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第十八話 河童少年の皿の水

 虫の音が鳴り響くお昼時。昼食が出来上がった。


 ざるうどんに、(うり)の浅漬け、だし巻き卵、それらが次々とテーブルに乗せられていく様子を、河童少年は、ほうと感動の吐息をもらしながら眺めていた。


 丸テーブルの前に正座をして、目をキラキラと輝かせている彼の黄色いくちばしは、ほわぁっと半開きになっている。


 河童少年の様子にふふふと笑みを浮かべた紗良が、彼の目の前に(わん)を置いた。


 わんの中には、濃い茶色の液体と氷がひとかけ入っていた。


 河童少年が興味津々といった様子で、わんの中を覗き込もうと――


 ――とぷん


「あっ!」


 河童少年の隣に陣取っていたヴォルフが声を上げた。

 彼は、河童少年の頭に乗せられている皿に目を凝らしている。視線の先では、透明な液体が波打っていた。


 前傾姿勢を取ろうとした河童少年の頭の皿から透明の液体がこぼれ落ちる。流れた液体が河童少年のレンガ色の毛を湿らせた。


 こめかみに垂れる液体に、これは不味(まず)いと河童少年が、その背筋を伸ばした。


 水平に戻った彼の頭の上では、透明の液体がゆらゆらと不安定に揺れている。


 頭を傾けないように河童少年は、その視線だけを上に動かした。見えるはずのない皿の様子を確かめようと、彼は頭頂部を両手でまさぐった。


「河童。お前、その水、窓の外に捨てて来いよ。それだと(めし)食えねぇから」


 ジョバンニが、河童少年に言った。


 河童少年は、

「水がなくなると死ぬ」

 何を言ってるんだと眉を顰めた。


 ジョバンニは、呆れた表情をしながら腕を組んだ。


「いや、いや。お前、河童じゃねえし。しかも、お前、紗良に指摘されるまで河童の皿に水が入ってるもんだって知らなかったろ。皿の水が枯れると死ぬって教えてもらったの、さっきだろ――ってか、それ、本当に水なんだよな。お前、水を湧き出させたんだよな?」


 ジョバンニの問いに河童少年は、首を傾げた。


「魔法で……水を出すことできない」


「じゃあ、お前の頭の、何なんだよ」


 何だろうと天を仰ごうとした河童少年の皿の水が、また――とぷん。


 河童少年は、ハッとして正面を向いた。皿の中の液体はかろうじて留まった。


 (らち)が明かないとため息を吐きながら、ジョバンニが立ち上がった。


 紗良は、彼らのやり取りを嬉しそうに眺めながら、河童少年の前に、箸とフォークを置いた。


 河童少年は、箸を一本手にした。珍しそうにしてまじまじと箸を眺めている。


 ジョバンニが河童少年の背後に立った。彼は、河童少年の頭の皿に満たされている液体の匂いを嗅いで――


「くっさ!!! これ、さっきから匂い変わったぞ。なんか頭の――うわっ、これ、水じゃなくて、お前の汗じゃね?!」


 体を仰け反らせながらジョバンニは、鼻を手で覆った。くぐもった声で、

「早く、それ、捨てろ!」

 河童少年の腕を取り彼を立たせた。


 ――とぷん


「やべ! こぼれる! まっすぐ立て! 傾けんな!」


 慌てた様子で鼻から手を離したジョバンニは、河童少年の両脇に手を入れて、彼を抱え上げた。ガニ股で窓へと向かう。


 窓を開け放ちながら、

「ほら、一気に頭下げろ。ガって、一気だぞ。汗を落とせ! だらだら頭下げてたらお前、皿から汗がだらだら垂れて、顔がくっせえ汗まみれになるぞ!」


 呆気にとられているヴォルフ。紗良は、ふふふと笑顔を見せた。


「皿に汗を溜めるなんて――あの子、最強ね。あ、でも本物の河童は……皿の水、どうしてたのかしら。汗を溜めてた、なんてことはないはずだけど、水のはずだったけど……あの子みたいに、こぼれてたの?

当時――そんなこと、全然考えてなかった」


 不思議ねと紗良は、楽しそうにして頬を緩ませた。


「あ! くっさ、お前、さっき汗をこぼしたろ! お前の肩と耳の後ろ――あ、くっさ! あ! 待て、お前、まさか一週間、一回も風呂入ってねぇのか?! ズボンも……めっちゃくちゃ臭うぞ!」


 こっち来いとジョバンニは、河童少年の手を取った。


 河童少年は、ジョバンニに引きずられるようにして居間を後にした――。


「あの調子だと、まだかかるわね」


 紗良は、眉尻を下げた。


「ヴォルフは? あなたもみんなと一緒に湯あみをしてきたら? この感じだと、今日は、もう外に出てってことはないだろうし――パジャマに着替えちゃってもいいんじゃない? 遅いお昼ご飯を食べて、それで、みんなでゆっくり、神経衰弱でもしましょ。あの子にもトランプ、教えてあげたいし」


 ヴォルフは、紗良の言葉に大きく頷くと――ボンッ


 獣化して駆け出した。


 元気に走り去る狼少年(ヴォルフ)に紗良は、

「あの子、久しぶりに楽しそうね」

 にんまりと口角を上げた。


「さ、うどんは、固まっても食べる前に水でほぐせば良いとして……問題は、この薄まったつゆよね」


 紗良は、テーブルに並べられた四つのわんを眺めた。氷が解け切ったわんを眺めながら紗良は、

「仕方ないわね。これは、天つゆにして……また夜食に――ちんぴらかしら」


 ふふふと紗良は、

「ちんぴらと、キンキンに冷やした野菜の煮びたし――大人用にはショウガたっぷりにして……それに、氷を入れた果実酒――楽しみね」


 湯あみ場から、子どもたちの笑い声が聞こえてきた。


 頑丈に囲われた岩の隙間を縫って、紗良の耳にも彼らの弾んだ声が届いた。


 紗良は、またふふふと笑顔を浮かべた。

 嬉しそうにしてわんに手を伸ばした――。

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