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君子蘭『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第一章 三月
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昭和四十年 三月二十五日 坂本成子

 立派な御宅、と(さか)(もと)(みち)()は思った。(あて)がわれた北側の角部屋は、海外に嫁いでいった、由里(ゆり)という、静吉の娘の部屋で、畳の部屋の一部が板張りになっており、鏡台と、大きな桐箪笥と、アップライト型のピアノが入っている。

 窓の有る壁際には古風な朱塗りの文机が在った。家具も物も少ない部屋なのに、先に送っておいた成子の荷物が、ど真ん中に置かれていて、申し訳ない気分になる。

 

 (さん)(かわら)(した)()(いた)()りの平屋建て、という、昔ながらの質素な外観ではあるが、広さは、なかなかのもので、家の間取りは、所々個室を取って洋風に使える様に改装がしてあった。

 立派なテレビと卓袱台(ちゃぶだい)の入った居間が有るのに、台所に、四人掛けの椅子と、ダイニングテーブルが入っているのである。何人御客が来て、何時(いつ)椅子の生活と畳の生活を分けているのか、成子には見当がつかない。畳の部屋で育ったので、そういった暮らしをした事が無いのだ。

 家具は古い木で出来た物が多く、飾り気が無くて、其れが却って、何故か現代風に思えた。家自体も古そうではある。

 そういった点を見るに、暮らしぶりに華美なところは無さそうであるが、やはり立派な家だと成子は思った。

 キチンとした庭も有る。

 黒っぽい大和(やまと)(べい)で囲まれている部分全部が此の家の所有する土地だと考えると、成子の感覚としては、此の地域で、此の広さの家は有り得ない。土地の余っている田舎とはわけが違うのだ。しかも近年、地価は上昇してきている。親戚が大きな会社を経営しているとは聞いていたが、成子は此処に来てから何度も、こんな素敵な所に自分の様な者が上がり込むのは場違い、と思った。

 しかし、もう来てしまったのであるから遅い。

 場違いであろうと何であろうと、此れから御世話になるというのであるから、キチンと振舞うべきなのであろう。


 成子は、確認の為にザッと荷解きをする事にした。


―ああ、あれ程言ったのに。


 成子は嘆息した。持って行かないと母に言っておいた、(かすみ)(いろ)の振袖と、オレンジ色の訪問着が入っている。普段着の着物と帯が幾つかと、道行(みちゆき)道中(どうちゅう)()、羽織は分かるとしても、何を思ったか、紋付の絵羽柄の黒羽織と、色無地が二枚、其れに喪服も同梱されている。帯や帯揚げ、帯締めと言った小物類も、思ったより持たされている。

孔雀柄の霞色の振袖は、坂本分家からの御下がりらしいが、娘時代には、晴れ着として好んで着ていた。如何(どう)も、昔の人にしては背の高い女性が着ていた物らしいが、古い物は、今の着物より心持ち袖や(ゆき)が長めに作ってある事だし、成子の身長で着ても長さが丁度良かったのだ。派手な孔雀の柄が大きく入っていて、着ていると、よく褒められた。


―今更振袖もないだろうと言ったのに。


 そして、オレンジ色の訪問着と黒羽織だが、此れは一月の上旬に父が誂えてくれた新品である。

 実は此れを作る時、成子は父と喧嘩したのだった。

 誂えるとなると、費用を出すのは父である。父は自分が成子に着せたいデザインや色を選ぶのだ。費用を負担してもらう以上文句は言えないのだが、成子は、自分以外の人間に服を選ばれる事を好まない。自分で選びたいのである。

 父の選ぶ着物は、清楚で儚げとでも言おうか、アッサリとした柄行(がらゆき)ばかりだった。成子が着ると多分地味である。派手な絵羽柄でないと、柄が、成子の身長と、ハッキリした顔立ちに負けてしまう。

 折衷案で、一応、両者とも気に入った、少し淡い、優しいオレンジ色の訪問着にしようという事になったのである。しかし、散々揉めた挙句、結局父が柄を選んだので、成子は、腹が立ち過ぎて、丁寧に礼は言ったものの、三月下旬に届いた其の着物を()畳紙(たとうがみ)から一度も出していない。黒羽織は、成子の意見が通って、大きな鶴の絵羽柄であるが、同時に届いた此の羽織も、()だ袖を通してもいない。母には、汚してしまいそうだし、必要な時に送ってくれれば良いから、持って行かないと言った。其れなのに荷物に入っている。


―さては御見合い用?


