結婚なんてしたくありません
きらびやかな装飾、優雅な音楽、豪華な食事。極めつきはホールの真ん中で狂ったように踊っている男女のペア達。
ほんと夜会なんて来るもんじゃないわね。私――オリビエ・ローズは壁に寄りかかりながらため息をつく。
お父様は、運命の人がいるかもしれないと戯言を言っていたけれど、ほとんど初対面の、顔と名前しか分からない人に恋焦がれるほうが無理があるというものだ。
「そこの麗しきお嬢さん。よかったら僕と一曲いかがですか?」
不意に横から声をかけられた。とても聞き馴染みのある声だ。
「……ハロルド、何バカなこと言っているのよ。私がこういうの苦手だって知っているでしょう」
横を見ると予想通り、幼なじみのハロルド・ヴォルフがいた。
ヴォルフ伯爵領とローズ伯爵領は隣にあり、親も仲が良い。そのためハロルドとは小さい頃からよく一緒に遊んだ、気心の知れた仲である。
「オリビエ、踊ってみたら案外楽しいかもしれないよ?大丈夫、君がどんなに下手でも僕は笑ったりしないから――たぶんね」
ハロルドはニヤッと笑って言った。
絶対嘘だ。昔からハロルドは私とダンスをするとニヤニヤ笑う。ミスをしてしまった時はもちろん完璧に踊れたときも、小さい子供を見るかの様な笑みを浮かべてくる。まったくもって腹立たしい奴だ。
「下手過ぎてあなたの美しい顔面を殴りそうだわ。それでもいいのでしたらご自由にどうぞ?」
「……やめとくよ。君の馬鹿力で殴られたら骨も残らなそうだ」
ハロルドはお手上げとでも言うように両手を上げる。
「そんなことよりいいの?あの女の子達と踊らなくて」
私は顔を一瞬ホールの端に向ける。そこにはちらちらとこちらを見ている女性が何人もいた。
ハロルドはいわゆるイケメンだ。流れるような青色の髪、見るものを惹き付ける純黒の瞳、そして程よく筋肉のついた体。ハロルドが来るからこの夜会に参加した者も何名かはいるのかもしれない。
「いいんだ――というより嫌なのさ。僕には頭をパフェのように着飾った婦人を美しいと思う感性がなくてね。だから君のところに逃げてきたんだよ」
「悪かったわね、着飾ってなくて」
私はプイッと顔を背ける。
「そ、そういう意味で言ったんじゃないんだ。オリビエはどんな服装でも美しいよ」
ハロルドはあわてて私の機嫌をとろうとしてくる。いつもあんなに色々言うくせに、たまにあわてて誉めちぎるのは何故なのだろう。
……まあ、悪い気はしないけど。
ハロルドはゴホンと咳をして続ける。
「オリビエは誰かと踊らなくていいのかい?後数ヶ月で成人だろ?そろそろ結婚相手とか……」
「私は結婚なんて面倒くさいことしたくないもの。今日来たのも、顔を会わせたこともないサーペント公爵家の嫡男になぜか招待されたからだし」
全く面識のない人間を夜会に招待するってどういう気分なのだろう。サーペント家の嫡男に会ってぜひ話を聞きたいところだが、顔が分からないのでそれすらできない。
「オリビエは変わらないな」
ハロルドは短いため息をつき、目を細めて私をみる。包み込むような優しい目だった。
「まあせっかく来たのだしたくさんご飯を食べようよ。僕が取ってきてあげる。オリビエのことだ、皿二枚分は食べるだろう?」
「……失礼な言い方ね、そんなに食べないわよ。ただ中央のお肉とあそこの海鮮、それにスパゲッティもほしいわ。あ、あとチョコレートのかかった白いフワフワの物体も気になるわね」
「了解しました」
ハロルドは苦笑しながらそう言うと、ご飯を取りに行った。
純真な乙女に対する礼儀のなってない奴だこと。でもなんだかんだ言ってご飯を取ってきてくれたり、優しいところもあるから憎めない。
