第14章-2
当たり前の日常が戻ったとはいえ、以前のようにはいかなかった。予約はほぼすべてキャンセル、飛び込みのお客さんだって来ない。ただ、理由はわかりきっていた。テレビが『疑惑の自称占い師』と連呼していたからだ。
「こんなだと閑古鳥の奴も見誤るんだろう。見た感じじゃ繁盛してるもんな」
ガラス戸の前にはマスコミの連中が集まっている。ごく希に覗きこんでくる者もいて、そのつど二人は睨みつけていた。
「それにしたって、『自称』ってなによ。失礼じゃない? あなたはちゃんとした本物の占い師なのに」
雑誌を放り、カンナは腕を組んだ。黒いTシャツには『So What?』と書いてある。彼は薄くだけ笑った。――いつもの場所に戻ってきたんだな。憩いの我が家、我が職場というわけだ。ま、怒りまくった人間を見て思うのもなんだけど、そうであるのは確かだ。
「なんなのよ、その顔は」
「いや、別に」
「腹は立たないの? 馬鹿にされてるのはあなたじゃない」
「立たないではないけど、それほどでもないな。好きに言わせときゃいいんだよ」
カンナは唇を尖らせてる。――ほんと、いいかげんなんだから。だけど、なんとかしなきゃ。どうしたらいいんだろ? そう考えてると、今朝見たワイドショーが思い出された。深刻そうな顔をしたレポーターはこう言っていた。
「取材を重ねるたび、独り暮らしのご老人が多いことに心が痛みます。この近辺では以前にも七十一歳の女性が陸橋から落ちて亡くなるという事故がありました。そのときも取材しましたが、頼るべき身内のいないご老人の多いことに驚かされたものです。そして、今回の被害者もその一人でした。ご近所の方に伺うと、みな口を揃えて『良い方だった』、『町の行事にも積極的に参加される頼りがいのある方だった』と仰ります。そのご老人がある日トラブルに巻き込まれました。そして、ご遺体となって発見されたのです。しかし、なぜかトラブルの相手は釈放されてしまいました。いったいどのようなトラブルだったのでしょう? また、そのトラブルの相手、自称占い師の男性とはいかなる人物なのでしょうか?」
唸りつつ、カンナは外を見た。欅の陰は待機場所のようになっている。こういうのがつづけば苦情だって来るだろう。それだけは避けたい。でも、どうしたらいいんだろ? ――あっ、そうか。これなら全部がうまく回るかも。こっちにはお金が入り、向こうも得をする。それでもって、あそこに溜まってるのもやめさせられるってわけよ。うん、素晴らしいアイデア。カンナはデスクに手をつき、囁いた。
「は? マジで言ってんのか?」
「そうよ。この馬鹿げた状況を打破するにはこれしかないでしょ。それに、誰の財布から出てきたって、お金はお金じゃない」
カンナが出ていくと彼は首を伸ばした。――まったく行動力だけは人一倍持ってるな。それで働かされるのは俺なんだけど。そう思ってる内にもマスコミの連中はぞろぞろ入ってくる。
「さ、順番に占ってもらって。それが終わったら、一つだけ質問していいわ。だけど、嘘を言ったりするようなら、こちらにも考えがあるのでそのつもりで。ま、占ってもらえばわかるけど、うちの先生は『自称』なんかじゃないの。なんでもお見通しのすごい人なんだから。――で、誰からにするの?」
マスコミの連中は互いを見合ってる。「なんでもお見通し」なんてハッタリに違いないとでも思っているのだろう。
「じゃあ、私が、」
レポーターの女性が手を挙げた。軽くうなずきながらカンナは奥へ向かってる。とりあえずコーヒーくらい出しとくか――そう思ったのだ。
それから彼は五人連続して占った。
「ふむ。あなたはけっこうな借金がありますね。それもギャンブルで拵えた借金だ。パチンコ、競馬、競輪、オートレース、あらゆるギャンブルに手を出している。少し前には堅いと考えていたレースで五十万すった。借金は増えるばかりだ。だから、――いや、だからってのもどうかと思いますが、あなたは取材費名目で空の領収書をもらいまくってる」
