第13章―4
アクリル板の向こうには背筋を伸ばしたカンナがいた。『Bitch!!』のTシャツを着て、髪を束ねてる。彼は薄くだけ笑った。
「やっと会えたわね。すごく待ったわ」
「ああ。でも、来てくれるだろうって思ってた。悪かったな、迷惑かけちまって」
「迷惑なんて――」
口を覆い、カンナは目を落とした。駄目と思っても涙は出てくる。
「迷惑なんて思ってない。っていうか、いつも迷惑かけてるのは私の方でしょ」
「は? どうしたんだよ」
「だって、こんなことになったのだって半分以上は私のせいじゃない。あんなことしたから、こうなっちゃったんだし」
まあ、そういう部分もありはするけどな。彼は目を細めてる。カンナはうつむいたままだ。
「それに、あなたは一人だってやっていけるはずだもの。そりゃ、ほんとどうしようもない人だけど占いだけは当たるし、いろんな人を助けてきたでしょ? それに比べたら、私にはなにもないもの」
コツコツとテーブルを叩く音がする。カンナは顔をあげた。
「なに言ってんだよ。なにもないわけないだろ? ほら、君が来てくれる前のことを考えてみろって。星や月の飾り、金のチェーン、ケバケバしい紫色の布。憶えてるだろ?」
口許はゆるんだ。泣きながらカンナは前を見つめてる。
「占いについちゃ、その通りだ。俺はなんでもお見通しの蓮實先生だからな。でも、それ以外はまったく駄目だ。君がいてこそあの店はやっていける。いや、店ってのはそういうもんなんだよ。一人でなんでも出来るなら、つるむ必要なんてないもんな。でも、そうじゃない。それぞれが補いあって、いい店をつくってくんだ。俺たちはずっとそうしてきた。そうだろ?」
「そうだけど」
ふたたびうつむくとカンナは唇を噛んだ。――ほんと、感情の起伏が激しすぎるな。それだけで疲れるわ。
「カンナ、これも憶えてるか? だいぶ前に話したろ。ほら、俺がやってた飲み屋だよ。ダイニングバーみたいな店で、すごく雰囲気のいい――って自分で言うのもなんだけど、まあ、そういう感じの店だったんだ」
彼は椅子にもたれかかった。笑った顔は少し引きつっている。
「いや、俺が入ったときは無茶苦茶に荒れてたんだ。誰も言うこと聞かなかったし、開店五分前に喧嘩ってのも普通にあった。そういうのをひとつずつ潰していって、なんとかまとまっていったんだ。――そう、うちの店でデートしてたカップルが結婚式の二次会に使わせてくれって言ってきたことがあってさ、ありゃ嬉しかったな。自分たちのしてきたことが間違ってなかったってわかったんだよ。もちろん、やらしてもらったよ。全部が初めてだったから大変だったけど、きっと喜んでもらえたはずだ」
二人はしばらく互いを見合った。アクリル板には自分の顔が滲んでる。それを透過して見つめあっていたのだ。
「ただな、それがあって間もない内に閉店が決まったんだ。俺は腹も立ったけど、それ以上にスタッフやお客さんに済まない気持ちでいっぱいだった。気に入って使ってくれてた人も多くいたからね。でも、どうにもできないだろ? それからだな、俺は、まあ、やさぐれてたんだよ。そこに君があらわれた。――な、カンナ、接客ってのはほんと素晴らしいもんなんだよ。あれは人助けにだってなるんだ。いや、人助けっていったって大袈裟なもんじゃないよ。ただな、接客を通してだって問題を解決できるし、気持ちを落ち着かせることもできる。ま、俺は忘れかけてたんだけどな。それを君が思い出させてくれた。ほんと感謝してるよ」
「やめてよ、こんなときにそんなこと言うの。それじゃ、まるで、」
ふたたび口を覆うと、大粒の涙が零れた。唇は震えてる。
「まるで?」
「まるで死刑になっちゃう人みたいじゃない」
あのな。彼はうつむく姿を見つめた。それこそ、こんなときにやめてくれよ。――ま、だけど、こうじゃないとカンナっぽくないもんな。
「ところで、カンナ」
「はい?」
「キティたちは元気にしてるか?」
「ああ――」
カンナは口許をゆるめた。大勢の猫に詰め寄られたのを思い出していたのだ。
「どうした?」
「ううん、元気よ。ま、一人だけ元気じゃないのがいるけどね。でも、それは後で話すわ。ほんとすごかったんだから。さすがのあなたでも驚くようなことよ」
そう、言いつのってやる。どれだけみんなが心配したか何時間でも話してやる。千春ちゃんだって寝込んだくらいなんだから。でも、いまはアレを訊いておかなきゃ。
「ね、一つだけ知りたいことがあるの」
カンナは首を伸ばした。視線の先には係官がいる。
「なんだ?」
「それはいつのことだったの?」
「それってのは?」
「それはそれよ。いつあったか知りたいの」
目は意味ありそうに光ってる。彼も背後を気にするようにした。
「ああ、なるほど」
「わかったでしょ? 教えて」
うなずきながら彼は立てた指を前に倒した。――いち、にぃ、さん、しぃ、ご。
「うん」
「で、そこから」
彼はまた同じようにした。カンナもうなずきながら、その動作を繰り返した。
「そうだ。合ってる」
「わかった。じゃ、それを『悪霊』のお婆ちゃんに言っとくわ」
「ん? そうなのか?」
「頼まれたの。いつだったか知りたいって」
「ふうん。でも、なんでだ?」
「それはわからないわ」
カンナは立ち上がった。そのままで、じっと見つめてる。
「ああ、カンナ、お願いがあるんだ。ペロ吉にごはんをあげてくれ。クロにもな。それと、元気がないってのはオチョだろ? アイツは女好きだから抱っこしてやってくれ。それに、ゴンザレスとオルフェにはブラッシングしてあげて欲しいな。キティには気をつかってやってくれ。ああ見えて彼女はけっこうな年だからな」
「わかった。あなたほどには出来ないだろうけど、なんとかしてみる」
アクリル板に手をつけ、カンナは微笑んだ。彼も同じようにしてる。体温はわからないものの気持ちだけは落ち着いてきた。
「こういうのって、なんだか二時間ドラマみたいね」
「ああ、ほんとだな」
「じゃ、またね。つぎ会うときは外でよ。わかった?」
「うん、わかった」
目を向けると、カンナは口をすぼめてみせた。そうして、振り返りもせず出ていった。




