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君子蘭『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第一章 三月
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昭和四十年 三月二十五日 坂本紘一

「そういうわけでして、本当に、久々に御会いするというのに此の様な御願いをしてしまって申し訳ございません。ですが」

 紘一には叔父にあたる、坂本(さかもと)栄五(えいご)は、紘一の記憶の中の人物より、幾らか年を取っていたが、相変わらず俳優の様な優れた容姿をしていた。六尺で、此の容姿の人間が、キチンと背広を着て、美しい娘を伴ってきたのである。本来は、もっと、祝うべき、華やかな来訪である。実際、近所の人間も、何事かと思ったらしく、(しばら)くは、家を囲う大和塀の近くからジロジロ見ていた。大和塀の構造上、外からは中が見え(にく)いが、塀の中にいる紘一には、其の隙間から人影を確認する事が出来た。しかし、当の栄五の表情は暗い。(あたか)も栄五の其の容姿の良さを隠すかの様にして装着されている眼鏡の、其の奥の瞳には、今日は覇気が無い。実際、外出用の伊達眼鏡だと知ったのは、随分後になってからである。

「ああ、いいよ、いいよ。何も気にする事は無い。御前の娘だ、俺には姪だもの」

 父、坂本(さかもと)(せい)(きち)は、弟の栄五、姪の成子(みちこ)の来訪を喜んでいた。栄五と一緒にやって来た、静吉には兄、紘一には伯父にあたる坂本(さかもと)(しん)(ぞう)も、栄五の隣で胡坐を掻きながら、気の毒そうな顔をして、腕組みをした。

「そんな事が有ったとはなぁ」

 兄弟三人で六尺の身長、新三と静吉は、灰色っぽい着流し、新三と栄五は眼鏡である。年々、三人とも、紘一の祖父であり彼らの父である、坂本(さかもと)(きゅう)(いち)に似てきている。だから紘一には、居間で正座する自分の手前で、雑誌の、二つの似た絵から相違点を探す間違え探しの掲載ページが、パラパラちらついている様な錯覚に陥った。しかも其の奥に成子がいる。此方(こちら)は、雑誌なら、巻末カラーの化粧品広告グラビアといったところであろうか。スカートの丈が膝上より心持ち短い流行の服なので、背景とポーズが違えば、増々そんな気がしたかもしれない、と、紘一は思った。()(かく)、成子も含めて、違和感が有る。自宅の居間で起きている出来事とは、紘一には信じ難い。

「其れにしても、綺麗になって」

 静吉が、あやす様な、おっとりとした声で、そう言うと、硬い表情をしていた成子が、ホッとした様な顔をしてから、二十年振りに再会した伯父に、はにかんだ笑顔を向けた。

 紘一の両親、坂本静吉、坂本ヨシは、()原集落(ばるしゅうらく)という場所の出身である。此の昭和の時代になっても、隠れ里として、外界からの接触を、ほぼ断っている集落なのだという。当然、新三、栄五、成子も其の出身であるが、伯父の新三と、父の誠吉は、上京して、渋谷区に居を構えている。栄五は其の兄二人を頼って、訳有りの娘を伴ってやって来たという次第である。長い海外出張を終えて、久しぶりの休暇を満喫していた紘一は、来客が有るというので、寝間着の浴衣を慌てて背広に着替えて出迎えたのであるが、海外で覚えた違和感よりも強いものを、(ひる)日中(ひなか)に自宅で体感しようとは思わなかった。


 ふと、玄関の方で呼び鈴が鳴った。

「ああ、そうだ」

 栄五が、やっと少し明るい顔をして、紘一の方を見た。

「別便だったから、そろそろ着く頃かな。紘、会いたい人が来ているかもしれないよ」

「会いたい人?」

 更なる来客を出迎えた紘一は、歓喜の声を上げた。父は笑って、二人で話してくると良いと言ってくれた。紘一は自室に来客を招き入れ、板の間の上に敷いた絨毯の、更に上に敷いた、二畳分くらいのペルシャ絨毯の上に座ってもらった。そして、自分も其の来客の正面に胡坐をかいた。


