第13章―2
目をあけると見馴れぬ天井があった。ぼんやりした中には人の気配も感じられる。ただ、身体は動かない。――私、また倒れちゃったんだ。なんらかの病気? それともストレス? ま、ストレスフルな職場だもんね。なにしろ、あの馬鹿が、――ん? あっ!
そう思った瞬間に呪縛は解けた。布団のかかったところは汗まみれになっている。しかし、指先は冷たかった。
「起きましたね」
カンナは首を動かした。タオルを手に蛭子嘉江が微笑んでいる。
「これでお拭きなさい。ひどい汗。ずっとうなされてましたよ」
「ありがとうございます」
頭を下げた拍子に涙が落ちた。カンナはその行き先をたどってる。濡れた部分だけ布団は色を濃くしていた。
「すみません。突然お邪魔して、その上、倒れちゃうなんて」
「無理ないわ。私たちだって倒れこみそうになったくらいですもの。さ、背中は私が拭いてあげましょうね」
タオルをあてられてるうちに涙はぽろぽろと落ちてきた。目をつむっても収まらない。どうして出てきた涙なのかもわからなかった。
「ナア!」
キティの声がした。カンナは唇を噛み、頬を拭った。――わかってるって。泣いてる場合じゃないってんでしょ。そんなのわかってる。
「あの、教えて下さい。あの人――うちの先生になにがあったのか。そして、私になにが出来るのかも。助けなきゃならないんです。私が助けてあげなきゃ駄目なんです。だって、みんな知らないけど、本当のあの人は子供っぽくて、寂しがり屋で、ろくでもない人なんです。そのくせ偉ぶったりしてるから、警察に捕まったりしたらどうなっちゃうかわからないんです」
混乱した思考は最後をただの悪口に変えたけど、嘉江は優しそうに見つめてる。
「蓮實先生はあなたにとって大切な存在なのね」
カンナは瞼を瞬かせた。なにを言われたかすぐには理解できなかったのだ。
「えっと、――はい、たぶんそうです。だから、なんとかしなきゃならないんです」
「私もできれば先生のお役に立ちたいんですよ。だけど、知ってることは少ないわ」
嘉江はテレビをつけた。「たった一つで若見えになれるクリーム」のCMが流れてる。
「昨日はそうでもなかったんですがね、ついさっきからはニュースで大きく取り上げられるようになって。うちにも来ましたよ、なんですか? レポーターみたいな人が。ゆかりが出たんですが、『占い師による殺人事件』などと言ってきたようです。ま、うちのアパートで起こったのも調べてあるのでしょう」
画面は昼前のニュースに変わった。しかつめらしい顔をした男女が大きく映ってる。男の方は「高温注意報発令」について話しだした。
「こういうのはどうかと思いますが、占い師ってのが目を引くんでしょう。先生のことをいろいろ言うようになってね」
「いろいろってのは?」
「ま、見てみましょう。そのうちやるでしょうから」
幾つかのニュースの後で空撮されたアパートが映しだされた。画面の下には『雑司ヶ谷独居老人毒殺事件』というテロップが出てる。落ち着き払った声はこう聞こえてきた。
「昨日、豊島区雑司ヶ谷で起こった殺人事件ですが、警察への取材によると第一発見者である自称占い師の男が身柄を拘束されているようです。この男は被害者とトラブルになっていたようで、当日も警察立ち会いのもと話し合いの場が持たれるはずでした」
写真があらわれるとカンナはタオルを握りしめた。あのジジイだ。私たちを脅し、嘘ばかりのビラを貼りまくってたジジイ。
「中継が繋がってます。白井さん?」
「はい、こちら殺害現場近くです。いまも警察関係者が出入りをしています。被害にあわれたのは豊島区雑司ヶ谷在住の柏木伊久男さん、七十三歳。ご近所の方によると温厚で人柄のいい方のようでした。拘束されてる男との間にトラブルがあったのはひと月ほど前のようで、柏木さんは非常に怯えていたとの情報も入っています。警察ではトラブルの詳しい内容を調べるとともに、容疑が固まりしだい殺人罪での逮捕状を請求するとのことでした。現場からは以上です」
「つづいては水の事故についてです」
女性キャスターが向き直ったところでスイッチは切られた。
「どういうこと? 殺人で逮捕って。あの人が? 馬鹿げてる! だって、私たちの方が被害者だったのよ!」
涙はまた溢れてきた。背中を擦られても止まらない。
「落ち着きなさい、カンナさん。あなたがどうにかしなきゃならないんでしょ?」
「そうだけど、どうしたらいいんですか? 私になにができるの? 奥さん、教えて下さい。どうすればいいんです?」
頬を拭いながらカンナは叫んだ。嘉江の目は漂っている。それは仏壇へ向かい、細まった。――え? なに? そう思うほどその顔は青白かった。
「カンナさん?」
「はい?」
突然向き直り、嘉江は微笑んだ。そして、耳許に囁いてきた。――え? ふたたびカンナは思った。こう言われたのだ。
「お願いがあります。蓮實先生に会って来て下さい。犯行時間を知りたいんです。それさえわかれば私がなんとかしますから」




