動く看板
バスターミナルに向かう途中で『止まれー!』という声をきいた。
けたたましいサイレンが鳴り響き、すぐさまパトカーが歩道に乗り上げた。パトカーの窓は全部格子がはめてあって、まるで動物園の檻みたいだ。
そこから出てきた機動隊は、いかにも重そうな盾とmp5を持っていた。mp5は麩菓子ほどの大きさのサイレンサーが内蔵されたタイプの銃で、胸元にはバナナ型のマガジンを何重にも押し込んでいた。体を覆う分厚い防護服は、暴徒鎮圧で使うようなタイプではない。
その装備は首のまわりをケーキのスポンジのように分厚い防弾繊維が取り囲み、頭はすっぽりと巨大なヘルメットが覆っていた。わずかばかり見えるバイザーは厚さが30mmはあろうかという分厚さで、恐らくは防弾だろうと思った。
警察だろうか。それにしては嫌に装備が良すぎる。
あのまま爆弾処理でも出来そうな位だった。
俺は黙って手を挙げた。降参。戦う意思はないことを示し、かつ、手のひらを相手に向けることで武器を持っていないことをアピールする。
「ひざを付き、腹ばいになれ!!」
言われるとおりにした。
すると横一列に並んだ機動隊から一人進み出て来て俺の腕を後ろ手に捻り上げた。
「痛い痛い!!!」
「確保ー!!!」
手首をゴワゴワした手袋越しの手が掴んだ。そのまま俺の左腕は右肩を触るようにひねり上げられたのだった。
メキメキメキっという不気味な音が響いた。
必死に隊員さんの下から這い出ると、俺は目を疑った。
俺の腕を押さえていたはずの隊員さんは、左手をなくしていた。
左手の手首から先にはペラペラのゴミ袋のようなものがぶら下がっているだけだ。
不思議そうな顔をする隊員さんと目が合った。彼も分かっていないみたいだ。
次に手首に巻かれた高そうな腕時計が、歪んだ。文字盤を覆っていたガラスは一瞬で粉々に砕け、次に金属製のベルトがクシャリと潰れてそのまま一つの塊になった。
そしてゆっくりといたぶるように腕が根元まで消えてしまった。
いや、それは確かにそこにあった。強い力で押しつぶされ、ペラペラの服と全く同じ薄さになった腕が。
大の大人が赤子のように泣き喚き、やっと解放されると安堵の声が機動隊からは漏れた。
救護班を呼びつける声が響いたが、すぐにターミナルは静かになった。
指揮を執っていた体のガッチリとした男が吹き飛ばされた。まるでサッカーボールみたいに。あまりにも唐突に。あまりにも簡単に。
科学で武装した人間は、強いはずだった。
しかし、吹き飛ばされた機動隊員は、三回も地面でバウンドして壁に打ち付けられ、やっと止まった。ピクリと手が動いたがそれっきりだ。黒い服から染み出した汁はゆっくりとレンガ調の石材の上を流れて行っている。胸に抱かれたmp5は撃つ前にフレームが割れ、弾が零れ落ちた。
「……俺は逃げるぞ」
誰かが言った。
男達は逃げた。走って逃げた。逃げた先のバス停で、小さな停留所の看板を盾にし銃を構えたが、もう遅い。もしも彼らがちゃんと周りを見ていたならば、すぐ近くに全く同じ看板があることに気が付いただろう。
もし、捕食者が背中を見せて逃げる得物を本能的に追ってしまうことを知っていれば、そんなことはしなかっただろう。
その看板は生きていた。