(たっ)ちゃん、久しぶり。泣きそうだ、俺」

「俺も」

 手紙の遣り取りはあったが、会うのは此方も実に二十年ぶりくらいの、古い友人、親友である。

 紘一の親友、実方(さねかた)(たつ)(あき)は、成子の母方の従兄である。紘一は、成子の父方の従妹であるので、紘一と辰顕との間に血縁関係は無いが、戦時中に縁が有ってからというもの、とても親しくしていた。二人は、顔を見合わせると、互いを見ながら泣いてしまった。本当に、途方も無く泣けた。会えなかった二十年の間に起きた出来事が、其の重さが、そして二十年の時間の長さが信じられないくらいで、しかし、出会えば、昨日も会っていた様な気がして、嬉しくて、悲しくて、懐かしくて、如何(どう)(よう)も無かった。暫く、そうして泣いてから、二人は肩を抱き合った。

「戦争が終わってから、もう二十年になるなんて。信じられない。辰ちゃん、お父さんに似てきたね」

「紘も、お父さんに似てきたね」

吃驚(びっくり)するよね。三十過ぎたら急に似てきてさ。もっとも、あんな、父さん達みたいに六尺も身長は無いけど」

「ああ、あれから背は伸びなかったね、御互い。今も横並びで。でも、あんなに食べ物が無かったにしては伸びたよ。五尺八寸。もうこんな、寸尺法の話をする人間も今日日(きょうび)減ったね。年取ったな」

「年も取るよね。今、満で三十六だもの」

おじさんだよ、と紘一が言うと、辰顕も笑って言った。

「そうだな。あの頃は、髭剃りに憧れたものだけど。十八過ぎたら毎朝髭剃りだったって、あの頃の自分に教えてやりたいくらい」

「そうだった、そうだった」

 髭剃りの話が出ると、二人は大笑いした。二十年前は二人共、()だ満足に髭も生え揃っていなかったのである。朝に年長者が髭を剃るのを羨ましがったものであった。思い返すにつけ、あの頃は子供だったと思う。

 辰顕の背広の上着をハンガーに掛けてやって、クローゼットの前のコート掛けに引っ掛けると、紘一は、家の中を案内しがてら、辰顕と庭に出た。

(みっ)ちゃんも、お母さんに、そっくりになったね。スラッとして背は高めだし、泣き黒子は無いけど、其れ以外は、そっくりだ」

 紘一が、そう言うと、辰顕は気不味そうに、そうだね、と言って笑った。成子の母である坂本初(はつ)は小柄な泣き黒子の美人だったのである。実年齢よりも十は若い様に見える不思議な人だったが、娘の成子も、今年で三十だとは、とても思えない、瑞々しい外見をしている。

「あの、辰ちゃん、妹さんの事、その」

「ああ、(しず)ね」

 辰顕は、少し悲しそうに笑って、目を細めた。

「仕方が無いよ。あの子は、(そう)ちゃんが好きだったから」

「え?」

 紘一は驚いた。実は、其の事については知っていた紘一だったが、二十年も経った今になって、其の様な話を親友から聞かされようとは思いもしなかった。

「俺は、静の気持ちには気付いてやれなかったけど。だからあれはね、うちの妹は、結果的に、綜ちゃんに(みさお)を立ててしまったのかもしれない。そう思うより他に、もう如何(どう)(よう)もない」

 終戦後、紘一と辰顕より一学年下の、実方静(しず)は、女学校を出るや、和文タイプライターのタイピストになるといって、家を飛び出して、神戸で集団就職してしまった。成子は此の、成子にとっては母方の従妹にあたる静を頼り、十三年前、昭和二十七年に家を抜け出して神戸に行った。其処から女二人で十三年間下宿住まいをしていたところ、静が今年の正月に突然、三十五歳という若さで亡くなってしまったのである。死因は腸閉塞だったという事だが、腸閉塞自体の原因は分からなかった。嘔吐と血便があったのに、無理をして病院には行かなかったらしく、成子が異変に気付いて、すわ入院、となった時には腹膜炎になってしまっていたそうだ。一人残された成子は、静の親、つまり、此の実方辰顕の両親に連絡を取らないわけにもいかず、結局、栄五に見つかり、実家に連れ戻されてしまったのだ。

