名もなき次元
「おーいショウネーン。起きろー。ここで死んだらここで永遠に過ごすことになるぞ〜?」
ペチペチと頬を叩かれる感触がある。しかしそれは俺を覚醒させるには物足りないものだった。
「うーん……」
「こりゃちょっとや、そっとじゃ起きそうにないな。よし、箒!」
そう魔女が言うと、先程と同じように箒が突然彼女の手の中に現れる。
魔女が指をツイっと俺に向けると箒は俺に向かって飛んできて、その竹の部分を俺の顔に容赦なく突き立ててきたのだ。
「フガッ!!?」
「うーんこれでも起きないか……よしもういっちょ!!」
「フガガッ!!」
「もう一回!!」
「フガッ!!」
「もういっそのこと叩いて!!」
「フゴッ!!?」
こういう訳で何度も何度も魔女に叩かれた結果、やっとのことで起きた俺であったのだった。
「全然起きなかったから心配したよ」
「あぁ……すまん。いつもは寝起きはいいほうなんだが……」
「彼岸に近い場所だからかもね。契約が体に馴染んでくれば彼岸への耐性がついて、マシになるだろう」
「ところでさ……」
「ん?」
「俺の顔、腫れてちょっと変形してないか??無理矢理起こす必要があったのは分かるが、もうちょい優しくしてくれても良かったと思うんだが」
「え?十分優しかったでしょ?それとも箒の柄で叩けば良かった?」
「イエ、ジュウブン ヤサシイ、デ、ス……」
魔女はニコニコ笑顔でそう返した。顔に「まぁまぁ時間がない中、お前が起きないのが悪いのに、文句言うとは何様だと」書いてあった気がした。
「ほら、瀬雅くん探そうよ。まだ彼岸には渡ってないはずだから!!」
魔女に手を貸されながら立ち上がり、辺りを見渡すとどこまでも白い空間の中に青色の小さな花がたくさん咲いた光景が広がっていた。
花が咲いていて華やかなような気がするのにそこに生気は感じられない、不思議な世界だった。
「これは……」
「……オダマキだね」
「オダマキ??」
俺が花を取りながら呟くと、魔女はこの花の名前らしきものを俺の呟きに返した。
「そう、オダマキ。名もなき次元にはね、迷い込んだ人たちの心を映す花が咲くっていう特徴があるんだ。そしてオダマキの花言葉は……」
そう魔女が言いかけた時だった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
誰かが謝る声が聞こえた。いいや、誰かじゃない。この声は――
「瀬雅!!?おい!!瀬雅なんだろ!!?その癖のある低い声、お前以外に聞いたことねぇよ!!」
俺が瀬雅の名前を呼んでいると魔女に慌てて口を塞がれた。
「ちょっと、ちょっと!!?何叫びだしてんの!!?」
「いやだって瀬雅が……」
「は?……あ、そうだ伝え忘れてた」
魔女はいっけねとペコちゃん顔をしてみせると俺に耳打ちをしてきた。
「ここにいる時は、ナイトメアに気づかれないように静かにするのが鉄則だよ」
「なんでだ?気づかれたらなんかやばいのか??」
「瀬雅くんは普通の自殺じゃないって言ったろ??ナイトメアに心の負の感情を倍増させられてるんだ。そしてナイトメアに飲み込まれた人たちがどうしてそのまま彼岸に行かず、この世界に残っているんだと思う??」
俺が首を傾げれば魔女は自分の首に手を当てた。
「自分の意志で死んだわけじゃない、まだ生きたいっていう気持ちがナイトメアに連れて行かれる速度を遅くしているからなんだよ」
「でもそれは交通事故とか不慮の事故で死んだ人だって同じだろう??その人たちは話の流れ的に助けられないんだろう??何が違うんだ??」
「それは世の理に沿った、元々決まっていた死だから彼岸からお迎えが来る。それこそ死神様とかね。どれだけ生きたくても、死神様の力に逆らえる生き物はいない。それに彼らはちゃんと転生できるし、此岸に戻ってこられる。でも、ナイトメアに連れて行かれる人たちはどこに行くのか今でも分かってない。それに普通に彼岸に行くならこんな場所は通らないはずなんだよ。だから死神様よりも強制力の少ないナイトメア相手ならもがくことができるし、此岸に戻ろうと足掻くこともできるって訳」
