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3.わたしが二人いる

 やっとのことで、わたしは帰宅した。

 暑くてへとへと。こういうとき、鍵を開けなければならないのって面倒。

 ポケットからもたもたと鍵を取り出して握り直す。差し込んで回す。

 一瞬回転しなくて、反対にくるりとひねったような。ドアノブを引いても動かなくて、ただガチャって音がした。


 あれ、閉まっちゃった? おかしなの。

 出かけるときに鍵をかけて、今開けたつもりだったのに。焦っていたせいで、また鍵がかかってしまったのかな。


 逆に回転させて、ドアノブを引く。今度はちゃんと開いた。


 玄関に入って靴を脱ごうとしたとき、わたしは信じられないものを見つけてしまった。


 わたしの靴。

 それも、今わたしが履いているのと全く同じ靴が玄関にある。


 どうなってるの?


 訳が分からず呆然としていると、家のなかから声が響いてきた。


「誰?」


 わたしはすばやくドアを開け、外へと駆け出した。

 



 走って走って、全身が燃えそうなほど熱くなり、息が苦しくなって立ち止まる。


 今のは一体どういうことなの?

「誰?」って尋ねてきた声は、どう考えてもわたしの声だった。


「さっきも来たわよね。追加かしら」というお弁当屋のおばさんの言葉も思い出した。前に来たのは、本当にわたし、だったのかも……。

 でもね、わたし、ここにいるじゃない。


 わたしの偽者(にせもの)がいる? わたしの双子の姉妹がいる?


 ううん。多分、そうじゃないと思う。直感なんだけど、きっと。


 わたしが二人いる。


 もしも、わたしが公園に寄らないで、すぐにお弁当を買いに行っていたとしたら。

 早く自宅に着いて、もう部屋でお弁当を食べているに違いない。

 そんなわたしがいた、と考えられなくもないよね……。


 そのとき、お腹がきゅーっと鳴いた。

 こんなとんでもないことが起こっているのに、お腹だけはちゃんと空いている。

 怖くなりそうな気分だったのに、何だか笑いそうになってしまった。


 手に提げたエコバックを覗いてみる。からあげ弁当が入っている。おいしそうないい匂いがした。ここは考え込まずに、お昼ご飯を先に食べよう。


 わたしは公園にもう一度足を向ける。

 ブランコの前の青いベンチなら、ちょうど日陰だし、さっきまで人もいなかったから食べてもいいんじゃないかな。


 そのアイデアは、とてもいいと思った。

 青いベンチを目指すこと以外、考えるのはなしにする。暑いってことだけはどうしても考えてしまうから、しょうがないけど。

 セミの鳴き声が、追いかけてくるみたいにたくさん聞こえてきた。




 わたしは公園に入って、木陰を通る。お弁当を買いに行く前に通ったのと同じように。

 すると、また何かが違うような気がした。お弁当を買いに行くときも同じ感覚がしたっけ。でも、それが何なのかやっぱり分からない。

 ただ、ここにいてもいいのかなと問いかけたくなるような、変な違和感。


 気のせいなのかな。それより、わたしが二人いそうな今の状況のほうが問題だよね。


 ブランコが見えてきた。周りには誰もいない。

 横にあるベンチが目に映った。


「あっ」


 気のせいじゃない。ベンチがいつもと違っている。赤い色だった。

 



 わたしはおそるおそるベンチに座る。赤だってこと以外に、別に何も変わったところはなかった。ペンキ塗りたてってこともない。

 このベンチは青い色のはず。

 それは疑いようのないこと。他の公園と勘違いしているわけでもない。

 今日最初にブランコに乗ったときだって、青かったもん。


 どこで変わったのかな。

 ブランコを漕ぐうちに、ゆれが変わって世界が二つに分かれた。そのうちの一つに吸い込まれたと思ったら、またもとのようにブランコに乗っていた。そのまま降りて……。


 じっくり考えてみる。

 降りたときにベンチの色がどうだったか、覚えていない。もしかすると、そこから赤かったのかも。

 どういうことなんだろう。


 お弁当とお茶を取り出す。空腹のせいか、あまり頭が働いてくれない。

 このままでは胃がぺたんこになっちゃいそう。早く食べてしまおう。


 ペットボトルのふたを取ると、お茶をごくごく飲んだ。飲み始めたら、ひどく喉が渇いていることに気づいた感じ。一遍に半分くらい飲んでしまった。

 お弁当を開けて、お(はし)でふたについていたご飯つぶを取って、口へ運ぶ。

 お腹が減っているからかな。それだけでも何だかおいしい。

 (こう)ばしいからあげの匂いに誘い込まれそう。


「いただきます」


 ちょっと遅いのだけど、改めて手を合わせてからお箸をからあげに持っていく。口に入れた途端「んっ」と思わず声がもれてしまった。


「おいしい。どうして?」


 不思議に思うくらい、からあげはおいしかった。

 かりっとした表面に、じゅわっと汁があふれてくる。その味がたまらない。なかの鶏肉も柔らかくて()むたびに汁が合わさって、おいしい。


 ほっこほっこ弁当は、ごく普通のお弁当屋さんだと思う。味だって、普通においしいくらい。以前にも同じお弁当を食べていて、まだ記憶に残っている。

 それなのに、今食べている物は間違いなくそれよりずっとおいしい。


 からあげ、ご飯に漬物、キャベツの千切り、ミニトマト、ポテトサラダを食べていく。

 どれもおいしかった。だけど、からあげはやっぱり格別だった。


 空っぽになったお弁当箱を袋に入れ、お茶も飲み終える。

 落ち着いたところで、わたしは赤いベンチに座ったまま思案(しあん)する。


 青いベンチと赤いベンチ。

 普通のからあげとおいしいからあげ。


 そういえば、歩きながら幾度か何か違和感があるって思わなかったっけ。

 ちょっとだけいつもと違っちゃってる。あの、ブランコでもう一つ世界を見てから、かな。


 わたし、やっぱりそっちの世界に引き込まれているんじゃないの。

 自分の世界で、急にここにいてもいいかなって疑問に思うところも変。わたしは今、別の世界にいるのかも。

 ちょっとだけ(こと)なる別世界に。


 いろいろ考えているうちに、思い当たる。

 パラレルワールド、って言葉。


 何かの本に書いてあったことなんだけど、並行世界ともいうみたい。

 どうしてそうなるのか、難しくてよく分からないけど、とにかくわたしが暮らしている世界と少しだけ違う世界がたくさんあるっていうお話。


 ここは、そのうちの一つの世界なのかもしれない。

 すごく似ていて、少しだけ違う。こちらにもわたしがいて、同じように暮らしていて、きっと同じようなことを考えている。

 そう思ったら、本当にそうじゃないかなという気がしてきた。


 ほっこほっこ弁当のからあげの味は、こっちの世界ではこういう味なんだろうな。すごくおいしかったんだけど。


 わたしは空の弁当箱とペットボトルをエコバッグに入れて、持って帰ろうとする。公園にごみ箱は見当たらないし。

 だけど、このまま家には戻れない。何と言っても、もう一人のわたしがいるんだから。

 

 ふと思いついたことがある。


 ブランコに乗って、ゆられているうちにこっちの世界が見えてきて、そのまま行ってしまったのだから。

 またブランコに乗って、ゆらゆらゆられたら戻れるんじゃないかな。


 きっとそうだと思う。


 ブランコに進み、手に掴む。熱い。

 もう一回慎重に触れて、腰かける。エコバッグを持って。

 わたしはゆっくり漕ぎ出した。


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