2.お弁当屋さんへの道
この世界のことを、わたしがいくら考えても変わるものじゃないし、変えたいとも思っていない。考えても仕方がないことかもしれない。
でもね、世界に疑問を持つようなことに頭を巡らせているってこと、誰かとしゃべったりしたいんだよね。
額の汗をぬぐって、帽子をかぶり直す。太陽の強い光に目を細める。そうしながらも、お弁当屋さんへ向かって、足だけは一歩一歩進めていく。
道路沿いを行くと、アスファルトの道から湯気が出てきそうなほど熱が立ち込めている。通りすぎる車は、どれも日の光を反射してまぶしい。触ったら火傷しそう。
車の上で卵を割ったら、目玉焼きができるんじゃないかなあ。
街路樹の下に影ができている。入ってみると、目に優しくて涼しく感じた。
わたしは最近読んだ『砂漠の国のヴィヴィカ姫』の物語を思い返す。そこに出てきたオアシスみたいだなと思った。
一面の熱い砂の大地のなかで、こんこんと泉が湧いてくるような涼やかな場所。
そんな小さな日陰をたどっていこうとするけれど、緑の木々はすぐに途切れてしまう。
お弁当屋さんまでの道を心に描く。
この先、あまり木陰も高いビルの影もなさそうだった。
それなら、公園のなかを通ろうかな。
すぐそばに第七公園と呼ばれている小さな公園がある。そこを通り抜ければ、ちょっと遠回りになるけどほとんど木の影に入っていられる。
わたしは、その道を選ぶ。
公園には全く人がいなかった。ジージー、ミンミンとセミの鳴き声が響くばかりだ。
遊具はすべり台とブランコと砂場くらいしかない。こんな暑い日にわざわざ遊びに来る子はいないに違いなかった。
木陰をたどりながら、園内を歩いていく。青いベンチの横を通るとブランコが目に入った。
風に小さくゆれている二つのブランコ。
そばに大きな木が三本あるので、日差しはよくさえぎられている。それでも、その木もれ日さえまぶしくて、こんな高温なら今日一日誰も乗ることはなさそう。
そう思ったら、途端にそれを引っくり返したくなった。
わたしは右側のブランコに座ってみる。両手を鎖に触れるととても熱くなっていて、きちんと掴めるようになるまで何度か手を離した。
やっと握りしめると、少し後ろに下がって地面を蹴った。
ふわりと体が宙に浮く。
ブランコなんて、久しぶり。小学校の低学年くらいまでは近所の公園で遊んでいたけど、近ごろ乗った記憶はない。
こんな感覚なの、忘れていた。
何だか気分が上向いてきて、漕ぐ力を強める。
風が吹いてくる。すーっ、すーっと体に伝わって汗が引いていく。涼しくなる。気持ちいい。
セミのさざめきのなか、耳もとできぃきぃとブランコの音。
もっともっと漕ぐ。
ブランコはゆれる。わたしもゆれる。まるでくらげになって波間にぷかぷか漂うように。このままずっと風に当たりながらゆれていたいような心地よさを感じる。
きぃきぃ。ゆらゆら。すーっ、すーっ。
ブランコゆれて。わたしもゆれて。
それなのに、だんだん違う感覚がしてきた。
周りの世界がゆらゆらとゆれ動いている。
砂の地面がゆれる。滑り台もゆれる。濃い緑の木々がゆれる。その向こうの家々の灰色や茶色、焦茶色の屋根がゆれる。青く広がる空と、ちぎった綿みたいな白い雲もゆれる。
わたしじゃなくて、世界が上へ下へと動いているみたい。そんなわけないのに、不思議な光景にぼうっとしてしまう。
すると、ゆれが変わった。
何だろう、これ。
ゆれている世界が二つに分かれた気がした。ぱちぱちとまばたきをして、漕ぎ続ける。
世界がゆらめく。ゆれて、また二つになる。
今の世界にもう一つ出てくるような。
そんな気がしたとき、わたしはできたばかりの世界に引っ張られる。
すうっと、吸い込まれていった。