 苦々しく思いながらも、成子は、成子の上京前に泣いていた母の顔を思い出していた。


 母は本当に成子の為になる事なら、何でもさせてくれた。今回も、そうだったのだろう。

 

 何時(いつ)でも、寂しい時、(つら)い時、会いたくなるのは母である。父も可愛がってくれているし、尊敬していて大好きなのだが、心の中で助けを求めてしまうのは、強そうな六尺の父ではなく、自分よりもずっと小柄な母である。

 

 其の母を、何時(いつ)も成子は置いていくのだ。十三年前も、今も。

 母が何を思って此れを送ってくれたのだとしても、成子は心から感謝しなければならないのである。


 桐箪笥は空だから好きに使って構わないと静吉に言われていたので、成子はザッと荷物を片付けた。作業をしながらも、家の立派さを見るにつけ、こんな服で本当に良かったのかしら、と、成子は、居心地の悪い気分になる。移動時間が長いので、新しい服の中でも、比較的動き易い形の物を纏ってきてしまったのだが、今思うと、色が適切だったか如何(どう)か分からない。()りっ(たけ)の新しい服と、娘時代に作ってもらったきり着ていなかった、実家に置いておいた着物を幾つかと、前述の着物の類を、まるで嫁入りでもするかの様に沢山持ってきたのにも関わらず、こんな都会にやってきて、服が此れだけで、果たしてやっていけるのだろうかと、(にわ)かに心配になった。


 髪も随分長くなってしまった。本当は短くしたかったのに、美容院代を節約、などと考えるうちに、惰性で伸ばしてしまったのである。髪は結って誤魔化せるとしても、せめて着るものくらい、もう少し配慮するべきなのであろうか、などと、色々考えを巡らせて、成子は、本日何度目かの溜息をついた。其れでも実家に居るよりは気が紛れる。


 正月に、頼りにしていた、大好きな従姉の静が亡くなってから、松が取れた頃には実家に連れ戻された成子は、(ほとん)ど外出を許されなかった。

 成子は遣るべき事も無く、静を失った悲しみを紛らわす為に、趣味の洋裁ばかりやっていたのだった。今着ている赤いワンピースも自作である。かなり前に母に頼まれた父が、赤い無地の生地が偶々安かったので、と買ってきたものが、母には派手に思われたらしく、長い事押し入れに仕舞い込まれていたとかいう布地である。経年劣化で端の色が褪せてきていたのを、其の部分は避けて、雑誌についていた型紙で型を取ったのだ。着てみると、思ったより膝が出たので、父は、あまり良い顔をしなかったが、母は、膝が綺麗なうちは出しておきなさい、などと言って、意外に理解を示してくれた。此の服が余程気に入らなかったのか、父は其の後、前述の訪問着の他に何枚か服を仕立ててくれた。

 考えてみれば、其のワンピースを着て一緒に上京してきてしまったのだったが、成子には当て付けの意図は無かったし、父も成子に何も言わなかった。単純に流行りの型のワンピースなので、着ている事で、道中浮いたりもしなかった。

 

 そして父は、洋裁用に、幾つかの布地を買い与えてくれた。何せ此の十三年間、良い服を着る機会は(ほとん)ど無かったのである。蒲鉾工場で働くのに、綺麗な服は要らない。同居してくれていた従姉の静は御洒落だったが、割合小柄な体型だったので、同世代の中では高身長の成子とでは、服を共有し様もなかった。成り行きで突然衣装持ちになってしまったが、本当に其れは久しぶりの事で、偶々誂えてもらって、偶々自分で何枚か作っていなかったら、生まれて初めて上京するというのに、時折自分で作っていた物以外に、大した服も持ち合わせていなかったのだ。