「綜ちゃんか」

 紘一の親友の一人である。紘一や辰顕より学年は一つ上だったが、二十年前に既に亡くなっている。

「綜ちゃんは、建前は従軍もしていたし、静も覚悟はしていたと思うけど。やっぱり、あんな別れ方したら、納得出来なかったと思う。あの時は仕方が無かったけど、満足に死に顔も拝めなかったから。…その、額を撃ち抜かれていたから、あまり見せてやれなくて」

 辰顕の弁では、静は、終戦後、人が変わった様に身の回りの事を学び始め、其れ程得意でなかった家事炊事全般を身に着け、サッサと家を出てしまったらしい。そして、盆正月も帰らず、成子と同居している事も隠しており、遂に、二度と故郷の土を踏む事は無かったのだという。想い人の居ない故郷になど、未練は無かったという事なのであろうか。

「縁付かずに、女二人で十三年も?」

 紘一が思い出す限り、辰顕の二人の妹、(しず)(さえ)は、何方(どちら)も見目好い娘だった。特に、姉の静の方は愛らしい容姿をしていた。あの容貌で、遂に縁付かずに亡くなったとは、紘一には想像し難い話であった。冴の方は、鹿児島市内の産科医に嫁いだと聞いていただけに、尚更、姉妹で、そんなにも運命が分かれてしまうとは、と、二十年前には想像もしなかった結果に、紘一は驚きを隠せないでいる。

「成子の方はね、昭和二十七年に、(いつ)()が亡くなってね」

「ああ、覚えているよ」

 成子の妹、坂本逸枝は、これまた十六の若さで、事故で突然亡くなってしまった。其れも、成子や逸枝の祖父、実方(さねかた)(ただ)(あき)の葬儀の後だったのである。そして其れは、此の辰顕の祖父でもあった。成子の悲しみ様は例え様も無いくらいであり、其のショックで、以前からコッソリと手紙の遣り取りをしていた静を頼って、何時(いつ)の間にか出奔してしまったのだという。逸枝は事故死という事になっているが、実際のところは、紘一にはハッキリしない。少なくとも紘一には、原因が(つまび)らかにされなかったのである。

「俺にも相談してくれていたら、もう少し何かしてやれただろうか」

 辰顕は、悲しそうに、そう言った。

「辰ちゃんが、そんな風に考える事はないよ。如何(どう)(よう)もない事って有るもの」

「そうだなぁ、もう、今更だしな」

結局如何(どう)するのかな。(みっ)ちゃんは、うちに居候するので良いのかな」

「良いと思う。成子の初恋は静吉さんだったって話だし、同じ慣れない場所に間借りするなら、そういう、気持ちの支えの様な人と同居するのも良いだろう」

「え?」

 紘一は目を(しばた)かせた。父は今年六十歳、成子は今年三十歳である。紘一には、初恋、という単語が上手く理解出来なかった。辰顕は笑って、まぁ、と言った。

「ほら、そんなの、二十年も前の、成子が十歳の子供だった時の事だから。あの頃は人手が足りなくて、偶々鹿児島に帰って来てくれていた誠吉さんが、成子達の面倒を見てくれていただろ?周りは大体従軍っていう事で、男手も足りなかったし。そういう不安な時の、父親代わりというか、大人への憧れみたいなものがあったってだけだと思う。もう、ただの伯父と姪って事で一緒に暮らせると思うよ。其れに」

