな。
まあ、もうなんか色々とあり過ぎて、正直面倒になってきたし、とりあえずなんも考えずに今晩のとんかつパーティーを楽しむか――あ、あの上等な果実酒も蔵から出してこねぇとな。フランツには……いつもの果実酒で十分だな」
サクサクとリズムよく肉に切れ込みを入れ始めたジョバンニ。安心した様子の彼の横顔に紗良は、またふふふと微笑むと、目の前に置かれたおろし器に向き直りゴリゴリと大根を滑らせはじめた。
「まともな部屋、ひとつもねぇじゃねぇかーーー!!!」
耳をつんざくようなフランツの叫び声の後、どたどたと階段を駆け下りる音がし始めた。
紗良とジョバンニが驚いた様子で顔を見合わせていると、バンッと厨房の扉が開け放たれる。
「ここ、このおんぼろ! 番の婆様の別邸なんだよな!」
はぁはぁと肩で息をしながらフランツは、叫び紗良に尋ねた。
紗良は、何を今さらと言った様子で、
「そうよ。婆様の別邸よ。まあ、確かにあなたの言うように少しおんぼろだけど、とんがり帽子の屋根はまだまだ可愛らしく健在だし。便所も改造をちょこっと加えれば、あなたに馴染みのあるものになるし、とにかく住めば都ってことよ。私達みたいに、あなたもすぐに別邸が快適だって感じるようになるわよ」
「じゃあ、そんなに快適で可愛らしい別邸なら、お前たちが住めばいい」
フランツの言葉に、紗良はこくこくと頷きながら、
「だから、私達にとって別邸は、もう既に都で――」
紗良が言い終える前に、フランツが嬉しそうに叫んだ。
「じゃあ、俺は、本邸に住む! お前らは、別邸な。ここ、お前も言ったように都みたいに快適なんだろ? そういう事だよな。そういう意味で言ったんだよな。もう聞いたからな、訂正なんて出来ねぇぞ!」
ニヤリといやらしい笑みを浮かべるフランツに、紗良とジョバンニは理解ができないと言葉を失った。
沈黙の中、フランツの後ろにいた河童少年が、ぽつりと呟いた。
「ほんていって何? おじちゃん、ここに一緒に住まないの?」
訳が分からないと言った表情でフランツを見つめる面々を見渡しながら、フランツは困惑した様子で尋ねた。
「ここ、婆様用の別邸なんだろ。だったら、ここよりもっとちゃんとしたおんぼろじゃない本邸が、お前たちの住んでる本邸があるってことだよな?」
彼の言葉に、全員が大きく首を横に振った――。
久しぶりの更新です! お待たせしてしまってごめんなさい!(。-人-。)




