第十五話 夏休みの大掃除
虫の泣き止まない夏の昼。
紗良とジョバンニは、塔の便所前にいた。
ジョバンニがげっそりとした顔で床に座っている。
彼は、壁にもたれ掛かりながら、目の前でモップがけをしている紗良に声をかけた。
「今日、めっちゃくちゃ暑いし、昨日飲み過ぎたし――島の管理、明日からにしね?」
――びたん
紗良は、水に濡れたモップを勢いよく床に叩きつけた。ガニ股で腕を大きく動かしながら、廊下の端から端に向かって柄を動かしている。
木の柄には、細長く切り裂かれた古着が括り付けられていた。それをごしごしと床に擦り付けている。
「駄目よ。床がギトギト」
廊下を何度も往復しながら紗良は、答えた。
「それに、今日から本格的に三人の夏休みが始まるんだもの。
確か、日本の学校でも、夏休みに用務員さんが……ニス? 違う、ニスは紙粘土だったわ。えと、何だっけ、あの床がピカピカになるやつ――あ! そうそうワックスがけ! あー、良かった思い出せた。すっきりしたわ」
紗良が木桶に手をかけた。
水で満たされているそれにモップを入れた彼女は、そこに両手を沈めて古着の束を揉み洗いしはじめた。
「ほら、やっぱり、水が濁ってるじゃない。床、めちゃくちゃ汚かったのよ」
しゃがみ込んで木桶に向かってぶつぶつと言っている紗良を眺めながらジョバンニが彼女に言った。
「にすとか、わっくすとか――何を言ってんのか全然わかんねぇけど、とにかく、今日は、モップがけをしたら、終わりにしようぜ」
ジョバンニは、手にしていた布をブンブンと振りまわしながら言った。
紗良は、掃除を始める様子のないジョバンニに眉を吊り上げながら、力任せにモップを絞った。
また、びたんと床にモップを置いて、廊下の往復を再開する。
「駄目よ。この廊下掃除が終わったら、便所掃除、あと――窓ふきね」
「嘘だろ? そんなに一気に全部終わらせるのか? せっかくの夏休みなんだし、もっとゆっくりやろうぜ」
「駄目よ、夏休みなんて、長いようで一瞬で終わっちゃうのよ。
子どもにとっての夏休み、一日、一秒が、貴重なの。
ヴォルフも早起きして宿題をしているのでしょ? あの子、すごいわよね。夏休みの宿題、夏休み前からはじめちゃってるし、一人でほぼほぼ終わらせちゃって、学生の鏡だわね――私なんて、夏休みの計画表で一日八時間の勉強をします的にスケジュール作って、円グラフ塗りつぶして……結局、宿題を始めたのって始業式の三日前だったわよ。
あれ、つらかったなぁ。毎日のお天気、ぜんっぜん埋めてなかったんだもの。当時は、ネットもないし、すんごく記憶を探ったわ。あとは、夏休みの自由研究、あれもやばかったな。夏の暑い日になぜかマフラーを編んで――」
モップがけの手を止めて天を仰いだ紗良は、ふふふと微笑んだ。
「お前、機嫌良いな。昨日からようやくあいつに話しかけられるようになったからか?」
「そうね。久しぶりにヴォルフが話してくれるようになって、嬉しいのは確かね。それに――ヴォルフが春から学校に通い始めたでしょ? それからね、私、よく自分の学生時代の事を思い出すようになったのよ」
「学生時代の思い出?」
紗良の言葉にジョバンニは、物珍しそうにして彼女を見ながら尋ねた。
紗良は、ジョバンニと目を合わせると嬉しそうに笑顔を見せながら答えた。
「そうよ。学生だった頃の出来事をね、思い出して。小学生の頃のこと。三年とか、四年とか。私が一番野生だった時代のことね。あの頃、本当に私、はちゃめちゃに暴走して生きてたわ。って色々思い出してたらなんかね――夏休みってワードにわくわくしてきたのよ」
「今でも、異世界から来たり、若返ったり、暴走し続けてるだろ」
「ふふふ。そうね。この暴走人生の原点がね、小学生なのよ。小学生の夏休みにね。最初の暴走、冒険をしたいと思って、妖怪を見つける旅に出ようと、荷造りをしたことがあったのよ」
「旅に出るって、お前、子どもの頃の話だろ。一人で冒険ってなんだよ――それに、ようかいってなんだよ?」