「其れに?」

「此の家にいるより他に良い案も浮かばないと思うよ。成子の実家は実家で、(りょう)が、もう御嫁さんを貰って所帯を持っているから、居辛いだろうしね」

 坂本了一(りょういち)は、成子と逸枝の弟で、坂本本家の長男である。里を出た新三と静吉に代わって、祖父の後を継いだのは、末弟の栄五だった。

長男と次男は他界していて、三男の新三と四男の静吉は故郷を出ていた為、栄五が継ぐしかなかったのであるが、名前で察せられる通り、本来は五男である。現在は、家を継ぐ予定の、栄五の長男、了一(りょういち)が嫁を貰い、紀一(きいち)という息子まで成して、家長然としているそうだ。栄五も、医師の仕事でも無ければ、実質隠居している様なものであるという。そんな実家に連れ戻された成子は、三十路前で未婚。神戸には、静の他に頼る人間も無く、恋人すら居なかったらしい。三十路の行き遅れでも構わない、と、縁談は幾つか有ったそうであるが、何れも、成子の母の初が気に入る様な相手では無かったらしい。

「何せ、吉野(よしの)()(おとこ)(やもめ)ばかりが(こぞ)って鼻の下を伸ばして、っていう話だったから。成子の、あの見た目だから、そうかもしれないけど。(およ)そ三十路には見えないしね」

吉野(よしの)()か。其れは気に入らないかもね」

 坂本家と吉野家は、同じ瀬原集落の中でも其れ程折り合いが良くない。娘を後妻に遣りたくないという初の心情を、何となく紘一は察した。因みに、瀬原集落では『(もと)』の字を使っていて、坂本家は坂元(サカモッ)()と呼ばれている。

「其れは、最初は、親も成子に腹を立てていたかも知れないけど、女二人で、身持ちを固くしていて、働いて、細々と暮らしていたかと思うと意地らしくなったみたいでね。成子にしてみれば、逸枝の事が相当ショックだったというのも有るだろうから。里に居るのが嫌になったとしても仕方は無い、という事で、まぁ、事情も有るし。そんなに戻って来たく無かったのなら、親戚に頼ってみようか、という話になったのかもね」

 事情。辰顕が珍しく、奥歯に物の挟まった様な言い方をするのが紘一は気になったが、久しぶりに会った親友に、あまり彼是(あれこれ)詮索するのは憚られた。

「ああ、其れで此の家に」

「今更何処かに奉公させようにもね、間違いを起こしそうだし、成子の事情にも、そぐわないし」

 また事情か、と思ったが、紘一は追究しなかった。辰顕が話してくれないのなら、やはり詮索し(にく)い。其れに、成子が奉公先で間違いを起こされそうな美貌だというのは紘一にも何と無く察せられた。第一、本来なら、奉公する様な育ちをしていない娘である。父親である栄五は軍医であったが、今も医師であるし、母親の初は、戦争が終わるや、喜んで、日本舞踊に御茶、御花に御琴にと、加えて和裁に洋裁といった花嫁修業の様な事もさせて、娘二人を大事に育てたそうである。其れが、一人は亡くなり、一人は出奔したのである。長男が残っただけ良かったのかも知れないが、叔母の気持ちを考えると、益々気の毒になる紘一である。

「まあ、確かに、うちなら間違いが起こりそうにも無いしねぇ」

 お(よし)さんと呼ばれていた、母の坂本ヨシは、戦前に亡くなっている。紘一の弟、彰二(しょうじ)は、子供の無い新三夫婦の養子になって、伯父夫婦の、松濤(しょうとう)に在る家で所帯を持っている。妹の由里(ゆり)は戦後、ピアニストになるべく海外留学をし、ロシア系ドイツ人の男性音楽家と結婚して、現在はドイツに住んでいる。当時は、父も伯父も全く反対しなかったのだが、彰二の細君の親戚に、由里と、ロシア系男性との婚姻を快く思わない者が居て、面倒な話になったせいか、あまり帰国したがらない。だから此の家は、週五で通いの御手伝いさんを雇っているから、何とか、蛆がわく、等という有様では無いにしろ、其れこそ(おとこ)(やもめ)の六十の父と、冴えない三十六の独身男の自分との二人暮らしである。花の咲き様も無い枯れ木の様だ、と、納得する紘一である。

