第7章―7
興奮冷めやらぬカンナをタクシーに押し込むと、彼は首を回した。コキンコキンと音がする。ストレスが硬く強張らせているのだ。キティはテーブルで肢先を舐めている。
「そうだった。さっき、――って、けっこう前だけど、『はあ?』とか言ったろ。あれはなんだったんだ?」
「ん? そうだったかい? なんだかいろいろ言ってたんで忘れちゃったよ」
蓮實淳はソファに戻り、紙を手に取った。
「ほら、ここを読んでるときだ。俺が、――いや、俺じゃないけど、十代の子に乱暴しようとしてってとこ」
「ああ、そのことかい。それと似た話を聴いたばかりだったのさ。あんたにゃまだ言ってなかったけど、オチョがやっと戻ってきたんだよ。でね、そういう話を持ってきたんだ。泉川扇宗が乱暴しようとしたんだけど、その子がたいしたタマでね、美人局ってわけじゃないけど、裏に危ない連中がいたんだ。それで、けっこうな金を毟り取られたみたいだよ」
「は?」
彼は紙を近づけた。幾つかの文字が目の奥へ入りこんでくる。
「どういうことだ?」
「わからないよ。ただね、あの男はよくそういうのをしてるらしいよ。まあ、いつも乱暴してるんじゃないだろうけど、ある意味じゃ病気なんだろうね、とっかえひっかえ女に手を出してるみたいさ。それで、――いや、それも馬鹿な話だけど、それでオチョは帰ってこなかったのさ」
「ふうむ。じゃ、これは泉川のオッサンについて書いたってことか? それを俺の名前に置き換えた。そういうことかな?」
「そうも考えられるけど、どうしてそうしたっていうんだい?」
鼻に指をあて、彼はしばらく唸った。ただ、なにも思いつかない。
「わからないな。――ああ、あともうひとつ。これはふと思っただけなんだけどさ、このビラの貼ってあった場所についてだ」
「場所?」
「そう、場所だ。これは音大近くの壁に点々と貼ってあった。わかるか? ウサギの殺された現場の近くってことだ」
キティは顎を引くようにした。瞳には円錐形のライトが映りこんでいる。
「だからなんなんだい?」
「君はあそこに近づかないよう言ってあったんだろ? ってことは、これを貼るとこを見ていた猫もいない可能性が高い。これは偶然なのかな?」
「偶然じゃなきゃ、どうなるんだい?」
今度は腕を組み、彼は黙りこんだ。なにか考えられるようであり、しかし、それは形にならなかった。
「それもわからないな」
「ま、これ以上考えたってしょうがないよ。まだ情報が足りないんだ。もっと調べる必要があるね。――ところで、さっきの話じゃ、もう占い師どもに張りついてる必要はなさそうだね」
「ああ、そうかもな。ただ、泉川のオッサンだけは見張ってて欲しいな」
「そうだね。じゃ、オチョ以外の者に行ってもらうとするか。クロならいいだろ。あの子は目端が利くから」
ガラス戸が揺れた。風が出てきたのだ。蓮實淳は目を細め、薄明かりに輝く外を見つめた。
「で、あんたはどうする気なんだい?」
「ん、そうだな。ほんとは警察に相談した方がいいって思うんだけど、ああ言われちゃうとな」
「アタシもオマワリは嫌いだよ」
彼は笑った。キティはじっと見つめてる。
「ま、今日はここまでにしておこう。ほんと、これ以上考えたってしょうがないもんな」
戸を開けると湿った風が入ってきた。キティは尻尾を振っている。
「ああ、そうだ」
「なんだい?」
「言い忘れてた。ありがとうな。カンナのこと見ててくれて」
「ふんっ!」
振り向きもせずにキティは駆けていった。その姿を見送ると彼はふたたびソファに身を沈めた。テーブルには二十八枚の奇怪なビラがある。――ふむ。わからないことばかりだけど、この作者が俺たちの店を潰そうとしてるのは確かなんだろう。しかし、なぜだ? それに、どうしてこれだけのことを知ってる? いや、もうやめよう。彼は店を見まわし、カンナの投げた紙玉をゴミ箱に捨てた。そうして、電灯を消した。
ただ、すぐまた点けた。一枚だけはデスクにしまっとこう。さもないと全部丸められちゃうかもしれないしな――そう思ったのだ。