死神様って……まず本当にいたということが意外だ。
「で、それが大声を出しちゃいけない理由とどう関係があるんだよ?」
「ナイトメアが抵抗を許すのはここで足掻いたって無駄だって知ってるから。そこにここから助け出せる私達が来たって知ったらどうなると思う??あーら大変、ナイトメアは私達に獲物を取られまいと負の感情をもっと倍増させて早くあっち側に連れて行こうとするし、こっちの妨害もしてくるって訳、大声出しちゃいけない理由分かった??」
魔女が人差し指を立てて子供に言い聞かせるように言うと俺はコクリと頷いた。
しかしさっき確かに……
「でもさっき瀬雅の声が……」
俺が言いたいことを理解したのか魔女は小さい声で答えた。
「それは多分だけどこの世界が写してる彼の記憶だよ」
「記憶??」
「この世界はね、この場所にいる人たちの魂を強く反映するんだよ。逆に言ってしまえば決まった形がない不安定な世界。まぁそれは置いといて、魂の中にはその人の記憶も入ってる。だからさっき君が聞いたように他人であったとしても、本人しか見れないはずの記憶の一部を見れる」
魔女がちょいちょいと手招きをして浮かべた箒の上に乗るように言ってきた。
俺は思わず後退る。
「いやいやいや!!?あんたは乗れるかもしれないけど、俺はそんな細い棒の上にずっと乗って空飛ぶなんてできねぇよ!!?」
俺が首をブンブン振っていれば魔女はケロリと笑った。
「大丈夫、ここでは死なないから」
「え、そうなの??」
「ここに一生魂として留まるだけだよ」
「それを死ぬって言うんだよ!!?」
「もーう、意気地なしだな〜」
魔女がやれやれと言った様子で一瞬で俺の前から消えたかと思えば、後ろから何かに引っ張られる感覚を感じる。
「よし、行くぞー」
「ちょっと待てぇぇい!!?」
俺の服の後ろを箒の先に引っかけて、そのまま上昇していく魔女。
もちろん俺は宙づりになるわけで……
「いや、待て待て待て!!?落ちる!!?落ちるから!!?」
俺が必死に訴えれば、魔女は何を言うんだと声をあげた。
「僕のリヴァイアサンに限ってそんなことあるわけないだろう?」
フフンと声をもらす魔女はなぜか誇らしそうだった。
「え、リヴァイアサン??誰のこと??」
リヴァイアサンというのは神話上の海の怪物の名前である。蛇のような見た目で恐ろしい姿をしていたはずだがそんな見た目のものはどこにもない。
「誰って……箒のことだけど??」
俺は面食らった。服装変な奴だとは思ってたけど箒に名前つけてニコニコしてる変態だったとは……
「そんな厨二病臭い名前、お前は思春期の男子中学生かよって――うわぁ!!?ごめん!!?ごめん!!?」
俺が思わず箒の悪口を言おうとした瞬間、箒が俺を揺さぶってきた。もちろん箒が俺の服の後ろから手……ではなく柄を離そうものなら俺はお陀仏である。
そしてさり気なく、箒の揺れに対応しながら足を組んで上に乗っている魔女にも俺は目がまん丸になる。
「お前は運動選手かなんかか??」
「僕は正真正銘の魔女だよ?失礼な」
失礼なんだ。
「僕は生まれついた時から魔女になりたいって思ってたんだから、運動選手なんて見向きする暇もなかったよ」
「魔女ってなりたいって思ってなれるもんなのか??」
「……才能だよ」
「どんな才能??」
そんなことを言っているうちに箒はかなりの高度まで高く高く上がっていた。魔女と喋っていたのもあって少し恐怖は和らいだが、やはり怖いものは怖い。地面をぼんやりと見つめながら、土があることってなんてありがたいことだったんだろうと思っていた時だった。
「よし、これぐらいでいいかな」
「え?なんにもないぞ?」
ここまで上がってきたのだから雲の一つでもありそうだが本当になんにもない。ただただ白い壁のような、空間のような不思議な空が広がっているだけである。
「じゃ、あばよ」
「へ?」
魔女がそう言った瞬間、俺の服から箒の柄が外されてなんとも息がしやすくなった。
そう、俺は魔女にこの高さから落とされたのだった。