「其れ本気で言っているの?」

 辰顕は、紘一の言葉に、酷く驚いた顔をした。

「え?辰ちゃん、うちの父さんと成ちゃんに間違いが有るって思うの?」

「違うよ、紘は?独身だろ?そりゃ、俺も独身だけどさ」

 紘一は思わず、ポカンと口を開けた。辰顕は尚も続けた。

「此の家なら、間違いが起きても諦めがつくって事で、成子を預けるのだと思うけど」

「でも、俺と成ちゃん、従兄妹同士だもの。そりゃ、法律上は、結婚は出来るけど、良い顔しない親戚もいるでしょう」

「そりゃ俺も、成子と従兄妹同士だけどさ。だから、そういう話でなくて」

 辰顕は、そう言うと、目を瞬かせた。紘一は、思わず、え?と聞き返した。

あ、いいや。ごめん、と辰顕は言った。

「…相変わらずだね、紘。…そりゃね、確かに忙しかったから、御互い。縁が無かったよね。俺は、養子を取る事にした」

「養子?独身の(まま)で?」

 今度は、紘一が驚く番だった。二十年ぶりの再会ともなると、近況報告だけでも話題が尽きないものである。先刻から御互い驚かせ合ってばかりの様な気のする紘一である。

「実方分家の(なお)(あき)さんとこ、長男が、医者になったから。覚えていないかもしれないけど、(のり)(あき)。ほら、貴顕(たかあき)と同い年だった」

「ああ、(けん)ちゃん」

 事情が有って、ほんの暫く同居していたから、(のり)(あき)の名前は覚えている。しかし、名前は分かる、という程度である。何せ、(とおり)()とやらで、実方家の男には、名前に皆『顕』の字がつく。何なら全員『(けん)ちゃん』であるので、ややこしい事此の上ない。其の点、辰顕の従弟である貴顕は、良く懐いていてくれていたので、懐かしいと思う紘一である。辰顕の父、実方(さねかた)(とし)(あき)には、顕彦(あきひこ)という弟と、初、(なか)という二人の妹が居るのであるが、貴顕というのは其の、実方顕彦という人物の長男で、辰顕の父方の従弟なのである。何時(いつ)聞いても、親戚が多いものだと感心する紘一である。

「そう、其の(のり)(あき)を、俺の養子に貰おうと思って。其れで、うちの病院継がせようと思う」

「え、そうなの?…辰ちゃん、結婚しないの?」

(のり)(あき)にも、もう長男がいるから、其の子に継がせてやりたい。勿論、貴顕のところにも、もう長男が居るけどね。何だか本当に、年を取ったと思うよ。彼是(あれこれ)本当に忙しかったし、こんな年だもの。今更俺は、結婚はいいよ」

 勿体無い、と、紘一は思った。久しぶりに会った親友の男振りが、あまりにも良かったので、さては、誰にも言わないだけで好い人が居るものではと、勝手な想像をしていたのだ。其れが、独身を通そうとしていたとは、思いも寄らなかった。

 確かに、此の二十年、御互い忙しかったとは紘一も思う。

 辰顕の父、そして、初の兄である、医師の俊顕(としあき)は、戦後、どさくさに紛れて、一応は払い下げ、という形で、かつての陸軍の所持していた建物を設備ごと譲り受け、実方医院を開業した。辰顕は医師になり、其の後を継いだのである。叔父の栄五も、実方家の婿として、俊顕の義弟として其の病院に勤めている。辰顕は医師にはなったものの、(いま)だ独身である。そして、栄五の長男、了一は医師にはならず坂本本家を継ぐというのだ。辰顕が、医師免許取得、病院創設、経営、と、此の二十年奔走していたのを知っていただけに、内心、病院の後継ぎの方は如何(どう)するのであろうかと心配していた紘一であった。しかし、会って、こうして話を聞いてみれば、親戚で医師免許の有る者を養子にするという手が有ったとは、と、感心した。

其れにしても、考えてみれば、終戦から二十年である。当時九歳だった(のり)(あき)と貴顕、そして了一に子供が居ても、何ら不思議は無い程、時が流れているのである。年を取ったと思う、という点に関しては、紘一も全くの同意見であった。

