第60話 「あーん!」
「うにゃぁああ!! シャルルちん!! 何言って!? ご、ご、ごめんなさいにゃーー聖女様!!」
これに慌てたのはキャロルだった。
「シャルルちん! 聖女様知らないのかにゃ?! 偉い人!! 今、カイルっちが言ってたでしょう?」
人類を最前線で救っている聖女、その人が今目の前にいる。というのに物怖じしないシャルルに驚くキャロル。
実は、彼女が聖女を見たのは今が初めてだったのだが……今の状況を見てもらえばわかる通り、目の前の少女の正体がなんであるのかなんて理解にそうは時間が掛からなかった。
「そんなの分かっています。ですが、私が言いたいのは、なんでカイル様と親しそうにしてるのかなぁ〜〜って思って?」
「うにゃ!? そんな理由で!!」
「そんな理由?? 大好きな人が他の女と仲良しこよしはムカつくでしょう!!」
「うわぁ〜〜本音がビッチビチだにゃぁ……」
だが、シャルルは知っていてこの態度を貫いたのだ。肝が据わった少女である。
次の瞬間——
「あらら〜〜可愛らしい魔法使いさんですね? どなたなんですかカイル様?」
「え!? セレナちゃん!?」
「「——ッ!?」」
セレナが瞬間移動を彷彿とさせる移動速度でカイルの隣に移動し卓を共にする形で座っていた。ちょうどシャルルとは反対の席だ。
これにカイルは飛んで驚く。キャロルとシャルルも同じく驚いた。
「カイル様? 私もお席をご一緒してもいいですか?」
「——ッえ!?」
「今日は、街の食事所で食べてみようと考えまして〜〜でも私、初めてだから不安だったんですけど……カイル様に会えて幸運でした♪」
「えっと……僕は、いいんだけ……」
「——ッえ!? いいですか? いいんですよね!? ありがとうございます♪」
「——ッえ!?」
セレナはカイルの言葉を拾って言質をとったとばかりに無理を貫いた。
すると……
「ちょっと!! 聖女だか、なんだか知らないですけど!! カイル様は私たちと食事をしてたんです! 邪魔しないでください!!」
「うにゃぁああ!!?? シャルルちん何言って——てか『私たち』って私も巻き込まれているのかにゃぁああ!!??」
これを面白く思わないのがシャルルだった。聖女に向かって啖呵を切る。これに慌てたキャロルが耳の毛を吊り上げて驚いた。
「あらら……魔法使いちゃんには嫌われてしまいましたか? うぅ……悲しい」
「かまととぶるな〜〜です! めざとい——カイル様が嫌がってるでしょう!!」
「そんなことはないと思いますよ〜〜魔法使いちゃん?」
「シャルルです!! 魔法使いちゃんって呼ぶな!」
「ふふふ……ごめんなさいシャルルちゃん。では、私のことはセレナお姉ちゃんって呼んでください」
「——絶対嫌です!」
と……2人の少女はカイルを挟んで不穏な空気だ。
(何故、僕はここで挟まれているんだ??!!)
心なしかカイルの顔は青い。お酒を飲んだわけではないのにだ。
こうして……
カイルは2人の乙女から「あ〜ん♪」を受ける羽目になった。
余談だが……
「あぁ……どうして、こうなったのかにゃ……。シャルルちん、私の気も知らないで……とほほにゃ……」
「まったく……聖女様は……周りの目があるというのに、あんな大胆に……私の心配を考慮していただきたい」
幸せ乙女のラブバトルを側から見ている猫娘と女騎士の2人。
「……はにゃ?」
「……おや?」
2人の視線が交差した。
「えっと……あなたは?」
「あぁ……そこで、カイルっちに「あーん」をしている娘の保護者にゃ。キャロルっていうにゃ。で……そういう、あなたは?」
「私は、聖女様の護衛の騎士。エクレと申します。そこでカイル様に「あーん」している娘の保護者みたいなものですね」
「…………」
「…………」
自己紹介を交え、数事話した2人は沈黙が支配する。それは、わずか数秒の間だったが……
——ガシ!!
