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第一話 オオカミ少年とバッバの別離宣言

本作は、【異世界召喚されたバツイチアラフォー派遣社員の運命の番は、生後三か月の子狼でした】の続編となります。

「ヴォルフッ! おはよう!」


 紗良は笑顔で居間の扉を蹴り開けた。




――紗良とヴォルフが塔に暮らし始めてから十年が経った。


 かつて彼らが憩いの場として長い時間を過ごしていた居間には、以前の面影はなく伽藍洞(がらんどう)になっていた。


 紗良達が大切に育てていた便所葉っぱや、四台並べたベッド、ヴォルフのサークル、彼らが過ごしてきた思い出はすべて取り払われ、そこに残っているのは、ジョバンニの羊の毛で編まれた大きな絨毯とその上に置かれているカイル特製の丸テーブルだけだった――。


 お盆を手にして足取り軽く入ってきた紗良が見遣る先には、少年ヴォルフがいた。彼は一人、丸テーブルの前に胡坐をかいている。


 窓からは夏の朝日が突き刺していた。


 丸テーブルにギラギラと反射している陽射しに目をしかめながら、少年ヴォルフはうんざりとした様子で腕を組んでいる。


 彼は、紗良の元気な声を当然のように無視した。


 反応のないヴォルフに、紗良はもう一度突き抜けて明るい声で彼の名を呼んだ。


「ヴォルフッ! おはよう!」


 朝食の乗った盆をヴォルフの目の前に置きながら、無邪気な笑顔を見せる紗良。


 ヴォルフは、彼女と視線を交わそうとせずに銀色の前髪を鬱陶しそうにしてかき上げた。


「朝からうるせえな」


 不機嫌に短くそう言い放ったヴォルフ。


 彼の伸びきった前髪が切れ長の目にかかっていた。


 紗良は、前髪から覗くヴォルフの緑色の瞳を見つめて、

「ヴォルフ、前髪、学校行くまでにまだ時間があるから切ってあげようか? こんなに伸びて、髪の毛が目に入ってるじゃない――」

 彼の頭に紗良はすっと手を伸ばした。


 紗良の生温かい息がヴォルフの鼻を掠める。


「触るなっ!」


 ヴォルフは、紗良の手を乱暴に払いのけた。仰け反り彼女から距離を取ったヴォルフは、紗良の頭上に視線を移した。


 彼女の無造作に結われた黒髪からはみ出るその無数のおくれ毛に、化粧っ気のないその姿に、ヴォルフは憎々し気に顔を歪める。


 紗良はすぐに手を引っ込めて「ごめん」と呟くも、ヴォルフは無言で顔を背けた。


 紗良は、そっぽ向くヴォルフの横顔に眉尻を下げたが、すぐにその声音を明るくして、

「ヴォルフ、今朝はあなたの好きな海藻のお味噌汁よ。いつものお漬物と、あと、ご飯も炊き立てよ。あ、そうそう今日のお漬物、ちょっとアレンジしてみたの」


 手際よく皿を並べながらヴォルフに笑顔を向けた。


 準備を終えた紗良は、テーブルを挟んでヴォルフの前に座ると手を合わせて「いただきます」と小さく言った。


 ヴォルフは、忌々しそうに彼女を睨みつけ、黙ったまま箸を手にした――。




 ヴォルフが、苦虫を噛むようにして不機嫌に漬物を()む様子に、紗良は、それでも笑顔を保ったまま「ヴォルフ、どう?」と、彼に尋ねた。


 ヴォルフは、反射的に顔を上げた。


 視線の先で紗良がにっこりと口角を上げている。窓から差し込む光が紗良を照らし出し彼女の陰影をくっきりと浮き立たせた。


 彼女の口元に浮かぶその深く刻まれた皺を見てヴォルフは、また顔を歪め、それから大きなため息を吐いた――。




「紗良さん、ヴォルフ、おはようっす」


 沈む沈黙を破り、笑顔のカイルが部屋へと入ってきた。


 彼は、ふわふわとした濃い灰色の髪を手で撫でつけながら大きな欠伸をして紗良の隣にすとんと座った。


 カイルは、紺碧色のくりくりとした瞳で彼女を見つめながら、

「紗良さん、やっとできたっす」


 紗良に小さな小瓶を差し出した。小瓶の中には、とろりとした薄緑色の液体が入っている。


 紗良は、くしゃりと嬉しそうに笑顔を見せながら、

「カイル、ありがとう。これがずっと欲しかったのよ――」

 カイルから小瓶を受け取り、それをテーブルの上に置いた。


「俺も紗良さんを見ててずっと辛かったっす。配合するの大変だったっすけど、これで紗良さんも、ようやくすっきりするっす」