話し相手がいなくなった私は改めて会場を見回す。今日の夜会には本当に色々な人が参加している。とても身長の高いご老人、孔雀のようなドレスを纏ったご婦人、中央のお肉を取りまくる男性――いや、あれはハロルドだわ。恥ずかしいので見なかったことにしましょう――それにたくさんの女性に声をかけまくっているナンパ野郎。
あれ、なんだかあのナンパ野郎、こっちに近づいて来てない?一直線に私の方に向かってきているような……たぶん、気のせいよね。
しかし、私の予想に反してナンパ男は私の目の前で止まった。
「すいません。オリビエ・ローズさんをご存じないでしょうか?」
私と同い年ぐらいだろうか。軽くウェーブのかかった金色の髪、きめ細やかな模様の入った服装、チャラチャラと目障りなイヤリング。財力のある家柄であることが一目でわかる。
なぜこの人は私のことを探しているのだろうか?別に有名人でも絶世の美女でも金持ちの家でもないのに。
「私がオリビエ・ローズです。どうなさったのですか?」
「おぉ、あなたが!初めまして。私はシルバ・サーペント、あなたを招待したサーペント公爵家の嫡男でございます」
その男は無駄に大袈裟に礼をした。
「申し訳ございません、シルバ様。こちらから挨拶をしに行くのが筋ですのに、お顔が分からなかったもので」
私もドレスの裾を持ち上げて礼をする。
「お気になさらず。こちらこそ急にお呼び立てして申し訳ない。しかしあまりにも美しいお姿でいらっしゃいますね」
……私は喧嘩を売られているのだろうか?
現在の私の格好は侍女に間違えられる可能性すらある、優しい緑色の時代遅れのドレス。芝生に寝そべれば擬態できること間違いなしだ。それに私の顔はお世辞にも美人と言えないことくらい知っている。
なんなのこの人?
しかし男は構わず続ける。
「まるで女神、いや女神に例えるのもおこがましいくらいだ」
「はぁ、ありがとうございます」
「ところで君は婚約者はいるのかな?」
「いませんが」
「それは良かった!たった今君に一目惚れしてしまった所だったのだ。よかったら僕と婚約してほしい!」
ナンパ男、もといシルバ・サーペントは私に向かって右手を差し出してくる。肯定するのであればこの手を取れということだろう。
初対面で婚約するというのは意外とある話だ。それに相手は公爵家の嫡男。私の家よりも二つも爵位が高い。この誘いを断わる理由などどこにもない。
加えてここは公共の場。下手に断わると希に家同士の対立を引き起こす可能性もある。断わるバカなんてどこにもいないだろう。
私は一息つくと、ニッコリと笑みを浮かべてこう言った。
「お断りいたしますわ」
***
あれから一月が経った。
あの後、私が断わったことに愕然としているナンパ男を尻目に速やかにその場から立ち去り、ハロルドの持ってきた溢れんばかりのご飯を急いで平らげた後、私達はパーティーを後にした。
文句の手紙が一通くらいは来るかと思っていたが、向こうの家からは何のリアクションもなし。少し不気味だが、まあ害はないので良しとしよう。
「オリビエ!ビックボアの肉が焼けたよ!」
ハロルドがはしゃいで私の名前を呼ぶ。
本日は月に一度の合同演習の日。そのためハロルドは現在私の家に訪れていた。
ハロルドのヴォルフ伯爵領と私のローズ伯爵領は共に敵国との国境に位置している。そのため月に一度、この二つの伯爵家の騎士団とたまに中央から来る騎士団とで合同演習を行うのだ。
まあ横が敵国なのでいつもピリピリしている、とかいう訳でもない。国境にはグランド森林という大きな森が広がっており、そこにはたくさんの魔獣が生息している。そんな所を突っ切ってまで戦争をするようなバカはどこにもいない。演習の目的はどちらかといえば、農村付近に出没する魔獣に対しての物であるのだ。
そして魔獣の中にはとても美味しい種類もいるもので――
「早く食べるわよ、ハロルド!」