相手を理解し、熱い握手を交わすのに十分すぎる“間”であった。
互いに苦労人だからこそ共感した瞬間である。
そして……しばらく……
「カイル様? 私、セレナの『あ〜ん』が1番美味しかったですよね?」
「はぁあ?! カイル様は、私の! シャルルの『あ〜ん』のほうが美味しいって思ってくれているに決まってます!」
再び話は『あ〜ん』の話に戻ってくる。
「もう……お腹いっぱいなんだけど……うっぷ……」
ひたすら『あ〜ん』を享受していたカイルにも限界は訪れ、胃ははち切れる寸前だった。それなのに耳元では2人の少女のキャンキャンとやかましく。カイルの気分は悪くなる一方である。
「ねぇ〜カイル様? カイル様は、セレナの事を選んでくれますよねぇ〜?」
「違う! カイル様が好きなのは私!! シャルルを選びます! 当たり前よ!!」
だが、少女達はそんなカイルを許してはくれない。この時のカイルは、「どうでもいいけど、放っておいてほしい」としか思っておらず、究極の選択を選べずにいた。そんなことを考えるよりも、胃の内包物を表に出さないことに注力に努めて、それどころではなかったのだ。
と、そんなカオスな食事風景が広がるこの場に……
「……あ。居た。カイル。アナタ、ワタシを放置してこんなところで何しているの?」
「……え? エリス? どうしてここに?!」
「「——ッ!?」」
来訪者が1人……
テーブルの前で腕を組み、カイルを一瞥するエリスの姿があった。
カイルは、意外な人物の出現にたじろぎ驚く。てっきり、宿に篭って寝ているものかと思いきや。エリスが表を歩いていたのだ。これに驚かないわけがない。
「……え、エリス……さん?? なんで……?」
「どうして……あなたが?! 宿に居たんじゃ??」
すると……また違ったニュアンスの驚き方をしたのはシャルルとセレナだ。顔を青くし、突然の来訪者、エリスを見つめた。
「……う〜〜ん……ん?」
すると、この視線に気づいたエリス。
シャルルとセレナの2人を見て、視線を交互に彷徨わせる。最後に、2人に挟まれたカイルに視線を止めると……
……ニヤリ。
小さく八重歯を覗かせて笑った。
「——ッ!?」
カイルに嫌な予感が走る。
「あら〜♪ カイル? こんなところにいたの? “妻”である私を宿に置いてけぼりにして何してるのかしら〜?」
「エリス……君は、何を言って……??」
エリスは明るいトーンの声音でもってカイルに笑顔を向けた。たちまちカイルの頭に疑問符が張り付く。
「シャルルちゃん。昨日ぶりね? 私の“旦那様”とお食事してたの? 私も混ぜてもらっていいかしら?」
「——ッ!? うぅ……」
エリスはシャルルに話しかける。すると彼女は縮こまってしまった。その落ち込む理由には、私の想い人には奥さんがいたんだと……この時再確認してしまったからだ。先ほどの『あーん』とは現実逃避が内包されていた。
「あら? 聖女様ではありませんか〜〜うちの旦那がお世話になってます♪」
「——だ、旦那!!?? あなた、それ本気で言ってます?? 正気ですか!!??」
「私は正気ですよ? ちなみに……私のこと、彼女だってカイルが言い出したんですよ? だから、私は彼の妻をやらせてもらってます♪」
「そ、そ、そ、そんなの嘘よ!!」
「嘘じゃありません。事実です。疑うようでしたらカイルに聞いてみてください♪」
「……そ、そんなバカなぁ……」
ついで、エリスはセレナへ要らない情報を与える。まさか、魔王と自身の大好きなカイルが、そのような関係を結んでいようとは……
だが、初めは冗談だと疑った。どうせ世渡りのための冗談だって……しかし、『彼女だと言い張ったのはカイル』との情報を得た瞬間、カイルの顔を確認したが、否定する素振りを見せず顔色は悪い。
まぁ、それは真実であるからして、否定は口にしないのだが、顔色が悪いのは単なる食い過ぎが原因であった。
「ちょっと、シャルルちん? シャルルちん!?」
「私……馬鹿みたいですよね。なにが、私の『あーん』が選ばれる〜〜なんですかね。カイル様が選んでいたのは、はなから他の女性だって言うのにね……グスン……」
「——シャルルちーーん!!??」
「ちょっと聖女様?! 大丈夫ですか!!」
「あはは……エクレ〜〜改めて、私は『魔王』は敵だって……認識することができました。どうやったら根絶やしにできるんですかね? 今から攻撃魔法の特訓をしても間に合うでしょうか〜〜?」
「癒し手である貴方様が、そんな物騒なことを言わないでください!」
「魔族……魔王……敵……皆◯し……?」
「——聖女様!?」
幸せムードの真っ只中だった乙女2人は、1人の少女の登場に一瞬にして不幸のドン底へと叩き落とされる。
「は〜〜い♪ アナタ〜〜あ〜〜ん♪」
「……エリス……もうお腹が一杯なんだけど……」
「……は? ワタシノ『あ〜ん』ガ受ケ取レナイッテイウノ?」
「……ヒグ……!?」
そして、本日3人目からの「あ〜ん」にカイルは絶望した。
その「あ〜ん」だけはなんとしても受けなくてはいけない。
断れば……あるのは『死』のみだから……