第十二話 ジョブチェンジで成功を収めた枝毛召喚士
「フォフォフォ。突然訪ねてすまんの」
おずおずとお茶を差し出す紗良に、髭老人は満面の笑みで言った――。
なんの前触れもなく突然島に現れた髭老人――枝毛召喚士を居間へと案内した紗良は、丸テーブルを挟んで十年ぶりに彼と対面していた。
「――久しぶりじゃの」
紗良に笑顔を向けてそう言った召喚士は、組んだ手をテーブルの上に乗せて居間をぐるりと見渡した。
一通り部屋を眺めてうんうんと嬉しそうに頷いた彼は、テーブルを挟んで向かい側にいるヴォルフを見遣った。
ヴォルフは、突然現れた髭老人に戸惑いながら俯き加減でいる。隣に座っているジョバンニに助けを求めるように彼の裾を握りしめていた。
召喚士は、黙りこくっているヴォルフに昔を思い出すように目を細めながら彼の名前を呼んだ。
「ヴォルフ――久しぶりじゃの。わしの事は……覚えておるまいな」
ヴォルフは覚えていないと首を振った。
彼の隣で胡坐をかいているジョバンニは、召喚士をまじまじと眺めている。
人数分のお茶をテーブルに並べ終えた紗良が、腰を下ろしながら召喚士に尋ねた。
「あの――やっぱり、私の事でこちらに?」
召喚士は、紗良の言葉に彼女と目を合わせると笑顔でこくんと頷いた。
紗良は、召喚士が彼女目当てに島を訪れたという事に不安げな表情を浮かべながら、
「も、もしかして、私、若返りっていうレアな能力を授かったから……ヴォルフを無事に育て終わったから――だから、残りの余生、死ぬまで神殿で永久に祈りを捧げろとか、私のこの時戻りの身体を隅々まで研究させろとか――ハッ! 聖女として世界を回れとか――え? うそッ! 魔王が現れたとか?!」
捲し立てるように次々と言葉を重ねて、みるみる顔を青くする紗良に、召喚士は「フォフォフォ」と楽しそうに笑いながら、
「おぬし、想像力がひどく暴走しておるな。ネガティブ思考が突き抜けておる。安心せい。おぬしを拉致するようなことはせんよ。神殿とやらもここには存在せぬわ――わしが今日ここに来たのは、全く別の要件じゃ」
フォフォフォと髭を撫でた召喚士は、目の前のグラスを手にした。
暑さに濡れたグラスを握りしめながら、それに満たされている液体を嬉々として見つめてゆっくりと口元に近づけた。
鼻をくんくんとさせてグラスからあふれる香ばしい香りを堪能し、召喚士は、恍惚とした表情を浮かべた。
嬉しそうに口をすぼめてグラスを傾け、ぐいと一気に飲み干す。空になったグラスをテーブルに置くとぷはぁと体を仰け反り、
「ああ、真夏の麦茶、氷入り。侍婆様の麦茶――本当に懐かしい。五臓六腑に――染みわたるわい」
――最高じゃの。と、召喚士は天を仰いだ。
彼の姿に紗良は、ほっとした様子で安堵の表情を浮かべた。
ジョバンニは、ヴォルフの握りしめている手を彼を落ち着かせるようにやさしくぽんぽんと叩いた。
空になった召喚士のグラスにお茶を注ぎながら、
「あの――それで、別の要件――というのは?」
麦茶の瓶からしたたる水滴を布で拭いながら紗良は尋ねた。
「――実はの。以前、おぬしに借りた日本の靴をの、また、貸してほしくての」
「へ? く、靴ですか?」
紗良は、予想外の召喚士の言葉に間の抜けた顔をした。召喚士は、うんうんと笑顔で頷きながら答えた。
「そうじゃ。おぬしが召喚された時に履いておった、あの、黒い靴をの、もう一度見せて欲しくての」
首を捻っている紗良に、召喚士は笑顔で言葉を続けた。
「実はの。おぬしを召喚してから……わし、召喚士を辞めたんじゃが――」
「え? 辞めたんですか?」
紗良が驚きながら尋ねると召喚士は「そうじゃ」と、力強く頷いて、
「それで靴職人に転身しての。おぬしのをまねて作った靴がの――隣国で流行りまくっての」
召喚士は、傍らに置かれていた大きな麻袋に手を入れるとガサゴソと中を漁りながら「これじゃ――」
袋の中から木箱を取り出した。蓋を開けて中身を紗良に見せながら、
「これは、以前おぬしが召喚された時に履いておったものを真似て作ったものじゃ」
「これ、え? 私のパンプ……ス? ですよね?」
召喚士が紗良に見せた淡い桃色の靴は、彼女が毎日履いていたそれの面影をほとんど失っていた。
彼女がかろうじてそれをパンプスと認識できたのは、踵部分の平らさとつま先の丸さのみだった。
「フォフォフォ。そうじゃおぬしが履いておった靴を真似たのじゃ。
この靴は――パンプスと言うのか。フォフォフォ。そうか、そうか。今度は、パンプスと名付けて販売を……と、話が逸れてしまったの。
とにかくじゃが、十年前、おぬしを召喚した時、おぬしの履いていたこのパンプスを見てわしは、一目惚れしての。その夜、一晩中おぬしのパンプスと向き合い、紙に描いてその魅力について考察しておったのじゃ。
それで、これはこの世界でも売れる、これだと確信したわしは、おぬしのパンプスに、少し手を加えて、若者向けにちょっぴりな――デザインを変えて、ちょっとな売ってみたのじゃ」