「あなたはいま離婚を考えてますね。奥さんが不倫してると思ってるんでしょう。いえ、あなたの経験は見えづらいところがあったんですよ。しかし、――うん、そうか。仕事仲間で家族ぐるみの関係にある方がいますね? その方と奥さんの仲を疑ってるんだ。ただ、あなたもそちらの奥さんと会って、――ん? ちょっと待って下さい。――ふむ、そうだ、こりゃ、違いますね。不倫とかじゃない。夫婦交換だ。いや、すごいことしてますね。その挙げ句に離婚ってんじゃ救われない。違いますか?」
本来の自分を出しつつ彼は占いつづけた。抑留生活からの解放を実感できたのもあるのだろう、楽しくもなってきた。ただ、脂ぎった顔の中年男(どこぞの局のディレクターだった)を見たときはげんなりした。最も目にしたくないものを見てしまったのだ。
「ええと、あなたには新しい彼氏ができましたね。彼は若く、活きがいい。少々戸惑ってしまうくらいにね。その彼は、――ん? なんか知ってる人のような気がします。テレビで見たことがあるのかな? ぼやけていたが、――ああ、俳優さんだ。この前ドラマで見ましたよ」
中年男は腕をつかみ、片手で拝むようにした。目は仕切りのカーテンに向かってる。
「いいでしょう。違う話にしましょうか。――うん、あなたは痔ですね。まあ、そうなるのもしょうがないが、ひどいキレ痔だ」
占いが終わると全員が暗澹たる顔つきになった。ところどころ聞こえていたのだろう、互いを見合っては唇を歪めてる。カンナはそれに満足した。
「じゃ、お待ちかねの質問タイムね。――っていうか、皆さん大丈夫? 訊きたくないってなら、それでもいいんだけど」
借金まみれの女性レポーターが背筋を伸ばした。顔は青くなってるものの、声だけはくっきりしている。
「では、私から。――えっと、釈放されたのはあなたが事件と無関係だからなんですか?」
「いや、まったく無関係とはいえないでしょう。第一発見者でもあるし、亡くなられた方とトラブルがあったのも事実ですから。しかしですね、そのトラブルも先方から仕掛けてきたことだったんですよ。それは警察でも把握してますので問い合わせてみて下さい。――ま、とはいえ、あの方の死とは無関係ですがね」
「なるほど。それで、そのトラブルなんですが、」
「ああ、駄目。あなたは終わりでしょ。質問したかったら、また占ってもらってからにして。――じゃ、次の質問ね。誰がするの?」
「じゃあ、私が、」
夫婦交換してるアナウンサーが手を挙げた。顔にはびっしりと汗が浮かんでる。
「あなたにはアリバイがあるということですが?」
「その質問でいいの? 一回だけなのよ。それで大丈夫?」
考える表情をしたもののアナウンサーはうなずいた。蓮實淳は明朗にこたえた。
「そうですね。だから、警察も釈放せざるを得なかったんですよ。ま、迷惑になるんで誰だったかは言いませんが、私はその時間にある人物と会ってたんです。それに、私は警察の人間と先方へ向かう約束をしてたんですよ。どうしてそのタイミングで殺人などするんです? 常識的に考えてそれはないでしょう。違いますか?」
マスコミの連中はふむふむと聴いている。先制パンチが効いてもいたのだろう、詰問調になれないのだ。
「さ、これでわかったでしょ? うちの先生は亡くなられた方を助けにいっただけなの。だって、お爺さんが倒れてたら誰だって様子を見にいくものでしょ? それをオマワ――ううん、警察が勘違いっていうか、誤認逮捕っての? それをしたってわけ。それが真相よ。それと、もうわかってるでしょうけど、この人は『自称』なんかじゃないの。本物の占い師よ。わかったら、『自称』なんてのは取っちゃって、『驚異の』とかにして」
彼は椅子にもたれかかってる。驚異の占い師? それも嫌だな。そう思いながらも無表情で押し通した。
「じゃ、代金はここで頂くわ。一人二万円。領収書が欲しい人は言ってね」
マスコミの連中は財布を出しはじめた。望んだ過程と違っていたにせよ結果は得られたのだ、それで良しとしたのだろう。ただ、途中で全員が首を曲げた。ガラス戸がひらいたのだ。
「え? なに? 今度はなにがあったの?」
戸口に立ったまま千春は瞼を瞬かせてる。蓮實淳は口をあけて笑った。これじゃ、集団喝上げの現場に見えるもんな――そう思ったのだ。