私は柄にもなく大きな声を出す。このビックボアの肉は普通の家畜に比べ、油の質が違うのか、舌の上に乗った途端にとろける。まるで舌が鉄板になってしまったかの様に、ジュワジュワと口一杯に肉の旨味が広がっていくのだ。
私は肉を切り取り皿に乗せた後、フォークを突き刺して口に運ぼうとする。
「オリビエお嬢様、訪問者がいらっしゃいます。今すぐ応接室にいらしてください」
口にお肉を入れる前に、侍女マリアンヌの声が耳に届いた。
「今食事中なので、少々お待ちくださいと伝えてくれる?」
「それが……公爵家の方なのです」
マリアンヌの言葉に私はため息を漏らす。ゆっくりビックボアの肉を味わいたかったのに……
***
「お越しいただきありがとうございます。本日はどのようなご用件でございましょう」
予想通り応接室のソファでは、ナンパ男がゆったりと座っていた。私と、なぜかついてきたハロルドは共に、ナンパ男の正面にあるソファに座った。
「ちょうど道中にこの館があったので、女神の姿でも拝もうかと思って寄らせていただきました」
「我が領地より向こうには、敵国のオリエント帝国しかございませんが」
「聞いていないのですか?今日の合同演習に我がサーペント家の騎士団も参加することになったのですよ。せっかくですから魔獣の姿を一目見たいと思いまして」
ナンパ男はニヤッと笑う。ハロルドのニヤニヤした顔も時折不愉快に感じることはあるが、この男のニヤケ面は、吐き気を催すような醜悪さがにじみ出ていた。
「ところでそちらの方は?」
「これは紹介が遅れて申し訳ない。私もこの演習に参加する騎士団の一つ、ヴォルフ家の嫡男、ハロルド・ヴォルフでございます。本日はよろしくお願いいたします」
ハロルドが丁寧に頭を下げる。真面目なハロルドの姿は違和感しかない。ハロルドの皮を被った別人を見ている気分だ。
「そうであったか!私はシルバ・サーペント。こちらこそよろしく頼むよ」
「ところでシルバ様が首にかけていらっしゃるのは、魔獣避けの首飾りではないですか?とても高価な代物とお聞きしております。さすが公爵家の嫡男様でいらっしゃいますね!」
ハロルドが無駄に元気に言う。確かに首もとに何やら付いているのが見てわかる。魔獣避けの首飾りは我が国にも数えるほどしか存在しない稀有な物で、私自身見るのは初めてだった。
……でも待って?あのナンパ男、魔獣に会いたいとか言ってなかったでしたっけ?あんな首飾り着けてたら会える物にも会えないわよ?しかも合同演習で通るのは森の入口付近のみ、あんな大層な首飾り、国境付近にいくのでもない限り必要がないのに……
……臆病者ね
「お、お父様が私のことを心配してくださってね。もちろん演習の際には外す予定だよ」
ナンパ男は誤魔化すように咳払いを何度かして、続ける。
「それよりもオリビエ殿。パーティーの際は急にあのようなことを切り出して申し訳ない。あまりにも急だったため、困惑のあまり断わってしまったのだろう?改めて良かったら私と婚約してほしい」
は?
「いえ、お断りさせていただきますわ」
本当にこいつは何を言っているのだろう。
「……そんなに断わるんだったら何か理由があるのでしょうね!?理由もなく公爵家の提案を断わっているなんて言わせませんよ!」
ナンパ男は急に語気を荒くして言った。なんだか威圧しなれている言い方ね。いつもの丁寧な物言いは、もしかしたら普段使いではないのかしら。
しかし困った。特に大義名分など持ち合わせていない。しかし適当な理由を言えば、さらに逆上される恐れもある。
うーん……
「申し訳ございません、シルバ様。実はオリビエと私は事実上の婚約関係にございまして、まだ公にはしておりませんが、オリビエが成人を迎えた暁には大々的に婚約発表をする予定なのです」
な、何言ってるのハロルド!?
