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1.わたしの考えていること

 学校から帰ってきて、わたしは家の(かぎ)を開けた。ランドセルを降ろしてから、誰もいないリビングに入る。

 テーブルの上に、お財布が置かれたままになっていた。

 

鈴葉(すずは)ちゃん、お昼は今日もお弁当買って食べてね」


 今朝、お母さんはそのひと言だけ残して、あわただしく仕事に出かけてしまったんだった。

 もうすぐ夏休みで、昨日から学校は午前中だけになった。給食もない。


 昨日と同じ、ほっこほっこ弁当でいいか。


 近所のお弁当屋さんでお昼ご飯を買うことにして、わたしはお財布を手に取った。




 お父さんが名古屋に転勤になって、引っ越したのは四月のこと。

 転居が決まったとき、お母さんは目に見えるほどがっかりしていた。今までパートの仕事がうまくいっていて、友人もいたみたい。

 わたしも友だちと別れるのは寂しかったけれど、お母さんも同じなんだと思って、少し気持ちがまぎれていた。


 仲の良かった友だちの何人かは、五年生になったら中学受験の塾通いが始まるとか言っていたし。引っ越さなくても、進級したら今まで通りじゃないって心構えもあったんだよね。



 転校した最初の日、五年二組の雰囲気はまあまあだと感じたし、何より凛花(りんか)ちゃんが話しかけてくれてよかった。

 凛花ちゃんはいつも三人の仲良しの子と一緒にいる。


 あとから、先生が転校生のわたしのことを気にして、凛花ちゃんたちに声をかけてくれるように頼んでいたことが分かったんだけど。

 わたしは学校で、一日たりともひとりぼっちにならずにすんだ。でも、それで毎日楽しいかっていうと、ちょっと微妙(びみょう)なんだよね。


 贅沢(ぜいたく)なことを言っているとは思うけど。

 お母さんはこっちに来てすぐに、前にパートをしていたのと同じ会社の支店を紹介してもらって、うまく仕事に復帰した。そのこともあって、わたしのほうが順調じゃないような気がしている。


 凛花ちゃんたちのグループとは、うまくやっているつもり。

 みんなでしゃべっていると、東京の言葉と違うところに気づくことがある。けれど、たまに「あれ?」と思うくらい。そんなに違和感はないかな。


 凛花ちゃんたちは、わたし自身にはあまり関心がなくても、東京から来た転校生には興味があるんだと思う。

「有名なところとか、遊びに行ったりしてた?」と尋ねられたんだけど、聞かれた場所のなかで行ったところは一つもなかった。

 答えがそれだけだと話が途切れてしまうと思って、そのときは問い返してみた。


「みんなはどこに遊びに行くの?」

「けったで(さかえ)とか行くわ」


 後ろの方の言葉を上にあげるイントネーションも少し慣れたけど、それより気になる言葉があった。


「けった、って何?」

「けった、知らんの? 自転車」


 このときは、さすがにびっくりした。


「え、自転車のこと、けったって言うの? 何だか全然違う物みたい」


 すると、逆に聞かれてしまった。


「東京じゃどう言うの?」

「えーと、ちゃりんこ、かな」

「そっちだって、全然違う物みたいだわ」


 そこでみんな笑ったので、打ち解けたなと思った。


 でも。

 凛花ちゃんたちの話は、だいたい今流行(はや)っていることだ。ネットで話題のものとか、テレビのアイドルのこととか。それも、次々話題が変わってしまう。めまぐるしく、いつも流行(りゅうこう)を追いかけている感じ。


 話しているときは、面白いとは思う。

 凛花ちゃんが雑誌の最新号に載っていたヘアアレンジをしてみたときは、わたしもやってみたいと思った。格好(かっこう)いいタレントの情報を教えてもらえるのも楽しい。


 みんなで共通の話題があって、そのなかにわたしもいられるのって、安心できる。だけど、どこか物足りない。もっと口に出したいことがあるような。

 何というか、同じことを深く考えて、話し合いたいんだよね。


 こんなふうに、みんなは考えていないと思う。こんなことを言い出したら、みんなにつまらない子だと思われちゃうよね。だから、合わせてる。

 これから先も、ずっと同じ感じなんだろうな。別にそれでもいいんだけど、気分は上がらない。何か違う話もしてみたい。


 わたしは時折、斜め後ろの席の(なぎ)ちゃんのことを考える。

 凪ちゃんなら、こんな話をしても一緒に楽しんでくれそうな気がする。

 

 凪ちゃんは、よく本を読んでいる。友だちがいないわけじゃないけど、休み時間にひとりで図書室へ行ったりしているみたい。

 それにこの間、近所の図書館に本を借りに行ったとき、凪ちゃんの姿を見た。

 閲覧室の机の上に分厚い本を乗せて、じっと見入っていたので、声をかけられなかった。眼鏡をかけた横顔は真剣で、それでいて楽しんでいるような表情をしていた。


 本の話とか、きっとできそう。

 それに、わたしの考えていることを凪ちゃんなら耳を傾けてくれるんじゃないかな、と何となく思っている。


 けれど、教室の席は離れているし、委員会やクラブ活動も違うから接点がない。そもそも同じクラスにいても、わたしは凛花ちゃんたちといつも一緒にいる。そこから出るのって何だか難しいし、タイミングも分からなくて。

 結局、今の状態から抜けることができないんだよなあ。




 ため息をついて、淡いピンク色の小花がついたエコバッグに財布を入れる。ランドセルから鍵をもう一度取り出して、スカートのポケットへ。

 わたしは玄関の扉を開ける。途端に、七月のむわっとする空気と強い日差しがやってきた。


 暑さに負けるわけにはいかない。

 口をきゅっと結んで気合いを入れると、お弁当屋さんに向かっていく。




 わたしの世界はどうしてこうなのかな。


 引っ越して環境が変わったせいなのか、よくそう考える。

 わたしのいる世界は、なぜこうなっているんだろう。もっと違う世界だってありえるはずなのに。何でこうなのか、気になる。


 それがいけないとか、違った方がいいとか、言いたいわけじゃない。

 世界中に、恵まれない子どもがたくさんいることくらい知っている。いつも食べ物が手に入らなかったり、戦争で家を失くしてしまったりする子もいるという。そういう子たちの世界は変わってほしいと願うけれど。

 

 それとは別に、思うことがあるんだ。

 たとえば、海のなかで魚みたいに泳いで暮らしたり、森のなかでリスみたいに木に登って暮らしたりする世界もあるんじゃないかな。

 もしかしたら、地球じゃなくて宇宙の別の星だってありえるんじゃないかな。そこでは、重力が小さくてふわふわ浮きながら暮らしているかもしれない。

 でも、そういうことはなくて。


 どうしてわたしの世界はこんななのかなって、不思議に思う。

 たくさんそんなことを考えている。


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