第17章-6
「悪い。待たせたな」
「いや、大丈夫だ。でも、どうしたんだよ。突然会いたいなんて、なにかあったのか?」
「ん、ちょっと訊きたいことができてな」
鴫沼徹は噴水の前に立っていた。風のせいで水も煽られている。
「いい噴水だ」
「いい噴水? これがか?」
「だって、ずっとこいつを見てたんだろ?」
「はっ! 別にこんなの見ちゃいないよ。っていうか、店の真ん前だろ? 見飽きてるどころか、あるのすら忘れてたくらいだ」
水飛沫は日に輝いている。ただ、流れる雲に辺りは暗くなった。
「久しぶりだったな。親父さんは元気か?」
「ああ。でも、年だからさ、ちょっとずついろんなとこが弱ってんだな、愚痴っぽくなってきたよ」
ま、お前みたいな息子がいるんだ、愚痴くらいこぼしたくなるだろ。そう思いはしたものの、なにも言わずに彼は歩き出した。徹も黙ってついてくる。
「うん、ここでいいか」
西池袋公園へ入ると二人は植え込みの前に掛けた。
「ほら、もっとこっち来いよ。離れてたら話ができないだろ」
「ん、それで、訊きたいことってのはなんだ?」
徹は辺りを窺っている。彼は指先を向けた。
「そうだ。俺が知りたいのは、お前がいま考えてることだよ。包み隠さず話すんだ。そしたら今回も助けてやる。でも、嘘をつくようなら今度こそ警察行きだ。わかってるだろ? 俺はなんでもお見通しなんだぜ」
「やめてくれよ、警察だなんだってのは。俺はもう悪さなんてしてないんだ」
煙草を取り出し、徹はライターを擦った。でも、つかない。何度やっても駄目だった。
「寄越せよ。ほら、つけてやる。――っていうか、ここで煙草喫うのも悪さの一つだけどな」
「でも、喫わないと落ち着かないんだよ。見てくれよ、手のひらも汗だらけだ」
「どんだけ小心者なんだよ。お前みたいな奴は真面目に生きるしかねえんだぞ。なんで悪さしようとするんだ」
「俺にだってわからないよ」
けむりを吐き出し、徹は肩を落とした。目は遠くへ向かってる。
「まずは、柏木伊久男のことだ。この前殺された爺さんだよ。お前はそいつに脅迫されてた。お前が殺ったんじゃないだろうな?」
「おい、それマジで言ってんじゃないよな?」
そう言ったものの見つめられると徹はうつむいた。彼は溜息をついている。
「訊いたことにこたえろよ。お前は脅迫されてた。それだけでも動機になるんだ。まさか殺しちゃいないよな?」
「そんなことするわけないだろ。それに、あんなの脅迫とはいえないよ。月一で来てたから奢ってやってただけだ」
「は? どういうことだ?」
「そのままのことさ。いや、確かに脅し文句は言ってきたぜ。写真も見せてきた。でも、別にたいしたもんじゃなかったし、面倒だからつきあってただけだ」
二本目の煙草を咥え、徹はライターを擦った。今度はちゃんと火がついた。
「先生もこの近くで飲み屋やってたって言ってたよな? だったらわかるだろうが、この辺は変な奴が多い。西ってのは吹き溜まりみてえなとこだもんな。俺も長いことこの仕事してっから、そういう連中と渡り合ってきた。だから、わかるんだよ。あの爺さんはまるで誰かの使いで来たみてえだったのさ」
鼻に指をあて、彼は目をつむった。――そういや、大和田義雄も似たようなこと言ってたな。脅してきたけど、あの爺さんは悪気ない感じだったって。
「どうしたんだよ」
「いや、悪い。ちょっと考えてた。それでもお前は奢りつづけてた。それはその写真が警察にいったらヤバいと思ったからだよな。それだけじゃ証拠にならないが、家宅捜索なんかされたら面倒ってことか?」
「ん、まあな。そういう感じだよ」
「いいか? 占ったときには気づかなかったが、お前はクスリにも手を出してた。柏木伊久男が見せてきたのはそれを買うときのものだったんだよな?」
煙草を放り、徹は強く踏みつけた。目は泳いでる。
「なんでそんなの知ってんだよ」
「何度も言ってるだろ? 俺はなんでもお見通しなんだ。ほら、こたえろよ。お前はその写真を見せられたんだよな?」