私は急速に顔が熱くなっていくのを感じた。
ハロルドは一瞬こちらを向くと「任せとけ」とでも言うように目配せをする。なんだか頼もしいような、不安なような……
「なっ!それは犯罪だぞ!隣同士の家で婚姻関係を結ぶのは、戦力や権力集中の恐れがあるため禁止されているはずだ!この逆賊め!」
「いえいえ、そのようなことは存じております。しかし、私は家から独立する予定がございまして」
怒鳴るナンパ男に対して、ハロルドは余裕の笑みを浮かべながらそう言った。
もちろん、そんな予定あるわけがない。そもそも家から独立するのはとても大きな功績を建てなければならない。戦時中でもなんでもない今の時代、独立なんて夢のまた夢だ。
「そ、そんなことお父様は言っていなかったのに……まあいい。まだ結婚も婚約もしてないのだろう?であれば私に乗り換えなさい、オリビエ嬢。私の方が明らかに優良だろう?」
ナンパ男は敬語を忘れてしまったらしい。ハロルドの嘘も見抜けないなんて、この男、本当に無能なのね。脳細胞の数で、魔獣の赤ちゃんと良い勝負ができるのではないだろうか。
それにハロルドとこんな奴など比べるまでもない。
「私にはハロルドの方が優良であるように感じます。ですのでお返事はそのままでお願いいたしますわ」
ナンパ男は私の言葉を飲み込むまでポカンと間抜け面をさらしていた。少しして言葉の意味が理解できたのか、間抜け面をどんどん赤くしていき、わなわなと体を振るわせ始めた。
「こっちが下手にでてれば調子に乗りやがって!もうよいわ!後悔しても知らんぞ!!」
ナンパ男はそう言って勢いよく立ち上がり、扉を力任せに開けて、部屋から出ていった。
「……やらかしたかしら?」
「口だけな事を祈りたいものだね」
私の呟きに、ハロルドはそう呟き返した。
しかし、残念なことに口だけではなかった。
王都から仕入れている食料や生活必需品が、過去に例を見ないほど高騰したのだ。
***
あれからさらに一月が経った。
「オリビエ」
「はい、お父様」
「呼び出した理由はなんとなく分かっているだろう」
「……はい、お父様」
私は床をジッと見つめながら答える。
現在我がローズ領とヴォルフ領は金銭的危機に扮している。国境付近の領地は、敵国に占領された際に有効活用されないよう、食料などの生産を行えない。魔獣を一体狩るのも、騎士団を総動員して1日1匹が限界。つまり我が領地には特筆した産業がないため、もともと金銭的余裕がないのだ。
そこに今回の高騰である。
「我が領地は国境守護という大命から国からの支援金を受けていたのだが、あのサーペントのドラ息子が『ローズ伯爵領、ヴォルフ伯爵領共に、支援の必要がないほど潤っております』と進言したらしい。何を思ったか一部の上層部がこれを鵜呑みにしおってな……」
このままでは支援が打ち切られるやもしれん、とお父様は小声で言った。いつもの活気溢れたお父様からは考えられない、とても小さな声だった。
本当にあの糞やろう、次あったら雑巾絞りみたいにぐちゃぐちゃにしてやりたい。
「……昨日サーペント公爵家から、オリビエ・ローズとシルバ・サーペントの結婚を承諾するのであれば、支援等について考えたいと打診が来てな……」
お父様が苦しい表情で続ける。
「望まぬ婚姻はなるべくしてほしくなかったのだが、今回はどうしようもないのだ。本当にすまない。どうかあの家と婚姻関係を結んでくれないか」
お父様が頭を下げる。
