第17章-3
煙草を喫いたかったのだろう、刑事は外へ出た。彼はコーヒーをつくりながらキティに話しかけている。
「他の二人、山田久枝ってのと本間康明ってのは知ってるか?」
「山田久枝は知ってるよ。あの爺さんがよく行ってた飲み屋のおばはんで、妙に仲がよかったって話だ。でも、本間ってのは知らないね」
「ふうん。まあ、それは山もっちゃんに聴けばいいか」
「だけど、大丈夫なんかい? 刑事はいいとして、あの小娘はまったくわかってないみたいだよ」
カンナは「うーん」とか「あっ」などと呟いてる。近くに持ってきたり、離しては写真を眺めてるのだ。キティは鼻を鳴らした。
「しかし、小林衛は問題だな。どうすりゃいいんだろ」
「どうもこうもないだろ。警察に知られたんだ、捕まるだけさ。虐待してるならその方がいいかもしれないよ」
「ま、いずれにしたって子供にはキツいよな。ペロ吉にとってもいい話じゃない」
「すべての者にとってのいい話なんてないのさ。どこかが出っ張れば、どっかが引っ込むんだ。そりゃ、しょうがないよ」
悩ましげな顔が入ってきた。薄い毛は逆立っている。
「じゃ、さっきのつづきだ。わけのわからねえ話をもう一度聴かせてもらおうか」
「いや、それは後回しにしよう。まずは名前のわかった連中について教えてくれ」
うんと濃いコーヒーを運んでいくとカンナは奥へ行った。なにか探してるようで、ごそごそという音が聞こえてくる。
「はい、キットカット。疲れてるときは甘いものもいいみたいよ」
刑事は唇を歪めてる。ピクニックじゃねえんだぞ、とでも思ってるのだろう。ただ、一つ頬張るとリストを指した。
「この山田久枝ってのは、あの爺さんがよく行ってた飲み屋の女将だよ。『ひさ江』って飲み屋だ」
「そのようだな。柏木伊久男と妙に仲がよかったようじゃないか」
「よく知ってるな。その通りだ。デキてるんじゃねえかってくらい仲がよかったそうだ。しかし、脅されてたってわけだ。理由はわからないけどな。それがこの写真が難物って意味だよ」
太い指を器用に動かし、刑事は写真を広げた。店の外観と裏手、黄色いプラスチックケースに突っ込まれた酒瓶が写ってるものだ。
「な? これじゃ、なにで脅されてたかわからねえだろ。さっきの、――ほれ、小林と田沼のな、あれはわかり易かったんだ。しかし、この『YF03H』は店が写ってるからたどり着けたってだけだ。そっから先はわからねえ」
「この本間康明ってのは?」
「ああ、そいつか」
悩ましげな顔は微妙にゆるんだ。口許も歪んでいる。
「こいつはなにしてたかわかってんだ。ただな、それはこっちに予備知識があったからだ。これに写ってる学校からは上履きが大量に盗まれてた。しかも、低学年の男子生徒のものだけがな」
「そりゃ本物の変態だな。その犯人なのか?」
「まあ、そうなるんだろう。被害のあった学校と男の写真。それに、『HM03Y』ってわけだ。なに、前から目をつけてたんだよ。そのうちの一人だったんだ」
「でも、これじゃ顔もよくわからないだろ?」
キットカットを囓りつつ刑事は指をあてた。
「この服でわかるんだとよ。俺は調べてる奴に見せたんだ。いや、出所は言ってないぜ。こっそり見せただけだ。そしたら一発だった。間違いないと言ってる」
「ふうん。ま、確かにこの二件は写真を見ただけじゃわかりづらいな。他のはどうだ?」
束になってるのが渡された。眼鏡をかけた中年男が写ってるものだ。
「これ、大和田の旦那さんでしょ? あの人も写ってるけど、わかり易いかっていえば、わかりにくいかもね」
