第74話 そうだ 旅商人になろう!
「彼は……カイルはどうして旅商人になったんですか〜?」
別にエリスはカイルが旅商人を目指した理由などどうでもよかった。それは昨夜、絵本をテーブルに投げ捨てた時点でカイル自身に宣言している。
だが、語って聞かせるカミーユに対して「そんな話、どうでもいいわ」などと言うに言えなかったエリスは聞き返す。
人当たりの良い猫被りエリスっぷりを発揮している弊害である。
今日、彼女は人生……いや魔族生でこれでもかと人と触れあってきた。きっと、これだけ人間と話し触れ合ったのは戦場以外では初めてだったことだろう。表情こそ笑顔を形成していたが、心の中では酷く萎えている。そんな彼女の視線はカミーユの手にあるバスケット(お弁当)に注がれていた。これが唯一の彼女の希望だ。
「ある時、村を訪れた旅商人から一冊の絵本をカイルに買ってあげたわ。カイルはそれを大層気に入ってね。また買ってって……せがまれた。だけど、こんな田舎の村じゃ商人が次に訪れるのがいつになるかわからない。だから、カイルに説明してあげた。村のみんなは困ってるんだ〜〜って……」
カイルの部屋にあった一冊の絵本——何気なくエリスが手に取った物語だったが、あれは、今に至るカイルの原点だったようだ。
「そうしたら、『じゃあ僕が旅商人になってみんなに商品運んであげる』って言い出してね。そしたら数ヶ月後には村にいた子馬を連れ出して、家出したの。もう、急に居なくなったモノだから、私悲しくなっちゃってワンワン泣いちゃったわ。だけど、1年後……カイルは帰ってきたのよ。荷馬車いっぱいに商品を積んでね。で、今のあの子があるの。これが、カイルの旅商人を目指した物語——」
実にありきたり——エリスの感想はそんなところだろう。話を聞く姿勢はとても良好だが、内心カイルの生い立ちなどどうでもよかった。
「素敵なお話ですね」
「そうでしょう! あの子が遠いところでお仕事してるのはとっても心配で寂しいんだけど……カイルが決めたことなんだもの応援してあげたいし、みんなのために旅商人になるって決めて……とっても優しい子。もう素敵なのよ!」
流れで興味もない話を聞いてしまったエリス。
だが……
いくらカイルの物語がくだらなくて、例え彼が『お人好し』で愚人であるとしても……エリスはそれを嘲笑したりなどしない。
彼が、お人好しの旅商人になっていなければ、今頃自分は生きてはいなかったのだから……
「……あれ? 2人とも何話してるの?」
「ん〜〜? 別に〜〜ただエリスちゃんにカイルちゃんの素晴らしき幼少期を話し聞かせてただけよ!」
「え? なにそれ……すごく恥ずかしいんだけど……何話したの?!」
カイルが片付けを終えて戻って来る。この時、カイルはニコニコ笑顔の母親の顔とその横に居たエリスの姿を見た瞬間——顔を顰めた。
「変なことは話してませんよぉ〜〜だ! そんなことより、お昼ご飯にしましょう!」
「そ、そんなことって……」
「もう! カイルちゃん! しつこい男は嫌われちゃうんだぞ! 寛容な心を持たないと〜〜父さんみたいにね!」
「…………」
何をエリスに吹き込んだかは不明のままに、カミーユは誤魔化すようにバスケットを持ち出してお弁当の用意をする。
カイルはそんな母親に、なにも言えずにただ目を細めて見つめることしかできなかった。
「ねぇ〜エリス? 何を聞かされたの?」
「なにも〜? アナタが素敵な人だって話を聞いただけよ」
「はぁ? なにそれ……どういうこと?」
「もういいでしょう? しつこいと嫌われるのでしょう? 素敵なカイルが素敵じゃなくなるわ。自分の母親を嘘つきにするつもりなの?」
「うぐぅ……」
それはエリスに聞いても分からずじまい、エリスの吐く毒に思わず口を噤む。
そして、その後——
大人しくお弁当をいただくカイルだった。