……これだから結婚は嫌いだ。どんなに嫌がろうとも、どんなに心から愛している相手がいようとも、その思いが実ることなんてない。
よく知らない家と結婚することが貴族の娘の役目なのだ。
隣の家と結婚することなんて、絶対にできないのだ。
どうせこうなる予定だったのだ。
どうせ実らぬ恋だったのだ。
「了解いたしました……でもその前にハロルドと二人きりで会っても良いですか?」
***
「オリビエ!大丈夫かい!?」
ハロルドが私の姿を見るなり駆け寄ってくる。そんなにひどい見た目かしら。二人で会うのは最後になるのだから、頑張って着飾ってみたのに。
「大丈夫よ、ハロルド……その、私が結婚する話は聞いているわよね」
「……聞いたよ」
ハロルドは噛み締めるようにそう言った。
貴族の娘だったら誰でも経験するものなのに、本当は喜ばしいものなのに、とても空気は重たかった。
「でも大丈夫!僕が何とかするから!」
ハロルドが私を励まそうと、優しく肩に手を掛ける。
「……なんとかって何よ」
私は震える声でそう言った。
違う、本当はこんなことが言いたいんじゃない。頭では分かってる。だけど止まらなかった。
「何にも出来ないから結婚するんじゃない」
違う、笑いながらさよならって言いたいだけなの
「そんな無責任なこと言わないでよ!」
違う、今までありがとうって伝えたかっただけなの
「私は!」
ダメだ。言っちゃダメだ。
こんなこと望んじゃダメだ。
「あなたとずっと一緒にいたいのよ!」
視界がぼやぼやして、目元からぼたぼたと涙が出てきて、声はぐずぐずで。目元を何度も拭っても止まらなくて、せっかくお洒落した髪型もどんどんぐちゃぐちゃに解れてきて。
本当は泣きたくないのに、私の体は私の言うことを聞かなかった。
ギュウ
気づけば、目の前にハロルドの胸元があった。
気づけば、私の背中にハロルドの両手があった。
とても力強く、そしてとても暖かいハグだった。
なんだか暖かくて、幸せで、溶けていきそうだった。
「僕も君と一緒にいたい!愛してる!オリビエ!」
そんなこと言わないでよ。
もうあなたなしで生きていけなくなるじゃない。
「じゃあ離さないでよ!そばにいてよ!いなくならないでよ!」
私はハロルドの腰に手を回して、思いっきりしがみつく。
ハロルドも負けじと手に力を込める。少し苦しいけど、愛おしくて、嬉しくて、もっと強くしてほしいと思った。
絞め殺されてもよかった。ハロルドの腕の中にいられるなら、それでよかった。
「離さない!必ずそばにいる!幸せにする!」
「私も愛してる!あなたとしか結婚なんてしたくないの!あなたと一生一緒にいたいの!」
私はハロルドの服に涙を擦り付けながら叫んだ。涙が次から次へと溢れて、嬉しくて悲しくて、切なくて恋しくて、私はわんわん泣いた。
ハロルドのことを一生離さないように、ぎゅっと彼を掴んだまま、私は泣きじゃくった。
***
三日後に行われる合同演習の翌日、ローズ領で一度、その後サーペント領で一度結婚式を迎えましょう。そうすれば両家共に満足するでしょう。加えて、もしよろしければ合同演習に参加されるのはいかがですか?シルバ様の勇姿が見たいです。
私は書いた手紙をため息と共に見つめる。こんな心にもない台詞、書きたくなかった。
私は昨日ハロルドと抱きしめあった感触を思い出す。結局あの後、数時間以上離れることができず、最後は心配してやってきた侍女マリアンヌに引き剥がされてしまった。
