第18章-1
【 18 】
気づいたときにはベッドにいた。熱はだいぶ治まり、ペンダントヘッドも元に戻ってる。ただ、全身が怠く、顔をあげるのも億劫だった。
「おっ、気がついたか」
「ん、お前がベッドまで運んでくれたのか?」
「まあな。ちょっと手こずったが、なんとか一人でできた」
「ありがとうな。ところで、いま何時だ?」
「えっと、三時になるとこだな」
彼は天井を見つめた。――ってことは、すぐ覚めたってことか。
「きっと、そろそろカンナちゃんも来るぜ。突然倒れたって言ったら大声で喚いてた。ほんと、あの子は先生のことが、」
徹はひらいた手を突き出してきた。二の腕はぶるんと震えてる。
「おいおい、まだ起きちゃ駄目だよ。熱は落ち着いたようだが、さっきまで気を失ってたんだぜ」
「うるさい。お前、マジでカンナを呼んだのか?」
額に指を添え、彼は顔をしかめた。金槌で叩かれてるような頭痛がしたのだ。そのとき、ガラス戸のひらく音がした。
「あっ、来たな。ほら、駆け上ってくるぜ」
目をつむり、彼はベッドに沈みこんだ。痛みに頬は歪んでる。
「大丈夫? 倒れたって聴いて、私、びっくりしちゃって、」
「いま目覚めたとこだよ。熱も少しは下がったみたいだ。でも、カンナちゃん、ここにゃ体温計とかないのか? 探したんだけど見つからなくってさ」
「あるわよ。――っと、その前に、ほんとありがとうね。私、むちゃくちゃびっくりして、お礼言うのも忘れてたわ」
「いいんだって、そんなの。だけど、驚いたよ。直前まで元気そうだったんだぜ。それが突然倒れこんできてさ」
窓は軋んでる。それどころか、建物全体が揺れてるようだった。彼はさらに顔をしかめた。
「あのな、もうちょいでいいから静かにしてもらえないか? 頭が激しく痛いんだよ」
「ああ、ごめんなさい。――ほら、熱計って。もしまだ高いようなら、お医者に行かなきゃね。喉とかは痛くないの?」
「ん、大丈夫だ。頭が痛いだけだよ」
徹はニヤついてる。蓮實淳は目を細めた。
「どうした? なんでそんな顔してる」
「え? 俺のことか? ――いや、えっと、そうだな。とりあえず薬局に行ってくるわ。なんか精のつくもん買ってくるよ。それに、ここにゃ風邪薬とかもねえみたいだからな、それも買ってくる」
足音が途絶えると風だけが気になった。カンナは半開きのドアを見つめてる。
「ほんと、どうしようもない人の割りには気が利くっていうか、ちゃんとしたとこもあるのね」
「ああ、接客してる人間らしいよな。――ま、気が回り過ぎてるとこもあるけど」
「でも、ほんとに大丈夫なの?」
「大丈夫だって。ほら、ここんとこいろいろあったろ? それで疲れが溜まってるだけだよ」
「なら、いいけど」
カンナは覗きこんできた。口許だけが笑ってる。
「ねえ、」
「ん?」
「ちょっと思ったんだけど、これが終わって、いろんなことがすっきりしたら、私たち長い休暇取らない?」
「長い休暇か。そりゃいいな」
「でしょ?」
ベッドに腕を乗せ、カンナは口をすぼめた。白い肌を間近に見てると明るい空や瑞々しい緑が浮かんでくる。一緒に店をはじめようとしたときと同じだ。様々なイメージがあらわれ、重なっていく。――そう、長い休みを取って、旅行に行くの。思いっきり田舎がいいな。下らない悪意も、不倫や虐待もなさそうな場所。もちろん脅迫なんかないし、悲しそうな顔もない。それに、大量の猫もいないとこね。海があって、山があって、川が流れてる。私たちはそういうのを眺めながらゆっくり過ごすの。――ん? 私たち? いや、それはマズいか。
「どうした?」
「え?」
「なんか突然ニヤけだしたからさ」
「そうだった?」
微笑んではいるものの眉間には皺が寄ってる。その顔は保護欲を刺激した。ほんと、この人は私がいないと駄目なんだから。
「あのね、」
「ん?」
「私、」
ピピッ! ピピッ!
――ちっ! 横を向き、カンナは口を尖らせた。彼は体温計を見つめてる。
「どう?」
「ん、三十七度五分だな」
「微熱ね」
風はうなりを立てていた。欅も波打つように揺れている。このままだと根こそぎ持っていかれてしまうんじゃないかと思えるほどだ。
「ああ、早いな。徹が帰ってきたみたいだ」
気怠げに彼は首をあげた。しかし、聞こえてきたのは違う声だ。
「おーい、いないのか? ――いないみたいだな。でも、なんで鍵かけてないんだ?」
「だから言ったじゃないっすか。昼過ぎに会ったって。あいつはほんと酷かったんすよ。公務執行妨害で逮捕しときゃよかったって思うくらいですよ」
蓮實淳は笑った。カンナも大きく口をあけている。
「行ってきてくれないか? 俺はまだ動けないようだ」
「わかった」




