決して溶けない物
漏れ出てきたのは強烈な異臭だった。
生臭さだけではない。鼻にズキズキとくる薬品の様な臭いが混じっていた。
その時バーンと大きな音が。
誰かが不調の機械を無理やり動かしたに違いなかった。会社から納入されていたのは120tプレスだった。人など簡単に磨り潰してしまう。それが不調を訴えていたのだから生産ラインは止めるべきだ。だが動かした。
時間が惜しかったのだろう。
金が惜しかったのだ。
工場の中には中には異国人風の男が二人倒れていて、腕が無かった。
赤黒い血の上に鮮血が広がる。
「大丈夫か!?」
頭に挫滅という言葉が浮かんだ。
挫滅は工作機械の中で身体を失った状況を意味する。丸鋸で切り飛ばしたのとはわけが違い、潰れた身体が二度と戻ることはない。彼の顔は引きつり、青ざめていた。切れたはずの腕は無く、潰れた作業服のそでだけが血に汚れている。そういうことだ。
俺はスーツの腰ベルトを抜いて、止血帯として巻き付けようとするが、血が絶えず出ているので滑ってうまく縛れない。手当などしたことが無かった。
「頑張れ!生きろ!!」
三回も失敗してやっと巻き付ける頃には、工員はぐったりと頭を垂れていた。
工場に所狭しと並べられた工作機械は、今も不気味な音を響かせて稼動し続けている。俺は急いで非常停止スイッチを探したが、どこにも見当たらない。
巨大な製品を加工する機械は、横幅十メートルほどにもなり、その機械があげるモーターの異音は何か巨大な動物の悲鳴のようだった。背中を冷たい汗が伝い、じっとりと不快な水たまりを作る。
機械全体が熱を持ち、中の水槽が沸騰するような状態だった。
「大変だ!!」
水槽内のレーザー加工機は凄い光で目が焼き付くようだ。直視すれば失明は免れない。
逃げたい。
だがこのまま放置すればどうなるかは目に見えていた。
水は100度までしか上がらないが、それ以上になると一瞬で蒸発してしまう。水が蒸気となって無くなれば、次は装置の外装の番だ。溶け、零れ、有害なガスを撒き散らし、基盤が焼けるまで暴走は止まらない。ここにいる人間は死ぬ。負傷者二人を担いでは逃げられない。
俺は梯子を上ってレーザー加工機の蓋にしがみついた。何しろ10m近くの鉄板をそのまま切断できるデカ物であるから、その観音開きの蓋も巨大だった。
その蓋を掴んで思いっきり引っ張った。
「あけええ!!!くそが!!!」
勿論、動作中は開かなかった。開けば使用者が怪我をするかもしれないからだ。そのように設計されている。決して開いてはいけない場所なのだ。だからこそ万が一開けば強制的に回路を遮断するように設計したはずだ。俺ならそうする。
俺は巨大な工作機械を止めようとしていた。
中から漏れ出る青い光は、幻想的だった。この世にこんな光を持つ物があるのかというくらいだ。開けようとして5分。まだ扉は開かない。
「ウグッ……」
足元で苦しげな声が響いた。
工員は俺が何をしたいのか分かったようで、真っ黒な油にまみれた床からレンチを持って梯子を上がって来た。腕が無かった。口で咥えていた。
「もう休んでて!」
受け取ったレンチをハンドルにつがえて思いっきり体重をかけても扉は開かなかった。だが、その様子を見ていた工員が俺に体当たりをしたことで二人分の体重がかかり、ついに留め具が派手な音を立てて壊れた。目の前が真っ白になり、ブクブクと泡立つ水槽の水が足元に見える。
鉄だって溶かす光の工具だ。
発生した水蒸気が何も守る物の無い俺と工員を包みこんだ。水は500mlも残っていなかった。
そこで俺はあり得ない物を見た。
あるべきでない物。あってはいけない物。
それはちょうどバイクのヘルメットくらいの大きさの玉だった。
楕円に近い形状で鉱物のような銀色の石が全体を覆っていた。
溶けた鉄板が冷めてそうなったのかとも思ったが、水の中で鉄がドロドロに溶けることはない。
好奇心に駆られ、手で触れてみた。
「冷たい……」
まるで氷のように冷たかった。
これはおかしい。
先ほどまでレーザーで炙られていたはずなのだ。その断面は瞬間的に2000度を超える熱で溶けたはず。
切断面すらなかった。
その玉が一瞬、ぶるりと身震いした様な気がした。
加工機の底には、ギラギラと光る巨大な鱗。
少なくともこれは、カメラの部品じゃない。物ではなく、何かだ。