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君子蘭『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第一章 三月
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昭和四十年 三月二十五日 実方辰顕

 一度、坂本家の居間に戻った実方(さねかた)(たつ)(あき)は、ああ、驚いた、と思った。久しぶりに親友に会ってみれば、性格から何から全く変わっていなかったのである。しかも、容貌は、あろうことか良くなっていたのだった。


 二十年前、今思い返してみれば、親友の(こう)は、相当な美少年だったのであるが、当時は自分も若かったせいか、其処までの感想を持たなかったのだ。しかし、こうして、年を取ってから客観的に考えると、何処か危うい様な、儚い様な、妖しい様なところもある、優れた容貌をした、満十六歳の少年だったのである。


 はて其の顔が、どの様に変わったであろうかと思っていたのだが、美少年が美丈夫(びじょうふ)になっただけであった。そんな事があるだろうかと思っていたが、此れが、あったのである。

 紘は、祖父も父も美形だったので、予想出来ていた事ではあったが、流石に此処までとは思わなかった辰顕である。しかし相変わらず、(こう)本人は特に自分の容姿の良さを勘定に入れている様子は無かった。何処と無く繊細そうな雰囲気も変わらない。以前と変わらず、英語の勉強をするのが好きな様で、本を読むのが好きな(まま)だった。

 親友の本質が以前と何ら変わっていない、というのは、喜ぶべき事なのだろう。紘の父である静吉と、辰顕の父である俊顕は親友同士で、其の親友の弟と妹が結婚して生まれたのが成子(みちこ)だ。そして、紘と自分も親友になった。


 其れは幸せな繋がりである。


 先程通された自室は、紘の自費で角部屋の和室を改装したのだという。板張りの床に、濃い緑色の絨毯が敷かれていた。窓辺に、簡素なベッドと、素朴な書斎風の机と椅子が置かれていた。本棚には、相当な蔵書があって、入りきらない本が机の上や床に置かれていた。押し入れもクローゼット風に改装したのだという。


 此の容姿と、此のセンスと、此の財力で、此れで独身だと聞くと、普通は信じないであろうが、辰顕には想定の範囲内の話だった。

 傍目(はため)に幾ら独身貴族然としていても、(つと)に女性を苦手としている節があったのである。二十年の時が経過しようと、其の部分に変化が無ければ、余程口煩い親戚でも居なければ、以前の(まま)独身であろう、というのは、容易に想像がついた。


 さて、成子である。


 如何(どう)するのであろうか、と思い、辰顕は、居間で一緒に胡坐を掻いている、父方の叔父である(えい)()を見た。成子の此の役者顔の父は、其れ程紘(こう)とは似ていないと思っていたのであるが、此の人物が醸し出す繊細そうな雰囲気だけを考えて見ると、実は、紘は父親よりも、此の叔父に似ている。

 そして此の繊細そうな叔父は、今日はドッと疲れた、という顔をしていた。

 紘は、辰顕を松濤ではなく此の家に泊める様に言ってくると言って、静吉や新三と台所の方まで行って、何か話をしている。辰顕の食事も御手伝いさんに出してもらう、という様な相談らしい。成子は御手洗いだというので中座していて、やっと辰顕は、此の叔父と二人になれたのだった。

「其れで結局、如何(どう)なりました?」

 辰顕の問い掛けに、如何(どう)にもならないよ、と、栄五は言った。

「ただ此の家に成子を預けるだけだよ」

 普段は穏やかな叔父の口調が珍しく投げ遣りだったので、辰顕は、あーあ、と思った。

 だって、と栄五は言った。

「吉野の家に嫁に出せるかい?もう俺の手には負えない案件だもの。後は成子の好きな様にさせるさ」

「そうですか」

 親が、そう言うのなら、自分が口を挟む事は何も無い、と、辰顕は思った。


―さて、此れから如何(どう)なるのだろう。


 ()(かく)、諸事情で、成子を早々に嫁に出さないといけないのだ。そうなると、売れ残り同士を親戚で(めあわ)せようとするというのは、よく聞く話である。

 三十歳の未婚女性一人に、三十半ばの未婚男性二人。

 其れは、自分か紘かに話が行くであろうと、大まかな予想を立てていた辰顕であったが、内心、成子を辰顕に貰ってやってくれと言われたら如何(どう)しようかと、冷や冷やしていた辰顕であった。しかし其の事態は、成子を上京させるのが決まった時点で、何と無く回避出来た様子である。