別れ際ハロルドから「せっかくならオリビエの花嫁姿が見たい。ちょうど合同演習もあるし、それを理由にこちらでも結婚式を挙げてくれないか」と頼まれた。
正直あまり気乗りしなかったけど、ハロルドの最後の頼みだし、「合同演習で魔獣に襲われて死んでしまうかもしれないしね」というハロルドの軽い言葉に少しだけ希望を持った。
まあどうせ魔獣避けの首飾りでも着けてくるんでしょうけど。
翌日すぐに手紙の返事がきた。ぜひローズ領でも結婚式がしたいと、合同演習にも参加したいとのことだった。
***
そして二日後、合同演習の日がやってきた。
「では、いってくる!魔獣を一匹でも倒して、明日の結婚式の食事をより豪華にしてやるからな!」
ナンパ男が大きな声で宣言し、応接室から出ていく。全くもって騒がしい。先ほど来たばかりなのに、もう私の鼓膜が悲鳴をあげていた。口に雑巾でも詰めれば、少しは静かになるのだろうか。
「気をつけるのだぞ、シルバ」
シルバ・サーペントの父、デニス・サーペント公爵が声をかける。息子の結婚式は全て見たいと、わざわざ公爵領からやってきたのだ。
今回ナンパ男の首もとには魔獣避けの首飾りがなかった。それもそのはず。今回は彼の父、デニス・サーペントが身に付けていたのだ。どうやら親子そろって臆病者らしい。
デニス・サーペントは息子が出ていくのを見送ると「では私もこれで」と言って応接室から出ていった。二人ともこのまま二度と帰ってこなければいいのに。
私は思いっきりため息をつく。これから先が不安で嫌でたまらない。本当に魔獣に襲われたりしないかしら……
まあ多分そんな事は起こらない。結婚式前日の今回の演習には、ナンパ男の晴れ舞台を見ようと様々な家の者が来ている。みんながナンパ男に集中しているのだ。大事があるとは思えない。
「オリビエお嬢様。明日の結婚式の段取りを確認いたしましょう」
侍女のマリアンヌが憂鬱なことを言う。結婚式なんて挙げたくない。結婚なんてしたくないのに……
結局、日が暮れるまで結婚式の段取り確認は続いた。公爵家に対して失礼のないよう、たくさんの侍女に囲まれながら徹底的に指導を受けた。
あまり得意ではない礼儀作法、ご飯の食べる量などいちいち注意され、終わったときにはもうクタクタだった。
「は~疲れた」
私は自室のソファに倒れこむ。これを二回もやるだなんてほんと拷問だ。ますますやる気が失せてきたわ。
ドバタン!!
勢い良く自室の扉が開く。
何事かと思い扉を見てみると、そこには息を切らした侍女のマリアンヌの姿があった。
「どうしたのよ。そんなに急いで」
「し、シルバ・サーペント様とデニス・サーペント様が――」
「様が?」
「――国家反逆罪で捕まりました!」
***
「それで何がいったいどうなってこうなったのかしら?」
私はハロルドに説明を促す。
ナンパ男一家が国家反逆罪で逮捕されてからこの三日間、事後処理に追われて詳しい話を聞く余裕がなかったのだ。
「どうしたも何もあいつらが犯罪を犯しただけでしょ」
ハロルドは素知らぬ顔で答える。
「そんなの分かってるわよ。ほんと顔面殴ってやるわよ?なんでハロルドがあいつらを捕まえられたのかって聞いてるの!」
私はハロルドに見えるように、握り拳を作る。
「はいはい、初めから説明すればいいんでしょ。分かったからその握り拳をしまってくれ……ほんと怖いから」
私は仕方なく手を広げる。
「ゴホン。まずオリビエに夜会の招待状が来たとき、何か目的があるのかと思っていろいろ調べたんだけど――」
え?そんなことしてたの?