「そうかぁ。養子、良いかもね。でも、今更だなんて事は無いと思うけど」

 昔と容貌は変わったとはいえ、今も見栄えの良い親友に対して、紘一は、心から勿体無いと思って、そう言ったのだが、辰顕は、笑って首を振った。

「御見合いの市場(しじょう)だと、男は四十歳までだってさ。四十の時の子が、二十歳の時は六十だもの。自営業の医師で、定年が無いから良い様なものだけど、六十って、普通の仕事なら定年だしね」

 父の静吉が此の三月に定年退職したばかりなので、身に抓まされる話だと紘一は思った。昭和四十年現在の平均寿命は、男女合わせて六十七、八歳というところである。今現在、定年退職、という事柄は、其の後、あと十年生きるか生きないか、という意味合いを、一般的に持っている。紘一とて、今でこそ自活出来るくらいの収入も蓄えも有るが、学生の時は、そうでもなかった。伯父の金銭的協力で私大を卒業して、更にイギリスに短期留学まで出来ていたというだけで、伯父は金持ちでも、紘一に何か財源が有ったわけではない。とは言え、伯父に援助してもらってばかりも申し訳ないので、大学で教科書販売のアルバイトをした事も有る。もし自分が今、二十歳(はたち)そこそこで、ああいった裕福な伯父の援助も無く、父親が定年だと考えると、なかなか生活が大変そうである。

「御見合い市場かぁ。昔は、そんな話、無かったけどね。時代も変わったね」

「まあね、男が上なら何歳でも良い、って感覚は有ったよね、昔は。恥かきっ子なんて表現は合ったけど」

 紘一は実際、七十歳で三回目の結婚をし、二十歳の妻を娶ったという人の話を聞いた事が有るし、他にも、父親が五十六歳の恥かきっ子だから五十六(いそろく)と名付けられたという海軍軍人の名は、あまりにも有名である。そんな市場の話が有るとは、寡聞(かぶん)にして知らなかった。

 ()(かく)、と、辰顕は言った。

「今では女の人も外に働きに出ている人が増えたし、子供が居れば、キチンと学校にやりたいと思うだろうし。学費だの何だのって話になったら、そういう考え方になるのかもね。市場だなんて、恐ろしい言葉。本当に、此の二十年で、世の中随分変わったよね」

 そうだね、と、紘一は相槌を打った。同じ学年の辰顕が、自分自身を残り物の様に言うのに、紘一に対しては成子を薦める様な事を言ったのが、内心不思議な紘一であったが、紘一自身が勝手に独身で居るというのに、相槌でも打つ他に、特に何も言う事が無い。家の為に養子を取ろうというだけ辰顕の方が随分と偉い。其れにしても、昭和三十四年には皇太子殿下の華やかな御成婚パレードがあり、昨年の昭和三十九年には東京オリンピックまであったのである。ゴミ処理などのルールも変化し、東京の街も、非常に綺麗になった。世の中が変わらない筈も無かった。

()(かく)御互い、忙しかったよね、此の二十年。うちも、今では織機(しょっき)の会社でなくて、自動車の会社だもの」

 紘一が、そう言うと、そうだなぁ、と、辰顕が、しみじみとした声を出した。

 紘一も働く、伯父の会社、坂本自動車(じどうしゃ)と言えば、近頃は一角(ひとかど)の企業になったが、戦前は自動車の会社では無かった。前身は坂本(さかもと)織機(しょっき)という社名で、国内外に向けて機械や布を卸したり、戦時中は、軍に衣類用の布を卸したりしていた。名字こそ社名に冠してはいるものの、伯父の坂本新三は実質入り婿で、先代の一人娘、奈穂子(なほこ)を娶り、会社を継いだ。太平洋戦争が開始して間も無く先代が亡くなったので、新三は先代の遺言で社名を『坂本織機』と変え、名実共に会社を引き継いだのである。以来、社内で試作品を製造し、実験は続けてきたものの、本格的な自動車産業への参入は、社名を『坂本自動車』と改めた、昭和三十年代に入ってからであった。そして、紘一の入社は、奇しくも成子が里を出たのだという十三年前の昭和二十七年である。伯父の支援で、弟の彰二と共に、何回も海外の企業視察を繰り返しながら、三田に在る四年制の私立大学を出た後、営業として縁故入社した。其れから、坂本織機が大手の自動車製造販売会社に成長するまで、紘一は此の十三年間奔走していたのである。幼少の(みぎり)から慣れ親しんだ織機の部門が無くなってしまった事は少し寂しい紘一だったが、何とか、自国がオリンピックを開催出来るまでに復興した此れからの時代、自動車産業に力を入れていくのは当然の成り行きだとも思っている。其の(かん)結婚を意識した事は無かった。紘一にしてみれば、少年の頃から、何時(いつ)か英語の技能を使う仕事をしたいと思っていたのであるが、其の夢が叶った幸運の日々であった。オマケに、大恩(だいおん)ある伯父の為に働いているという充実感もあって、毎日が楽しく、気付いたら今まで独身だった、という感覚である。其の事について一切の後悔はないし、長い海外出張から戻ってきて、ひと月休みが貰えてみれば、偶々成子達が来訪したのだった。今日、成子の事を彼是(あれこれ)と言われても、全くピンと来ないでいる紘一である。