「あれ?」
吸い込まれたはずなのに、もとのようにブランコに乗っている。
ゆらゆらゆらいでいるのは乗っているわたし。何も変わったようには見えない。
「何だったのかな」
首を傾げる。もう漕がずに降りることにした。
そういえば、お弁当屋さんに行く途中だったんだ。
気がついたら、急にお腹が減ってきた。
ブランコを降りて、地面に足をつける。そのまま木陰に入って、ほっこほっこ弁当のある方へ歩いていく。
公園を抜けると、すぐにじりじりとした日差しが照りつけてきた。
頬へと流れてきた汗をハンカチでふいて、ひと息つく。熱い湯をわかしたお風呂場にずっといるみたいな気分。
だけど、次の角を曲がればすぐにお弁当屋さんだ。
道なりに進みながら、いつもこんな感じだったかなとふと思った。
こっちに引っ越してきて、ほっこほっこ弁当を買いに行ったのは五回めくらい。何となく何かがいつもと違っているような気がする。
何かって何か分からないけど。何か違う。
わたしのすぐ考えるくせが出てきただけかな。
五回くらいでは、そんなに何度も行ったうちに入らないよね。それに、夏になってからここへ来たのは昨日だけだし。
気のせいかな。
そう思うことにして、そのままほっこほっこ弁当までやってきた。
赤い横文字の看板はいつも通り。周りも変わっていない。
やっぱり、気のせいだよね。昨日と何もかも同じに見える。
「いらっしゃい」
割烹着を着たお弁当屋のおばさんが顔を覗かせた。
小さく挨拶をして、わたしはガラスケースのなかのお弁当を眺める。
とんかつ、しょうが焼き、ハンバーグ。鮭、ステーキ、天ぷら、コロッケ。いろいろな種類のお弁当があって、目移りしてしまった。どれもおいしそう。迷っちゃう。
結局、前に買ったことのあるからあげ弁当を選ぶことにした。
お弁当とお茶を用意しながら、おばさんはにっこり笑った。
「さっきも来たわよね。追加かしら」
「えっ?」
さっきも来たってどういうこと?
急にどきどきと胸の鼓動が早まる。
昨日は来たけど、それだったら追加とか言わないはずじゃない。
今日ってこと? さっきって?
気が動転して、頭のなかが真っ白になった。
一体何て答えればいいんだろう。
わたしは、自分でも気づかないうちに不安げな顔をしていたみたい。おばさんがあわてたように笑みを引っ込める。
「他の子と間違えたかしら」
そう言って笑ったけど、前と違って表情が固かった。わたしは一度、唾を飲み込む。
「あ、あの、わたし、似ている子がこの近所にいるって聞いたことがあります。きっと、その子だと思います」
口からそんな言葉が出てきた。
「あら、そうなの。まだ熱いから気をつけてね」
おばさんは信じてくれたのか、声をかけながらも、お弁当の包みを渡してくれる。
わたしは軽くうなずいて、エコバッグにお弁当とお茶を入れた。
お釣りをもらうとすぐにお財布にしまって、お店から歩き出す。
ちょっと早足になってしまった。
もちろん、近所に似た子がいるというのは作り話。本当にいるかもしれないけど、今まで聞いたことのない話だ。
誰なんだろう。
さっきも来たって言われるくらい、わたしにそっくりな子がいるって。変じゃないの。
双子の妹とかいたら面白いけどね。
実はお父さんの転勤というのは嘘で、わたしたちの家族は離れて暮らしているその子と一緒になるために引っ越してきた、とか。
それだったら、楽しそう。だけど、今の住宅だとわたしの部屋はあるけど、その子の部屋はないかも。同じ部屋になるのかな。
そんなことまで想像してしまい、気がついたら公園を通らず、まっすぐ家へ向かっていた。
焦げそうなほど太陽光を浴びるけれど、お腹もぺこぺこ。この際、早く家に帰って、からあげ弁当を食べようと決めた。