第十六話 紗良と自称河童の少年
「あなた――河童さん?」
紗良の目の前で河童らしき少年は元気よく頷いた――。
今朝早く散歩に出ていた紗良は、船着き場でアヒルボートに乗っている人影を見つけた。
その人影は、楽しそうに体を揺らしながら「出発しまーす。お客さん、気をつけてくださーい。はーい。行きますよー。ぶんぶん」と言ってハンドルを握っていた。
ヴォルフより、ひとまわり小さく、幼子のように高い声音のその人影に、紗良は、彼の正体を確かめるため、ゆっくりとその人影に忍び寄り――。
「まさか、昨日の今日で、本当に河童とやらが現れるとはな」
そう言ったジョバンニの視線の先には、自称河童の少年が座っている。
紗良に捕まえられ、塔まで連れてこられた少年は、丸テーブルの前にちょこんと正座をしながら、きょろきょろと視線を彷徨わせていた。
彼とテーブルを挟んで向かい側には、紗良達三人が横並びに座っていた。
「それで――河童さん? あなた、ここまで……泳いできたの?」
河童少年は、コクコクと頷いた。
「この海を?」
河童少年は、胸を張りながら頷いた。
「海水の中を泳いで――あなた、妖怪の川に住んでる河童さん……よね?」
河童少年は、コクコクと頷いた。
彼は頭の皿を指さしながら、
「お皿ある、それに、くちばしも」
パクパクと黄色いくちばしを動かして見せた。
少年の言葉に紗良は、ううんと難しい顔をして腕を組んだ。天井を見上げている。
ジョバンニは、紗良のいつもと違う態度に眉を顰めながら、
「なんなんだよ」
「いや、なんでもないんだけど、ちょっとね」
「ちょっとって、何だよ」
「いや、良いんだけど」
「何がいいんだよ」
ううんと天井を見続けている紗良。ジョバンニは、呆れた様子でため息を吐いた。
しばらく黙って考え込んでいた紗良が、口を開いた。
その視線を少年へと戻しながら、
「河童さん――あなた、背中はどうしたの?」
少年に尋ねる。
河童少年は、コテンと首を傾げた。
「背中ってなんだよ」
少年の代わりにジョバンニが尋ねる。
紗良は、河童少年を見つめたまま、
「河童の背中にはね――甲羅があるのよ。カメの甲羅……みたいのを背負ってるはずなの」
紗良の言葉に、ヴォルフが首を伸ばした。正座したまま背筋をこれでもかと伸ばし、鼻の下まで伸ばしながら、河童少年の背中を覗き込もうと試みている。
興味津々のヴォルフをちらりと見たジョバンニは、立ち上がりながら、
「甲羅って――お前、どんなの背負ってんだ?」
河童少年の背後に立った。
河童少年は、ぎゅっと目を瞑った。息を止めて全身に力をいれている。
ポコっという音と同時に河童少年が目をあけた。
少年の背後に腰を下ろして背中をまじまじと見つめていたジョバンニが、
「あ! これか?!」
小さな緑色の丸いふくらみを指さした。
親指大ほどのその膨らみを見ながら、ジョバンニは納得がいかないと言った表情で呟いた。
「これ、確かに甲羅に見えなくもないけど、ちっちゃくね? 背負ってるって感じじゃねぇぞ。それに――これ――こんなとこにあったか?」
首を捻るジョバンニに、少年は背中を丸めながら答えた。
「ず、ずっと、あったよ。ぼ、僕のは、ちっちゃいんだ」
「そうか。まあ、いいや。これが甲羅な。それと――紗良、後はなんだ?」
ジョバンニは、まだあるんだろ? と紗良に視線を投げた。
紗良は、うううんと腕を組んで、
「河童の頭のお皿――お皿の中に、水、入ってる?」
少年は、身体をびくりとさせた。俯きながらまた目を固く閉じる。膝の上の拳をぎゅっと握り締めた。
「水が入った皿って――河童は、なんでそんなん頭に乗せてんだよ。意味わかんねぇな、妖怪」
ジョバンニがぶつぶつと言いながら立ち上がった。
少年の頭にのっている白い皿を覗き込みながら、
「水って――この水滴でいいのか? 確かに、二、三滴。あ! なんかじわじわと出てきたぞ」
驚きながらジョバンニが、
「ヴォルフ、河童の頭の皿、すげぇぞ。水が出てくる。お前もこっちにきて見てみろよ」と彼に声をかけた。
河童少年の頭を覗こうと必死で頭を動かしていたヴォルフは、ジョバンニの言葉に顔を明るくしてすぐに立ち上がった。
ジョバンニの隣にきたヴォルフは、ジョバンニが指差す先を捉えた。
透明な液体が滲み出てきていた。
「ほら、ちょっとずつ、じわじわ出てるだろ? この頭の皿、まじすげーな。これが、河童ってやつか。妖怪ってやつ初めて見るけど、最高だな」
ジョバンニは感心した様子で言った。ヴォルフもうんうんと頷いている。
河童少年は、照れくさそうにへへへと頬を緩めた。
彼らの感動をよそに、まだ難しい顔をしている紗良。
ジョバンニは「まだあんのかよ」と、呆れた顔をしながら腕を組んだ。
紗良は、
「いや。うんとね。その河童さんの体の」
「体がなんだよ」
煮え切らない紗良に胡乱な眼差しを向けるジョバンニ。
河童少年は、緊張した面持ちで紗良の次の言葉を待った。
「河童の体ね、茶色……レンガ色じゃなくって――」
ごくりと河童少年は、息を飲んだ。
「緑色なの」
紗良の言葉に河童少年は、目を見開きながら、
「こ、これは、う、海で」
「海で?」
ヴォルフが尋ねた。
「そ、その、ひ、日に焼けた」
ジョバンニの胡乱な眼差しが、紗良から河童少年へと移った。
「海を泳いでこっちに渡ってきて、日に焼けて、それで、緑色からレンガ色に――焼けた?」
眉を顰めるジョバンニに、河童少年は、コクコクと頷いた。
ジョバンニは、彼の言葉にはぁとため息を吐くと、
「紗良、まだあんだろ?」
紗良は、気まずそうにして頷きながら、
「その体――河童は」
「河童は?」
ヴォルフがまた尋ねた。
河童少年の顔が強張る。
「つるつるなのよ。確か、ぬるぬるって言う人もいて――それか、魚みたいにうろこがあるとか……とにかく――」
「――こんなにモフモフじゃないと」
ジョバンニは、紗良の言葉を継いだ。
紗良の言葉に項垂れる河童少年の肌には、短い毛がびっしりと生えており、尻には、ふさふさとした茶色の毛が揺れていた――。