「あ、ねぇ、辰ちゃん。東京には、どのくらい居られるの?さっきコッソリ電話して、懐かしい人に声を掛けたから、是非会ってほしいな」

「え、もしかして、(しゅう)ちゃん?」

「そう。(もっと)も其の人は()っくに所帯持ちだけどね」

 懐かしい、と言って、辰顕はまた、涙目になって、右手で両目を擦った。紘一も自然、泣けてきたので、手で涙を拭った。紘一と辰顕の、もう一人の親友は、現在青梅で画家をやっているのである。急な呼び出しにも関わらず、喜んで出て来てくれるとの事で、到着は夕方頃になりそうであるが、紘一は如何(どう)しても二十年ぶりに辰顕と三人で会いたいと思ったのだった。


 (やや)あって、気を取り直した辰顕は、今後の予定について説明してくれた。

「今日は松濤の御宅に泊めて頂く事になっていて」

「ああ、新三伯父さんの所?」

「そう、偶々明日の朝に練馬に行く用事が有ってね。実は俺は、別に、成子について来てやったのではなくて、本当は其の用事で出てくるついでに此処に寄らせてもらったってわけで。明日は、用事が済んだら、午後に練馬を出て、夕方の便で鹿児島に戻る予定」

「何だ、其れなら、うちに泊まっていきなよ。後で伯父さんに言っておくからさ」

「何だか悪いね」

 そう言いながらも、屈託なく辰顕が笑うので、紘一も笑った。話したい事が沢山有り過ぎて、今日は辰顕と別れたくない、と、紘一は思ったのである。相手も同じ気持ちなのだろう、と、何故か確信が持てる。親友というのは良いものだと紘一は思う。紘一は続けた。

「ねぇ、そう言えば、(いっ)ちゃんって如何(どう)して亡くなったの?俺は、落下事故だったとしか聞かされてないけど」

 辰顕の表情が曇った。

「…此れから、周ちゃんに会うよね?俺達」

「そうだけど」

「…あのね、紘に、というより、周ちゃんに知られたくないから、皆、事情を言わなかったのだと思う。だから、俺からは、今、言いたくないな。そうだな、成子が落ち着いたら、成子から聞いた方が良いかも知れない」

「…分かった。今度、成ちゃんに聞くね」

 事故だとしか聞かされてはいなかったが、何か、余程の事情があるらしい、と、紘一は察した。良かった、と言って、辰顕は微笑んだ。

「そうしてくれると助かる。折角なら、楽しい気分で周ちゃんに会いたいもの」

 そんなに深刻な事情が有るのだろうかと思ったが、紘一は其れ以上聞けなかった。

「そっか。あ、其れじゃ辰ちゃん、練馬の用事の方を聞いても良い?差し支えない範囲で」

「ああ、練馬はね。学生時代の友人が、其れこそ入り婿で入って継いだ産婦人科が在って。もう一人の妹の、(さえ)の嫁ぎ先も産婦人科だから、学会で冴の夫と、そいつが知り合ったらしくて、俺の話が出たらしい。其れで、義弟経由で、二、三、そいつに頼まれ事をしてさ。結果を言い渡しに、(じか)に会いに行くってわけ」