キラキラのビーズやフリルがふんだんに使われた桃色の靴は、機能性重視の通勤用として使われていたものからアレンジされたとは思えないほど豪奢で煌びやかなものに仕上がっていた――。
紗良は、身を乗り出して箱の中を見ながら、
「確かに、若者向け――本土にいるご令嬢向けですね。このちりばめられたビーズの、配置、配色、フリルの大きさ、厚み、すべて完璧だわ。すっごく可愛いがあふれてます」
感心した様子で腕を組んだ。
すごいわと何度も言いながら箱を覗き込んでいる紗良に気を良くした召喚士は、もっと見せてやろうと箱から靴を取り出すと、靴のフリル部分を指さして、
「ここの色合い……この徐々に変わってゆく配色が上品だと評判での――色選びに何日も悩み抜いたが……あまり奇抜な差し色を入れずに作ったのが良かった。ご令嬢曰く、全体の統一感が――肝だそうじゃ」
手にしている靴を愛おしそうに撫でながら、召喚士は言葉を続ける。
「実はな。この靴をな、人気が出始めてすぐに、客の反応を見てピンと来ての、それで、百足を追加で作ったんじゃ。善は急げというからの。すべて違う色で百種類の靴を作ったんじゃが、そうしたら――」
紗良は、彼の百という言葉にちらりと天井を見遣った。見えるはずのない寝室を思い浮かべながら紗良は、ごくりと息を飲んだ。
紗良の姿にジョバンニは、ニヤリとその口角を上げた。ヴォルフは、紗良と同じように天を仰ぎ、何もないいつもの天井に不思議そうに首を傾げている。
彼らの反応をよそに、召喚士は靴を眺めたまま話し続ける。
「一気に人気が上がっての。ぜひ恋人や婚約者の瞳の色で作りたいと注文が殺到して……儲けまくってしまって――」
顔を上げた召喚士は「城を建てたんじゃ」
にんまりと笑った。
「し、城。す、すごい――だ、大富豪じゃないですか」
驚愕の表情で召喚士を見た紗良の声は掠れていた。こめかみから汗が流れ落ちる。
彼女を見たジョバンニはクククと肩を震わせた。
「わ、私のあんなボロボロの靴から、こ、こんな――」
呆然としている紗良に、召喚士は「フォフォフォ」と顎髭を撫でながら、
「それでの。今回、新作を作ろうと思っての」
「し、新作ですか――」
「そうなんじゃが、その前に、もう一度おぬしの靴を見せてもらいたいと思っての」
「え? あのおんぼろ靴を?」
紗良が尋ねると召喚士は、うんうんと頷いた。
「あれから、十年。おぬしに見せてもらった靴の他にも、その時節にあったものを色々と作っておったのじゃが――時代は巡るものじゃの。
最近、このわしの最初のデザインの靴が欲しいという注文が増えてきての。
それで、もう一度おぬしの靴をじっくりと見せてもらって、原点に立ち返り――そこにわしのこの十年の経験を活かして、今の流行りを取り入れつつ……」
目をキラキラとさせながら熱弁する召喚士に紗良は、肩の力を抜くようにふっと息を吐くとやわらかな笑みを浮かべながら、
「――靴、差し上げます。私が持ってるより召喚士様の方が持っていた方がずっと役に立ちそうだから」
テーブルに手をつきながら紗良は、素早く立ち上がると「ちょっと待ってて下さいね」と足早に居間を後にした――。
紗良の後姿が見えなくなった頃合いで、ジョバンニが「あの少しいいですか?」と口を開いた。
召喚士は、ジョバンニに視線を向けた。
「紗良、身体があんなに変わって、彼女に、その――負担は何もないですか?」
ジョバンニの普段見せない真剣な表情に、ヴォルフは彼の裾を握っていた手に力を込めた。心配そうにジョバンニを見上げている。
召喚士は、二人に穏やかな笑みを浮かべながら、
「紗良は、大丈夫じゃ。番の能力が彼女の心身を消耗させることはない。紗良の能力が他の者たちと違う事におぬしらは、混乱しているようじゃが――それも大丈夫じゃ」
召喚士は、手にしていた靴を丁寧に木箱に納めると、姿勢を正しながら彼らを捉えた。
「わしはの。歴代の番を召喚した時のように、この国が豊かになるようにと願って紗良を召喚したのではないのじゃ。
わしはな、十年前の召喚で、ヴォルフ――おぬしが幸せになれるようにと、ただそれだけを女神様に願って――そうして召喚されたのが、紗良じゃ。紗良は、国ではなく、人の心を豊かにするためにここに召喚されたのじゃ。
女神様の采配だからの、紗良が今後どのような能力を発現させるか、このまま何も起こらず終わるのか、わしにも分からんが――おぬしらが、幸せならそれでいいのじゃ」
――何も気にするなと笑顔を見せた召喚士。
ジョバンニとヴォルフが彼の言葉にほっと胸をなでおろした。
和やかな雰囲気が漂うなか、ぱたぱたと階段を下りてきた紗良が足早に居間に入ってきた。
召喚士に笑顔で黒い古びたパンプスを渡した紗良は、それからおずおずと手にしていた編みぐるみを見せながら、
「こ、これ、どうやったら売れるようになりますかね」
ジョバンニがクククと肩を震わせた――。