 第一、辰顕と一緒になったところで、結局、瀬原集落と関わらずに暮らせるわけではない。其れは結局、栄五や初、成子の本意ではないであろう。ただ、叔父の口振りからするに、成子を紘の嫁にしてやってくれという様な頼み方を兄二人にしてはおるまい。言い出し(にく)いだろうな、とは、辰顕も思う。


 辰顕が相手であろうと、紘が相手であろうと、同じ従兄妹(いとこ)婚とは言いつつ、実は、紘と成子の方が、血が近いのである。

 実は此の場にいる坂本家の人間達は、本来なら傍流の血筋なのだ。紘の祖父、(きゅう)(いち)は、先々代の坂本本家当主、(そう)(いち)の従弟なのだった。其れが、一人娘、つまり、紘の母、坂本ヨシに家を継がせる為に、従弟の四男、つまり、紘の父、静吉と娶せたのだ。又従兄妹(はとこ)(こん)とでも言うべきであろうか。

 結果的に、紘の父は、本家を継がなかったのであるが、又従兄妹同士から生まれた紘と、従兄妹の成子、となると、普通の従兄妹婚とは少々、事情が異なってくる。


 しかし、吉野の家に成子を遣るくらいなら、従兄妹婚の方が良い、とまで考えるに至った、叔父夫婦の懊悩(おうのう)を目の当たりにしてきた辰顕だったので、(いた)(かた)無い事、と思った。

 加えて、紘の家は親子揃って、かなり人が好いのである。更に言えば(しん)(ぞう)という人も、御人好し具合で言うと、かなりのものである。東京で、誰かと成子を縁付かせてくれませんかと頼めば、其の様に取り計らうであろうし、成子を紘の嫁にしてやってくれませんか、と頼めば、そうかそうかと、色々な事を特に気にもせず、其の様に話を進めるであろう事は、目に見えている。


 しかし、成子の性格から考えると、多分其の方法では上手くいかない。


 其れに多分、此の繊細で気性の優しい叔父は、人が好い兄達の、そういった性質に甘えて、付け入りたくはないのであろう、と、辰顕は察した。しかも、そんなにまで付け入りたくないとは思いながらも、もう其の兄達に頼るしかないというジレンマが、叔父を疲弊させている。


 しかし、そうでもしなければ、成子には、本当に、もう居場所が無いのだ。


 十三年間家出して三十歳で連れ戻された今となっては、縁付かせようにも、見合いをさせようとしてみたところで、どの土地で相手を募ろうと、成子が(わけ)()り過ぎて、結局は、良くても金持ちの後妻くらいしか貰い手が無いであろう。そして、諸事情で、出来れば、婚姻する相手は、成子の後ろ盾となりうる権力を持ち合わせている様な人物が望ましい。其れを栄五が考えぬ筈は無い。しかし、地元よりは、東京の方が、親戚である会社経営者達の顔の広さと、人口の多さを考えると、()だしも良い相手に出会える可能性が高い。


 諸事情で、鹿児島に戻すにも、成子を一人で居させるのも危険なのだ。


 栄五は、あわよくば、東京で成子を縁付かせてやりたいが、駄目なら従兄妹同士でも、其れも、なるべく、強引に押し付けた形ではなく、当人同士が気に入って一緒になってくれたら、と、一縷の望みをかけて上京したに違いないのである。


 そんな企てが本当に上手くいくか如何(どう)か、と、辰顕は思った。

 しかし、其れなら御前が成子を貰ってやれ、と言われるのは絶対に嫌なので、我ながら姑息とは思いながらも、今は口を挟まないでいる。


 とは言え、二十年ぶりに再会した者同士、という流れ自体は、そう悪くない気がしている辰顕である。側から見れば、美男美女である。此れ程良い話も無かろう。映画だったら出会って()ぐにも一目惚れ、恋が始まったかもしれない。


 だが、(こう)という人間を甘く見てはいけない。


 結局のところ、あれは、結婚するのを忘れていたのである。英語を勉強する、くらいしか欲の無い人間に、事業の立ち上げなどという大仕事をさせたのである。元々苦手にしている、女性を相手にする究極の分野、所帯を持つ、などという事に神経を使う程、時間の余裕も無ければ、気持ちの余裕も無かったに違いない。現に紘は、成子を見ても特に何か感じた風も無かったし、あれ程頭の切れる人物であるというのに、成子と自分が娶せられそうだなどという可能性を、毛程も考えていなかった。