「本当だ、周りに入り婿、多いからね。また入り婿なのかって思うね、そう聞くと」

「いや、昔はさ、長男以外は、家を継げなかったら冷や飯食いだもの。実家に置いてもらっている以上、結婚もさせてもらえないし、長男の奴隷みたいに働かされても文句は言えない立場だったのさ。有能だったら、何処かに婿入りするっていうのも、生活していく手段の一つだったと思うよ。最近だもの、教員やら医師やら、長男以外で、土地持ちで無くても生活していける仕事があるのは。畑くらいしか仕事が無い時代からしたら、土地が無くても仕事があって、給金があって、其れで生活していけて、所帯まで持てる世の中になるなんて、夢の様な話だよね」

「ああ、そうか、良い時代になったのかもね、其の点」

 長男だが、特に家を継げ、とも、サッサと所帯を持て、とも言われずにいてくれる父親と同居して、楽な暮らしをしている紘一には、あまり実感の無い話であるが、戦後の人手不足は覚えている。()(かく)、出征した男が(ほとん)ど戻って来なかったのだった。今では女の人も働いていると辰顕は言ったが、女性の社会進出は、男手が足りなかったという側面も有って促進されたのだ。戦後強くなったのは、女と靴下だ、とかいうが、強くならずして、如何(どう)して、あの焼け野原から立ち上がれたであろうか、と、紘一は思う。辰顕の言う、入り婿の話にも、継ぐべき長男が出征して亡くなっていれば、他所から、娘に婿を取ってでも、というケースが含まれていたではないか、と、紘一は感じた。確かに、良い時代になったと言われれば、(うなず)かざるを得ない。しかし、本当に、良い時代になったのか如何(どう)かは、紘一には、よく分からない。死んでほしくなかった人間が、あまりにも多過ぎた。織機工場の親しい従業員達は、戻って来なかった。親友も、結局は、戦争が遠因で亡くなった様なものである。あの人達が死なないで、生きてくれている時代というのが有ったなら、紘一は其方(そちら)の時代の方を見てみたかった様な気がするのである。

 しかし()(かく)、戦後は大変だった。けれど、そんな思いをして生き抜き、今、二十歳の人間と話をしてみれば、戦後の生まれで、あの時代を知らぬのだという。毎日は充実していて、同時に、あまりにも足早に過ぎ去ってしまっていて、紘一には何か違和感が有った。


 そして、こうして、今日、成子に会い、辰顕と話して、成程、と、紘一は思った。此処に居るべきでは無い人間、という違和感である。紘一は、時々()だ自分の事を、そう思っている、という事に、今気付いた。今日は成子に、そんな自分に近いものを嗅ぎ取ったから、偶々(たまたま)強く意識しただけなのであろう。自分は時代と並走している様な気分でいるが、心だけが何処かに置いて行かれている様にも感じる。やるべき事と、必要とされている立ち位置が存在するのに、時折、居場所は此処では無い、と感じる。


 良い時代の前は、酷い時代だった。其れは認める。彼方此方(あちこち)黒焦げで、食べ物も無かった。しかし、親友達と素晴らしい夏を過ごしたのもまた、二十年前の、あの夏だった。輝く夏、という表現を、紘一は人生に於いて、あの夏にしか使う事は出来ないだろうし、今後も、そうだろうと思う。此の先どんなに素晴らしい夏が再び巡って来たとしても、其れは、あの夏ではないのだ。紘一の心は()だ、あの夏に在るのだろうか。

「良い時代になったよね。食べ物も有るし。其れなのに、本当に、体ばかりが年老いて」

 と、紘一が自嘲したのを受けて、辰顕は、違いない、と言って、笑った。

※六尺 約180センチ。

※五尺八寸 約175センチ。

因みに、日本の、昭和25年時点の二十歳の男性平均身長は161.5センチ

昭和40年時点の二十歳の男性平均身長は164.9センチ

なので、「あれから(昭和20年以降)伸びなかった」と言っていますが、当時から長身の方であった事が分かります。

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