 偶々、なのか如何(どう)かは分からないが。


 母の心情は()だしも理解出来るが、父、栄五の意図が、成子には理解出来ないでいた。


 行き成り東京に連れて来られて、てっきり見合いか何かをさせられると思っていたのだが、ただ、成子を此処に置いて帰るのだと言う。伯父の(しん)(ぞう)にでも頼んで、相手を探してもらうのかと思ったのだが、実際新三に会っても、そういった話をする様子は無かった。


―しかし、(せい)(きち)伯父(おじ)(さま)と同居する、という展開になるとはね。


 人生、何が起こるか分からないものだと成子は思った。

 静との別れが突然過ぎて、成子には()だ気持ちの整理がついていない。道中も、(こころ)此処(ここ)に有らずで、流される様に此処まで来てしまった。(そもそも)静との同居も、妹、逸枝の死が契機である。二人を失った傷は(いま)だ癒えない。きっと、こうした事は忘れられないのだ。本当に、人生は何が起こるか分からない。


 妹と従姉と、如何(どう)して、こんな若さで別れなければならないのか、(いま)だに成子は理解出来ないでいる。


 初恋の伯父、静吉が、大好きだった祖父、(きゅう)(いち)と瓜二つになっていたので、成子は面白く思った。こういった事がある(たび)に、成子は()だ、逸枝に教えてあげたら、どんな顔をするだろうと思うのである。


 そして、もう逸枝が居ないという事実に、何度でも傷付くのである。


―其れにしても本当に、二十年も経ってから、また、初恋の人に会うとは思わなかったわ。


 そう、初恋とは言っても、あれから二十年も経過している。成子にとっては()うに過去の話なので、会ったから当時の気持ちが再燃するという事は無かった。当時も、亡き祖父を慕う気持ちの延長に過ぎなかったのだろうと今では思う。其れでも、家から遠く、神戸まで出て、連れ戻されて、また、初恋の人の所に戻るとは。静吉の、あの瞳を見ると何度でも、存命の頃の糺一と、昔の誠吉と、あの頃の実家が思い出されて、ああ、自分は逃げ出せなかったのだな、と思うのである。故郷から逃げ出せなかった。上京しても、こうして、故郷を同じくする人の家に居るのである。


―とうとう、此処より他に居場所も無くなったのよね。


 ああ、逃げ出せなかった、と、成子は、虚しい気持ちになるのであった。


 そう、当時を思い出す、と言えば、従兄の紘一には驚いた。


 紘一は巫女だ、と、成子は思っている。

 性別の問題ではない。あれは巫女なのだ。そういう存在なのだ。


 しかし、久しぶりに出会った紘一は、栄五と静吉を足して二で割った様な姿をしていた。瞳は其の(まま)、完全に、()りし()の静吉そっくりで、時折硝子(ガラス)(だま)の様に美しく輝く。

 そう言えば男の人だったな、と、成子は、見当違いを承知で驚いていた。

 記憶とは、いい加減なものだ。能々(よくよく)思い返してみれば、何処か淡々とした話し方をしてはいても、穏やかで良い人だった。勿論、紘一が男なのは知っていたのだが、成子の記憶の中では、何か、性別を超越した存在だったのである。其の印象が強かっただけなのであろう、二十年ぶりに見てみれば、成程、見た目は良いが、何の事は無い、普通の成人男性であった。


 普通の人間、と思うと、成子はホッとした。


 普通が一番である。平和に日常生活を送るには、何かを超越した存在である必要は無い。そうした存在は結局、何処かに(ひず)みを生むのだと、成子は思っている。聞けば何と、語学が堪能で、海外でも仕事をしているのだという。立派な社会の一員である。其れは喜ばしい事だ、と、成子は思う。故郷の陰から逃れられないのは成子と同じでも、紘一は其の(まま)でも立派に生きていけているのだ。


 あれ程、巫女としての要素を色濃く持っていた紘一が、其の様に生きられるのであれば、もしかしたら成子も、()だ諦めずとも、社会の一員として上手く生きていけるのかもしれない。

 昭和25年の日本人女性二十歳の平均身長150.8センチ、昭和40年の日本人女性二十歳の平均身長153.4センチのところに、163センチくらいの、当時で言うと、かなりのモデル体型の美人が、真っ赤な流行のワンピース姿で、男所帯の家にやって来たので、そりゃ違和感が有っただろうな、と思います。

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