「ほんとだな。本人のが引きとアップ。これはあのホテルだ。そして、指輪の女だけのもの。――うん、こいつは二人一緒だが、だいぶ離れたとこからのものだ。俺たちにはわかるが他の者にはわからないだろう」
「こっちは泉川のおじさまじゃない?」
「ああ、そうだな。車の中に女といる。こりゃ相当若いな。こっちは、――これも若い女か。あのオッサン、病気かってくらい若い女が好きなんだな」
「それはわかり易いやつだよ。そいつには淫行疑惑がある。それは別の課が動いてるとこだ」
「泉川扇宗の華麗なる女遍歴も終わりってわけか。ま、それはしょうがない。で、これが鴫沼か」
写真を取ると彼は天井を仰いだ。それから、もう一度見つめた。
「あの馬鹿、こんなことしてたのか」
「それなにしてるかわかるの? 私はまったくだけど」
「ここは西口公園だろ? 外国人風の男がいる。そこに近づく鴫沼。で、なにか話してるところ。こりゃ――」
「クスリだろうな」
「クスリ? クスリって、あのクスリ?」
「ああ、そうなんだろう。使っちゃいけないクスリだよ。それも比較的わかり易いやつだ。――で、先生、これはどうしたらいい?」
「どうしたらいいってのは?」
「よく見てみろ。そりゃ、けっこう前の写真だぜ。周りを見ればわかるだろ? まあ、買ったのは確かだろうが、使用だけじゃ罪にならねえ場合もあっからな。それに、自首するって手もある」
蓮實淳は顎を突き出させた。唇は歪んでる。
「警察ってのはそういうふうに動くもんじゃない。あんたはそう言ってたぜ」
「そうか? ま、そうだったかもな。しかし、それは保留にしておこう。俺はいまこっちのヤマで忙しいんだ。全部見るわけにはいかねえんだよ。――で、こっちはさらに難物なんだ。なにを示してるかまったくわからない。えっと、これは『YF03K』だな。この顔に見覚えはあるか?」
「どれ、」
そう言って、彼はキティを見つめた。聞こえない声で「どうだ? わかるか?」と訊いている。
「ああ、そりゃ、ビル掃除してる吉田って婆さんだね。あの爺さんが会いに行ってるのを見たのがいるよ」
「ビル? どの辺のだ?」
「ええとね、――そう、明治通り沿い、大和田の旦那が行ってるとこの手前に古いビルがあるだろ? 陸橋の近くさ。そこに来てるんだよ」
「そうか、ありがとう」
刑事は目だけ動かしてる。この間はなんなんだ? と思いながらだ。
「山もっちゃん、これはビル掃除してる吉田って婆さんだ。明治通り沿いのベローチェ、そっから新宿寄りに陸橋があるよな? その脇の古いビルに来てんだよ。柏木伊久男が出向いていったのを見た者もいる」
「ふむ、そうか。それで、他になにかわかるか? いや、こいつはほんとわけがわからねえんだ。同じ自転車の写真が六枚だろ? あとは顔や姿だけだ。しかも夜に撮ったもんだから全部ぼやけてる。この婆さんにはどんな秘密があるってんだ?」
蓮實淳はまたもやキティを見た。つられて視線を動かしてもそこには猫がいるだけだ。
「わからないよ。いつも自転車で来てっから、どこに住んでるかもわからないんだ。だけど、名前と仕事がわかったんだ、警察なら調べられるだろ?」
山本刑事は逆側を向いた。カンナは肩をすくめてる。「どういうことだ?」と目顔で言ったけど、首を振っただけだった。
「山もっちゃん」
「なんだ?」
「名前と勤め先がわかったんだ、そっから先はあんたたちの仕事だろ?」
「まあ、そうだがな」
「他のも見てみようぜ。なにかわかるかもしれない」
束を取り、彼は並べだした。どちらかというとキティ寄りに置いていく。カンナは薄い毛のそよぐ横顔を見つめた。――こんなの気にしてたら、この人とはやっていけないわよ。それに、もっとハゲちゃうかもしれないでしょ。