理解できないといった様子のジョバンニ。
紗良は、彼の言葉にふふふと笑顔を見せながら、
「子どもの冒険なんて、自転車で行ける範囲よ。当時ね、ちょっと高級だったマウンテンバイクってやつを祖母に買ってもらったのよ。
タイヤが普通の自転車よりごつごつしていて、ハンドルも横にまっすくで、当時は、すんごい最先端の自転車だったのよ。それを乗り回したくてね。
それで旅に出ようってことで――ってこれを話し始めたら、一日終わっちゃう、ふふふ」
ニコニコとしている紗良に、ジョバンニは呆れた表情を浮かべながらも紗良の話に耳を傾けていた。
「旅に出た話は、長いから置いといて――そうね、妖怪って言うのは……あら、なにかしら、妖怪って、お化け? 幽霊? そんな感じのうんと……ってこっちには、そうよね。そういう感じのものってないのよね。怪談とか、都市伝説とか――」
一転真剣な表情で天井を見上げた紗良は、モップの柄を胸に腕を組んだ。なかなか答えの出ないジョバンニの疑問に、彼はしびれを切らした。
「その、ようかいだかってのは、どんな形をしてるんだよ」
「妖怪、いっぱいいるのよ。こなきジジイと、砂かけババ……は、良いとして、ま、夏といえば、河童ね。
私がその自転車冒険で探そうとしてたのも、河童とツチノコだったから。
あ、ツチノコは、あれね。妖怪って括りじゃなかったはずだけど、ま、妖怪は、河童ね。河童のかたちか――」
紗良は、あ、そうだとジョバンニに彼が持っていた布を渡すように言うとそれを木桶に入れた。
じゃぶじゃぶと布を水につけ、軽く絞った。
湿らせた布をレンガの壁に擦り付けながら、
「河童はね。まず頭には、こんな感じのぎざぎざに覆われたお皿があって、これが渇くと死ぬのよ。それで、口は、鳥みたいなくちばしになってて、手と足には、水かきが――」
壁に手早く絵を描いた紗良のうっすらと浮き出た河童の絵を見ながらジョバンニは、感心した様子で言った。
「これが、河童か。見た事ねぇけど、なんとなくは分かったわ。ってか、紗良、お前、こんなに絵、上手かったか?」
紗良は、彼が腕を組みながら彼女の描いた絵を食い入るようにしてみる様子に、笑みを浮かべながら、
「でしょ? こういうのは、上手に書けるのよ。これはね、何万回も書いたから、河童に会いたくね。私、ツチノコとか、妖怪とか――好きなものは、必死で書き留めていたから、そういうの限定で、絵が上手いのよ」
懐かしそうに目を細めて言葉を続ける。
「妖怪、幽霊、都市伝説――正直私、一回も見たことないけど、でも、小学生の頃は、全部を信じて、全部にわくわくしてたわ。そういうわくわくをね、ヴォルフにも経験して欲しいなと思ってね。
それで、ま、妖怪や幽霊をお取り寄せ……ってなことはできないけど、島の冒険は出来るじゃない? ヴォルフと一緒に、山登ったり、外でバーベキューしたり、キャンプしてみたり……私が、子どもの頃に楽しんだ経験をヴォルフにさせてあげたいのよ。
せっかく若返った肉体、彼と一緒にくたくたになるまで、島を駆け回りたくって、めいっぱい夏休みを満喫したくって――だから、掃除は、今日中に終わらせたいの」
目をキラキラとさせてそう言う紗良に、
「確かに……ここんところ、そういうのなかったもんな。アーサーさんが来てすぐのときは、色々楽しんでたけどな。最近は……まあ、確かにな。めいっぱいか――たまには、良いかも知れないな。ヴォルフも、楽しめれば――じゃあ、速攻で終わらせるか」
ジョバンニは、笑顔を浮かべて立ち上がり、紗良に手を出した。
紗良は、嬉しそうにして彼に布を手渡した――。
――翌日。
夏休みの計画を立てていたジョバンニとヴォルフの耳にガタンとボートが着岸する音が聞こえた。
「ん? 今日、誰か来る予定だったか?」
予定のないその訪問者に首を傾げた二人。
彼らが耳を澄ませると、遠くから紗良の叫び声がした。
「うそ!!! か、河童!? え?!」
紗良の言葉に、二人は一気に駆け出した――。