「ああ、そうだよ。だけど、そんときにゃ、もうやめてた。でも、面倒事になるのが嫌だったんだ。親父にバレたら困るしな」
ふたたび目をつむり、彼は深く息を吐いた。鼻先に感じるリズムは思考を促してる。
「月一で来てた柏木伊久男の様子は?」
「普通っていうか、他の客と変わらない感じだったな。まあ、一応は脅されてたんだ、俺はけったくそ悪く思ってたが向こうは気にもしてねえ様子だった。帰り際に『いつもすみませんね』とか言ってね。まあ、俺たちはそれなりに上手くやってたってわけさ」
「ふむ、そうか。ところで、『あくりょう』がどうのこうのってのは聴いたことがあるか?」
眉間に皺を寄せながら徹は首を曲げた。彼は目をつむったままだ。
「ほんとになんでもお見通しなんだな。ああ、聴いたことあるよ。若い頃にそういうグループっていうのかな、ええと、そう、『愚連隊』とか言ってたっけ。そういうのに入ってたって。それが『悪霊』って名前で――」
突然ひらいた目に驚いたのだろう、徹は首を引いた。
「どうしたんだ? なんかマズイこと言ったか?」
「いや、そうじゃない。なるほど、そうか。それが『あくりょう』なのか。柏木伊久男はそのメンバーだったってわけだ」
「でも、ほんの一時だったって言ってたよ。高校の頃に引き込まれたけど、地元の友達に説得されてやめたって。その友達には感謝してるとも言ってた。だけどさ、そんときの顔つきが、こう、変というか――」
彼は指を向けた。徹は口を閉じ、目を寄せている。
「つづけてくれ。こう、変というか?」
「ああ、変というか、妙なふうに歪んでな。ほら、ガキの頃グレてたって話はあるもんだろ? そういうつもりであまりマジで聴いてなかったんだよ。でも、そんときの顔が気になってさ、だから憶えてたんだ」
指は力なく下りていった。――ふむ、『あくりょう』の意味は半分ほどわかったわけだ。柏木伊久男はそういう名前のグループに入ってた。しかし、それと蛭子嘉江はどう繋がる? 自殺した生徒はなぜ『悪霊』と書き残した? 額に指を添えるとそれまでに見た人の経験が渦巻いてくる。それは渾然となり、それぞれの際をなくした。消え去らないのは茫漠とした人間の姿だけだ。
彼は立ち上がった。風がもじゃもじゃの髪を靡かせている。――そうか。傷害致死の被害者だ。そいつがキーなのかもしれない。それを中心に据えれば見えてくることがあるのかもな。そう考えながら胸を押さえるとペンダントヘッドはかつてないほどに熱くなっている。ん? どうしたんだ? そう思う間もなく膝が折れた。つんのめるように倒れていく。
「っと、先生! おいっ、どうしたんだよ!」
「ん、大丈夫だ。ちょっと眩んだだけだよ」
「嘘つくなって。顔が真っ赤だぜ。――ああ、こりゃ酷い熱だ。突然どうしちまったんだ? さっきまで元気だったってのに」
「知らねえよ。でも、ほんとに大丈夫だって」
「大丈夫なわけねえだろ。でも、どうすりゃいいんだ? こんなとこじゃタクシーも拾えねえしな。――先生、劇場通りまで歩けるか?」
「歩けるよ。っていうか、一人で帰れるって。手を離せよ。こんなとこでオッサン同士が抱きついてるの見られたら嫌だ」
声は小さくなっていった。口がうまく動かないのだ。肌にあたる金属は焼けるように熱い。
「ま、無駄口叩く余裕があるなら平気だろ。ほれ、寄りかかりな。俺は酔っぱらい扱うのに馴れてっからな、こういうのは得意だ。そういや、カンナちゃんは店にいるのか?」
「いや、今日は休みだ」
「そうなのか? でも、こんなんじゃ呼んだ方がいいだろ。先生、スマホはどこだ?」
「うるさいな。カンナは呼ぶな。その必要はない」
徹は引きずるように運んでいった。周りの者は訝しそうに眺めてる。ただ、それもわからなくなってきた。意識が遠退いてきたのだ。その中で彼はこういう声を聴いた。
「必要あるよ。こんなの知らせなかったら、俺がカンナちゃんに怒られちまう」