「結果は特に何もなし。まあ少し金の羽振りが良すぎるボンボン坊っちゃんって印象だったよ」
「えっと、ちょっと待って。調べたって何?」
「いや、もしかしたらオリビエの婚約者になるかもしれないからね。どんなやつか知っておきたいじゃないか」
この口振り……今までの婚約者候補全員に対してやってる可能性すらあるわね……
私はジットリとハロルドを見つめる。
「ま、まあそれで特に警戒はしてなかったんだけどさ、夜会の事といい、その後もわざわざ家まで来て告白する事といい、ちょっとオリビエに執着しすぎな気がしてね」
ハロルドは「オリビエがそれほど魅力的なのは確かだけどね」といらない付け足しをする。
「それで、もしかしたらローズ領がほしいのかなと思ってね。ローズ領といえば、敵国のオリエント帝国が横にあるのが特徴だろう?だからオリエント帝国と何か悪いことしてるんじゃないかなって考えたんだ」
あくまで可能性だけどね、とハロルドが付け加える。
「……質問いいかしら。どうやって、いつ敵国と接触していたのよ?森にはたくさんの魔獣がいるし、国境は私達が常に監視しているわよ?」
「それはもちろん、魔獣避けの首飾りと月に一度の合同演習だよ」
ハロルドは得意気に語る。
「シルバ・サーペントがわざわざ告白に来てた日、魔獣避けの首飾りをつけてたでしょ?初めは臆病者だなとしか思わなかったんだけど、国境付近まで行くんだったら話は別だなって気づいてさ」
そうか。あの首飾りがあれば、少人数なら国境付近ですら安全に行ける。臆病者だと思ってごめんなさいね、犯罪者さん達。
それに合同演習に参加しに来たと言えば、森に入るのを怪しむ者もいない。上手いこと考えたものだ。
「そこに気づいた時はあくまで疑惑程度だったんだけど、その後、日常生活品や食料が高くなったり、支援金がなくなるかもしれない事件が起こってしまって――」
そうだ。あの出来事のせいで、私は結婚しなくてはならない状態に陥ってしまったのだ。
「そこまでするのは、あのドラ息子には無理だ。だから本当に君のことを欲しがっているのは、父親のデニス・サーペントだ。それらを踏まえた時、あの公爵家が敵国のオリエント帝国に内通してるって考えると辻褄があうなと思って」
「それで三日前の合同演習の時、ハロルドが現場を押さえることが出来たって訳ね。皆、ナンパ男の動向に注目するから、森に入ってもばれないとでも思ったのでしょうね」
確かにあの日、わざわざ自分の息子とタイミングをずらして応接室から出ていった。あれも狙ってやっていたのだろう。
「……他貴族がいる所で告発すれば、後で要らぬ問答をする必要もない。だからローズ領で結婚式をして欲しがってたのね。私もあなたの手のひらの上ってやつかしら」
私はハロルドを非難の目で見つめる。
言ってくれれば良かったのに……
「ご、ごめんよ。本当は言いたかったんだけど、確定してないし、君は顔に出やすいから心配で……本当にごめんなさい」
ハロルドは縮こまって謝る。
「バカ、許さないわ。どれだけ心細かったと思ってるのよ。許して欲しければ私と結婚して、死ぬまでずっと一緒にいないと駄目なんだからね」
「分かったよ。絶対に離さない。君を幸せにするよ。ハロルド・フィリップの名において誓おう」
ハロルドは今回の功績が認められ、ヴォルフ家から独立することが認められた。そして昨日、フィリップという名前と共に子爵の位と南の小さな領地を与えられたのだった。
「……結婚式も二回したいわ」
「何回でも、君が望む数だけしよう」
「……たくさんハグもしたいわ」
「君が嫌がっても離さないよ」
「……美味しいご飯も食べたいわ」
「本当に君は変わらないね」
ハロルドはそう言ってニヤリと笑った。ほんと女性に対しての礼儀がなってない、失礼な笑みだ。
とても大好きな笑顔だ。
その笑みにつられて、私もニッコリと笑った。
「結婚なんてしたくありません」を最後まで読んでいただきありがとうございます。
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改めて、読んでいただき誠にありがとうございました!