第9章―5
けっきょくのところ、彼らは有効な手立てを持つことなく日々を過ごしていたわけだ。犯人がわかってもなにもできなかった。いや、この時点における最善の方法など誰にも思いつかなかったというのがより正しいのかもしれない。
本当に脅迫者だったとして――、蓮實淳の思考はいつもそこからはじまった。その場合、あんなのを寄越したのは大和田や鴫沼の『事件』を解決したのが気に食わなかったからなんだろう。食い扶持を潰したってことになるんだからな。いや、待てよ。
鼻に指をあてたまま彼は固まった。キティたちの報告では大和田との接触は断たれたようだが、鴫沼とはまだ繋がりがあるようだった。ということは、あの馬鹿息子にはまだなにかあるってことか? 『掛け軸事件』以外にも痛いとこを握られてるのかもしれないな。だから、会いに行ってるんだ。
逆に考えれば、大和田の件はもう終わってるからビラに書いたとも考えられる。腹いせ混じりにばら撒いたってわけだ。しかし、そうなると泉川のオッサンはどうなる? あれに俺は関わってない。それに、継続的に脅迫できるネタのはずだ。なんでそれを書いた?
だいたいにおいて思考はそこで止まる。そこから先へは進まないようになってるのだ。――まあ、これだけの情報では読み切れないんだろう。まだあの爺さんを知る必要があるんだ。だけど、なんで毎日あんなジジイのことばかり考えなきゃならない? これじゃ、まるで片思いの相手みたいじゃないか。ほんと、うんざりするわ。
ただ、うんざりすることはまだつづいた。
八月の第一週、休み明けの木曜にカンナは不忍通りを歩いていた。左手には日本女子大の校舎が見える。その先には陸橋があるのだけど、狭くなったところに差し掛かるとちょうど自転車がやって来た。服装に似合わず、ごく常識的な部分を持つカンナは道を譲ろうとした。そのとき、橋脚に紙が貼ってあるのに気づいた。
え? カンナは顔を近づけた。そして、ええっ!! と思った。腹が立つより先に恥ずかしさが覆っていく。
「ちょっと大丈夫? どうかしたの?」
自転車のおばちゃんが声をかけてきた。心配そうな顔で見つめてる。
「あ、――いえ、大丈夫です」
「ほんとう? すごく顔色悪いけど。あなた、ここの学生さん? 誰か呼んできましょうか?」
「あの、私はここの学生じゃないし、ほんとに大丈夫なんで。――すみません。ありがとうございます」
おおげさに思えるほど元気よく歩いてからカンナは電話をかけた。ただ、やっぱり出ない。
「ほんと使えない奴」
目につくビラを剥がしつつ、カンナは電話をかけつづけた。
「ん? どうした? また鍵忘れたのか?」
寝ぼけた声を聴いたとき、感情は収斂された。恥ずかしさや焦りは消え失せ、怒りだけになったわけだ。
「違うわよ! またあったの! あの馬鹿げた、嘘ばっかりの、いやらしいビラが! 私はそれを剥がしまくってんの! あなたも今すぐここに来て!」
そう叫ぶとカンナは来た道を戻っていった。蓮實淳は急いで着替え、店から飛び出した。ただ、参道の端まで走ると立ちどまった。
「ん、ここに来てって言ってたけど、ここってどこだ?」