 屈託のない笑顔を見せて紗良に答えるカイル。


 ヴォルフは、眉を顰めながらただ黙々と食事をとり続けていた。


 カイルは、しかめっ面で白米を頬張るヴォルフに困った様子で眉尻を下げると、紗良に視線を移した。


 眉間に皺を寄せて一言も発しないヴォルフを、紗良はそれでも愛おしそうにして眺めている。


 彼女の幸せそうな表情を見たカイルは、すぐに笑顔を取り戻して「いただきまーすっす」と、箸を手に取った――。




「紗良さん、新作のお漬物美味しいっす! これ、もしかしてこの(あいだ)発見した海藻を使ってるっすか?」


 カイルが目を見開いて紗良に尋ねた。彼は、興味深々と言った様子で漬物を見つめている。


 紗良は、カイルの言葉に嬉しそうに声を明るくして、

「そうなの! あれ結構分厚い海藻だったでしょ? その分厚さと、むにむにっていうあの感触? あれが、日本の昆布に似てるなって思って、それでちょっとお日様に当てて乾燥させてみたのよ。で、からっからになったのを昨日ちょっと舐めてみて――」


 話しながら紗良は、ペロッと舌を出した。


 彼女の仕草に、ヴォルフは、また顔を歪めた。


 カイルは、ヴォルフのその表情をちらりと見遣ったが、すぐにその視線を紗良に戻した。


 紗良は、ヴォルフの態度を気にしないといった様子で楽しそうに話し続ける。


「――で、その味が日本の昆布そのもので、これはいいお出汁が取れるわって確信して、早速、今日のお味噌汁とお漬物に使ってみたの」


 言い終えた紗良は、深皿を手にして美味しそうに味噌汁を啜った。


 ほうと恍惚の表情を浮かべる紗良に、ヴォルフは苦々し気に彼女に視線を投げて、それからその視線を彼の前に置かれている深皿に落とした。


 深皿には、まだ半分以上の味噌汁が残っていた。彼は、それに箸を入れると乱暴にグルグルとかき混ぜた後、大きくため息をついた。


 箸が突き刺さったままの深皿を勢いよく払いのける。


 追いやられた深皿から味噌汁がこぼれ落ちた。


 味噌汁で濡れたテーブルを朝の陽射しがギリリと反射し、紗良を照らした。


 笑顔を引っ込めた紗良が声を低くした。


「ヴォルフ、お味噌汁をこぼしたわよ、食べ物を粗末に扱わないで。それと残すのはだめよ。最後まで食べなさい」


「うるせえ。もう食わねぇ」


「駄目よ。病気で食欲がないって訳でもないし、食べきれない量じゃないでしょ。そんな半端に残してもどうしようもないし、もったいないわ。全部食べきって」


「……」


「ヴォルフ、残さないで食べて」


「……」


「ヴォルフ――」


「うるせえ!! いらねぇっつってんだろ! クソババア!!」




――ダンッ!!


 カイルがテーブルを拳で叩いた。ヴォルフは、カイルの剣幕に一瞬怯んだが、すぐに「ふん」とその視線を紗良に移した。


 紗良を睨みつけるヴォルフ。


 ヴォルフの反抗的な態度に怒りをあらわにしたカイルが、立ち上がろうとテーブルに手をついた。


「大丈夫よ」と言いながら紗良が、カイルの手をポンポンと叩き彼を制した。


 何か言いたげなカイルに、眉尻を下げながら首を横に振った紗良は、凛としてヴォルフに視線を移した。


「ヴォルフ、あなた、最近毎日そんな態度ね。私の事が嫌で嫌で仕方ないみたいだけど。

――食べ物すら粗末にするほど私を嫌うなら、もうどうにもならないわね。望み通りに私、あなたに纏わりつくのをやめるわ。バッバをやめる」


「バッバやめたって、お前は俺の(つがい)だ」


 視線を落としながらヴォルフが呟いた。


 紗良は、彼の銀色の頭を眺めてふっと寂し気に笑うと、テーブルに置かれた小瓶を手にして、薄緑色の液体を一気に飲み干した。


 手で乱暴に口を拭った紗良は、ヴォルフを見据えた。


(つがい)もやめる。あなたと私、召喚士が勝手に作った運命なんてぶっちぎって、別々に生きましょう――自由になるの」


 言い終えて紗良は、妖艶な笑みを見せた。


 初めて見せる彼女の表情にヴォルフは、思わず立ち上がり部屋を駆け出した。


 彼が捉えた出口の扉が涙で歪んだ――。

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