 オマケに、成子(みちこ)である。此れは、ある意味紘より質が悪い、と、辰顕は思っている。


 十三年も家を出ていたのに、恋人の一人も居らず、結婚する気も無く、ただ只管(ひたすら)に、工場や小料理屋の仕事を掛け持ちして暮らしていたのだという。十人並みの容姿の従妹であったなら、辰顕とて、こんな意地悪な見方はしない。あの美貌をもってしても今まで駄目だった、という事である。誰かに言い寄られても首を縦に振らなかったのだろうし、結婚する気が無かったというのは恐らく本心で、そんな人間に今更、さあ恋愛しろ、結婚しろと言ったところで、何かが変わるものであろうか。


 結婚するのを忘れていた男と、結婚する気が無い女、と考えると、組み合わせとしては、かなり悪い気がする辰顕である。


 そんな男女を同居させたからといって、美男美女だなどという互いの長所の何が役に立つであろう。久しぶりの再会で、二人の会話が続くか如何(どう)かさえ未知数なのだ。


―そう上手くいきますかねぇ。


 思わず、思った(まま)を口に出しかけた辰顕であったが、栄五の気持ちを(おもんぱか)って、堪えた。

「中座して失礼致しました」

 成子が戻ってきて、正座して丁寧に一礼し、元の場所に正座したので、辰顕も、座したまま軽く一礼した。

 別に辰顕は、成子が嫌いだというわけではない。東京での縁談が駄目だったら、代替案として、自分との結婚しか出せないので黙っているが、本人の幸せの為なら、本当は、口を出して、世話も焼いてやりたい。幼少期から一緒に育った、可愛い従妹である。上の妹の静が亡くなって、下の妹の冴も嫁いでしまった今となっては、成子の事は、妹と呼んでも良い様なくらいの気持ちでいる。辰顕は、結婚が嫌なのではない。自分が、女性に出産を経験させる契機になるのが嫌なのである。


 十九年前、()(ばる)()()という娘が御産で亡くなった。とても若かった。(ほとん)ど面識の無い娘であったが、其の事が辰顕の傷になっている。瑠璃は、辰顕の親友、(そう)の婚約者で、親友の死後、其の忘れ形見を産んで亡くなったのである。其の親友の母も御産で亡くなっている。以来、御産は怖い、御産は危険だ、と、辰顕は思ってしまうようになった。他人が子供を産み、育てる事に関しては何も思わないが、自分の子供を産む女性が居るとしたら、自分が契機で、そんな危険な目に遭わせたくない、と思ってしまう。成子と結婚する、という事は、成子との間に子供が出来るかもしれない、という事で、短絡的かもしれないが、辰顕は、其れはイコール成子を危険な目に遭わせる、という事だと考えてしまうのである。

 矛盾であろうか、女性と関係を持つ事については、実は何も思わない辰顕である。自分の子供、というのも良いものだろうと思う。子供が欲しくないというわけではない。しかし其の間の、妊娠と出産を考えると、結果的に、女性と関係を持つ事に対しても及び腰になる。自分の中の御産に対する印象が改まらない限り、恐らく自分は所帯を持たない。物件という話で言えば、本当は、紘や成子などとは比較にならないくらい結婚に向かない物件が辰顕なのである。口も出せないし、世話を焼いてもやれない。成子が可愛いからこそである。其れでも、あまりにも成子が危険な目に遭いそうなのであれば、何らかの手段を講じる心算(つもり)ではあるが。


「なぁ、成子(みちこ)。此の後誰が来ると思う?」

 辰顕は、努めて明るく、成子に声を掛けた。成子は、小さな声で、え?と言った。

(しゅう)ちゃんだって。俺達に会いに来てくれるよ」

「え、(しゅう)兄ちゃん?」

 成子は、信じられない、という顔をしてから、目を潤ませた。栄五も其れを見て、うんうん、と頷くと、やっと明るい顔をしてくれた。成子は、皮のハンドバッグからハンカチを取り出して、目頭を押さえた。

「本当に生きてらしたのね。良かった。良かったわ」

 親友の(しゅう)は、一時期、成子の家族に世話になっていたのである。栄五は周を可愛がっていたし、成子も懐いていた。此方も二十年ぶりの再会である。せめて一つくらいは、上京して良かったと二人に思ってもらえる事が出来そうで、辰顕は、周と、態々(わざわざ)周を呼び寄せてくれた紘に感謝した。

『同じ顔』に出て来た医師、実方辰顕の若い頃です。

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