1、声を忘れた青薔薇姫と、子猫
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雨の日。
王都の大通りで、魔法の被害者である真っ白な子猫が生命の危機に瀕していた。
全身を濡らし、人間たちに蹴飛ばされないよう壁際でガタガタ震えている子猫は、昨日から何も食べていない。
首には意地悪な魔女に填められた魔力を吸う首輪がはめられている。
とても怠くて、寒くて、寂しかった。
このままじゃいけないと思っても、……もう、動けない。
そんな子猫の近くに、一台の馬車が止まる。高位貴族の家紋付きの立派な馬車だ。
降りてきたのは、気高い青薔薇のような印象の貴族令嬢だった。
長く伸ばした黒髪は手入れが行き届いていて、美しい。
長いまつげに彩られた瞳はハローブルーで、宝石のよう。
精巧につくられた人形めいて無表情で、何を考えているかがわかりにくい。
「うちにいらっしゃい」
令嬢は小声で呼びかけ、高価そうなフリル袖のドレスが汚れることを厭わず、その手で子猫を抱き上げた。
馬車に乗り込む背後からは、人々のささやき声が聞こえる。
「今、『静寂の青薔薇』がしゃべらなかったか?」
「冷血なアイリス・フェアリーグローム公爵令嬢が猫を拾っただと……」
令嬢に抱っこされた子猫は、ぱちりぱちりと瞬きした。
(アイリス・フェアリーグローム公爵令嬢? パパが言ってた『悪役令嬢』?)
子猫は、名前をララという。
その正体は半妖精で、13歳。パパと喧嘩して家出中の魔女だ。
馬車の中で令嬢の膝に抱えられて体を拭かれながら、ララはパパのお話を思い出した。
(このお姉さん、これから婚約破棄されて、断罪される予定だ)
馬車の中にはアイリスの父親であるフェアリーグローム公爵がいて、困り顔で娘と子猫を見ていた。会話に耳を傾けていると、深刻な雰囲気だ。
「王子殿下が庭園の青い花を薔薇に植え替えたため、社交界では隣国のロザリア姫への恋情をアピールしているのでは、と言われている」
ララは、耳をぴこぴこと動かした。
紅薔薇姫の二つ名を持つお姫様「ロザリア姫」も、パパのお話に出てきたからだ。
「お前はなぜ目立ってしまうのだ。今のお前は何をしても事実を悪く曲げられて伝えられてしまう立場なのだぞ」
アイリスは父親の言葉に俯くのみで、返事をしない。
いや――できないのだ。
ララは知っている。
アイリスは呪われていて、「他の人間に言葉で自分の考えを伝える」という行為ができない。
声でも、手紙でも。
なので、『静寂の青薔薇』とか、他人に一切打ち解けない冷血な令嬢とか呼ばれている。
ララはその話をパパから聞いたとき「可哀想」と思ったものだった。
「お前も呪われているし、解呪のための薬は入手困難だ。派閥争いになる前にチャリオス王子殿下との婚約の話は辞退する方向で考えるのはどうだ?」
アイリスは無言でうなずいた。
膝に抱えられたララが見上げると、泣きそうな顔をしている。
(アイリス様は、チャリオス王子殿下を慕っているんだ)
公爵家の屋敷に到着すると、アイリスはララを抱っこしたまま、自分の部屋に移動した。
アイリスの部屋には大きな檻があり、檻の中には見たことのない鳥がいた。
くちばしは大きく、二本足は長い。
じっと直立する佇まいは、彫像のよう。
後頭部に寝ぐせのような冠羽がある。感情の窺えない眼差しは、哲学者めいていた。
この鳥は、「ハシビロコウ」という珍しい鳥だ。
パパが見せてくれた「珍しい生き物図鑑」に掲載されていた気がする。
ララが見つめていると、ハシビロコウは「彫像ではありませんよ、生き物ですよ」とアピールするみたいにお辞儀をしてくれた。
貴族は珍しい動物を飼うのがステータスみたいなところがあるから、ペットなのだろう。
「お風呂より先にミルクを与えたほうがいい? 猫さんは、熱い飲み物は苦手だったかな……?」
アイリスは独り言を言いながら自ら厨房に行き、お皿に入れたミルクを持って戻ってくる。
普通の貴族令嬢ならば使用人を呼んで「ミルクを持ってきてね」と言えばいいのに、呪いのせいでそんな簡単な頼み事もできないのだ。
ふんふんと鼻を近づけて温度をはかり、飲めそうだと判断していただいてみると、与えられたミルクはほんのり温かった。一度温めてから、飲みごろの温度に冷ましてくれたのだろう。
味は滑らかな甘さがあり、不思議な安心感を感じさせる美味しさだった。
「猫さん、我が家にようこそ。ここはフェアリーグローム公爵家。わたくしはアイリスです」
猫相手だというのに、アイリスは礼儀正しく挨拶をした。
ララは「わたしはララです」と挨拶をしたいけど、猫だったので「にゃーあ」という鳴き声しか返せない。けれど。
「にゃーあ」
「まあ。わたくしの挨拶に、挨拶を返してくださったのですね? ありがとう存じます」
アイリスは喜んでくれた。
パパの話によれば、彼女が呪われたのは五年前だ。
ララはアイリスが可哀想だと思った。